33 「高野さん、四月一日に湯乃花祭りが行われるんですよね」
33
「本日は、ありがとうございました」
幸一が音頭を取り、改めて感謝の言葉を口にした。
収録が終わった後、幸一たちは打ち上げとして近くの飲食店に訪れていた。今回、収録に携わってくれた生徒たちへの給金が発生しないとはいえ、志郎の言うとおり食事ぐらいはと、ご馳走してあげたのである。幸一たち大人組みは集まり、雑談をしていた。
「谷垣先生、今日は本当にお世話になりました」
「いえいえ、こちらも不慣れの中、ご迷惑をおかけしました」
幸一は谷垣に何度も頭を下げる。
「あ、高野さん。今回、収録した音声データのマスターテープは、早くて二週間後には送れると思います」
「マスターテープ?」
「ノイズを除去したり、音声を調整したりしたテープ、いわゆる音声データの完成品のことですよ。通常は、CD―ROMに焼いたりしたものです」
「ああ、なるほど。そうなんですか。二週間後ですね。わかりました」
志郎がビールが入ったジョッキを片手に訊いてくる。
「そういえば、高野。公開はいつする予定だったけ?」
「予定では、湯乃花祭りが開催される一ヶ月前に公開する予定でいるよ」
「ということは、公開は二ヵ月後か。なるほどね。湯乃花祭りの情報を観る為に、伊河市のサイトを観覧する人が多い時期に合わせた訳か」
「この後は、それ用の特設サイト作りだよ。それに合わせて美湯をサイトに掲載していくよ」
伊吹が話しに加わる。
「高野さん、四月一日に湯乃花祭りが行われるんですよね」
収録した台詞に湯乃花祭りを紹介するものがあり、伊吹は開催日を把握していた。
「そうですよ。あ、サイトが開設しましたら、改めてご連絡しますよ。そうだ! どうですか、その時に伊河市を訪れては。また案内しますよ」
何気ない誘いの言葉に志郎が反応する。
「また? どういうことだ、高野?」
「あっ……。いや、それは……」
伊吹がお忍びで、伊河市に来たことを言っていいものかと悩んでいると、
「一度、伊河市に訪れたことがあるんです。その時に高野さんに案内して貰ったんですよ」
あっさりと伊吹自身が告白してしまった。
「えー、そうなんだ。いつのまに……どうでした、伊河市は? へんぴな所だったでしょう?」
「いえいえ。そんなこと無かったですよ。なんだか、ほっとする良い街でしたよ」
その言葉に志郎は思わずニヤけてしまう。やっぱり誰も、自分の故郷を褒められては悪い気はしないのである。谷垣も話しに加わり、
「伊河市って、温泉が有名でしたよね。良いですよね、今度の長期休暇とかにでも行ってみたいですね。高野さん、どっか穴場とかの良い場所を教えてくださいよ」
「えっと、ですね……」
その後、伊河市の観光談義に花が咲き乱れた。そうこうして時間は流れていき、名残惜しくも解散となったのである。
少しお酒が入っていたからもあるが、幸一は少々ご機嫌だった。町興しの企画を考えていた時、まさかこんな風になると思ってもいなかった。ここまでは順調に進行している。だが、一つだけ気になる事があった。
それは、伊吹が今回の仕事で声優を辞めること。
やっぱり辞めてしまうのかとこっそり訊いてみたが、伊吹の覚悟は決まっているようだった。ならばと、幸一は今回の企画を絶対に成し遂げたいと、より強く決意した。
公開まで二ヶ月――
「さあて、残す作業もあと僅か、最後まで頑張りますか!」
自分に気合を入れて奮い起こしつつ、宿泊先のホテルへと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます