図書館とラジオ

Caf

第1話

図書館奥、窓際の6人掛けテーブル。

私はいつものように窓際端の椅子を引き、鞄を床に置きながら座る。

鞄から参考書とキャンパスノートを取り出してテーブル上に広げ、付箋のページ、印のついている問題文について考え始める。

初冬の突き刺すような冷たい風で固まりかけていた体が暖房によって解されてゆき、

数問の式と解法をノートに書き終われば、ようやく意識をすべて勉強へと向けることができる。

平日昼で人気の無いここで勉強し始めて2週間。

始めは腰を重くしていた怠惰な気分が、習慣という無意識の意思によって霧散していくようになった。

ノートの1ページが数式で埋め尽くされる頃、自分の前方から椅子の動く音がした。

視線をちらりと向ける。

やはり、いつもの娘だ。

頭と輪郭に沿うようなショートヘア、真ん中から分けた前髪に、鋭いながらも幼さの残る双眸。

薄水色のブラウスに赤いネクタイから、ここらあたりの高校の…具体的な名前は忘れたが…生徒だと推測される。

流石に普段着で制服は無いだろう。

特に彼女とは友人でなければ、親類の繋がりがあるわけでもない。

偶然にも、お互いこの席で勉学に励むことが慣習となっている知り合い、というだけだ。

「人目につくところはダメなの。悪目立ちしちゃうでしょう?」

そう彼女から聞いたこともある。

確かに、ここは書架と窓際の壁に挟まれ、その奥は行き止まり。

よほど混んでいるときでなければ、こちらを見られることはまずない。

そして彼女は確かに、人の目を惹きつける。

真剣な眼差しで机に向かい、黙々とノートへ文字を書き連ねてゆくその様は、青春モノのドラマか映画のいち風景を連想させるのだ。

こんな端の席でなければ、ある程度噂になってもおかしくはない。

私は芸能関連に疎いけれども、彼女のような美貌のアイドルか役者が現れたら、メディアで騒がれるのではないかと思えた。

悪目立ちはしないだろうけれど、少なくとも一介の女子高生としては存在感が溢れるほうだろう。

と、つれづれ考えていたらその彼女と目が合った。

「どうしたの?私の顔に、何か付いてる?」

「い、いや、そうじゃないよ…たまたまだ。」

ばつが悪い行為が見つかると冷静さを保てないのは、決して私だけではないはず。

明らさまに怪しい口調の弁明を聞いた彼女はくすりと笑った。

「ふふっ、まぁ、そういうことにしといてあげるわ。」

そう言って視線が再びノートに戻る。

笑みや言動、顔を下げたときに耳に掛かった髪をかきあげる仕草。

高校の制服を着ているとは思えない程の艶を感じる彼女に、私は少し落ち着かなくなる。

実は大学生…もしくは会社勤めなのではないかと勘ぐってしまう。

その事実が分かったところでどうしたい、ということはないが、自分の中に留まっている焦燥感を煽る感情は治らない。

俺は湧き上がる感情を振り払うように、勢いよくノートへ顔を戻した。


問題集がひとつの区切りを迎えたのと、両目の疲労が重くなったのは同時だった。

そろそろいい区切りかな、とシャープペンシルを机に置き、硬い背もたれに身を預ける。

窓から差す陽光は僅かに暖かい色を帯び、人々の作業音がときおり響いていた図書館内は、ノートを走る筆記の音以外は空調の音だけになった。

彼女の腕の動きは、時折止まりながらも確実に続いている。

どうやらもう少し勉強を続けるつもりのようだ。

私は鞄を膝上に乗せ、机の上の筆記用具をペンケースに入れて閉じたノートと共に鞄へ押し込む。

そして一応顔見知りの彼女に一声掛けようと口を開いた瞬間だった。

「ねぇ、あなたが憧れる人に求めるものって何かしら?」

言葉になって、その後彼女は視線で問いかけてくる。

声になるはずだった呼吸が声帯を素通りした。

「あこがれる…人?」

思考が真っ白になったのもあるが、イマイチ意図が掴めない。

「そう。例えば、あなたの憧れる人が大衆の前に現れて…そうね、パフォーマンスをやるとするじゃない?パフォーマンスは正直なんでも良いわ。演説でも、スポーツでも、演奏でも、踊りでも。そうしたときに、その憧れの人にどうあってほしいか。あなたはどう考えるかしら。」

…うん、言いたいことは伝わったが、あまりにもいきなりな質問だ。

そもそもそんなこと考えようと思うことすらない。

とはいえ、滅多にない彼女からの問い。

ちょっと考えてみることにした。

「うーん…憧れの人、ね。尊敬する人とか、目指す先にいる人とか。後はアイドルやアーティストとか?」

「そうね。そういう前提で構わないわ。」

彼女の口は少し楽しそうに動く。

視線もどこか挑発的だ。

…試されているのだろうか。

そして私が憧れる人は…今考えると真っ先にこの人!というのが挙がらなかった。

ここ最近、ラジオ以外にメディアに触れていなかったせいだろうか。

かといって「憧れの人がイメージできないから答えられない。」という答えが当てはまる問答ではないだろう。

一般的に凄い人…と考え、今世界シェアトップの携帯端末を生み出したあの人を想像する。

「…やっぱり、堂々としてほしいかな。自信に満ちているというか…、その人のいる立ち位置に相応しい態度をしてほしい。」

彼女は表情と話を聞く姿勢を崩さない。

私は思いつくままに言葉を繋ぐ。

「それで…そうだな、個性。個性はあっていてほしい。こういう言動、立ち振る舞いがこの人、っていうのを…なんというか、感じたいよね。」

私の言葉が途切れると、彼女は目を閉じた。

そして数秒後、顔を上げる。

「なるほどね、ありがとう。あなたのことが、少し分かった気がしたわ。」

目を細めて頬が緩んだ、彼女の表情。

どういたしまして、と言葉を返しながら、私はその顔から、目が、意識が離れないでいた。


家に戻り、自室で晩飯まで日中の勉強疲れを癒し、食事を済ませたらまた机に参考書を広げる。

焦っているわけでも、勤勉なわけでもない。

ただ物事を楽観視できないだけなのだ。

試験前は特にそうだ。

いくら問題集を解いても、ノートを見直しても、心の底に溜まっている不安感を拭い去ることができない。

今日の最後に解いた問題を見つけ、いつものようにラジオをつける。

いつもの時間帯の、いつものプログラム。

DJが変わった人で、最新の流行から、誰が知っているのか疑問に思うくらいマイナーなトピックまで、幅広く扱う。

毎日配信なのにその多様さが気に入って、いつの間にか毎日聞くようになっていた。

DJの声が流れ始めると同時に、本日のゲストが紹介される。

聞いたことない名前だったが、どうやらアイドルグループのようだ。

やはりというか、アイドルがゲストだと途端に番組が騒がしくなる。

私は僅かに音量を絞った…いや、絞ろうとして手を止めた。

違和感があった。

ラジオの向こうに、あるはずのない自分の日常との接点を感じた。

耳に届くカラフルな声に集中する。

しばらくしてアイドルグループのメンバーが個々に喋り出すと、違和感ははっきりとした疑念になった。

ーこの声は、図書館の彼女じゃないか…?

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