第二十三話

成圭ひらあきを……セイを引き取ったことに精圭しげかどは良い顔をしませんでしたが、だからといって、余所よそにやれなどと言うことは、ありませんでした。反対でもしてもし蛹圭ようかに癇癪を起こされたらと、そう考えて……その方が、よほどいとわしく思えたようです」


 連れ帰った成圭ひらあきの面倒を、蛹圭ようかはみると言ったけれども、体を動かすことがやっとであるような幼い少女に、同じ年頃の少年の世話が出来るはずもない。

 もし体の自由が効いたとしても、そうそう出来るものではないだろうし、むしろそのときはセイが面倒をみる側だろう。


 蛹圭ようかにとってセイは、自分より格段に不幸に見えるだった。

 ただその頃本当にセイのことを、自分と何ら変わらない、いち人間であると思えていたのかといえば、恐らくは違う。

 誰から聞いて覚えたのか何なのか、拾ったなら拾った人間が面倒をみるべきだと主張していたから、犬猫を拾うのと区別は出来ていなかったのかも分からない。

 ただ、自分がきちんと見ていてやらなければならないという責任感は確かなもので、認識の違いによって優劣をつけるべきものではなかった。


 セイはまだ子供であるのに、何もかもに疲れた老人と同じ顔をしていて、顔付きだけでいうならば邸に出入りする人間の中で誰より、老け込んでいるようだった――例えば、爺である玄鳥げんちょうよりも。

 そんなセイを気にして、蛹圭ようかは一日中側に置いていた。

 文字だけでなく、本で得た色々なことを教えて、始めは全てに興味のない顔をしていたセイが、少しずつ変わっていく。


 何故手放したのかと、預けるにしても他に良い人間が、良い方法があったのではないのか、あのときの己は何と愚かだったのかという自責の念と、見付け、拾ってくれた蛹圭ようかへの感謝が限恵きりえの心に渦巻いた。

 そしてそこには確かに、自らでは成し得なかったことを成してみせる蛹圭ようかへの嫉妬をもが、這いずっていたのだった。




「それで、セイ青年は蛹圭ようか嬢をあれほど大切に思っていた、と。彼らが互いに抱いた愛情の内訳は、この際置いておくとしましょう」


 ゆったりと目を瞬く。

 限恵きりえは少し間を置いてから、ひとつ、頷いた。


「貴女には伺わなくてはならないことがある。それらは恐らく、この事件の、核心に近いところに存在しているだろうと思っています」

「なんで御座いましょう」


 問い返す限恵きりえは、疲れ切った表情のままで、じっと腰掛けている。

 姿勢を維持することも億劫なのか背筋は少し丸くなって、いっそ老婦人と称したくなるほどだ。


蛹圭ようか嬢が当主になったのはいつであるのか。貴女が何故、使用人として立っていたのか。……貴女とセイが詛ったのは、何なのか」


 言い切れば、ふ、と小さな溜め息が耳へと届いた。

 最早、驚くこともしないか――亘乎せんやはじっと向かい側の婦人を眺め、そうしてからモノクルのチェーンをなぞった。


 開きかけた唇が戦慄わななく。

 一瞬だけ見えた逡巡しゅんじゅんは、嘘をつこうという意思ではなく、何から話すべきかという心情から来ているものであるらしい。


「代替わりしたのは、五年ほど前のことです。あの人が……死にましたので」


 そこまで呟いた限恵きりえは、その落ち窪んだ眼を改めて亘乎せんやへと向ける。

 反応を窺っているらしいけれども、だからといって亘乎せんやが素直に反応するはずもない。

 何かを見出そうとすることを諦めたのか、限恵きりえは細く息を吐いてから、また口を開いた。


「蝶を……採集しに出掛けて、山道から滑落したようで。追いかける内に足を滑らせたと……そういう、であったようです」




 セイが邸のに気付いたのは、蛹圭ようかに拾われて何年もたってからのことだった。

 それまでは、自らの心と体のを取り戻すのにかかりきりであったからだろう。


 一等初めに気付いたのは、蛹圭ようかの不調について。

 玄鳥げんちょうが訪ねたあと必ず、今日は疲れたからと言っていつもより早く眠る蛹圭ようかを、気にし始めたのだ。

 はしゃぎ過ぎてしまったと蛹圭ようかは言うし――何より本人とて、そうとしか思っていなかったろう――限恵きりえもいつものことだと答えた。

 それで納得するほど素直な性格ではなかったことが、セイを苦悩へとおとしめたのだ。


 育った環境のせいなのか、セイは人をよく見ている。

 蛹圭ようかについては勿論、限恵きりえの態度や、滅多に顔を見せない精圭しげかどと時折訪れる玄鳥げんちょうの言動や表情を。


「セイは……あの子は……何か証拠になるようなものを見つけたわけでもないのに、精圭しげかど玄鳥げんちょうの手によって、蛹圭ようかが籠の鳥に……いえ、虫籠の青虫とでも言った方が合っていましょうか……それに、なっているのだと、悟ったようでした」


