38 声優の仕事は一見華やかではあるが、それは氷山の一角に過ぎない

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 伊吹まどかに連絡をする前に、まずは志郎に疑惑の真相を訊くことにした。

 直接、本人に聴けば良いことなのだが、内容が内容だけに直に訊くことには抵抗があったからだ。


『なんだ高野? さっき、電話してきたばっかなのに……』


「伊東、忙しい所すまない。今、大丈夫か?」


『ああ、原画を回収して今から会社に戻ろうとしている所だから、そんなに。どうした、何かあったのか?』


「実はな……」


 幸一は伊吹まどか=MAKAについての事情を説明した。


『そうか……。ついに、知っちゃったか……』


「なっ!? 伊東、知っていたのか!」


『と言っても、オレもネットとかで知った知識だが、そういった界隈では真実なことだ』


「それじゃ、伊吹まどかは……」


『ああ、間違い無くMAKAだろう』


 その言葉に、幸一は全身の力が抜けるような感覚が襲った。

 まだ、伊吹本人から訊いた訳ではないが、これまでの関わりで深い見識がある志郎の答えは限りなく真実だろうと判断したからである。


『といっても、そんなに落ち込むなよ。声優が、そういった作品(十八禁ゲーム)に出ることは、よくあることだ。他の有名声優たちもやっていることだし、むしろ、その手の仕事をやっていない声優の方が稀な方なんだぜ』


「そ、そうなのか……」


『ああ。国民的アニメに出ている声優だって、ちらほら出ている経験がある人もいるぞ』


 声優の仕事は一見華やかではあるが、それは氷山の一角に過ぎない。

 光に当たることが出来ない声優はゴマンと居る。声優を必要とする仕事はそんなに多くはない。少ない席を求めて、熾烈な争いが繰り広げている。


 声の仕事で、その中でも割かし稼ぎが良く、需要があるのが十八禁ゲームの仕事である。ゲーム……大容量ディスクなどのお陰で、ゲームに声があるのが普通になったことで、声の仕事は増えた。


 その中でも古くから声の需要が高かったのが十八禁ゲームなのである。

 新人声優や若手の声優とって、手にすることが出来る仕事場であり、事務所側からも率先として修行場として割り振られることもある。


 十八禁ゲームの出演は声優にとっては、とても良い食い扶持なのである。衝撃的な事実に、先ほどとは違った衝撃を受ける幸一。しかし、当事者である幸一にとっては、別問題だった。


「だけど……」


『解ってる。オレ的には問題は無いと思ったが、やっぱり公共の場だな。こういったことで問題になるとはな……。で、伊吹さん本人や事務所には、この事を訊いたのか?』


「いや、まだだよ。訊く内容が、内容なだけに訊きづらくてな。電話が繋がらないとかいって、ちょっと保留にしてあるよ……」


『やっぱり、ショックだったか?』


「……まぁな」


『そうだよな。美幸ちゃんの声で、エロい仕事をやっていたのはショックだよな』


 神経を逆撫でるデリカシーの無い発言に、


「おい、伊東!」


『す、すまん。ちょっとした冗談だよ』


「冗談で済まされない冗談もあるんだよ!」


 思わず感情が爆発してしまい大きな声で荒げてしまった。


『今のは悪かったよ。ただ、ちょっと落ち着け。さっきも言ったとおり、声優がこの手の仕事をするのは珍しいことじゃないんだ。むしろ、普通。伊吹まどか自身は、何の悪いことはしていないんだぞ』


「そうなのかも知れないが……」


『それに、杞憂で終わると思うぜ。事務所に訊いたとしても、のらりくらりとかわすと思うからな』


「それは、どういうことだ?」


『いくらネットで、伊吹まどかがMAKAだと言っても、実際に同一人物だと確認された訳じゃない。多分、事務所も明確には答えないだろう』


「つまり、それは‥‥」


『事務所側も、そういうことを意識している訳だ。伊吹まどかとMAKAは別人……。そもそも、その事務所にはMAKAという人物が存在しない、ことになっているだろう』


 確かに、志郎に電話する前に一度、伊吹まどかが所属している事務所のサイトで、所属しているタレントにMAKAという人物はいなかった。


『そういうことだ。知らぬ存ぜぬで、押し通せば良いさぁ。本当の事実がどうであれ、上辺だけの事実を述べとけば良いよ』


 大味な言い分に幸一は呆れるものの、確かに一理有った。伊吹まどかはMAKAかも知れないが、それが事実だということは、まだ確証されてはいない。それを示すものが無いのだ。


「解った。とりあえず、事務所の方に確認を取るよ……」


 この後、幸一は覚悟を決めて、事務所に確認の連絡を取った。


   ~~~


 伊吹まどかのマネージャー・高瀬真帆に事情を話し真意を訊ねたが、返ってきた答えは志郎の言うとおり口を濁したような返答であった。


『そういったことは、お答え出来ないものとなっております』


「そうですか……」


『それに所属タレントが不祥事を起こした訳ではないので、特に説明するものは無いと考えております』


「そうですよね。すみません、時間を取らせて頂きまして……」


『いえ、多かれ少なかれ、そういったことに関しての問い合わせが無きにもあらずなので……』


 慣れたような返答に、少し元気が無い口調だった。


『あ、高野さん。こちらから、こう訊くのも失礼なことかも知れませんが、今回のことを伊吹まどかには既にお伝えしていたりしますか?』


「いえ……。流石に、本人に訊くというのもアレなことですので……」


『そ、そうですよね。すみません、変なことをお訊ねしまして……。あの、他になければ、これで……』


「はい。こちらこそ、お時間をお取りして、すみませんでした。失礼いたします」


 幸一は受話器を静かに置き、小さく息を吐いた。


「志郎の言うとおりだな……」


 確かに、伊吹まどかがMAKAであることは、直接認めはしなかった。

 しかし、とりあえず事務所に訊いたことを、そのまま報告することにした。


 疑いが完全に晴れた訳では無いが、大本(事務所)がそう言うのなら、そう報告するしかなかったが、一先ずの問題は片付いたと思った。


 少し落ち着いたところで、高瀬の妙な素振りが気になった。おそらく、伊吹まどかが声優業を辞することだろう。


 今回の件が、伊吹まどかが声優を辞めることを後押しするものだと察した。幸一の中に微妙な気持ちが渦巻いていた。


 伊吹まどかに声優を続けて欲しい――だが、あまり人様の前で言えない仕事をしていたことに気を重くなってしまう。


 もしかしたら、伊吹まどかが声優業を辞める理由の一つだったのかも知れない……。


 この事を直接、本人に訊いた方が良いのかと考えたが、幸一は自分で自分の頬を軽く叩いた。今、自分がやるべきことは、伊吹まどかのことを案じるのでは無い。自分の仕事……美湯の声には問題無いということを示すことだった。

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