挿話弐拾捌/孤独に呑まれる男

虎士郎こしろうは玄関先まで木下きのした先生を見送りに出て、母の部屋に戻って来ていた。


そのはもう泣き止んでいる。


虎士郎は母の寝ている布団の隣で座して、黙り込んでしまう。


お園も虎士郎に話し掛けたりもせず黙って、ただ虎士郎の母を見守っている様だった。


そのまま、どれくらいの時間が過ぎたであろうか。


外はもう、日が暮れ始めていた。


沈黙を破って虎士郎がお園に声を掛ける。


「そろそろ日も暮れるから家にお帰り」


「うん。でも大丈夫?」


お園が虎士郎を気遣った。


自分の想いを率直に伝える、虎士郎。


「ちょっと母と二人きりにして欲しいんだ」


「あ、そうだよね。ごめんね、気が利かなくて」


お園は虎士郎にそう言われて、簡単に謝った。


虎士郎がそんなお園の言葉に対しての気遣いを見せる。


「そんな事ないよ。お園ちゃんには今まで色々と助けて貰ってきたからね」


「ありがとう。それじゃ、今日はそろそろ帰らせて貰うね」


お園は虎士郎の気遣いに感謝を述べて、帰宅する意思を示した。


虎士郎もお園への感謝の言葉を返す。


「こちらこそ、いつもありがとう」


虎士郎はお園を見送りに出た。


「また明日、来るね」


お園は別れ際にそう言って、家へと帰って行った。


虎士郎は再び母の部屋に戻って、母の寝ている布団の隣に座し、母の手を握りながら、じっと母の顔を見詰めている。


虎士郎にとっては母だけが唯一、心を開ける存在であった。


父や虎太郎からは隠岐おき家の恥晒しと罵られ続けて、虎次郎こじろう虎三郎こさぶろうには、そこまでされる事はなかったが、虎太郎こたろうも含めた兄達には強い劣等感を感じずにはいられなかったのである。


そんな虎士郎にとって、母は唯一無二の存在であった。


その母も今まさに天へと召されようとしている。


しかし実は母をここまで追いやった要因の殆どは、虎士郎自身の所為に因るものなのであった。


父の源太郎げんたろう、そして虎次郎と虎三郎を斬り殺したのは虎士郎なのである。


しかし虎士郎はその事は全く覚えていない。


虎士郎が眠りに就くと出てくる、もう一つの人格がやった事なのである。


本人の自覚が無いとはいえ、なんと哀しい事なのだろうか。


その哀しみには気付くべくもなく、虎士郎は今まさに、孤独という化け物に呑み込まれようとしている。


虎士郎はこれまでも、ずっと孤独は感じていた。


しかし母の存在が寸前で虎士郎を孤独から救っていたのである。


その母も、もうすぐ天へと召される事となるだろう。


虎士郎は寂しかった。


虎士郎は悲しかった。


しかし涙すら出て来ないのである。


勿論、お園に先に泣かれてしまったので自分が泣く機会を逸してしまった事も考えられるが、それでも尚、母の死を目前にしながら、泣く事すら出来ない自分自身がどうしても許す事が出来なかった。


ふと、急に母の寝息が聞こえなくなる。


虎士郎は母の胸に耳を当てた。


何も聞こえない。


突然に虎士郎の中で何かが変わった。


虎士郎は気を失った。


いや、もう一つの人格に意識を奪われた。


とうとう虎士郎は孤独という化け物に呑み込まれてしまったのである。

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