Chapter3:スフィンデル大捜査線-4

「グラディウスコミュニティ?」


 イルダはソノラの言葉にオウム返しした。『ブルーバード』の面々と同じく、奇しくも彼らの行き先はグラディウス移民たちが集まってできたコミュニティだった。


「バクスターはスフィンデルの裏を牛耳ってはいますけれど、グラディウス人や彼らの住む地域に関しては不干渉を貫いてきましたから。それに……」

「それに?」

「グラディウスコミュニティの長、ウルム=セト=ブルーノは《星間戦争》時にはゲリラ兵として活動を行っていたそうです。爆破に関する知識を持っているでしょう」


 つまりそれは、グラディウス人が爆破事件を起こしていると疑っているということか。そう聞こうとしたが、やめた。この質問は致命的なことになると思ったからだ。運転手であるリカルドも、この会話を聞きながら特に反応を返すことはなかった。

 装甲リムジンが、コミュニティ近くの路上で止まった。ソノラは路地を指さした。イルダには読めない字で看板が掛けられており、下には矢印が描かれている。


「あれは……グラディウス方面の言葉なのか?」

「私も詳しくは知らないけれど、そういうことらしいわ。通訳は必要ない、彼らはこちらの言葉を使えるから。さあ、行きましょうイルダ。リカルド」


 リカルドを先頭に、ソノラとイルダは続いて行った。狭い路地は末広がりの形になっており、少し歩いていくと道が開けて来た。スフィンデル中央とは打って変わった、伝統的な石造りや砂造りの建物が立ち並んでおり、街路もでこぼこした石を敷き詰めて造られていた。足を取られながら進んで行くと、道の左右に露店が並んでいるのが見えた。彼らは欧州人の言葉で会話し、欧州の金を使って物品の取引をしていた。


「……ここまでこっちの文化に染まってるなら、道案内もこっちのにすりゃいいのに」

「それは出来ないのでしょうね。彼らには、彼らの守るべきものがあるのだから」

「守るべきもの?」


 時たま托鉢行者や物乞いに足を取られながら、イルダはソノラたちとはぐれないよう、必死で続いて行った。ここで立ち止まったらどうなるか分からなかったからだ。


「私たちも国を追われ、この場所に来れば、こんなふうになるのかもしれないわね。どこにいても、自分たちはそこの人間ではない。そう思い続けるために、必要なことよ」

「けど、政府としちゃあ難民に教育を施したりして、その地域の人間と同化させようとしてるわけだろ? つまり、それに反発している、ってことになるよな、それは」

「そこまで深刻なものかは分からないけれどね。けど、あなたにしたってそうじゃない? 明日から別の人間として生きて行け、って言われたら反発したくなるんじゃないの?」


 イルダの素性を知ってか知らずか、ソノラはごく自然に質問してきた。イルダとしては心臓が飛びあがりそうだった。なにせ彼自身、別の人間になれると言われて一も二もなくそれに飛びついて行った人間だ。わざとらしいくらいに、彼は言葉を詰まらせる。


「イルダ? そんなに必死になって考えなくていいんだけれど……」

「あーあー、いや。その、あまりになんだ、突拍子もないことだったからさ」


 イルダが狼狽える様子を見て、ソノラはくすりと笑った。


「大切なのは、彼らが自分たちをグラディウス人だと思っている、ということよ。民族としてのアイデンティティ。彼らはスフィンデルに税金を払い、スフィンデル人と一緒に働き、スフィンデル人として過ごしている。それでも、その根底はグラディウス人なの」

「奇妙な感じだな……その場に染まっちまった方が、楽だと思うんだけどな……」


 イルダは誰にも聞かれないように、一人呟いた。かつて自分が自分を捨てた時、どんな気分だったかを思い出していた。けれどもその時は、もう戦わなくていいという歓喜だけがあったということを思い出した。


(結局のところ、戦いから逃げられれば何でもよかったのか……?)


