36年目の奇跡に関する、それ。

花野宵闇

第1話

 私を私たらしてめているもの、それが私の人格である。

 肉体を手放した今、私を留める事などできない。

 私はこれから未来を彷徨い、私の知性の赴くまま、私は知り、私は吸収し、私は更なる進化を遂げるだろう。

 西暦1999年城伝大学 知能生体情報工学岡崎研究所 泉教授の手紙より




 西暦××年 火星で発見された高エネルギー鉱物「クーロニウム」によって、地球の枯渇した化石エネルギー問題は解決の糸口を見つけた。

 地球連邦政府は、火星にクーロニウム採掘の為の労働者を送る事を決定し、火星移住計画が発動した。

 ××年後の西暦××年、火星移住生活ドームFAM1の建造に着手、それに伴い第一次移住研究チームが火星に派遣された。

 その際に開発されたのが火星インターネット「ブルーハーツ」である。

 ブルーハーツはユーザーがログオンすると、ドーム内に建設された火星都市の実体街にオーバーラップして電脳都市「ブルーハーツ」が可視化される。

 視覚だけではなく、五感のすべてが拡張現実として、インターフェースされるのが特徴である。

 ブルーハーツの中には、有りとあらゆる娯楽が揃っている…もちろんそれに見合う金は必要だが。

 労働の疲れ、日々の暮らしの疲れ、引いては地球連邦政府への不満、それらを分散させる、それがブルーハーツに持たされたもう一つの役割であった。


 近年、ブルーハーツでも御せない程の火星独立への気勢が上がっている。

 火星は地球の植民地であると、一部の火星市民は反地球連邦政府、火星独立を掲げゲリラとなって活動している。

 地球と火星、緊張が高まる中、36年前に起こった宇宙ステーション「きぼう」の事故から、奇跡的に一人の乗組員が生還した。

 それは両星間での唯一明るいニュースとして、連日熱狂的に報道された。

 それから半年後の西暦2187年 火星――……

 


 それは嫌な予感であった。

 間違いなく、予感は確信へと変わっていく。

 櫻井悠は階段を駆け上がっている。

 息は切れ、足は突然の激しい運動に悲鳴をあげている。

 35歳、少し長めの髪をヘアゴムで後ろ一つにくくり、癖のかかった前髪が揺れている。

 身長は179センチ、65キロ、いわゆる中肉中背の体型だ。

 悠はまっすぐ、怒りをたたえ5階建ての校舎の屋上へと向かっていた。

 屋上に通じる重い鉄(スティール)製のドアが開け放たれた。

「唯!」

 悠は叫んだ。

「どこだ!」

 視線がさまよい…探すまでもなく、目的の人物は目の前に居た。

 悠の目が大円に見開かれる。

 先ず、彼の目に飛び込んだのは「2−9 間島」と書かれたゼッケンであった。

 結城唯が立っている。

 唯は紺色のどこにでもありそうな女子用のスクール水着を着用していた。

 唯が生物学上の雄である事は、この際悠にはどうでもよい事である。

 問題は彼の立っている場所であった。

 唯は立っている。

 どこに?

 屋上の転落防止用の柵の上に。

 そして両腕をまっすぐ胸の前に突き出し、神妙な顔つきで風に吹かれている。

 風が吹く度、その体がふらりふらりと揺れた。

「さ、櫻井先生…唯くんが…」

 先にやってきていた女性教諭に悠はようやく気がついた。

 悠は女性教諭にうなずくと、あとは任せてください、と告げた。

 身内の始末は身内がしなくては、という責任感からであったが、悠は唯に対し、猛烈な怒りの炎が燃え上がっているのを感じていた。

「唯…いいか、動くなよ。そこから動くな」

 悠がそろそろと唯に近寄る。

 全身から冷や汗が吹き出している。

 こいつやる気だ、前々からやたらと高いところから飛び降りたがっていたが、ここまでとは思わなかった。

 悠は歩みをさらに進めた。

 刺激しないように。

 あと少し、あと少しだ。

 じりじりと詰め寄っていく。

(もう少し、もう少しで届く…!)

