其の弐
【死望者】になった
時々、テレビドラマ等で見掛ける、手首を切る事。
『う~ん。痛そうだな』
首を吊る事。
『これは出来るかもしれない』
よくニュースになったりする、鉄道等への飛び込み。
『出来れば何の関係もない他人は巻き込みたくないな。それよりも余りニュースになったりしたくはない』
高所からの飛び降り。
『建造物の上からは避けたい。他人を巻き込む可能性もあるし、止められる可能性も高いだろう。だから何処かの崖の上からだったら』
最後は薬の大量服薬。
『これが一番、楽に死ねそうかな』
とりあえず、これだけ思いついたので、この中で優先順位を付ける。
1番目は〔薬の大量服薬〕かな。
2番目は〔首吊り〕かな。
3番目に〔崖から飛び降り〕。
以下〔鉄道への飛び込み〕、〔手首を切る〕となった。
そこで義実は思う。
先ず自分が如何に痛みに対する恐怖に弱いか。
〔手首を切る〕が一番最後になったのは、そういう事だろう。
更に切るのは手首ではなく、腹の方が確実だと思い付いた。
しかし、どちらにしても、義実は自分にそれが出来るとは到底思えない。
そして、いじめをすんなりと受け入れてしまっていた自分に少し納得をする。
〔暴力を恐れる余りに〕という意味で、仕方がなかったのかもしれないと改めて思った。
とは言え〔自分が金銭で自分自身を売り渡した〕という事実は何も変わらない。
そう思うと再び憎しみが沸き上がってくる。
自分をいじめてきた奴等。
父親。
自分自身。
何もかも。
そして〔何もかも〕なのに、無関係の他人に迷惑を掛けたくないと思うのは何でだろう。
恐らく飛び込み自殺をする方は、それだけ社会に対する憎しみが強いからなのかもしれない。
しかし自分はそこまでにはなれなかった。
確かに義実にも社会に対する憎しみはある。
だから〔何もかも〕にはなるのだが、それでも迷惑を掛けたくないと思う理由。
一つ思い付いたのは、義実が自分自身、余り目立つ事が好きではないからではないか、と。
誰かを巻き込む事になれば、ニュースになるだろう。
義実はどうしても、それは避けたかった。
とにかく自分が騒ぎの中心になる様な事が嫌だったのだ。
だから巻き込んでしまう誰かに対する気遣いよりも、あくまでも自分の都合でしたくないのだろう。
そう考えると妙に納得が出来たりもする。
死ぬ事を考えたら、そんな事を気にしても仕方がないとも思うが、それでも嫌なものは嫌だった。
逆に、その様な都合が無ければ他人の事なんか、一々、構っちゃいられなかったりもするのかもしれない。
また、より多くの方に迷惑を掛ける事が社会に対する復讐にはなるのかもしれないが、果たして、それで本当に報われるのか。
その辺、義実には全然、解らなかった。
ただ自分に置き換えると、それで復讐が果たされる様には思えない。
そして、もう一つ思いが過ぎる。
自分が余り社会との繋がりを強くは求めていない。
その事が義実の憎しみを社会に向かわせない、もう一つの理由として考えられる様に思った。
社会に対して繋がりを求める気持ちが強ければ強い程、社会に裏切られたと感じた時に社会に対する憎しみが強まる。
これは決して自殺に限った事ではなく、社会に対する復讐と受け取れる行為全てに、そういう一面がある様に思ったのだ。
また義実はいじめに対して、何の行動も起こしてくれなかった他の同級生達には、余り憎しみを感じなかった。
義実がその立場に立って、いじめられている同級生に対して、何か行動出来るのかを考えると、とても何か行動が出来るとは思えないので、その事を責める気にはなれなかったからだ。
勿論、当時、実際に助けてもらえていたら、どんなにありがたかった事か。
しかし今になって考えると、助けてもらえなかった事で同級生を責めるのは、余りにも酷な様にも思う。
この辺りも義実が社会に対して、繋がりを強くは求めていない事が、大きく影響している様に思った。
周囲に対する期待が大きい程、直接の関わりが無い周囲の者達に対しても憎しみが沸いてしまう。
その様な事があるのではなかろうか。
とにかく義実は社会に対する憎しみはあっても、無関係の誰かまで巻き込む様な復讐をしようとまでは思えない。
義実が復讐するとしたら、何に?誰に?
当然に先ずは義実の事を直接いじめてきた奴等である。
そして、それを見て見ぬ振りしてきた大人達であろう。
しかし誰かをいじめるような奴が、その対象が自殺したからといって傷付く様な性質なのか。
中には、そういう奴もいるのかもしれないが、そうでない方が多い様な気がする。
いじめをする様な奴が、その様な細やかな神経を持ち合わせているとは到底思えない。
そうであれば〔自殺〕は復讐とは為り得ないのかもしれない。
もし死ぬ事でいじめてきた奴等を呪う事が出来れば、復讐は可能なのかもしれないが、それは、ちょっと現実的ではない様に思う。
結局〔自殺〕は復讐を目的にすると、空振りに終わる危険性も高い様に思った。
また親や教師等の大人達に対しては〔自殺〕が復讐には為り得るのかもしれない。
親にとって自分の子供が、教師にとって教え子が、自殺してしまったら、それなりのダメージはあるだろう。
しかし、それなりのダメージを与えたところで、自分は復讐を果たしたと思えるのだろうか。
そうは思えなかった。
自分の憎しみは、そんな容易いものではない。
では、どうなれば復讐を果たしたと思えるのだろうか。
判らない。
ただただ憎かった。
ひょっとしたら復讐では、自分の中の憎しみを追い出す事は出来ないのかもしれない。
その様に考えていくと、今度は復讐する事自体に疑問が生じたりもする。
本当に自分は復讐をしたいのか。
復讐で自分の中を憎しみを何とか出来るのか。
ひょっとしたら復讐以外の選択肢もあるのかもしれない。
もし復讐という悪意で誰かを傷付けてしまったら、いじめという悪行を認めてしまう事にも為り得るのではなかろうか。
例え切っ掛けが相手にあったとしても、結果として悪意で誰かを傷付けてしまったら、同じ穴の貉になってしまう様に思った。
あんな奴等と同類にはなりたくない。
あんな奴等の為に自分が加害者になるのは馬鹿らしい。
そもそも復讐自体が空振りに終わる可能性も高いのに、成功したら成功したで自分が罪悪感に苛まされる事にもなりかねないのだ。
それも、あんな奴等の為に。
その様に考えていくと、自殺する理由として復讐というのは適当ではない様に思った。
勿論、死ぬ事を考えたら、罪悪感に苛まされる心配はしなくてもいいのかもしれないが、それでも復讐が果たされる事は少ない様に思う。
やはり復讐をする為には死んだりするよりも、生きていないと駄目な様な気がする。
自分はどうなんだろう。
義実は考えてみた。
復讐がしたいのか。
死にたいのか。
復讐が出来るのであれば、してみたい気がしないでもない。
しかし復讐が出来るとは思えない。
何の才能も特技もない自分が、どうやって復讐したらいいのか全く判らない。
それに復讐は出来たとしても、同じ穴の貉になるだけなのだ。
あんな奴等と同類にだけはなりたくない。
そう考えると、やっぱり死にたい。
復讐なんてもう、どうでもいい。
死ぬ事さえ出来るのであれば、後はもう全てどうでもいい。
自分が進むべき選択肢は復讐ではなく〔自殺〕だと思った。
復讐の為の〔自殺〕ではなく、あくまでも自身の〔死〕を望む気持ちに報いる為の〔自殺〕である。
そして義実は自殺を試みる事にした。
先ずは一番、楽そうに思えた〔薬の大量服薬〕を。
睡眠薬は父親に不眠を訴えれば用意してくれた。
父親は知人の医師から譲り受けている様だった。
とにかく義実の父親はよっぽどのものでない限り、金銭で何とかなるものは何でも与えたくれたのだ。
そのおかげで睡眠薬を入手する事は何の問題も無かった。
そして50錠程、睡眠薬を溜め込み、それを一度に服薬して、そのまま眠りに就く。
しかし幾らもしない内に薬の殆どを吐き出し、意識が朦朧とするまま病院に搬送されて胃洗浄を受ける。
その胃洗浄が地獄の苦しみだった。
一番楽だと思ったのが大間違いだったのだ。
もう二度と薬の大量服薬はするまいと思った。
元々、痛みに対する恐怖に弱い義実にとって、胃洗浄の苦痛にかなりの恐怖を植付けられる。
そして三日間の静養をして、職場に戻ったが当然に解雇された。
