18.再戦
扉の内部に再び人の足音が響く。扉が存在していられる時間は10分を切っていた。
「さあて、それじゃあ―――やりますか」
全身に裂傷が見られる侵入者―――カイトは番人であるミノタウロスの眼光を軽く受け流し、飄々とした様子でそこに立っていた。
逃がした獲物がテリトリーに再び踏み込んだことを確認したミノタウロスは今度こそ獲物を確殺せんと、その巨体からは想像できないようなスピードでカイトに襲い掛かる。
ミノタウロスが動き出したのを見てカイトは短剣を天井に向けて投擲し、
「空の器に意思を齎す―――《クリアーボックス》」
カイトが発動したのは空間魔法の秘技。自分の触れた物を基点に30センチメートル四方の生物が存在しない空間を5分の間、その状態で固定する秘技だ。
レラの使う《エア・ステップ》と似ているがこちらは足場などには使えない。正真正銘、その空間の中にあるものを動かさないだけの秘技だ。
カイトはこの秘技を天井に突き刺さった短剣を使用した。そして《マギ・ストリングス》を発動し、魔力の糸で短剣と自身の左手を繋ぐ。
半透明の蒼白の糸が繋がった事を確認したカイトは、武器を手繰り寄せる時のように糸の長さを縮めた。
しかし、短剣が固定されているためにその手に手繰り寄せられることはなく、代わりにカイトの体が高速で宙に引っ張られる。
「……っ!試したことなかったけど結構負担かかるね……!」
目論見通りに空に逃れたとはいえ、カイトの左腕には想像以上の負担が掛かっていた。無理もない。こんな使い方をするとは彼も考えていなかったのだから。
痛みをこらえて短剣の元まで辿り着いたカイトは糸を消し、上昇の反動を利用して体を反転させて天井に足をつける。
そこでカイトは新たな秘技を発動した。
「金貨10枚分の仕事はしてくれよ!《ノーグラビティ》!」
秘技が発動すると同時にカイトは
この秘技は発動者が走り続ける限り、自身にかかる重力を自由に操れるという『
カイトはテレサと初めて本屋に訪れた時に見つけて興味を惹かれたこのスキルの
……まさか、役に立つとは本人も想定してなかったのだが。
カイトが考えた攻略法。それは宝箱を守る番人との戦闘を放棄することだった。
こちらの世界の常識で考えれば、20ものレベル差がある相手との戦闘が成立する訳がないのだ。マトモに戦えば自分が100人いても勝負にすら与えられないだろう。
『宝箱のドロップはモンスターを倒した後』。そんな固定概念を持っていたために馬鹿正直に勝負を挑んでしまったが、それでは上手くいく訳がない。
恐らく本来はパーティの中でモンスターを引き付ける役、宝箱の中身を手に入れる役で役割分担をして挑むのがこの扉の攻略法なのだろう。
そこまでカイトは考え、自分一人でこの扉を攻略する方法を思いついたのだ。
今、行っているのはモンスターを引き付ける段階だ。
走り続ける必要がある以上、継続的に魔力が消費されていくが、たった10分弱ならばこの状態を維持していても十分に余裕がある。少なくとも地上で攻撃の余波を受けながら耐え凌ぐよりは遥かにマシだ。
「さあ、どうくる……?」
目論見通りに簡単には手を出せないであろう天井に逃れたカイトは、天を眺め立ち尽くすミノタウルスの動向を伺う。
ミノタウルスは暫く呆然としていたが、助走で勢いをつけてカイト目掛けて跳躍した。しかし……
「……届かない、か。それなら好きにやらせてもらうぞ!」
カイトが今も走り続けている天井には届かない。飛行型のモンスターが自由に飛び回れるような広さなのだ。いくらレベルのおかげで身体能力が高くとも跳躍で届くほどの高さではない。