 ほんの僅か、半歩先、その時風がヒュウと鳴った。

 それを合図にしたかのように…唯の体が空中に踊る。

「……!」

 空しい指先、すり抜けていく唯。

 彼を留める事など出来はしない。

 唯の居なくなった柵に駆け寄り、身を乗り出して眼下を見下ろす。

 ゼッケン「2−9 間島」が綺麗なフォームで飛び降りている。

 自由落下、フリーフォール。

 悠は落ちていく唯をただ見ていた。

 数秒後、盛大に隣接されている飛び込みプールから水柱が上がった。

 

(あのバカ、あのバカ、あのバカ)

 悠は踵を返すと、今度は飛び込みプールへと急ぐ。

 太もものあたりがガクガクと震えている。

 35歳、もはや若いとは言えない。

 息が苦しく、喉が鉄錆臭い。

(冷凍焼けがここまでひどいなんて聞いてないぞ!)

 とにかくあのバカの所に急がなくてはならない。

 今まで平凡な人生を送ってきた。

 5歳で母を無くし、それなりの苦労はしたが、それなりに何事もない人生であった。

 そしてこれからもそうだった、筈だ。

 それが二週間前、唯が来てから一変した。

 なんでこんな事に振り回されるんだとか、どうしてこうなったとか、考えるのはそれだけで、唯に対する純粋な怒りが悠の心を占めていた。

「唯!」 

 ようやくたどり着いたプールサイドで、悠は怒鳴る。

 唯は水面に仰向けになって漂っていた。

 返事はなく、悠は苛立って声を荒げた。

「唯!!」

 唯の視線が悠をとらえた。

「唯…?」

 これは悠が知っている唯ではなかった。

 向けられた視線は、およそ唯のものとは考えられないほど鋭い。

 別人の様な顔つきで、見下したように悠を見ている。

「唯」は口の端を歪め、笑った。

「お前が悠か、成る程平々凡々に生きてきたようなツラをしているな」

 面食らった。

 まるで「初めて会った」かのような口ぶりだ。

 そしてその言葉に、唯の口からはついぞ聞いた事のない様な、トゲやら毒やらが含まれているのを感じる。

「はは…っ、俺は何の為に帰ってきたんだ…」

 唯はそう言って沈んでいく。

「お、おい! 唯!?」

 溺れたのかと、プールへ飛び込もうとした悠だったが、唯は程なく浮き上げって来た。

「見た? 見た? 俺のダイブ見てくれた?? カッコよかった?」

 ニコニコと無邪気な笑みを浮かべ、プールサイドに寄ってきた唯を見つめ、悠の記憶は二週間前に遡っていた。


*               *


 櫻井悠は火星移民局に呼び出されていた。

「移民局? 移民局がなんで俺なんかに…?」

 悠は生まれた時からの火星っ子だ。

 母は第一世代の移民者だったが、その母も悠が10歳の時に亡くなった。

 火星移住ドームに済む為の書類の更新は既に済ませているし、とにかく「移民局」に呼び出される理由がわからない。

 なぜ、と問うてはみたが『ご家族の事で…』と、どうも歯切れが悪い。

 家族なんていない。

 母マナが亡くなり、三十年、自分一人で生きてきた。

 天涯孤独、一言で言えばそうだろう。

 それを「家族の事」と言われる。

 興味がない、と言えば嘘になる。

 自分の知らない家族、細かい事は抜きにしても悠自身の本音として、その「家族」とやらに会ってみても…、という気持ちは確かにあった。


 移民局の通された部屋で落ち着きなく出されたコーヒーを啜っていると、髪を後ろに撫で付けたいかにも神経質そうな男性が入ってきた。

 その後ろに一人の子供がいた。

 男性は移民局の職員だろう、IDカードを首からさげている。

 子供はその後ろに隠れるようにいた。

