挿話肆/とばっちりな男

もうすぐ春も終える、そんな晩春の夜の事である。


時刻は五つ半を過ぎた頃であろうか。


すでに日が暮れてからは大分、刻が過ぎていた。


夜空には上弦の月が浮かんでいる。


新撰組の屯所である前川まえかわ邸の廊下の縁に、一際大柄な男が一人で腰を下ろして、庭の方を向いて目を瞑り、微動だにせずに、ただ、そこに存在していた。


夜空からの月明かりと部屋の中から漏れてくる灯りが、闇の中にその男の姿を薄らと浮かび上がらせている。


その男の顔には大きな刀傷があったが、この程度の明るさでは、その傷を確認する事は出来ないのかもしれない。


そこに一人の男が通り掛かる。


細身で精悍な顔付きの男だった。


年齢は二十歳を超えたくらいであろうか。


体の大きさは、大きくもなく小さくもなく、と云ったところだろう。


そして男は廊下の縁に腰を下ろしている一際大柄な男に気付いて声を掛ける。


天竜てんりゅう、珍しいな」


「すぐに出て行くさ」


天竜と呼ばれた一際大柄な男はそう応えると、ゆっくりと目を開けて続け様に尋ねる。


「それより虎三郎こさぶろうはどうした?」


「大丈夫さ。あいつが何かした訳じゃねぇからな」


男は素っ気なく応えた。


短く返す、天竜。


「そうか」


「何かしたのは、お前の方だろ。おかげで俺まで、えらい目に遇ったぜ」


男はまるで天竜に非があるかの様な物言いをした。


天竜も負けずに言い返す。


「うるせぇ!俺は人を斬るのが仕事なんだよ!寧ろ俺の前に奴等をよこした、はじめに責任があるんじゃねぇのかい!?」


近藤こんどうさんみたいな事を言うんじゃねぇよ」


一と呼ばれた男は天竜に対して文句を言った。


返す様に文句を言う、天竜。


「あんな奴と一緒にするんじゃねぇよ」


「そいつは悪かったな」


そう言いながら一と呼ばれた男、斉藤さいとう一はその場を立ち去って行く。


因みに斉藤は新撰組の中で、三番隊の隊長を任されている男であった。


天竜は再び目を瞑って微動だにしなくなる。


まるで大きな岩の様であった。


半刻もしない内にまた一人、男が通り掛かる。


外見は取り立てて言う程の事もない様な男だった。


強いて言うならば、端正な顔立ちで年の頃は、まだ若く、二十歳に届くかどうかであろう。


この男が先程、天竜と斉藤の会話に登場していた、虎三郎と云う男である。


三番隊の隊士の一人で先程、此処を通り過ぎて行った、斉藤の部下でもあった。


そして虎三郎は天竜の存在に気付いて膝を折り、額を床に着ける様に丁寧に礼を述べる。


「あ、天竜さん。この度はどうもありがとうございました」


「虎三郎、頭上げな。俺は別に、お前に礼を言われる筋合いはねぇよ。寧ろ、お前には俺の方が悪い事をしちゃったんじゃねぇのかなってな」


天竜は地面に立ち上がって、月を見上げながら言った。


虎三郎は天竜の気遣いを素直には受け取れずにいる。


「いえ、天竜さんが近藤さんに進言してくれなければ、私は、もう、」


「それぐらいにしておきな。それよりも奴等が人斬り以蔵いぞうの情報を握っていたとはなぁ」


虎三郎の言葉を遮って、左手で右腕にある無数の傷を掻きながら、天竜は言った。

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