(Conclusion)

コンクルージョン

姫君はヴァカンスする。

 さざ波に、海水を含んだ砂がうっすらと削り取られてゆく。素足で踏みしめて、転がる砂粒に踵をくすぐられるような、ひんやりとした感覚を楽しんでから海水に飛び込んで洗い流した。

 ターコイズブルーに澄み渡る海原を、砂浜のクリーム色が海岸線遠くまで割っている。潮風のにおいにも増して、熱帯気候下の照りつけ照り返す熱気に喉ばかりが焼ける。アーチルデットは忌まわしそうに日陰まで戻ると、テーブルに転がる空になったグラスへと手を伸ばした。


「シャクサリアぁぁ、ミネラルウォーター。氷ぃ。なけりゃ、水でもいいわ――――」


 茹だるまでに燦々と注がれる陽光。ソラから舞い降りた〈曇天の姫〉オーヴァークラウド・プリンセスは、今や晴天青天の霹靂といった様相である。


「もう。それ、どれも一緒のものですよ、艦長キャプテンたら」


 呆れた声を返す女性に、真っ白な布切れ一枚で肌を覆うのみのアーチルデットが、ビーチパラソルの傘下に寝転がった。


「まあ水くらいなら、当面の間は生成可能です。ただこのような劣悪環境下においては、いつまで機械が本来の性能を維持できるやら……」


 シャクサリアと呼ばれた長身の女性が、砂浜に埋まった紡錘形の金属を何やら操作し、濾過した海水から飲料水の生成を試みていた。彼女も同様に水着らしきものを身につけているが、アーチルデットとは異なり、この環境下においても汗一つ見せていない。


「機材の回収は進んでないの? せめてあたしの〈楔〉だけでも引っ張り出さないと……」


 ぼろぼろに傷み始めたハードカバー書籍を手にして顔を数度扇ぐと、閉じたそれを日除け代わりに額へと当て、遠巻きの沖に突き立つを眺める。

 太陽を遮るうずたかい塔が黒い陰影を落として、沖合の景色を異質なものに変貌させていた。岩礁から突き出た岩や海底火山の溶岩ドームなどと形容できるような代物ではない。それは、入り江一帯を囲む小高い山々よりも高く、天上から突き立てられた巨大な剣を思わせた。


「残念ながら時間がかかりますね。何せ、我が艦は地上側での運用は全く想定されずに設計されていますからね……」


「…………ふええん、あたしの大切な大切な大切な〈姫君〉がぁ……」


 アーチルデットが、目の前で悲劇の末路を晒し続けるそれに、目頭をこすって嘆いてみせた。

 そう、彼女の星間航海船〈クラーク軌道の姫君プリンセス〉号は、独断専行した中枢頭脳のしでかした謀略により地球へと落下した。地球を巻き込んでの惑星破壊作戦そのものは免れたものの、そのまま舵を失い、見知らぬ南国の海に不時着していたのだ。反重力鋲も逆噴射も衝突速度の相殺にはまだ足りず、沖合へと真っ逆さまに降下した〈姫君〉は、一帯の海水を軒並み吹き飛ばして、周囲数キロメートルに渡る巨大クレーターを穿った。直後、艦首先端部を犠牲に、分解させた天使型で一帯をコーティングすることで衝撃を和らげ、結果としてあのように半壊状態のまま間抜けに屹立するという結末へと辿り着いた。


「あれさ……やっぱ、環境破壊……になりますよねー」


 目元を引きつらせながらアーチルデットが呻く。海水に有害な物質が流れ込まないよう、可能な限りのシール処理は施してある。多分そう、そのつもりだった。

 海上に隆起したクレーターは現在、〈姫君〉に由来する、溶けた金属や様々な未知の素材で表層部がびっしりと覆われている。固体状のそれらは海面よりも高く突き出て、一種のダムの役を担い海水を堰き止めていた。ただ、それでも押し寄せようとする波が滝となり、少しずつクレーター・ドーム底部へと流れ込み始めている。完全に水没するのも時間の問題だろう。

 キャンディーストライプ柄のパラソルから、周囲一帯を観察していたミィヤが降りてきた。


『生態系の破壊も、かなり深刻な感じでしょうね。周辺国との間で外交問題に発展する懸念もありますが、民間レベルでも我々への風当たりが厳しくなるのは必至かと』


 その指摘にも、より憂鬱にさせられる。

 彼女らは様々な事情から、星間連盟との絶縁を決断していた。だが、それとこれは別問題だ。どう足掻いても覆い隠せない姿を露呈する〈姫君〉。自分たちが取った最善の選択が生み出した結果は、現地文明との間に大きな軋轢を生みかねない、最悪の状況だったのである。