 彼らのアイデンティティを、民族としての誇りというものを、多分一生かかっても理解できないな、とイルダは思った。そう考えている間に、二人の足が止まった。

 一際大きな建物だ。かつては市庁舎かなにかとして利用されていたのだろう。建て替えられ、使い手のなくなったところにグラディウスからの難民が入って来たということか。いくつもある飾窓からは、住人と思しき人々がそのイルダたち来客を見下ろしている。イルダは思わず気圧されたが、ソノラはそれを意に介さずドアノッカーを叩いた。


「ソノラ=バクスターです。難民連合盟主、ウルム=セト=ブルーノ氏への面会に参りました。扉をお開け下さい」


 凛とした、よく通る声でソノラは扉の奥にいるであろう番人に言った。よく見ると、軒にはいくつもの監視カメラが仕掛けられている。この入り組んだ路地自体が侵入者への対策になっているのだろう、とイルダは思った。

 しばらくして扉が開いた。イルダたちを出迎えてくれたのは浅黒い肌をした少年だった。もっと屈強な、門番らしい人間が出てくると思ったイルダは面食らった。


「お待ちしておりました、バクスター様。ブルーノ氏がお待ちです。コートはこちらでお預かりいたします、ここから先は案内の者が対応いたします。どうぞ……」


 少年は手で三人に入るよう促した。彼が言ったように、エントランスには案内の侍従と思しき女性が二人立っていた。ソノラは一礼し、建物に入って行った。

 雑然とした路地とは打って変わって、建物の中は整然としていた。無駄な調度品の類はほとんどなく、時々壁に付けられた織物が目に入る程度だ。男は薄着で、女は黒のローブを皆着ている。やはり誰もが険しい顔をして職務に当たっているようで、まるで建物全体がピリピリした雰囲気を放っているかのようだった。

 ソノラたちは二人に促され二階へと向かった。二回の片隅、いまだ『市長室』というプレートの掛けられた部屋に彼らは案内された。リカルドは鼻を鳴らした。


「ソノラ=バクスター様、リカルド=ダース様、イルダ=ブルーハーツ様をお連れいたしました」

「よし、入れてくれ」


 扉の奥から低く唸るような声が聞こえて来た。侍従は扉を開き、三人を促す。イルダは生唾を飲み込みながら、部屋に入って行った。やはり調度品の類はほとんどない、書類や書物の類が山積みになっている。その山の主、ブルーノは絨毯を敷いた床に座っていた。一応、来客用にイスが何脚か用意されていた。


