蒼深高校図書室のこの夏一番暑い解放日。

好風

蒼深高校図書室のこの夏一番暑い解放日。

「誰も来ない……」

 長かった夏休みもあと数日で終焉を迎えようとする八月は某日。蒼深高校図書室のカウンターにて、図書委員である二年生の初穂は暇を持て余していた。

「これだけ暑いと、好き好んで学校に来るヤツなんていませんからね」

 頷くのは、図書室にある窓の全てを全開にして廻る、一年生の涼太。彼もまた、図書委員として今日の開放日を担当していた。

「それに、ここのクーラー、壊れているのが全校生徒に知れ渡ってますし」

 夏休みに入ってすぐ、図書室のエアコンが故障した。

 予算の都合と夏休みと言うことも相俟ってか、電気屋への依頼は八月に入ってから行われたのだが、それが不味かった。

 ただでさえ酷暑日続く今年の夏、大小問わず町の電気屋の全てはバカ売れしていくエアコン設置のために忙しく、蒼深高校の修理依頼は九月まで待たされることとなってしまったのだ。

 故に、人体の平均温度を超えんとばかりに熱の籠もっていく図書室に、好き好んでわざわざ訪れようとする奇特な生徒は皆無だった。

 それこそ、同じように出向くならば、近隣にある市の図書館にでも涼みに――じゃなく、勉学なり読書なりに向かった方が遙かに有益だ。

「あ~、ワレワレハ、ウチュウジンダ」

 誰が用意したのか、カウンターの中に置かれた扇風機の前を陣取っては、涼もうとする初穂。ただ、あまりの暑さに若干頭のネジが飛びかけていた。

「初穂先輩。俺の方にも風を送ってくださいよ」

「んー、これでも使いん」

 手渡されたのは、電池式の小さな携帯扇風機だ。

「何て言うか、うちわで仰いでいた方がマシかも」

 モーター音の割には風量は少なく、涼太はやるせなく肩を落とした。

「ねぇー、涼太君。キミの名前には涼しいが入ってるだら? だで、何か涼しくなることしてみん!」

 あまりの無茶ぶりに、涼太は内心冷や汗を垂らした。

「それが出来るなら苦労しないって」

「じゃあさ、涼太君。何か涼しくなる話でもするじゃん。こう、背筋がゾクゾクってするようなのを」

 身体を抱きしめては、わざとらしくも大きく身震いしてみせる初穂だ。

「ゾクゾクって、怪談ですか? 俺、怪談話なんて知りませんよ」

 カウンターにうつ伏しては伸びている先輩に、涼太はまたかと言いたげに面倒くさそうに応じる。

「恐い話が聞きたいなら、オカルトコーナーに行って、怪談話でも読んでくればどうです?」

「その手の本ならもう読み終わってるだら」

 ひらひらと手を挙げて答える初穂。読書家でもある彼女にしてみれば、とっくの昔に目を通し終えていたりする。

「怪談って言われてもね……そう言えば、この学校に七不思議ってあるんですか?」

 考えあぐみ、そんな単語が思い浮かんだ。

「ここ、創立してから七十年を越えてるじゃないですか。だったら、何か色々な伝説でもあるかなって。俺の中学って出来て五年も経ってないから、その手の伝説って無いんですよね」