 そんな不穏な空気のさなか、海面から飛沫を上げ、一佐が顔を出した。


「――――おぉーい! やっぱ無理だよ、カラフルすぎて、一体どの魚が食べられるのかなんてわかるもんかぁー!」


 肩まで真っ黒に日焼けした彼が、銛代わりの金属棒を掲げ、砂浜でサボる支配層たちへの不平を精一杯訴える。命じられた自給自足の精神は、漂着二日目にして志半ばの様相だった。

 けれども彼のそんな苦労を他所に、ビニールシートに寝そべるアーチルデットが携帯端末で電話し始めた。

 未だ日本国内に留まったままの小晴たちは、それなりに平穏無事に過ごせていると感想を述べた。あの一夜の後のことだ。3rd・嵯渡詩乃の上官、拝藤と名乗る人物があれから小晴と接触したらしく、複雑そうな情勢下におかれた彼女を保護してくれたのだという話だった。詩乃らの暗躍もあって、後はいかなるプロセスに則り、国としてこの無人島まで救援の手を差し伸べるかが、現情勢下に置かれた日本の苦悩だった。

 早く助けの手がこの島まで届かないものかとぼやき、首筋を刺す日差しに、そびえ立つ墓標然として海面に巨大な影を落とす〈姫君〉を一佐は見上げる。未だ輝きを損ねていない、黒水晶めいた外装板からは、雫となった海水が今もこぼれ落ち続けていた。その中央部、翼を広げる天使象の頭部か何かを思わせる部位が、首を天地逆さまに向けているのを見て、ふと思う。もうあの艦は再び航海に戻ることはできなくなってしまったのだろうか。そんな諦念のような情緒が、不思議と彼の胸にも揺らいだ。

 視界を落とす。彼方、どこまでも広がる水平線。向かう先には揺らぐ蜃気楼すらなく、蒼と碧の境界線が今彼の前に立ちはだかる現実の壁だ。

 と、その視界の先、明らかに別の色彩を宿した異物が浮かび上がっているのを、やや遅れてから認識する。生活環境の大幅な後退による不調が幻覚を見せているのかについて、まず最初に疑ってみる。大気の壁に像を揺らがせてはいるものの、蜃気楼にしては大げさだった。


「船だ――――――――――――――――――――!!」


 誰にでもなく、無我夢中に声を張り上げていた。


            ◆


 思えば、生まれ持っての無邪気さが、諸刃の剣のように自らを痛めつけるのことになるのが、おあつらえ向きのパターンだったと一佐も思う。

 慌てて砂浜まで飛び出してきたアーチルデットが、これはぬか喜びの肩透かしなのだとすぐさま理解して、力なく肩を落としてゆく様を、複雑な心境で眺めることになった。

 突き立つ〈姫君〉の向こう、水平線の彼方から、それは現れた。鈍色の鋼を纏う艦隊。明らかに軍艦だ。その数は、砂浜側からでは想像もつかない。


「……この期に及んでまでって。まったく、つくづくツいてないですね艦長」


 状況と照らし合わせれば、とてもではないが差し伸べられた救援の手には思えなかった。


『希望的観測を言いますと、あの艦隊は結果として救援部隊と受け取れなくも――』


 だが、落としてた手を再び腕組みさせ、アーチルデットは感嘆すべき切り替えの早さで水平線の艦隊に対峙してみせる。


「さあて、どちらさんだろうね? 国連軍か、次点でUS海軍ネイビー? どっか最寄りの三流風情、それとも例の大本命、なんちゃら基金の差し金か――――」


 と、脈絡なく唐突に一佐の傍らへと飛び込んできた宇宙人娘・アーチルデットは、彼の腰を抱き寄せて、水平線の彼方を指差し、そして不敵にこう宣言する。


「――――ようし決めた、あいつら潰すぞ。いい? アレは食い物だ。燃料物資だ。冷房の効いた部屋にふっかふかのベッドだ! あたし曰くハングリー原理主義の名の下に、あいつらを我が国家の踏み台にさせてもらう!!」


 そんな、荒唐無稽にも程がある物言いの彼女の小さな鼻を、“僕”は陽に焼けた手で横からそっとつまんでやるのだった。


(了)

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クラーク軌道のプリンセス 学倉十吾 @mnkrtg

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