「お待ちしておりました、バクスターさん。このような姿で、失礼……」


 形ばかりの謝意。誤りはするが、それを正すつもりはなさそうだった。特に悪いことだとも思っていないようだった。リカルドは顔をしかめた。


「貴重なお時間をいただきありがとうございます、ブルーノさん。早速ではありますが、二、三お伺いしたいことがございまして……」


 そう言ったところで、再びドアがノックされた。先ほどまで案内をしていたものとは違う声が扉の奥から聞こえて来た。


「申し訳ありません、ブルーノ様。ご来客でございます……」

「今日お招きしたのは、バクスター氏とその供回りだけのはずだ。何者だ?」

「傭兵だと名乗っております。ブルーノ様から、あまり無碍な対応をするなと言い遣っていた者たちでございます。いかがなさいますか、ブルーノ様?」


 少しブルーノは考え、ソノラの方を見た。


「私は構いません。ブルーノさんのお考えの通りに」

「分かった、感謝する。それでは、通してくれ」


 言うが早いか、扉が開かれた。三人が部屋に入ってくる……つまり、ジョッシュ、ヨナ、アルカの三人が。イルダは思わず驚きの声を上げた。


「ジョッシュさん!? それ、二人もなんでここに……」

「それはこっちのセリフだ、イルダ。俺たちはブルーノ氏に事件のあらましを聞きに来たんだ。しかし、まさかお前までここにいるとは思わなかったぞ……」


 ジョッシュは半ばあきれたように声を上げた。リカルドは静かに警戒を続けた。ヨナはブルーノの方を見ながら一歩、先に踏み出した。


「ウルム=セト=ブルーノ……グラディウス王国外務大臣、その人であるな?」

「お目通りいただき、恐悦至極……フェゼル=ヨナ=グラディウス殿下」


 ブルーノは姿勢を正し、深く一礼した。そして、すぐに姿勢を崩した。


「何故このようなところに? あなた様は死んだものと、私は聞いておりました。で、あるからこそこの地において私は、グラディウス人のために働いて参りました」

「その報は半分は正しい。私はもはや死んだようなものであった……私はあの戦争で憎しみと悲しみのまま戦い、そしてその愚かさゆえ一度死んだのだ、ブルーノ」


 二人の間に静かな緊張感が走る。イルダでさえ、そこに口を出すことは出来ない。


「この二年間。私はグラディウスの民と、スフィンデルの民の共存のため尽力して参りました。より良き世界を作るため、この身を捧げてまいりました」

「ですが、あなたが疑われる立場にあることは理解していますね?」

「もちろんです。ですが父と母より賜りし心臓に賭け、嘘偽り無きことを誓います」

 ブルーノは恭しく一礼した。彼の肩を、ヨナは抱いた。


「長い間……本当に、苦労をかけてしまいましたね……」

「民の苦労を思えば、この程度どうということはありますまい……それよりも、ヨナ殿下。よくぞ、よくぞ生きて、ここに来てくださいました……!」

 ブルーノとヨナは二人で涙を流した。しばらく、二人はそのままでいた。


「……そろそろいいか? 話を、その、進めなければいけないと思うんだが……」


 リカルドは控えめに言った。普段大っぴらにグラディウス蔑視を繰り返しているこの男にしてみれば、逆に不穏当なほど穏やかな言葉遣いだ。


「失礼した。申し訳ない。それでは、本題に戻らせていただこう……」

 ブルーノはヨナの肩を一撫でし、そして放した。ヨナも涙を拭い、元の位置に戻った。


「バクスター側では我々グラディウス人が、今回のテロを首謀していると見ているものもいるようだが……」

 ブルーノはリカルドに視線を向けた。バツが悪そうに、彼は視線を外した。


「我々は今回の件に関与はしていない。まずは、それを明確にしておきたい。そもそも、今回のテロでは我々グラディウスの人間も犠牲になっているのだからな」

「それはもちろん、理解しています。ですが可能性がないとは言えないでしょう。犠牲になっているというのであれば、スフィンデルの人間も同様です」


 スフィンデルは市内だけでも14の地区に分かれている。なお、13番地区は存在しない。不吉を呼ぶ数字は地区整理においても忌避されているからだ。スフィンデルの中心にある官公庁街を1番地区とし、そこから円を描くように地区整理が成されている。唯一の例外は南の14番地区で、ここはスフィンデル唯一の穀倉地帯だ。スフィンデルの穀物、作物生産の八割はこの地区で行われている。


「状況を整理しましょう」

 ソノラは端末を取り出し、皆に見せた。事件の状況が事細かに表示される。


「最初に事件が起こったのは4月30日。5番地区にある『ベガルタ』支店で爆発事故が起こりました。もっとも大きな被害を受け、『ベガルタ』店舗自体も倒壊。死傷者、行方不明者含めて1000人規模の被害が発生しました」

「そこから爆破事件は散発的になっているんだな。3日に4番地区、7日にも4番地区。9日には10番地区がやられて、次は12日に7番地区か……」


 イルダの目にあの事件の光景がフラッシュバックした。炎の中に呑まれていく少年少女の姿が、ありありと思い出された。ギュッ、と手を強く握りしめた。


「でもこれを見る限り、規則性はあまりなさそうですよね? 4番地区……つまり、ここへの爆破が連続しているだけで、あとはまったくランダムに思えますよ」


 端末の表示を見てアルカは意見した。たしかにその通りだ。規則性が見えず、また犯人像が見えないからこそ、警察も軍も同盟もこの件に手を焼いているのだ。


「警察から爆弾の成分分析報告が来ている。非常にポピュラーなタイプで、揃えようとすればホームセンターでも揃えられるような物ばかりが検出されているそうだ」

「あいつらが現地で爆弾を仕入れているってことだろ? 何かおかしなことでも……」

 イルダの疑問に対して、ブルーノは首を横に振った。


「このタイプの爆弾は爆発力が弱く不安定で、大規模な爆発を起こそうとすればそれなりの量が必要になる。巨大ショッピングモール一軒を吹き飛ばすだけの爆弾など、どれだけ仕掛ければいいのか見当もつかんよ」


