挿話捌/不用意な男
暗闇の中、京の町中を一人の男が歩いている。
もうすぐ夏本番を迎える、そんな初夏の夜での事。
夜空には月も星も出ていなかった。
日中は一時、雨が降ったりもしていたので、まだ空は雲に覆われているのかもしれない。
その男は左手に提灯を持っていた。
新撰組の提灯である。
新撰組の隊士ではあるのだろうが、新撰組の隊士がよく纏っていた、浅葱色の羽織りは纏っていなかった。
一人である事も含めて、私用での外出なのだろう。
しかし提灯は新撰組のものを使用していた。
結構いい加減なものである。
これと言って特徴的なところがある男ではなかった。
この男の名は
新撰組にも多くの隊士を輩出して、京都で一番評価の高い剣術道場を開いている、隠岐家の次男である。
そして
その虎次郎が来た方角のちょっと先には有名な遊郭があって、どうやら虎次郎は
─────
許嫁がいながらも何故、遊郭へ行く必要があるのか。
この時代、結婚前に情を交わす事は一般的ではない。
特に武家である隠岐家に生まれた虎次郎が、遊郭に行くのは当たり前なくらいであった。
幾ら侍であっても男である以上、抑えきれないものもある。
─────
すると虎次郎の行く手の先に人影が見えてきた。
この時代のこんな時間に、町中で他人と出会う事は滅多に無い事である。
虎次郎と同じく
ひよっとしたら倒幕派の志士であるのかもしれない。
虎次郎も新撰組の隊士の一人である以上、そうであった場合は見過ごす訳にはいかなかった。
いずれにしろ先ずは、その人影がどの様な者なのかの確認はしなければならない。
そして虎次郎は、その人物が倒幕派の志士である可能性も考え、十分に用心をして、ゆっくりと歩を進めて行く。
そして相手の顔を確認が出来る様な距離になると、虎次郎は緊張の糸を解きほぐした。
「なんだ、虎士郎じゃないか」
虎次郎から虎士郎に声を掛けたが返事はない。
仕方なく、再び虎次郎から話し掛ける。
「こんな時間に出歩くなんて、珍しいな」
そう言いながら不用意に虎次郎は虎士郎へと、更に近づく。
その途端に虎士郎は刀を抜き放って、虎次郎へと斬り掛かった。
虎次郎は虎士郎の刀に喉を貫かれる。
あっという間の出来事であった。
そして虎士郎は虎次郎の喉から刀を引き抜くと、刀を空で一振りして、刀に付いた血を振り払い、ゆっくりと刀を鞘に収める。
同時に虎次郎の体は地面に倒れ込んでいった。
傷口から血が流れ出て、地面に血溜まりが拡がっていく。
そして虎士郎は何事も無かったかの様に、その場から立ち去った。
その場には動かなくなった虎次郎だけが残される。
暫く経ってから、そこへ一人の一際大柄な男が現れた。
額から左頬にかけての大きな刀傷が目立っている。
「悪かったな、虎次郎よ。しかし面白いもんを見させて貰ったぜ。虎次郎よ、奴は俺が斬るぜ」
天竜はすでに事切れているであろう、虎次郎に語り掛けた。
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