5-2

 結論から言えば、エテナは何も思い出さなかった。

 ドロシーによると、確かに壊れていた記憶らしきものをつなぎ合わせたはずで、あらかじめ元通りになるよう壊されていたのではないかと疑うほど、完全な形を取り戻せたらしい。ただ、形を取り戻した瞬間、見えなくなったそうだ。復元した記憶がどこにも見当たらないと、申し訳なさそうに告げていた。

 すっかり意気消沈したドロシーを慰めているうちに、自分の記憶について教えてもらうという話もうやむやになって、屋敷へと帰ることになった。宿にほかってあった荷物も移動されていて、いよいよ本当に領主に仕立てられたのかと思ったが、全く実感なんてなかった。そういえば、領主が何をするのか、何も分かっていないし、まずいんじゃ――思うことは色々あったが、また明日にすればいいやと全ての問題を保留とし、眠りについた。

 そして――夜中、ふと目が覚めた。

 空気に何か違うものが混ざっている気がした。

 ――いや、気のせいだ。特に変わったことはない。けれど、なんなんだ?

 違和感に身体を起き上がらせ、周囲を見回す。

 隣の大きなベッドで寝ているはずのエテナがいなかった。まさかと思い、自分の敷き布団の中を確認する。しかし、エテナの姿はない。同じベッドで寝るのはどうかとドロシーにお願いして用意してもらった布団で、なぜだか眠る時までエテナが占領していたのだが、再び奪いに来たというわけではなかったようだ。

 立ち上がって、窓の方を向くと、それらしき人影を見つけた。

 窓をあけ放ったまま、バルコニーに出ているのだ。

「おい、エテナ、何を――――どうしたんだ?」

 こちらを振り向いたエテナは、しかし、瞳が黄金に輝いていた。改めて見ると、髪も違う。満月の光を宿らせたかのように純白の淡さを纏っていた。

 微笑みを浮かべたまま、何も答えない。

「お前は、誰だ?」

「誰なんでしょうね」

 エテナの声だ。しかし、エテナの声音ではない。

「誰なんだ?」

「くふっ、あなたこそ誰なのかな?」

 首を傾けてみせる少女。顔の形はエテナでも、明らかにエテナではない。

「俺は――レターだ」

「いいえ、違うわね」

 すぐさま否定を返し、光り輝く瞳がにらみつけてくる。

「あなたはあなたでしかない。私が私でしかなくて、この子がこの子でしかないように」

「何を言ってる? エテナはどうしたんだ? その身体はエテナのだろっ!」

「本当に? あなたはこの子の何を知ってるの? この身体が実は私の身体って可能性もあるんじゃないかな?」

 くるっと回って淡い桜色のワンピースをひらひらさせる。

「本当にお前の身体なら、そんな口振りじゃないはずだ。この子ってエテナを呼ぶってことは、その身体がエテナのだって認めてるってことだろ?」

「それもそうね。この身体が私だけのものなら、こんな喋り方はしないのかも」

 どういう意味なのか。エテナの身体であることは認めたようだが、エテナだけのものではないと言っている気がした。

「まさか、お前がいるせいでエテナの身体は――――お前、男なのか?」

「くふふっ、私が男? あぁ、そうさ――――っていうと思ったの? あなたがエテナと呼ぶ子が男なのかもしれないじゃない。どうして、私が男だって決めつけるの?」

 心の底から愉快そうな笑い声をあげた何者か。思いついたままに尋ねただけなのだが、ここまで話に乗ってくるなんて意外だった。

「じゃあ、お前は男じゃないのか?」

「さぁ、ね? どちらでもいいんじゃないの? 私が男かどうかで何が変わるの? この子が女だから仲良くしたの? 男だったら仲良くしなかったの?」

「あぁ、そうだな。お前やエテナが女か男かなんて実際どうでもいいのかもしれない。だけどな、エテナがエテナだっていうのは俺にとって大事なことなんだ。付き合いが短くたってな、俺はあいつにかなり助けてもらったんだ。だから、その身体は返せ」