別に自殺未遂がバレた訳ではないが、一日無断欠勤して、そのまま三日間休んだので、元々、解雇するタイミングを測っていたであろう会社の方からしたら、ちょうど良かったのだろう。
そして義実が自殺未遂をしたという事実を知るのは、家族と病院で関わった方々だけだと思われた。
恐らく、というか先ず間違いなく、病院関係者には父親が口止めをしているはずである。
二度程、そう推測が出来る様な場面を目にした事があった。
近所には適当な病名を告げている様である。
そして、そんな父親に義実は絶望したのだ。
だから再び自殺を試みようと思った。
とは言え、すぐにとはいかないので、とりあえずは仕事を探す。
別に仕事はしなくとも養っては貰えるだろう。
しかし父親に絶望している義実は、そんな父親の世話になるのは我慢がならなかったのだ。
出来れば実家を出て一人暮らししたいくらいなのだが、仕事が長続きしない義実には、それも難しかった。
とにかく出来る限り自立する為にも、仕事は探す必要がある。
そんな義実にとっては仕事を探すのも、そんなに簡単な事ではなかったが、選り好みしなければ何とかはなった。
元々、何の特技も資格も無い義実には、選り好みしてる余裕は無い。
とりあえず働かせて貰える所があれば、何処でも構わなかった。
そして暫くすると、職場で義実は孤立する。
それから暫くすると、今度は解雇されてしまう。
いつもの事である。
そして何度か職を転々としている間に、次の自殺をするタイミングを謀った。
一度目の自殺未遂の時から二年程、経ってから、今度は首を吊ったのである。
自宅の自室で天井の梁にロープを括って、机の上から降りる様に首を吊った。
義実はそのまま気を失った。
気が付くと兄に介抱されていたのである。
天井を見るとロープが切れていた。
左の足首と左手の薬指に激痛が走る。
どちらも骨折していた。
そして再び病院に担ぎ込まれる。
しかし、また入院はさせて貰えなかった。
治療を終えたら、自宅へ連れ戻される。
義実は別に入院がしたかった訳でもないのだが、父親がまた義実が自殺を試みた事実を隠そうとしたのだ。
義実の首にはロープの跡がくっきり残っていた。
入院させるよりも自宅へ連れ帰った方が、事実を隠すのに都合がよいと判断したのだろう。
そして、それから二年程、義実は父親に軟禁される事になる。
父親の世話になるのは嫌だったが、首吊りも失敗に終わった事で、かなりのショックを受け、何もする気になれなかったので、とりあえずは甘えるしかなかった。
せめてもの抵抗にと、可能な限り、食事を抜く。
一週間に一度とか、二週間に一度とか、長い時は一ヶ月くらい抜いた事もあった。
そのまま死んでしまえればと思ったりもしたが、限界がくると、どうしても食べてしまう。
結局、二年間で70㎏近くあった体重も40㎏を切っていた。
そんな義実の様子を見て父親は、このまま軟禁し続ける事も問題だと思ったらしく、義実と話し合いをして軟禁を解く事になる。
義実も軟禁を解いてもらうなら働きに出たいので、体力を戻す為にもと無理な節制は止める様にする。
ただ自分がまた自殺を試みようと思っている事は、言わずにおかなければならなかった。
言ってしまうと父親からしたら、軟禁を解く訳にはいかなくなるだろう事は想像に難く無い。
再び自殺を実行する為にも、これ以上、父親の世話になる事を避ける為にも、そうするしかなかった。
そして三ヶ月もすると体重も60㎏くらいまで戻って、義実は仕事を探し始める。
仕事が見つかり働き始めると、義実は再び自殺するタイミングを謀った。
今度は〔崖からの飛び降り〕を考える。
そして下調べをして、実行する場所も特定した。
しかし中々、その気になれなかったのだ。
思った以上に前回の失敗が義実の精神を弱らせていた様である。
実際に本当に参ってはいた。
死ぬ事すら出来ない自分自身に更なる絶望を感じる。
自殺を実行するには相当な気力も必要なのだ。
結局、気力が回復して再びこの崖に来るまで、前回の未遂から約五年もの歳月を経ていた。
下調べで来た時からは四年程、経っている。
義実はもう二十八歳になっていた。
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