耀映の未来 2
恨んではいないと言葉にするのは簡単だ。だが、それも違うような気がした。真実を知ったあと、父母に死をもたらした起因がどこにあったのか、少しも考えなかったのかと問われれば否定できないからだ。
ただ、確かなことがひとつだけある。
「母の遺言を覚えている? 母は最期まであなたたち姉弟の行く末を案じていた。父だってきっとそう。ふたりは信念を貫いただけなの。それを自分たちのせいで命を落としたなどと、二度と口にしないで」
「そうだね。でも、大事な部分が抜けているよ。イスズとセンリが真に案じていたのは君だ。だから僕たち姉弟が君の助けになればと願って、センリは遺言を託したんだ。なのに僕と姉は保身のため、君とは二度と関わらないと決めた」
「でもいま、あなたはここにいるわ」
サユはもどかしく思ったが、気持ちを上手く伝えられる言葉がほかに見つからなかった。
「僕がここにいるのは、未練がましく、いまだ君への想いを捨てられずにいるからだ」
「私への想いってなに? 捨てなければならないものなの?」
「捨て去ったつもりだった。だけど、容易には消えてくれない、不自由な想いだよ。遺言と済覇を口実にしてまで君に会いに行った、その代償だとも思っていた」
「口実なんてなんでもよかったって、あれは私に封石を使わせるための嘘ではなかったの?」
「嘘じゃないよ。あのころの僕は、イスズとセンリの子として生まれた君が羨ましかった。だから実際、君がどうなろうと関係ないと思っていた。けど、興味が湧いたんだ。愛されて育った君が両親の死の報せを聞いたとき、どのような顔をするのか。君に会いに行ったのは、そのつまらない嫉妬心を慰めるため。それが一番の目的だった。本当に情けない理由だよ」
ファイスは、サユが口にした言葉のすべてを、はしばしから崩していく。求められている答えがなにか解っていながら、自身を貶める言葉で見限りをつけさせ、気持ちが冷めるよう故意に仕向けているようにも思えた。
それがまた、サユの心に苛立ちを生む。
本心では、やはり疎ましく感じているのかもしれない。ならば遠回しな言いかたで避けようとせず、そう断言すればいいのに。
「だとしたらあなたは、本当に情けないわね」
ファイスを見る緑の瞳に、強い決意の色が浮かぶ。
「なのにどうしてと、いまだに自分の気持ちを疑いたくなるけれど——。私はいま、少しでも長く、あなたのそばにいたいと思っているの」
サユは八年前を思い出す。ファイスを精霊だと信じて疑わず、契約を望んだときに向けられた冷ややかな瞳。あのときと同じ瞳が目のまえにはあった。
けれど、いまさら怯みはしない。
「迷惑なら、そうはっきりと言葉にして。それで私が傷ついたとしても、あなたに責任はない。そうでしょう?」
「君はいつも、僕の決心のことごとくを打ち砕いてしまうね。単純に憎まれたほうが、どれほど楽だったかと思えるよ」
「憎めないわ……。父の剣と母の遺言を届けてくれた風精は、私にとって、ずっと特別な存在だった。それがあなただったと知っても、特別だという想いは変わらなかった」
むしろ、より強く求めるようになっていた。もっと彼を知りたいと——。
「その想いがなんなのか、やっと気づけた」
向けられ続ける冷ややかな瞳に俯きそうになるも、このひとことを伝えるまではと、サユは耐える。
「私は、あなたが好きなの」
それでも。この想いは届かず諦めるしかないのだろう。
押し黙って返事をくれないファイスに、サユが挫けそうになった、そこにだ。
たとえどのような心構えをしていたとしても、見惚れずにはいられない。そんな微笑みをファイスは浮かべていた。
「僕が期待したとおりの言葉ばかり、君はくれるね」
その刹那、時間が止まったように感じ、サユは呆然と立ち尽くす。
「まさか、好きだと言わせようとしていたの?」
真剣に話をしていただけに、サユの心が疑惑で満たされるのは早かった。
やっぱり信じられない!
そう声にしようとしたサユの頬にファイスの手が伸びる。頬に触れた手は優しく、けれど逆らうことを許さず、サユの顔を上向かせる。
そのさきには、温かみなど微塵もない、冷淡な色を湛えた群青の双眸があった。
「君の気持ちを聞きたかったのは本心だし、否定はしないけど。正しくは、期待以上、かな。ここまではっきり言葉にしてくれるとは思っていなかったからね。——まったく、不意打ちもいいところだ」
心臓を冷たく刺すファイスの真摯な眼差しに、サユは呼吸さえ忘れそうになる。
「だいたい、僕のことを知りたいと望んだのは君じゃないか。それから僕は、君に嘘はつかない。まえにも伝えたよね。それなのに、君はいままでなにを聞いていたんだい? それとも、まだ足りないのかい? 君はとっくに、僕の心を手にしているというのに」
いくど否定しようとも、ファイスに惹かれてしまう心を止める術は見いだせなかった。始末に負えないのは、その想いが膨らむいっぽうだということ。
そしてようやく気がつく。
凍てつく冷たさを感じさせる群青の瞳。そこに彼の偽らざる本心があるのだと。
「足りないわ。私はまだ、あなたの気持ちをはっきりと聞いていないもの」
目を逸らさず、サユはファイスを見つめる。
「いいのかい? どれほど君が後悔しようと、僕はもう、君を放さないよ」
揺るがず返された念を押す台詞に、サユは心ごと言葉を奪われる。だから頷く代わりに、サユはゆっくりと瞳を閉じていた。
そして面映ゆくも心を満たす、ファイスの甘い囁きを耳許で聞くと、心地よい晩春の風に身を委ねた。
そののち、涙花の泉に月紅草が紅い花を咲かせたという話は、一度も聞かない。
*****
太陽神旺妃が創りし緑の箱庭では、なおも恵みの化身である精霊が育まれ続けている。
いつ訪れるとも知れない、終幕を願って——。
神の箱庭 〜月夜に咲き散るは女神の涙花〜 相坂つむぎ @blue_moon
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