 新設校故、昔学校のあった場所が墓場だったとかの類の話は全く存在しない。

 何しろ、在校生卒業生含め、全ての生徒が中学校舎のあった場所が、何の変哲もない畑だったのを知っているのだ。

「七不思議ね……」

 涼太が振ってきた話題に、暫し考え込む初穂。書架をぐるりと見渡すその顔が、悪戯っぽい小悪魔的笑みへと変貌していく。

「そう言えば、この図書室にも一つの伝説があったじゃん」

「へー、どんなのです?」

「別に涼しくなるような怪談話じゃないんだけど……丁度いいじゃん」

 少し考え込んでは小声で呟き、初穂は話を進めてきた。

「涼太君ってば、私のことをどう思っとるだら?」

「初穂先輩のことを?」

 突然の質問に戸惑いつつも、考える。

「えぇっと、言葉が訛った面白い先輩?」

「私は訛っていないだら! ちゃんと私の言葉遣いを聞きん!! あっ、笑うな! 変なこと言わんといて、黙っとりん!」

 ムスッと頬を膨らませる初穂。

 中学卒業まで愛知近辺を点在していた初穂は、基本を三河弁に名古屋弁を加え、更には周辺の方言を多様に混雑させたおかしな言葉遣いがデフォ状態である。

「りんりんって、十分訛ってると思うけど……あっ、一応は尊敬に値する先輩かな?」

 取って付けたように、しかも半疑問系で言われれば、賛辞も有り難みが無くなってしまう。

「じゃあ、好きか嫌いかではどっち? はよ、言いん!」

「それなら、好きですよ」

 促され答えれば、初穂の頬が赤く染まっていく。そんな目の前の先輩の変化に気付いてか気付かずか、

「あっ、恋愛感情とかではなくて……そうそう、敬愛かな」

 そう続けられれば、初穂の眼差しが半眼気味に座る。

「どっちにしろ、私に恋愛感情は抱いていないと言いたいじゃんね」

「畏れおおくも、初穂先輩には抱けませんって」

 女心の複雑さを読み切れない涼太は、あっけらかんとしていた。

 そんな後輩男子に、先輩女子は小さく嘆息する。

「何て言うか、釈然としないだに……まぁ、いいじゃんね。じゃあ、こっちについて来りん」

 足早に貸し出しカウンターから出ていく初穂。涼太もその後を慌てて追い掛けていった。


      ▽


「確か、この本じゃんね」

 やってきたのは図書室の最深部にある書架の前だ。

 背表紙にタイトルの入っていない一冊の本を手に取ると、初穂はページを適当に開けてみせる。

 そこには、幾つかの栞が挟まっていた。

「何ですか、その栞は? やけに多いですけど……」

 他のページに挟まってるのも併せれば、二十枚以上はある。

「その栞に気付いた点はない?」

「気付くって言われても……」

 大概は紙製の栞だが、中には薄っぺらい板で作られたものや、最近挟まれたのかプラスチック製のもある。更には、銀杏の葉っぱまで挟まっていた。

 はみ出している部分の変色具合からいって、挟み込まれた時代はまちまちのようだ。

 ただ一つ共通点があるとすれば、

「何です、この相合い傘は?」

 それら全ての栞には相合い傘が描かれていたのだ。

「図書室に伝わる七不思議って言うか、おまじないじゃん」

「おまじない……恋愛成就のおまじないですか? この本に相合い傘を描いた栞を挟めば、恋が実るとか」

 状況からして、それが真っ先に浮かぶ。

「んー、惜しいだに」

 言って、悪戯っぽく微笑む初穂。

「これはそんなありふれたおまじないじゃないだら」

「じゃあ、何のおまじないなんです?」

 訝しげに訊ねる。他に推測のしようがないのだ。

「これって、栞に自分と相手の名前を記した相合い傘を描くんと、カップルにならなければ不幸が訪れるって代物じゃん」

「へっ?」

 間の抜けた言葉を零す涼太。

「不幸が訪れるって、マイナス要素しかないんだけど……おまじないなんですよね?」

 改めて栞へと視線を落とす。

「確かにマイナスのおまじないだら――でも!」

 涼太に同意しつつ、更なる内容を口にする。

「カップルになりさえすれば、最高の幸せが約束されるとも言われとるじゃん」

「最高の幸せって……」

 その内容に唖然とする。

「何て言うか、ハイリスクハイリターンなおまじないだら」

 おまじないと言うよりも呪いに近いなと考える涼太だった。

「でも、どうしてそんなおまじないが?」

 普通の七不思議では考えられない内容に、その発生理由が気になってくる。

「この本ってば、ここの生徒が昔書いていた詩集だら」

 ぱらぱらと初穂が違うページを開けると、そこにはいくつもの詩編が綴られていた。

「その子、不治の病を患っていてん、在学中に死んどるらしいじゃね。そんでこの本、その子が生前恋愛を夢見て綴った詩を、ご家族の方が自費出版で詩集にしたらしいだら」

 何冊か作った内の一冊が、母校である高校の図書室に寄贈されたのだ。

「恋愛に関する詩集ってこともあってか、いつしか相合い傘を挟んだカップルは幸せになるって言われだしただら。紆余曲折があってん、そんなおまじないが出来上がったらしいじゃん」

