28 「結構……大変なんですね、声優という仕事は……」

   28


「ここが、そうです」


 幸一はそう言いながら、ドアを開き、伊吹を招き入れた。


「ここが、美幸さんの部屋なんですか」


 伊吹はキョロキョロと部屋の中を見渡す。最初に目に付いたのは、やはり壁に貼られているアニメなどのポスター。


 部屋は整理されており、ベッドには女性的な可愛らしい布団が敷かれていて、十代の女子の部屋という雰囲気が残っている。


 とても四年以上、主を失った部屋には見えなかった。


「ええ、そうです。美幸が亡くなってから、そのままにしています……」


 ふと幸一は、これまで経緯を思い返した。


   ~~~


「えっ! じ、自分の家にですか?」


「は、はい……。あ、詳しく言えば、その……高野さんの、妹さんの部屋などを見せてくれませんか?」


「え、自分の妹の部屋を……ですか? ど、どうしてですか?」


 見ず知らず……とは言わないが、あまり素性を知らない第三者に自分の家に、ましてや故人(妹)の部屋に入れるというのは、幸一ならずともそう簡単には家に上げることはないだろう。余程の理由が無い限り。


 だから幸一は、その理由を求めた。すると、伊吹は少し黙した後、小さく口を開いた。


「……実は、私。今回の伊河市のお仕事を最後に、声優を辞めようと思っているんです」


 驚きの告白である。しかし、それがどうして妹の部屋を見たいと繋がるのか?

 それを訊くまでもなく、伊吹が話しを続けた。


「打ち合わせの時に高野さん言いましたよね。私の声が、高野さんの妹さんの声に似ていると」


「ええ、そうですけど……」


「私が妹さんの声だったから、今回のお仕事を与えてくださったと思っています。ですから、私の声では無く、妹さんの声で、伊河市のキャラクターの声を演じるべきだと思いまして……。それで、妹さんのことを一つでも知りたいのです。どうか、お願いします。妹さんのことを何か教えてくれませんか?」


 想いがこもった強い眼差しで幸一を見る。決して冗談では無いということが、ヒシヒシと伝わってきた。


   ~~~


 辞めると覚悟をしているからなのか、最後の仕事と決めているのからなのか、伊吹から鬼気迫るものを感じた幸一。


 その熱意に当てられて、つい承諾してしまい、こうして伊吹を妹の部屋に招き入れているのだった。母親はどこかに出掛けていて、幸い家には誰もいなかった。


 園子は、机の上に置かれていた写真立てに気付き、中を覗う。そこには桜の花ビラが舞い散る中、高校の卒業式の日に撮った友達と共に映っている写真だった。


「どれが、妹さんなんですか?」


「ええ、真ん中にいるのが美幸です。どうです、顔は全然伊吹さんと違うでしょう」


「そうですね……」


 写真立てをそっと手に取り、じっくりと写真……美幸を見つめる伊吹。


「アニメのポスターとか、漫画が一杯……。きっと……私なんかより、声優になるべき人だったんでしょうね……。あの、高野さん。妹さんの声とか残っていたりしますか?」


「ええ。少し待ってください」


 そう言いつつ、幸一は机の引き出しからMDカセットを取り出した。ラベルには、『オーディション用練習』と書かれている。


 美幸が声優の養成所に送ろうとして作成していた課題提出用のサンプルボイスを録音していたMDだ。それを埃が被っていたMDラジカセに電源を入れて差し込み、再生ボタンを押した。


『はい、私の名前は高野美幸です。えーと、今から早口言葉を言います』


 オーディションの課題であった早口言葉や一人劇、ナレーション風なものが録音されていた。幸一は美幸の声を聞きつつ、ふと昔のことが頭に過る。


 夜中にゴソゴソと物音を立てていたことがあって、これを録っていたんだなと感慨めいてしまう。


 一通り聞き終わると、


「……本当に、私の声に似ていますね」


 伊吹は、そう感想を漏らした。

 自分の声を録音して聞くと、違った風に聞こえるのが普通である。しかし伊吹は声優であり、自分の声を端から聞く機会は何度もある。美幸の声が、録音した自分の声と全く同じだった。


