挿話弐拾漆/命尽きようとしている女
いつもなら道場の方から門下生達の掛け声が喧しいくらいに届いていたが、先日、何者かに此処の道場で道場主の
そんな中、虎士郎は母の部屋に来て母の看病をしていた。
母は息子達に次々と先立たれる事になって、心労が重なり病床に伏せてしまったのである。
二日前に行われた虎太郎の葬儀にも出席が出来ない程に衰弱しきっていた。
そして今はもう、母のその顔には死相が色濃く浮き出ている様である。
虎士郎はそんな母親を付きっきりで看病していた。
すると誰かが廊下を急ぐ様な足音が聞こえてくる。
「虎士郎ちゃ~ん」
声と共にいきなり部屋の廊下側の襖が開かれた。
「
言いながら、お
木下先生はこの辺りの住人がよく診てもらっている、お医者様の先生である。
大変評判も良く、皆の信頼も厚かった。
お園は木下先生を呼びに行っていたのである。
「様子はどう?」
お園が虎士郎に声を掛けた。
虎士郎は無言のまま首を横に振る。
「そっかぁ、でも、大丈夫だわよ。木下先生がいらっしゃってくれたから」
虎士郎を慰める様にお園が言った。
幾らもしない内に木下先生もこの部屋にやって来る。
「わざわざお越し頂いて、ありがとうございます」
虎士郎が出迎えた。
木下先生は部屋に入って来るなり、虎士郎の母の脇に座って、虎士郎の母の手を取りながら虎士郎に訊く。
「その後、どんな感じですか?」
「あれ以来、ずっと目を覚ましません」
虎士郎は俯きながら答えた。
詳しい状況を確認する、木下先生。
「と云う事は食事も全然、摂れていないのかな!?」
「はい」
虎士郎は短く応えた。
「う~む、」
木下先生は暫くの間、考え込んでしまう。
虎士郎もお園も何も言えないでいた。
その沈黙を破って木下先生が話し始める。
「大変に申し上げ難いのですが、」
「はい」
虎士郎は短く応えた。
沈痛な面持ちで木下先生が虎士郎に話し続ける。
「隠岐様のお母様はもう、手の施しようがない、」
「そうですか」
観念する様に虎士郎は一言だけ応えた。
木下先生は自らにも言い聞かせる様に言う。
「少なくとも私には、もう、どうする事も出来ません」
突然にお園が泣き出した。
再び沈黙がこの部屋を包み込み、お園の泣き声だけが響いている。
「木下先生。わざわざお越し頂いて、本当にありがとうございました」
今度は虎士郎が沈黙を破って、木下先生に礼を述べながら深々と頭を下げた。
木下先生は自らの無力さを詫びる様に言う。
「いや、こちらこそ何も出来ずに済まないね」
「そんな事はありません。木下先生は立派なお医者様です」
虎士郎は木下先生の言葉を否定して、尊敬の念を示した。
そんな虎士郎への感謝と現実の厳しさを伝える、木下先生。
「ありがとう。それはともかく、お母様はもう、いつ死んでも、おかしくありません」
虎士郎は言葉に詰まる。
木下先生が話を続ける。
「虎士郎さんは出来るだけ付き添って居てあげてください」
「はい」
虎士郎が短く応えた。
「それじゃ、私はこれで失礼をさせて貰うよ」
この言葉を最後に木下先生は隠岐家の実家を後にする。
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