 一歩だけエテナの身体をした何者かへと近付いた。

「ふーん、そんなに大事なのね。えぇ、分かったわ。あなたともう少しお話したら、この身体をエテナちゃんに返すわ」

「今すぐ返せよ。お前となんか話すことなんてない」

「それは本当かな? あなたは私と話すことを望んでたんじゃないの?」

「どういう意味なんだ?」

「分からないのね。なら、何も教えてあげないわ」

 何かを知っていそうな口ぶりだ。そういえば、エテナの身体の秘密も知ってるようだし、どことなく漂わせる雰囲気は何もかもお見通しという感じ――そこまで考えて気付いた。

「まさかお前、記憶泥棒なのか? お前は誰だ?」

「さぁね、あなたが思うように思えばいい。私の名前は、名前の無い野原の七番目で名無野七ななしのなな。七ちゃんとでも呼んでくれればいいわ」

 明らかに偽名だ。しかし、そんなのはどうでも良かった。

「そうか――そういうことなのか。ドロシーさんが蘇らせたのは記憶じゃなくてお前なのか」

 つなぎ合わせ、元の形に戻せたと思ったら、跡形なく消えてしまった。それがこいつなのだ。

「ある意味で記憶も含んでいるわね。私はあなたたちのことをよく知ってるの」

「それなら俺たちに記憶を返してくれないか?」

「返すも何も記憶はあなたたちの中に残ったままなんだけど――えぇ、まぁいいわ。そこまで望むなら少しだけ思い出させてあげましょう」

 エテナは、いや違う。エテナの身体を操る何者かは瞬時に懐へと入り込んでき――額をつかまれた。いつかドロシーにされたみたいに。

 視界が真っ白くなって、一気に様々な色が駆け巡る。

 あぁ、そうだ、これだと思う記憶があった。けれど、つかみとれず、気付けば次々に色彩が色彩を塗り潰していく。

 やがて真っ赤になった。夕陽に染まったみたいだと思ったけど違った。

 血だ。ナイフに血がつき、両手も血だらけ――何をしたんだと思って――雨音がやけに耳へ響く。鉄の匂いが鼻をつく。そして視界が揺らぐ。倒れたのだ。腹部から血が流れている。

 ――あぁ、そうか自分で刺したんだよな。

 頭によぎった言葉に本当なのかという疑念が広がって、同時に自らの手でナイフを腹部へ刺した光景が疑念を食い潰す。


 ――あなたへの改変を記憶しますか?


 痛みと共にどうしようもない身体のだるさを感じ、やがて意識が薄れていき、なのに、声が聴こえてきて、もしかしたら――何かを思っていた。

 引き戻されるのは突然。

 頭を埋め尽くす疑問。

 目の前に名無野七。

「どういうことだ? 俺は一体、どうして?」

「あなたは自ら命を絶ったのよ」

 静かに告げられた。

「なら、どうして俺は、俺は?」

 今ここにこうして存在している理由が分からなかった。

「私があなたに改変を施したからね」

「どういう意味だ?」

「おかしいと思わなかった? あなたの身体が一瞬で治ること、翼が生えること、光の速さで移動すること――これらどれも全てを叶える魔術があるのだとして、どんな魔術だと思う?」

「既に死んでいる者を魔術で動かした?」

 自分で答えておきながら、なんてひどい答えだろうと思った。

「近いけど、違うわね」

 名無野七は首を振って、大きくため息をつく。

「あなたはこの子が望んだから今こうしてここに存在しているの」

 胸へと手を当てて発せられた言葉。この子とはエテナのことだろう。しかし、エテナが望んだからといって何ができたというのか。瀕死の状態を治癒魔術で治したという話なのか。

 しかし、治癒魔術だけでは説明がつかない。防御や飛翔もあり、むしろ何にも限定されていない様々な魔術が自分を助けてくれた。エテナがいたからこそ、シロとドロシーを止められた。