 少年か、少女か、一瞥しただけではわからない。

 悠はソファーから立ち上がった。

「移民局移民課のコーディ・マクミランです、こちらは結城唯」

 マクミランは眼鏡を中指で押上げ、手には水色のファイルを持っていた。

 悠に握手を求め、悠はそれに応じた。

 悠はちらりとマクミランの影に隠れている子供を見遣る。

 15歳、いや16歳程か。

 顔の雑作は俯いていてわからなかったが、悠と同じ黒髪だった。

 癖のかかったふわふわの黒髪をショートカットにして、毛先は四方八方に飛んでいる。

「単刀直入に申し上げます」

 マクミランは言った。

 ぐっと、悠は身構えた。

 何を言われるのか、遠縁のそのまた従兄弟のさらに兄弟の、そんな厄介事を押し付けられるのではないかと、そんな思いがチラと心を掠めた。

「家族」というからには、自分と同じように親類縁者から見放された子供なのではないか。

 漠然とそう思った。

 が、コーディ・マクミランの放った一言は、あらゆる意味で我が耳を疑うものであった。

「この子はあなたのお父さんです」


 事態を把握するのにたっぷり一時間はかかった。

 結城唯、16歳。加えて男性。

 かつて史上最年少の天才宇宙パイロットと呼ばれ、第一次火星移住計画に参加していた…が、宇宙ステーション「きぼう」の事故で死亡した筈であった。

 結城唯、そうだ、確かに聞いた覚えがある。

 半年前、36年ぶりの帰還と、こぞってメディアが報道していたアレだ。

 脱出艇で36年間コールドスリープで眠り続け、宇宙を彷徨っていたあの少年だ。

 マクミランは唯のDNAデータと悠が提出していたDNAデータを比較する資料を取り出した。

「このように99・9999%の確率で、お二人の親子関係は証明されます」

 悠は唯を見た。

 それまで顔を伏せていた唯が顔を上げた。

 16歳にしては少々痩せぎすの体に、黒い大きな瞳。

 鼻梁はすっと通り、唇は紅を差したかのように赤い。

 唯は不意にニッと笑った。

「コーディ!! これが俺の息子!?」

「唯、まだ喋っていいとは言ってな……」

「ゆう! さくらいゆう!!」

 唯は足を踏み鳴らし、手を前後左右にばたつかせた。

「ゆう! ゆう! ゆう!」

 唯は悠の名を口に、無秩序に踏み鳴らしていた足が、徐々にリズムを刻み始める。

 タン! タン! タタン!

 妖精が舞っていた。

 くるくると踊り、跳ねる。

 妖精は悠の周りを軽快に飛び、悠はその姿に目を奪われた。

 それはとても純粋な、触れる事すら躊躇われるような、そんな輝きを持っていた。

「ゆう、ゆーう、ねえ、「マナ」は?」

 はっと我に返る。

 唯はソファーの上に立っていた。

 手を額に、辺りを見渡すようなそぶりをする。

「ねえ、マナは?」

 ようやく思考が周り始める。

(父親? 「これ」が? 俺の?)

「ゆう? ゆうってば」

 ぴょん、とソファから飛び降りた唯が傍らに立っている。

 無邪気な、あまりにも己の罪を知らない、無邪気な笑顔。

 悠はぼそりと言った。

「母さんは…死んだよ」

 

 引き取るも引き取らないも、悠の自由だと説明された。

 引き取らない場合、唯は然るべき施設に入所する事になる。

 36年間、唯は宇宙を漂い、コールドスリープで眠っていた。

 長期にわたるコールドスリープ、それは唯に深刻な後遺症(ダメージ)を残していた。

「記憶障害」と日常生活に支障をきたさない程度の「常識の欠落」、そして36年前の記録上に残る結城唯と現在の結城唯との間に「人格にズレ」が生じている、というものだった。