こうなってしまっては地上で戦う事を想定しているミノタウロスが持っている迎撃手段はそう多くはない。
カイトはミノタウロスの挙動に注意し、ちぎれた部分を応急処置をして身に着けたバックパックの中から数十個入っている均一な大きさの手に収まるくらいの小さな石を取り出す。そしてスキルを用いてミノタウロス目掛けて投擲した。
短剣の投擲を何もすることなく弾き、全くダメージを受けなかったミノタウロスの皮膚だ。その石はまともに命中しながらも当然のようにミノタウロスには影響を与えられずに弾かれる。
カイトは気にすることなく次の石を取り出し投擲する。十数回とその行動を繰り返したところで遂にミノタウロスはアクションを起こす。いくら全く効果のない蚊のような攻撃であろうと鬱陶しいことに変わりはない。
ミノタウロスは大きく振りかぶり、自身の持つ大斧を投げた。回転し、キーンという風を切り裂く音が鳴り響くほどの一撃だ。当たれば一溜まりもない。
しかし、常日頃から投擲をメインにして戦うカイトはこの一撃を読んでいた。大斧は余裕を持って回避された。
ドン!と大きな音が鳴り響いた。天井に突き刺さった大斧は衝撃で一直線の大きな亀裂を生み出した。
その威力にカイトは思わず乾いた笑いを漏らす。
だが、これでミノタウルスは武器を失った。魔法などの遠距離攻撃を隠し持っていない限りは対抗手段はないはずだ。カイトがそう考えたその時、ミノタウルスは思わぬ行動に出た。
地面に拳を叩きつけたのだ。その衝撃は大地を割り、床に大きなクレーターを作った。ミノタウルスの姿がそのクレーターに落ちていく。
「うおっ!?」
大きな揺れが天井にまで届く。僅かにバランスを崩しかけたカイトは驚きを見せながらも体勢を立て直そうとし、そして砂煙の晴れた先にとんでもないものを見た。
破壊された自身の頭の大きさ程の床の残骸を手に持ち、大きく振りかぶるミノタウルスの姿を。
瞬間、放たれた残骸はカイトの投擲する石などとは比べ物にならない程のスピードで、カイトの直ぐ目の前まで迫っていた。
「……っ!《テトラ》ッ!!」
避けられない。そう判断したカイトは咄嗟に短剣を懐から抜き放ち、秘技を持って迎撃せんとする。
ドン!と再び、轟音が鳴り響く。床の残骸が天井に衝突した音だ。
「ぐ、あっ……!」
ミノタウルスの想定外の投擲をスキルを使うことで何とか受け流したカイトは苦悶の声を上げる。
彼の左腕は、攻撃を防いだ代償にあらぬ方向へと折れ曲がっていた。
それでも彼は痛みを堪えて走り続ける。もう少し時間を稼がないと作戦が失敗するからだ。
ミノタウルスは次弾を放たんと、足下に広がる無数の床の残骸を手に取ろうとしていた。
「は、ははっ!いいよ、やってやる。
―――そこから、先は根比べだった。
無数の残骸を天に向けて放つミノタウルスとそれを躱し続けるカイト。
カイトは圧倒的に不利な状況に追い込まれながらも初撃以降の全ての投石を完全に避け切っていた。
完全な不意打ちであった初撃とは違い、ある程度の予測は立つ。危うげなくとはいかなくとも躱し続けることは何とかできる範囲だ。
しかし、遂にその均衡が破られようとしていた。投石によって破壊し尽くされた天井は、もはやマトモに走り続けることが出来ないような惨状に成り果てていたのだ。
走り続けることが出来ない以上、カイトは《ノーグラビティ》の効果を受ける事が出来ず、地面に落ちてしまう。
もって、あと数回。それだけの投擲でカイトの逃げるスペースは無くなるだろう。
作業のように投石を繰り返していたミノタウルスにはそれが理解できた。そしてカイトも又それを理解していた。だが問題はない。時間稼ぎも終わり、―――仕込みは既に完了していたのだから!
