挿話弐拾陸/甘い男と不安を拭えなかった男

静寂に包まれた闇の中で二人の男が対峙していた。


一人は一際大柄な男で額から左頬にかけての大きな刀傷が目立っている。


黒谷天竜くろたにてんりゅうであった。


もう一人は取立てて言う程の事もない様な男である。


強いて挙げるなら、端正な顔立ちではあった。


隠岐おき虎太郎こたろうである。


この道場の主でもあった。


暗闇の中で二人は静寂に包まれている。


そして先にその静寂を切り裂いたのは虎太郎だった。


「先手必勝!」


叫びながら天竜へと斬り掛かって行った。


天竜は難無く自分の刀で虎太郎の刀を受ける。


虎太郎は次々と刀を振ってきた。


天竜は防戦一方である。


「どうした!?天竜?」


虎太郎が天竜に声を掛けた。


天竜が虎太郎の刀を受けながら応える。


「どうもしねぇよ。楽しいねぇ」


その表情には薄らと笑みが浮かんでいる様にも見えた。


「そうか。では、これでも楽しんでいられるかな」


そう言いながら虎太郎が刀をいっそう激しく振ってくる。


天竜は余裕を持って、虎太郎の刀を受けている様に見えた。


ところがその時、一瞬、天竜が体勢を崩す。


天竜はすぐさま体勢を立て直したが、その隙を虎太郎は見逃さなかった。


「隙あり!」


掛け声と共に虎太郎の刀が天竜の喉元へと伸びて来ていた。


天竜は必死に左後方へと体を逃したが、虎太郎の刀は信じられない速さで天竜を追って来る。


今度は右後方へと体を逃した。


しかし幾らもしない内に壁にぶち当たってしまう。


虎太郎の刀は、すぐ、そこまで迫って来ていた。


「むぅ」


天竜が呻いた。


途端、再び闇は静寂に包まれる。


虎太郎の刀は天竜の喉の皮を一枚程、切り裂いて止まっていた。


二人はその体勢のまま微動だにしない。


数瞬の静寂を破って、虎太郎が天竜に声を掛ける。


「どうやら、私の勝ちの様だな」


「甘いな」


天竜は呟く様に言いながら刀を振って、いきなり目の前の虎太郎の胴体を真っ二つにする。


虎太郎の下半身は意思を失い倒れ込み、上半身は床に投げ出された。


床には血溜まりが拡がっていく。


「卑怯者、」


虎太郎は最後にそう言い残して、口から血の泡を吹きながら絶命した。


天竜は外に出て、徐に自らの腕を切る。


切ると言っても切り落とした訳ではない。


天竜はいつも人を斬った後に、こうして自傷をするのであった。


そして体中にある自傷による傷はすでに百五十を超えている。


いつもなら自傷をする事で人を斬った事に因る興奮の様なものが抑えられていたのだが、今日は何かがおかしかった。


何故だか腹立たしい自分が居るのである。


理由は天竜なりには理解が出来ていた。


隠岐流の必殺剣を見切る事が出来なかったから。


天竜はそう理解するしかなかったのである。


虎太郎との闘いは決して本気ではなかった。


いや、本気ではあったが隠岐流の必殺剣を出させる為に、わざと受けに回ったのである。


しかしそれでも尚、隠岐流の必殺剣は見切る事が出来なかった。


天竜は虎士郎こしろうに対して負ける気はしていなかったが、斬れる自信も無かったのである。


「くそっ!」


天竜は一人、闇の中で、内なる闇に向かって吠えた。

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