「どう紆余曲折すれば、カップルにならなければ不幸になるって話になったんですか?」

「さぁ?」

 肩を竦める初穂。あいにくと、そこに至った話は彼女も知らなかった。

 ただ、おまじないは現存し、実際に行った人の中には不幸になった人もいるとかいないとか――と、伝説を綴った。

「不幸がね……」

 涼太は胡散臭そうに栞の束を見やる。

「それでね、折角だから今から試してみようと思うじゃん」

「試すって?」

 限りなく嫌な予感を感じつつ、訊ねる。

「さっき、涼太君は私のことを恋愛対象としては見られないって言っただら」

 スカートのポケットから一枚の栞を取り出しては問い掛けてくる。

「ちょ、ちょっと、初穂先輩!?」

 目の前の先輩が何をしようとしているのか理解した涼太は、慌てて止めようとするも遅く、二人の名前と相合い傘が記された栞は、詩集のページに差し込まれてしまったのだ。


     ・

     ・

     ・


 翌日の朝、

「おはよ、りょ――」

 図書室へと現れた後輩の姿に、あんぐりと口を開ける初穂。

「何て言うか、酷そうじゃん」

 慎重に掛ける言葉を選ぶ。

「靴を履こうとすれば紐が切れるし、自転車はチェーンが外れてパンクしてたし、慌ててバスに乗ろうと思えばバス停で財布を忘れたことに気付くし、駅に着けば定期が切れてるし……」

 エトセトラ、エトセトラと、次から次にと愚痴っていく。

 その散々たるや、ありとあらゆる不幸を背負い込んできたようだ。

「あの伝説、本当なんですね」

 カウンターに身を委ねてはへばる涼太。半信半疑以下の眉唾物の伝説も、身に染みて味わえば信じるしかない。

 せめてもの救いは、ケガの一つも負っていないことぐらいだ。

 それとて、おまじないの効力がいつまで続くか解らない以上、恐怖は残る。

「あのおまじない、解除する方法ってあるんですよね?」

「そんなら、新しい栞を誰かに挟んで貰えば、それまでのおまじないは解けるって寸法じゃん。カップルの子たちに頼めば問題無いはずなんだけど……」

 気まずそうにカウンター奥に貼られたカレンダーへと視線を向ける。

 夏休み終了まであと数日。誰も訪れない図書室でおまじないを実践してくれるカップルなんているはずもなかった。

「不条理だ……」

 九月の始業式まで続く不幸を想像しては、愕然とする。

 がっくりと項垂れる涼太。不意に彼は目の前にいる少女の姿に眉を潜めた。

 転んだり、ドブに落ちたりと汚れ捲った自分の制服。対して、一寸の乱れも無い清潔感溢れる初穂の制服。

 見比べれば一つの疑問が浮かんできた。

「もしかして、不幸になるのは男子だけとか? それとも、名前を書かれた相手のみとか?」

 疑り深い眼差しで初穂の全身を見やる。

 無遠慮すぎる視線に晒されて、恥ずかしそうに身動ぐ初穂だが、涼太の見分は止まらない。

「まさか先輩って、俺を嵌める気で……」

「そんなことしないって。私だって、ちゃんと不幸になってるだに」

 心外だと言いたげに頬を膨らませた。

「その割には、制服とか綺麗ですけど? 先輩はどう不幸なんです?」

 外見からはその不幸具合が予想できない涼太に、初穂は気難しげに歪めた口を開き、言い放つのだった。


「決まってるじゃん。好きな男の子が自分に対して恋愛感情を微塵も抱かないなんて、最高に不幸だと思わん?」


 その爆弾発言に二の句を告げられなくなる涼太。対して初穂は、伏し目がちに視線を反らし、その小柄な全身真っ赤に染め上げていく。

 予想だにしていなかった突然の展開に戸惑いつつも、涼太は思いだすのだった。

 不幸にならずにおまじないを成就させるもう一つの手段を。そして、自分が彼女に言うべきことも。


 エアコンの壊れた蒼深高校図書室。

 その暑すぎる開放日は、今まさに新たなる熱を呼び込むのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

蒼深高校図書室のこの夏一番暑い解放日。 好風 @air

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