「特別な魔術……というより俺自体が特別。ただし、エテナがいないとダメで、だとすれば、存在自体がエテナの魔術――いや、そう、ヰオンだ。そうか、俺は、エテナのヰオンなのか」

 光となって弾けとび、収束して身体を取り戻す感覚。それは光=ヰオンそのものの動きのような気がする。それに、もしエテナのヰオンならば、ドロシーの妙な言動の説明がつく。

「ははっ、まさか、まさか、そんなはず――あるのか。あるってことなのか」

 笑ってしまう。けれど、よくよく考えたら、魔術の知識も何もろくにないのに、シロとドロシーが争う場所へ割り込めたのだ。自分が普通の人間だと思う方がありえない。

 名無野七は肯定もしなかったが、否定もしなかった。

「あなたが望み、あなたが望まれた結果よ。あなたはこれからも存在し続けたいの?」

「当たり前だ」

 即答した。なぜか即答できてしまった。けれど、存在し続けたくない理由がなかった。自ら命を絶った奴が記憶を失ったら、存在し続けたいと願った。もし本当にそうなのだとしたら、あまりに皮肉なことだ。

「ふーん、そう」

「あぁ、でも、どうして俺は自ら命を絶ったんだ?」

「人が命を絶っちゃう理由なんて幾らでもあるでしょ? 今あなたが存在し続けようと思っているなら、あなたを殺しちゃうような理由なんて、わざわざ思い出さないのが正解じゃないの?」

 今と未来さえあれば、自らを殺してしまうような過去なんて要らないと考えるのは、正しいのかもしれない。ただ、本当にそれでいいのだろうか、と思ってしまう。

「正しくなくたって、気になるんだ。未来へ進むことだけを考えれば、きっと間違いだろう。でも、全てが間違いじゃないと思う。俺がどうしてここにこうしているのか、知りたいんだよ」

「死のうとした過去を探して未来へ進む。ひどく不合理な生き方――でも、いかにも人間っぽいかもね」

「あぁ、それに俺は全く納得できていない。お前の話や俺の記憶が本当だっていう保証はないからな。お前が俺の記憶を改変し、変な記憶を植え付けてきた可能性も考えることにする」

 名無野七と名乗った奴が本物の記憶を蘇らせたのかどうか判断するには、やっぱり己の過去をもっとはっきり思い出さねばならないのだと思う。

「好きにすればいいわ。ただし、この子はあなたに存在し続けて欲しいと望んだの。その気持ちをくんであげなさいよ。それじゃあね」

「ちょっと待ってくれ」

 別れ文句みたいな言葉を耳にし、慌てて引き止める。

「エテナはどうして俺を助けてくれたんだ?」

「どうしてあなたはこの子が殺されそうになった時、助けたの?」

「それは――助けたかったからだ。とにかく助けたかったんだ」

「きっと、それと似たようなものなんじゃない? 助けたいと思ったから助けたのよ」

 はぐらかすような回答だった。そういうものを求めていたわけではないのに。

「記憶を奪ったことと何か関係があるのか?」

「さぁ、ね? いずれにしても私はあまり過去にこだわりすぎない方がいいと思うし、あなたのためを思うからこそ、これ以上は教えない。私があなたに本心を告げていると信じるなら、訊いちゃダメよ? 教えてあげられないもの」

「なら、信じないから教えてくれ」

「本当に信じないなら、何を訊いたって返ってくる答えに中身はないわ」

 要するに教える気がないのだろう。何も教えてくれなかったが、それだけは分かった。

「それじゃ、この子に身体を返すわ。もう分かっていることかもしれないけど、この子が死んだら今のあなたは消えちゃうから、せいぜい気を付けるようにしなさいよ」

 最後にもらったのはありがたくも恐ろしい忠告だった。

 しかし、エテナをむざむざ死なすような真似は絶対にしないのだから、恐れる必要は特にないのかもしれない。

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