「まあ「冷凍焼け」の様なものです」

 有り体に言えば、おつむが少々痛んでしまったのだとマクミランは淡々と言った。

 かつて天才と呼ばれた姿はそこにはない。

 その場で引き取ると言ってしまったのは、なにもおつむを痛めてしまった少年に同情したからではなく、母マナが死んだと告げた時、唯が涙を流したからだった。

 母の死に涙した人間はいなかった。

 父は母を見捨てたのだと、一人母を送った幼い悠は心を凍らせた。

 自分は父のようにはならない、そう思うあまり好き合った女性は幾人かいたけれど、結婚するまでに至らなかった。

「マナはもういないの? いないの?」

 何度も何度も唯は聞いた。

 そして本当にかつての恋人がこの世を去った事を理解すると、号泣したのだった。


 移民局の玄関で唯を待っていると、程なく職員に付き添われた唯がTシャツにショートパンツ、小さなバッグを一つ持ってやってきた。

「えっと、よろしくね! 悠」

 そう言うと唯はぴょこりとお辞儀した。

 しかし、こんな殊勝な振る舞いや物言いをしていたのは最初の内だけだった。


「悠、悠、あれはなに!?」

「悠、俺お子様ランチ食べたい!」

「悠、俺のブルーハーツのアクティブ認証教えてあげよっか!?」

「悠、なんでそんなにリンゴもってるの? 悠はリンゴ大好きな人!?」

「悠、あそこにレッドシールがある! 俺、激辛ハンバーグアイス食べたい!」


 とにかく唯は喋った、喋り捲った。

 そして少しでも段差のあるところを見つけると、そこから飛び降りた。

 さすがに身長185センチの悠の背より高い塀によじ登り始めた時は、担ぎ上げて阻止した。

(厄介事だ…一時の情に流されて、一生モンの厄介事を抱え込んでしまった…)

 頭痛がした。

「悠ー! なにしてるの、早く行こっ!」

 見ると唯が赤信号の歩道を渡ろうとしている…。

 手を繋いだ。

 これしか唯を御する方法がない、と判断したからだった。

 唯は繋いだ手と悠を交互に見て、締まりの無い笑顔を浮かべた。

(これが父親…俺の父親…)

 十六歳の男の子だか、女の子だかわからない容貌の、この少年と手を繋いで歩いているところを、知り合いや教え子に見られたら…あらぬ誤解をされるのではないか。

 職業柄、それはなんとしても避けたい。

 悠は辺りをそれとなく辺りを見渡した。

 それにしても母マナの趣味がイマイチ良くわからない。

 一見して、性別不詳のこの少年と恋に落ちたのか。

 母はなにを思って唯とお付き合いしたのだろう。

(わからない、本当にわからない)

「ん? なに?」

 悠の視線に気がつき、唯が見返してくる。

 年相応な、いや、幼ささえ感じるようなかんばせだ。

 呼びかけようとして、なんと呼んでいいのか戸惑った。

 相手は十六歳、自分は35歳、しかもなんの神の悪戯か、唯は父親だという。

 99.9999%の確率で確定された移民局のお墨付きである。

「唯」

 そう呼んでいた。

 唯は目を瞬かせた。

 頬を膨らませる。

「お父さんって、呼んでよ、悠!」

 なにか得体の知れない悪寒が背筋を這い上がってくる。

 悠は身震いした。

 違う、この心に引っかかっている違和感、どうして教え子と同じ年の少年を父と呼べよう。

 いや、その前に、自分は唯を父と認めていない。

 悠は自分でも驚く位の冷ややかな物言いで、唯に言った。

「父親だかなんだか知らないが、俺は父を知らないで育った…どんな事情があったにせよ、俺はアンタを父さんなんて呼ぶ事はないからそう思え」

「ええー」

 唯は口を尖らせる。

「感激の親子の対面だったのに、いきなり拒否宣言!? だったら何の為に俺を引き取ったの?」

「それは…」

 もっともな質問に、口ごもる。

(そうだ、俺には引き取らないという選択もあったのに)

 胸が苦しくなった。

 悠の心に、澱のように溜まった思い…。

 それは物心ついてからずっと形を持たずに、悠の心の中に有った。

「…成り行き、だ」

 悠はそう言って唯の手を引いた。

 悠のあとをついてくる足音が聞こえる。

 そして歌声も。

「へんなゆう〜♪ へんなゆう〜♪ へんとへんをあわせて〜もっとへんにしましょう〜〜♪」

「…大声で歌うな」

 悠は大きくため息をついた。 

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36年目の奇跡に関する、それ。 花野宵闇 @shinzi

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