29
電気や水道が通った元空き家は、たった1日の手入れしかしいないが、十分に住めるものだった。少なくともバスで一夜を明かすよりはとても快適だし、何よりも壁がある安心感だ。風呂の追い焚き機能も生きているし、女子連中と風呂の順番をしっかりと決めて、順番に入ったのである。
修学旅行ではよく覗きとかいるというが、俺達の中でそんな無謀な奴はおらず、一応妹のいる兄として見張りの信頼度が高いということで、見張りという名の時間を告げるタイムキーパーをしていただけの退屈なことをした。
シャワーの流れる音や、湯船から水が溢れる音を聞きながら、般若心経でもして心を落ち着かせていたら、鈴木さんがやってきた。
「黒沢君、別に本当に見張りしてなくてもよかったのに」
「まぁ、一応な。不審人物がいたっていうのもあるし、男勢は寝ずの番とまではいかないが、巡回のようなことしてる一貫だよ」
「心配症だね」
「部長風に言えば、転ばぬ先の杖だ」
「ふふふ、それなら何かお礼しないとね」
「お礼、ねぇ」
「一緒にお風呂入ろっか?」
「馬鹿いうんじゃねぇよ。自分の体は大事にしろ」
「即答だね」
「これでも妹がいる兄だぞ」
「ふふふ、そうだね」
こんなに無防備に言われると、是が非でもあしらうような回答になってしまう。そんなことでは、将来どうなるか心配で、いつ変な奴に騙されるか。思うところはいくつかあるが、こういう場所でやるようなものじゃないし、修学旅行とはいえ、羽を伸ばしすぎだろう。
「兄ちゃんー兄ちゃんー」
「まず服着ろ」
バスタオル一枚で出てきた妹に注意をする。他に人はいないとはいえ、いつ誰が来るか。鈴木さんも苦笑しつつも用件を聞く。
「兄ちゃんー、風呂場にゴキブリでた」
「それで?」
「お湯かけて始末したけど、流石に気持ち悪いから水抜いたよー」
「そうか。じゃあ水抜く手間省けたな」
多少節水とか一瞬思ったが、まぁ少しぐらいはいいだろうと思う。風呂一杯の水の量はだいたい30円ぐらいしかかからないだろうし……積み重ねれば結構痛いが。
「じゃあ、皆上がったようだし、伝えてこようか?」
「お、悪いな。鈴木さん、頼めるか」
「任せて。ちゃんと終わって水抜きまで済んだって伝えるから」
「それは必要なのか……?」
「湯船入りたい人がいたら水張り直す必要があるから、ほら、ね?」
まぁ、そうか。でも湯船に入る奴はいるのだろうか。
**
結局、水を張って風呂に入ったのが一人だけいた。部長である。意外ときれい好きなのか、それともお風呂好きなのか。またもやよく分からない度が上がる人だ。
空き家は十分に広く、居間やら何やらすべての部屋を使えば、一人一部屋もできるほどだった。とはいえ、せっかくの修学旅行で一人部屋をわざわざ選ぶ理由もないわけで。一番広い部屋で、枕投げ大戦をしながら、部屋割りを決めることになった。
女子勢は美遊とまきえちゃんは参加したがそれ以外は、見守るだけだった。見守ってる間にレディーファーストで好きな部屋とったらという部長の提案により、部屋割りの話をしはじめて姦しい中の枕投げ大戦。これには個性が出るというもので、妙にこちらばかりを狙ってくる馬鹿に、飛んでくる枕を枕で撃ち落とす部長。タクは器用にも家具にぶつかりそうな枕を予測してか、先回りして枕を投げておいたり、自分から受けに行ってたりした。スリーポイント、ノールールエントリー、とふざけたことを言い始める馬鹿には、きっかり男子勢が一人ずつ枕を3回ぶつけて轟沈させた。
枕投げ大戦で意外にも強かったのが、美遊とまきえちゃんで、年齢差考慮しての狙われないとか狙っていけないな紳士協定を逆手にとっての大勝利だった。完全に意識外だったところを不意打ちである。
それで決まった部屋割りは、妹とまきえちゃんが内側の部屋で、その隣の部屋に女子勢が。そして外側の人の侵入できそうな部屋には男子勢がそれぞれ配置されて一人部屋になる。そして、馬鹿は罰ゲーム的に今日の寝床は廊下になり、ある意味人力センサーな見張りとしてすべての部屋にいける廊下で寝ている。調子乗ったものの末路とは厳しいものだ。
そうやって寝静まった頃、縁側の部屋で寝苦しくなって起きて、ふと外を見る。雨戸は掃除の際に壊れてしまっており、庭が見え、そこには見覚えのある人影がいた。
「タクか。こんな夜中に起きてどうした」
「あぁ、いやちょっと、夢見が悪くてな」
起きだして、縁側へと座りながら、おいておいたサンダルを履きながら、満天の星空を見上げる。満月が雲から顔を出しており、その月明かりや星明かりは、人工の明かりが不要になるぐらいには、庭を照らしていてくれた。
「満月か、いい夜だな」
「満月は、悪いことを思い出す夜だな、俺にとっては」
そういうタクの顔は苦々しいものが浮かんでおり、何か棒状のものを握りこむように右手を動かしていた。
「ったく、どうしたんだ、最近。夏休みから本当変だぞ」
「なぁ、黒沢」
「なんだ、改まって」
「夏休み前の、蓮ちゃんの預言覚えているか?」
「ちょっとまて……厄いって言ってたやつか?」
「そうだ、それそれ。お前は何かそういった出来事に捲き込まれなかったか」
まるで、確信してるかのように、問いかけてくる。
「巻き込まれなかったといえば、嘘になるな」
「それは——今までにないような非日常じゃなかったか?」
一瞬、その言葉で話が停まって無言の時間となる。息が詰まったかのような雰囲気を受けながらも、ちょっと視線を遠くへと向ける。すると今までになかったような黒いモヤがあった。