カイトの行動を予測して放たれた投擲を足を止める事によってカイトは躱した。必然的に《ノーグラビティ》の効果は消えてカイトの足は天井から離れる。
落ちてくるカイトを待ち構えようとしたミノタウルスの目にカイトの表情が映る。その表情は絶望が感じられるものではなく、ただ自身の勝利を確信したような笑みだった。
「《マギ・ストリングス》!」
カイトが発動したのは糸魔法。普段から使い続けた、一度触れたものと自身の手の間に魔力で出来た伸縮自在の不可触の糸を生み出す秘技。今回、彼が使ったのは1ヶ月の特訓の成果で生み出した新たな使い方だった。
カイトが結んだのは自身の手とミノタウルスの額についた小さな傷、そしてこの戦闘で投擲し続けた計28個の小さな
その黄色い石は魔法石と呼ばれるものだった。テレサが得意とする道具作成のスキルで作られた、魔力を流すだけでその魔法石に封じられた魔法系スキルの秘技を発動できるアイテム。
カイトが投げていたのは調整が上手くいかずゴミのように積み上げられていた失敗作だ。
本来、魔法石は手に持って魔力を流すことで発動する。だからこの《エリアスタン》の魔法石は発動者をも巻き込む失敗作だった。
だが、今この状況だけは違う。魔力の糸で繋がれた魔法石はその糸から魔力を受け取ることで手に持つ必要なく発動できる。発動時に触れていた者だけがその電気を浴びるのだ。
カイトはミノタウルスの額を基点として魔力の糸を巻き取る。弾かれ、地面に散らばっていた《エリアスタン》の魔法石がクレーターの中のミノタウルスの顔に殺到した。
ミノタウルスは自身の視界を塞ぐように張り付く無数の魔法石を剥ぎ取ろうとするが、もう遅い。
「―――『
その言葉と共に魔力の糸を伝って魔法石に魔力が充填される。そして眩い極光の雷がミノタウルスを襲った。
『■■■■■■ーーーッ!!!』
咆哮のような言葉にならない悲鳴がフロア中に響き渡った。
極光は十数秒間、瞬き続けてその光が収まった瞬間、グラリと傾いたミノタウルスの体はその勢いのまま地に伏せた。
その体には火傷の痕などはない。《エリアスタン》は対象を行動不能にする秘技だ。どれだけ重ねようとダメージを与える事はできない。
しかし、同レベル帯の相手を1時間もの間、動けなくするほどの電流を28回分受けたのだ。その力はレベル差の加護を超えて確実にミノタウルスの体を蝕んでいた。
「っと」
ミノタウルスの沈黙を天井から落ちている中で確認したカイトは着地した後に、僅かに立ち眩む。
これだけの魔法石を同時に発動した影響でカイトの魔力は魔力切れ寸前だった。
カイトはポーチの中から安物の魔力回復用ポーションを一気に飲み干し、僅かに気を持ち直す。そして誰も守る者がいない宝箱へと近づいた。
その宝箱に鍵は掛けられていなかった。カイトの推測通りだ。
中には3つの技能書が重ねて入っていた。カイトはそれを急いでポーチに入れる。
これで一安心だ。そう安堵したカイトは振り向き、クレーターを四つん這いになって這い上がるミノタウルスの姿を見た。
様子を見ると痺れが完全に無くなった訳ではないのだろう。その影響を受けながらミノタウルスはカイトを生かしては返さないと言わんとばかりに憤怒の形相を浮かべていた。
「……まだ動けるのか。あれだけやってもレベル差があれば何とかなるってやっぱりこの世界は理不尽だよ、まったく」
カイトはそれを見て僅かに驚いたものの、取り乱す様子はなかった。
ミノタウルスの様子とカイトの満身創痍な体からして、カイトがその奥の出口に辿り着けるかどうかは五分を下回っている。
それでもカイトが慌てなかった理由は、宝箱の中身を手に入れた時点で全てが終わっていたからだった。
「まあ、もう終わりさ。カウントダウンはいらないよね?」
その言葉と共にクレーターを抜け出したミノタウルスの眼前からカイトが搔き消える。
まさか、とミノタウルスが振り返った先には―――扉の外に佇むカイトの姿があった。
扉の出現時間が終わった瞬間、中にいる番人以外の生物は強制転移で扉の外に弾き出される。カイトは最初からそのルールを作戦に組み込んでいたが故に扉を背にするモンスターを振り切り、扉の外へ出る方法など考える必要がなかったのだ。
『■■■■■■ーーーッ!!!』
扉の内部に番人以外の生物がいなくなったことで扉が閉まっていく。
咆哮を挙げて扉へと手を差し伸ばすミノタウルスの姿が見えなくなったのは間もなくの事だった。
「―――帰るか」
それを見届けた後、カイトは踵を返し、元来た道を歩きだす。
―――その表情は歓喜とは程遠いものだった。
速水カイト 17歳 男
RANK:E
◆レベル◆ 36
◆スキル◆
待機状態…《シングルシュート》、《リフレクトショット》、《マギ・ストリングス》、《モノリス》
『投擲 I』…《シングルシュート》、《リフレクトショット》
『スライディング II』…《スパークル・ハイ》
『糸魔法 I』…《マギ・ストリングス》
『感知 I』
『鉄魔法 I』…《モノリス》
『剣術 I』…《テトラ》
『壁走り I』…《ノーグラビティ》
『空間魔法 I』…《クリアーボックス》
異世界迷宮にはゴミスキルが多すぎる! Ni @KINO7749
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