 そう言われて、イルダは自分が爆発に巻き込まれた時の情景を思い出した。自分が吹き飛ばされた時には、視界の端に大きめのバッグがあったことを記憶している。

 その爆発では、少し離れていたイルダでさえ殺すことは出来なかった。対して子供たちを吹き飛ばした方の爆薬は、仕掛けさえ見えなかった。だがその爆発は商店を吹き飛ばし、爆発を直接受けていないはずの子供たちでさえも跡形もなく消し飛ばして見せたのだ。


「それに、それだけ大量の物質を購入すれば必ず足がつくだろう。近隣の購入履歴や輸入履歴を漁っているが、それらしい報告は受けていないそうだ」

「相手は単独犯ではなく、グループなんですよね。だったら、少人数で少しずつ買ってあるタイミングでまとめてみる、とか……」

「考えられないことはない。それほどの組織力を持っているのであれば恐ろしい」


 そこで一旦、ブルーノは言葉を切った。


「普通、爆破を行うならもっと検出の行いにくいタイプの爆薬を使用するだろう。爆破の前に発見されては元も子もないからな。何とも奇妙な感覚だ」


 ブルーノはそれだけ言うと黙ってしまった。その場にいた全員も、この奇妙な点について様々なことを考えていた。だがそれは恐らく、解決しない疑問だ。


「ブルーノさん、次に襲われるとしたらどこが襲われるか、見当がつきますか?」

「さっきも言った通り、この爆発に法則性を見出すことが出来ない。爆発の規模が回を追うごとに増していく、というわけでもない。いまは警戒を厳にすることしか出来ん」


 ブルーノは痛ましげな表情でそう言った。イルダはその表情にウソを見出すことは出来なかった。むしろ、彼の言葉がいつまでも引っかかっていた。


(揃えようとすればホームセンターでも揃えられるような物ばかりが検出されている)


 つまりそれは、裏を返せばスフィンデル人にも十分可能な手口なのではないか、ということだ。いったい何が真実で、どちらの主張が正しいのか。イルダには分からない。


「……スフィンデルを守りたい気持ちは、あなたたちと同じだと思っています」

「私もだ、バクスターさん。そのためにも、こちらの若い衆と、そちらとの連携手段が欲しい。二つの力が重なれば、我々の探索能力は何倍にも高まるだろう」


 ソノラは少しだけ考え、それを受け入れた。『バクスターファミリー』の下部組織を束ねる者への連絡先を記載したメモを取り出し、それを渡した。ブルーノはそれを見て、満足げに頷いた。パンパンと両手を打ち付け、外にいた侍従を呼んだ。


「タマルに連絡を取れ。このアドレスに連絡を行うよう、私が言っていたと」


 それだけのやり取りで、侍従は彼が言わんとしているところを理解しているようだった。頷き、それを持ってしめやかに部屋から出て行く。その姿を見送ると、ブルーノはこの部屋に来てから初めて朗らかな表情を作った。


「皮肉な話だ。前代未聞のテロ事件が、我々の絆を深めることになるとはな」


 あまりに雰囲気にそぐわない物言いに、誰もが困惑した視線を向けた。否、それとは違う雰囲気を纏った男が一人いた。リカルドだ。彼はブルーノに食って掛かった。


「嬉しそうだね、エエ? 犠牲者は一人や二人じゃねえってのによォ」

「リカルド、止めなさい!」

「いや、言わせてくれ。絆が深まっただと? 始めからそれが目的だったんじゃあねえのか! 俺たちの弱みを作って、そこに付け込むような真似をしやがってるんじゃぁ……」

「ふざけるんじゃあないッ!」


 部屋を振るわせるほどの大音量。微笑みを作っていたブルーノの顔は、一瞬にして般若めいた恐ろしげなものに変わっていた! 彼はリカルドの胸ぐらを掴み、引き寄せた。さっきすら放つ恐ろしい目には涙が浮かんでいた。


「この事件で、我々グラディウス人は大きく傷つけられた……犠牲になった人々もそうだろう、だがそれ以上に、我々の誇りは傷つけられたのだ……」


 リカルドは半ば呆然とした表情でそれを見ていた。


「確かに我々は、国を捨ててこの地にやってきた。そうしなければならなかったからだ。質量兵器による傷跡は、単に地形の変化や建造物の倒壊に留まらない。質量兵器の素材となった隕石から放たれる大量の放射線もまた、私たちの体を蝕んでいる」


