第56話



「・・・私、あいつを追うわ。」赤毛が言った。闇の向こう岸をみつめたまま。

「カチェリ先輩!何言ってるんですか!」栗毛が答えた。その顔は緊張で満たされている。

「できた!しょいこができたよ!」そこへ黒髪が駆け寄ってきた。

「ゲルダと先生を余裕で背負ってる!ほんとデイビスは馬鹿力だよ!ってあれ?ルイスは?」

「・・・行っちゃった。向こうへ」セレクは茫然とした面持ちで呟くように言った。

「うっそ!あいつここ飛び越えたの?マジで?」

崖ふちからおそるおそる底が見えない闇の川を見下ろして、

ウォルフは慌てて首をすくめた。


「止めなきゃ。連れ戻さなきゃ。でないと大変なことになる。

みんな、閃光松明と瓶詰光藻をありったけちょうだい」カチェリは背嚢を再び背負った。表情に余裕はなく、ひどく焦っている。

「落ち着いてください。この谷をどうやって越えるというんですか?

私だって無理です。あなたは魔術師で生存術師じゃないんですよ?」

セレクが言う。その眉間には皺が寄りかけている。

「その通り。あなたも生存術師で、魔術師じゃないわ」

カチェリが答える。張りのある胸をつんとそらしてセレクを見下ろしながら。


でも話しかけたのは黒髪の少年にだった「ウォルフ、トーデル先生の講義を受けたことは?」

「え?えっ?トーデル先生って君の師匠だろ?あんな難しいの僕にわかるわけないじゃないか!」

「”魔術師心得1・思い込みは可能性の敵、食わず嫌いは成長の邪魔”よ。ウォルフ」

「確かに独特だけど、連立魔法定式の多重解を導き出せるなら、後は容易に理解できる。意外と単純な理論よ」

(それをできるのが君だけだっつーの!)ウォルフは思ったが黙っていた。

言い争わない方がいいという事をルイスからよく聞かされていたからだ。


「先生いわく、私たちが大地に立っているのは”当たり前に見えるけど当たり前じゃない”んだって」

「”すべてのものは大地に引きつけられているから立っていられるのだ”」

「それなら」呪文を唱えだす。

「その引きつける力を認識し、制御できるなら」

”重力加速値調整”とか”引力方向変換”という単語が随所に入り混じるが、

ウォルフには到底皆目理解できない。だが次の瞬間!

「鳥や虫とは違う理屈で」セレクとウォルフの口があんぐりと開いた!

「宙を飛ぶことができる」カチェリの体がゆらゆらと地面を離れたのを目にしてのことだった。


「それじゃ」飛び立とうとしたカチェリを「先輩!」セレクは鋭く呼び止めた。

「何かしら?」「手を」不審げに差し出されたカチェリの手のひらを、自分のおでこに押し当てる。

「この辺の地形が頭の中に入ってます。頭の地図を過信するのは危険ですが、なにもないよりは」

「・・・ありがと。使わせてもらうわ」カチェリは目を閉じて「・・・すごい、こんなに広く正確に・・・たいしたものね。あいつが認めるだけは」そこで言葉を絶った。眉がかすかに跳ね上がる。


「・・・見えちゃいました?」セレクは目を閉じたまま言った。

「わかっちゃいました?私の気持ち?」そこで目を開いてカチェリを真っすぐに見た。

「私、ルイス先輩を尊敬してます。ていうか・・・好きです」


「・・・先制攻撃ってわけ?」カチェリもセレクを見据えながら言った。

「いいわ。受けて立つ。私もあいつが好きよ。 大 好 き 」語尾に力がこもる。セレクの眉間にしわが寄る。ウォルフはそわそわしだす。なんかもの凄くいたたまれない。

 

しかしカチェリの声はすぐに弱弱しいものになった「だけど・・・今は」

「心配。・・・どうしようもなく不安で、心配なの。だからお願い。

一刻も早く援軍を連れて戻ってきて」


「言われなくても、そうしますっ」セレクは強く言った。

「頼んだわよ」言うやその体はふわりと浮き上がり、闇の谷を飛び越え、向こう岸に着地した。こちら岸のセレクたちを振り返ることなく、赤毛はまっすぐに闇の奥へと消えていく。


「す、すげえ、あれが、魔法術科首席の実力か」ぽかーんと見ているウォルフを

「なにぼさっとしてんの!行くよ!」引きずりながらセレクも広間の方へ歩き出した。


横穴から出ると「おおーい」のんびりした声が上から聞こえてきた。

先に縄梯子を登っていたデイビスだ。

天井の岩の裂け目から顔を出して手を振っている。猪の骨で作った背負子を背負い、そこにはけが人二人がしっかりと結わえ付けられている。

「見つけた!”予定路”を見つけたよ!これで帰れる!・・ぐすっ」

デイビスの背中のゲルダが、ウィラーフッド教官を抱きかかえ、涙交じりで叫んでいる。


ウォルフとセレクも縄梯子を登ってゆく。ふとセレクは途中で振り返り、見渡した。


戦獣猪の骸がいくつか転がっている闇国迷宮の広間を。


いろんなことがあった。


ずいぶんと長い間ここにいた気がする。


去り際にしっかりと部屋の構造を頭に刻み付ける。

また戻ってくる場所だ。忘れるわけにはいかない。絶対に、忘れてはならない。


「まけるもんか」


栗毛の少女は小さくつぶやくと、縄梯子を登りきった。






つづく





LORD OF DARKNESS


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L・O・D 椎慕 渦 @Seabose

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