「だけど、もし美幸が生きていたら、卒倒ものだな。こうやって昔録った自分の声を聴かれているなんて……」


「そうですね。私も、自分の声を他人に聞かれていると思うと、すっごく恥ずかしいと思ったことがあります」


 声を商売にしている人の台詞だと思えない発言だった。

 幸一は、伊吹の言葉に絡めて、あの真相を訊くことにした。


「声優さんでも、そう思うんですか……。そういえば、伊吹さん。さっきの話しなんですけど……。その声優を辞めるというのは……」


 わざわざ美幸の部屋まで案内したからなのか、伊吹は胸に秘めていた思いを語りだす。


「私は、高野さんの妹さんみたいに、ここまで声優になるという熱意は無かったんです。私が声優になる切っ掛けとなったのは、友人の誘いからでした……」


 伊吹まどか……本名、桑井園子は友達が少なかった。その数少ない友人の一人が、声優を目指していたのであった。


 声優になるためには、大まかに声優の事務所に所属する必要があった。別に事務所に所属しなくても、フリーとしてオーディションに出て、役を勝ち取れば良いのだが、当時の園子たちにはそういった事は知らなかった。


 声優雑誌の広告ページに載っている専門学校へ入学するということが、声優への道だと思うことが大半なのである。それは、園子の友人もそうだった。


 しかし、声優の専門学校は基本大都市に有ることが多く、地方には中々存在していなかった。自ずと地元から都会に出ないといけなかったのである。


 友人は、声優の夢を叶えるために、都会……東京にある専門学校に入学すると決めたが、一人で東京に行くのは心寂しかったのもあり、園子を誘ったのであった。


 当時、園子は高校卒業後の進路は決まってはいなかった。家がそんなに裕福ではなかったし、真面目では有ったが学校の成績も良くはなかったので、大学への進学は選択肢に入ってはなかった。ただ、両親は大学には行って欲しかったみたいだったが。


 何になりたい、何をしたいかという夢が無かった園子は、友人の熱心の誘いに、東京にある専門学校へ進学を決めてしまったのである。東京では、友人と二人暮らしをして生活をしていた。生活費と授業料を払うためにバイトなどもして。


 しかし、友人は最初の内は学校の授業を真面目に受けてはいたが、徐々にサボることが多くなっていた。バイトが忙しかったり、東京で出来た友達と夜遅くまで遊んだりと、授業に集中することが出来なくなっていた。


 一方園子は、根が真面目である為、バイトが忙しくても、授業内容が厳しくなっても、淡々と授業や課題をこなしていった。その事で友人と話し合ったが揉めてしまい、ケンカになってしまった。


 一緒の家に住んでいるのにも関わらず、二人はお互い口を聞かなくなってしまっていた。あれほど仲が良かった二人が、ものの半年で険悪な仲になってしまっていたのだ。


 なぜ、あそこまで仲が悪くなってしまったのか、今になっても解らなかった。ただ他の人にも聞いたら、共同生活をすると大半仲がこじられてしまうものらしい。


 友人との関係を修復することは出来ず、生活にも授業にも付いていけなくなった友人は一年足らずで学校を中退してしまい、地元に帰ってしまった。


 一人残された園子。友人に誘われて一緒に東京に出てきて、専門学校に入学した園子にとっては、自分がここに居る理由は無かった。


 ただ、地元に戻ればその友人が居り、遭うのが嫌だった。だから園子は、仕方なく東京に残ることにしたのだ。


 それに学校の推薦で受けた声優事務所のオーディションに合格したこともあり、もう暫く東京に残って、声優の道を歩もうとした。ただ、それは険しい道だった。


 声優事務所に受かったとしても、それで声優になれる……生活出来るという確約は無い。事務所に所属することは出来たが、新人に仕事が入ってくることは無いのだ。


 今度は新人・ベテランに混じって、アニメなどの出演をかけてオーディションを受けて、合格を目指さないといけない。アニメなどの主役で、たまに新人が抜擢されることはあるが、あれは大手のコネなどの権力が関与していることが大半であった。