 有害な太陽光線に直接触れ続けた宇宙空間の物質は、それ自体が放射線を放つ放射能へと変わって行く。大量の放射線が人体に及ぼす害については、いまさらご教示するほどのことでもないだろう。自然豊かとは決して言えなかったグラディウス王国だが、たった数年で人の住めない土地に変わるとは誰も予想出来なかった。


「我々がこの地まで来たのは……生き残るためだ! 命を守るためだ! 我々の祖先が連綿と受け継いで来た、文化の灯を守り抜くためだ!」

「文化の……灯……?」


「そうだ。例えグラディウスの民が生き残ったとしても、グラディウスのすべてを忘れ去ったのではそれは生き残ったことにはならぬ。大切なのは子々孫々に受け継がれてきた魂を、グラディウスの歴史を守ることだ。世界にグラディウスという名の花を残し、色鮮やかな庭園を造ることだ! そのために我々は逃れて来た。売国奴の汚名も、寄生虫の誹りも甘んじて受け入れよう。だが、人殺しの名だけは別だ!」


 ブルーノはゆっくりとリカルドの体を地面に下ろした。未だ彼は狼狽している。


「そして何より……我々には恩がある。先代のゲイル=バクスター氏は帰るべき場所を失い、返すべき物すら無くした我々を、温かい慈悲を持って受け入れてくれた。返すべき物のない我々が返せる恩は、もはやこの命をもってするものしか有り得ない。我々は決して受けた恩を忘れない……彼は我々に、この場所を作ることを許してくれたのだから」


 ブルーノは涙を拭わず、力強い瞳を持ってしてリカルドの言葉に答えた。リカルドは少し、バツの悪そうな顔をしていたが、やがて意を決したように口を開いた。


「あんたの言いたいことは分かった。俺だって先代から恩を受けた身だ」

「理解を示してくれたこと、感謝する」

「だが、誰もがあんたと同じ志を持っているわけじゃねえ。それは、こっちだって同じことだ。あんたたちへの疑いが晴れたわけじゃねえ、それを忘れんじゃねえぞ」


 そう言い捨てると、リカルドは一人部屋から出て行った。その姿を呆然と見守っていたが、やがてソノラは我に返った。


「……申し訳ありません、ブルーノさん。私の部下がとんだ非礼を」

「いい部下をお持ちだ。柔軟で、謙虚で、しかし曲がらない芯がある。あのような若者をお持ちになっているのであれば、バクスターは安泰でしょうな」


 どのあたりがブルーノの琴線に触れる部分だったのだろう、とイルダは思った。こればかりは、ブルーノ本人でなければ分からないことだが。


「それでは、このあたりで失礼させていただきます。私たちのこれからに」

「ええ。これからに。お互い、よき関係を築いていきましょう」


 ソノラは一礼し、部屋から出て行った。イルダたちもそれに倣い、部屋に残ったのはブルーノだけになった。彼は全身の力を抜き、絨毯の上に座り込んだ。


「ヨナ様……あなたは、善き人へとお育ちになられたのですね……」


 ブルーノの瞼の裏には、もはや戻らぬ、在りし日の光景が映し出されていた。男勝りのお転婆姫君。彼も大臣であった時分には、彼女の在り様に振り回されたものだ。


「ふむ、ブルーノ。会談は終わったようじゃな」


 急に、彼の意識を現実へと引き戻す声が聞こえて来た。鮮やかなる日々は二度と彼には戻って来なかった。彼は声のした方向を向いた。陰に隠れて、一人の男がいた。しわがれた、まるで枯れ木の洞を通る風のような声だった。


「アハマド殿。あなたも、先ほどの会談は聞いていたはずですが?」

「存じておる。どうやら、お主とワシとでは、生きる道がいささか異なっているようだ」


 衣擦れの音が聞こえて来た。彼はこの部屋へと繋がるもう一つの扉を通って、この旧市庁舎から誰にも見られることなく出て行く気でいるようだった。ブルーノはその背中に言葉をかけようとしたが、やめた。彼に通じる言葉など、もはやないだろうと思えた。


「誰も恨みを忘れることは出来ない、か……」


 パイプを取り出し、火をつけようとした。その時、窓の外に新たな火柱が見えた。

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青き星の機甲騎士 小夏雅彦 @eez010

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