「まるで部長のようなこと言うんだな。超サバイバル研究部は、非日常に備え——」
「俺はマジでお前に聞いてるんだ、黒沢。あの日、同じように蓮ちゃんの預言を受けて、何かに巻き込まれたその日だ」
「タク……分かったよ、降参だ。頭おかしいと思われるかもしれないが、幽霊退治とか、そういう関係に立ち会った」
「……異世界とかには行ってないのか?」
そこで、まるで予想と違ったものを見る目をされる。鳩が豆鉄砲を食ったようなというか。これだけ聞くと、この間の夏休みで厨二病にでも目覚めたかのような言動にしかみえない。
「そういえば、異世界で勇者してたって言ってたな。なんか聖剣か何か持って帰ってきてるか?」
「こういうのも何だが、幽霊退治に比べて異世界だぞ、信じるのか?」
タクの目は真剣そのもので、嘘をついているような色はない。むしろ困惑しているかのような雰囲気だ。よくよく見ると、その右手には剣のような形をしている白いモヤがあった。
「タク、お前右手に何を持ってるんだよ」
「見えるのか」
「昔からこういう眼でな。最近はその出来事関係で、視えるものが増えて困るが」
「まぁ、これは抜く訳にはいかないしな。銃刀法違反だし」
「ちょっと知り合いに言ってやりたい」
「ん?」
「いや、こっちの話だ。しかし、勇者、勇者ねぇ」
「何だよ、気持ち悪い」
だって、あのタクである。勉強が嫌いで、わりかり好き勝手して、運動好きのいかにもなスポーツ少年だ。勇者なんてことができるなんてとてもとても——
「——何て思ってたりはしない」
「思ってるじゃねーか!」
「まぁ、まぁ」
遠くに見えていた黒いモヤが少しずつこちらへと向かってきており、それについ視線を向けてしまう。タクもそれにつられてか、そちらを向く。
「なんかあるのか? 妙に嫌な予感だけはするが」
「いや、何か来てる」
少しずつ近づいているそれは、少しずつその正体が見えてくる。赤い、赤い塊だ。黒いモヤから少しずつ色味が見えてくる。それは遠くから見たらそう見えるが、近づくにつれて、それは頭蓋骨のようであった。
「なんだ、ありゃ」
「何も見えん、気配だけはするが」
その頭蓋骨はこちらに気づいたのかまっすぐと向かって来ては、高く飛び上がる、俺達の頭上に上がり。それに釣られて視線も上に上がる。
「うげ、あれ、押しつぶしてくる気か」
「上にいるのか」
まるで予測線のように黒いラインが大量に降り注いでくる。そのほとんどはタクに降り注いでるもので。タクは悠長に見上げながら、右手を掲げている。
「タク、そこを離れろ!」
「多分、大丈夫だろ」
そういって、落下してくるそれは、勢い良くタクを噛み殺そうというのでもいうのか、大きく顎を開けて落下してくる。そしてタクにぶつかる直前に何か壁のようなものに阻まれたように止まる。
「かっる」
「おいおい、B級映画かよ」
「違いない」
そのまま、身動きできずに、それは少しずつまるで押し潰されるかのように、小さくなっていく。黒いモヤが白いモヤに包まれて少しずつ絞られているように感じる。
——ぴろりん、確認してね!
この場に似つかわしくない音が、響く。震えたポッケの中のスクロールを取り出すと、またもやスクナのデフォルメしたキャラが看板を持っていた。ロック画面を解除すると『消音結界アプリ作動中』の文字と、今も絞り潰されている奴の画像が出てきて、何か情報が出てくる。
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NAME: NODATA
DATA:かつて、どこかで、いつかの時代に人柱として捧げられた者。
生きている者へと助けを求めるが、柱と為ったその身では意志を伝えることはできず、ただ擦り寄るのみ。擦り寄った結果として、擦り寄られた者はその死の恐怖がまるで重さへと変換されたかのような重量によってすり潰される。その朱は、助けを求めたが、求められて死んだ者がいた証であり、人柱へと取り込まれた証でもある。
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なんだ、こりゃ。便利な機能もあるもんだ、と思いながらも、真っ黒なアプリのままのものが一つあり、それは半分ぐらいまではカーキ色がついている。
「お? 何みてんだ……これが見えてたのか、うへぇ」
「まぁ、そういうことなるな」
「というか、こんなものが出るのか、ここ」
「昨日はいなかったし、何か起きてるのか、これは」
「満月だからかもな」
「怖いこと言うなよ」
そういうタクは月を見上げる。月にかかっていた雲は晴れ、今はその姿を完全に現していた。遠目に何か見えないか、と見回すとまったく何の気配もないし、視えるものもない。もう大丈夫なのだろうか。寝ずの番を買ってでたタクに任せて、寝ることにする。何もないことを願って。
**
「何? 使役してやった恩を忘れて消滅した? やはり人柱となるだけあって、卑しき者だったか」
衣服の隙間からみえる肌が完全にミイラのように乾いている人物が何かに語りかけるように言う。その眼は爛々と狂気に輝いていた。そして、その人物を見ている、闇に浮かぶ真っ赤な二つの眼が——
「ほう、もう目印はつけたとな、楽しみにしようかの」
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