 ましてや、昨今の声優のアイドル化に伴い、声優事務所とは別に、力を持つ芸能事務所に所属しているタレントがオーディションを受けることが多くなってしまったり、その事務所の一押しのタレントをゴリ押したりと、様々な思惑があるのは、よくある話しである。

 そういった業界や時勢の事情で、たださえ少ない役の椅子を奪われてしまっている状態なのだ。


 そんな事も有り、園子はオーディションを受けても大きな役やレギュラーを掴むことが出来ずに、ズルズルと時が過ぎていった。


 声優だけで生計を立てる事が出来る人は少なく、園子もまた短期アルバイトなどをしたりして生計を立てていたのであった。


 伊吹の話しを一通り聞いた所で、幸一が感想を漏らす。


「結構……大変なんですね、声優という仕事は……」


 率直な感想でもあった。そして厳しい世界に美幸(妹)が行こうとしていたという事に、兄として、家族としては、複雑な思いが心をくすぶらせた。


「私も、そう思います。知らないで、この世界に飛び込んでしまったものですから……。もっと人気が有って、売れっ子だったら、別の感想が有ったと思いますが……」


「だけど、諦めずに続けていれば、いつかは大きな役を演じることが出来るのでは?」


 伊吹は自嘲の笑みを浮かべる。


「続けていれば……。その続けることが厳しいんですよね。段々とオーディションとかに呼ばれたり受かることも少なくなったり……。それに、この業界は入れ替り立ち替りが激しいんです。

 毎年、毎月、新しい声優さんが生まれてくるんです。私の先輩や同期の人たちも次々と引退していきました。いつか、私もと……覚悟はしてはいましたから、そんなに落ち込んでいませんよ……」


「余計なお世話かも知れないのですが……辞めたら、どうするんですか?」


「……一度、実家に戻ろうと思っています。地元で、新しい職を見つけるのもアリですし、他の所で職を見つけるのも良いと思っています」


「そうですか……」


 今後については、一応考えているようで、心無しか安心する幸一。美幸の声に似ていることもあるからなのか、何処と無く伊吹を他人とは思えなくなっていた。


 だが、それまでの重く辛気臭い話しの所為で、空気が重たくなっているようだった。話題と空気を変えようと、別の話し……キャラクターイラストを持ってこようとした時だった。


「ただいまー」


 玄関の扉が開いた音と共に声が響いてきた。声から察するに、


「母さんだ……」


 幸一は慌てる。なぜなら美幸の部屋に、元より家に伊吹……女性を上げているからだ。こんな所を母親に見られてしまったらと、変に追求されるのが手に取るように危惧してしまう。


 こっそりと伊吹を外に出そうと思案しつつ、外の様子を探ろうと部屋の扉をそっと開くと、母親のさな恵がすぐそこに立っていた。


「あら、幸一。居たの? というか、なんで美幸の部屋に居るの?」


「あ、うん。まぁね、ちょっとね……」


 動揺する幸一。おかしな態度と美幸の部屋に居ることにさな恵は訝しげる。


「どうしたの?」


「いや、何でもないよ……ほら!」


 幸一はさな恵の背中を押し、美幸の部屋から遠ざけようとするが、


「あのー。高野さん、そろそろお邪魔した方が良いみたいですかね……」


 伊吹がバツの悪そうな表情を浮かべて、部屋から出てきたのである。


 さな恵は美幸の部屋から見ず知らずの女性が出てきたことに驚いたのもあったが、それよりも伊吹の声に、幸一の時と同様に「美幸!?」と声を出して驚いたのである。

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