 セイは、限恵きりえに問うた。

 蛹圭ようかの不調が、主とその客人によってもたらされているものであるのかと。

 限恵きりえを信じているからこその問いであるようだった。


 蛹圭ようか限恵きりえとが、もし、虐げられているのならば。

 過去、助けて貰った恩を今ここでと、未だ子供であるのに、セイは思っていたらしかった。

 それを限恵きりえは、確かな喜びと、次から次へ湧き上がる焦燥感とで受け止めたのだ。

 何せ、困るのだ、あまり深入りされては。

 真実に辿り着かれては、困る。

 暴かれては、困る。

 せっかく、蛹圭ようかを身代わりにしたのに、邸で行われていたことを知られてしまっては、全てが水の泡だから。


「全てがお前の思い過ごしだと、言い聞かせました。そのときは納得したような顔をして……けれどあの子は、よりによって、あの人に……ッ」


 愚直にもセイは精圭しげかどに向かって、蛹圭ようかへ何をしているのかと、確信を持って訊ねたのだ。

 慌てて諌めようと、なんとか誤魔化せはしないかと焦る限恵きりえには目もくれず、精圭しげかどは少年を見下ろす。

 そして、片方の眉だけを上げ、不愉快そうに言ったのだ――私のものを私が好きにして何が悪いのか、と。


 限恵きりえはセイの頭を床へ押し付ける勢いで頭を下げさせ、急いでその場を辞した。

 真っ青になっている限恵きりえとは対象的に、セイの眼は怒りに燃える。

 もう駄目だと、限恵きりえはそれを見て、直感した。




「セイは、次の日から蝶のことを急に学び始めました」

「それは」

「あの人へ、取り入るために。人嫌いであっても、語らえる相手がいることは、中々に面白いと思ったようで。段々とあの人も気を良くし、セイを呼び付けては蝶の話をしながら、酒を飲みました。採集へも時たま連れて行くようになって……それで、あの人は……いつものようにセイを供に採集へ出て……死んだのです」


 亘乎せんやはゆったりと目を瞬いて、短く息を吐いた。

 精圭しげかどが命を落とした場面にセイ青年がいた、それを勿体ぶって言うのだから、どういうことであるのか、想像に難くない。


「今や幻の……それを追いかけて滑落したと、セイは言いました。にたりと唇の片方だけ、引き上げて」

「そのとき精圭しげかど氏から、詛いは出なかったのですか」


 返されたのは頷きがひとつ。

 その口元は、自らがつい数秒前に語ったセイのように、片方だけが引き上げられている。

 そういう筋書き――限恵きりえは確かにそう言った。

 つまりは仕組まれたことだったのだろう。

 他ならぬ、セイによって。

 正確な手段は、今ここでは単に想像することしか出来ないけれども、精圭しげかどから詛いが出なかったのならば、直接ではなく、間接的な方法を用いてだろう。


「あの人が死に、子……ということになっている、蛹圭ようかが当主になりました。あの子達が私にも使用人を付けると言って……母としての……まぁ偽物ですが……権力を持ち続けることと、人を増やして秘密が露見することを天秤にかけて、そも私は嫁でしかなく精圭しげかどがなければただの女人だと、固辞したのです。けれど、秘密は……守らなければなりませんでしたし、あの子達がいてくれと言うものですから、使用人として残ることに」


 なるほどと亘乎せんやが頷いても、限恵きりえはくたびれた老婆のように薄っすらとした影を纏って、ただ座っているだけだ。

 無意識にか漏らされた溜め息は、陰鬱な湿気を室内へもたらす。


「貴女は、何を詛いましたか」

「私は……私は……私の血を、詛いました」

「……それは、何故」

「恨まれるように」


 限恵きりえのその声は、今までのどんな言葉よりも明瞭に発せられたようだと、亘乎せんやは思う。

 一瞬だけ煌めいて見えた落ち窪んだ眼から伝わってくるのは、あまりに強い意志だ。


「私を恨み、家を恨み……まるでこの世の地獄であると思うように」


 言葉とは釣り合わない、あまりに穏やかな笑みを限恵きりえは浮かべた。

 作られたものでなく心の底から溢れ出たそれは、異質で、異様で、何より哀れに思えて仕方がない。


「貴女は……精圭しげかど氏が亡くなってから、二人が家を出るようにずっと仕向けていたということですか」

「あんな家など、なくなってしまえば良いのです」


 穏やかな笑みを脳裏に留めるかのように、ゆったりと目を瞬く。

 足掻いて、足掻いて、足掻いて――結局、限恵きりえの尽力は何も成さなかった。

 守るため創り上げたはずの繭を、子供達は破ることもないまま、膿に溺れ、生きながらにして腐っていったのだ。




 後を詛兇班副長である紫苫しとまへと任せて取調室を出た亘乎せんやは、頼劾らいがいと共に歩き出す。

 深々とした溜め息と、がしがしと頭を掻きむしる音が亘乎せんやの耳へと届いた。


「胸糞悪いったらありゃあしねぇ」


 数歩前を行く頼劾らいがいが、低い唸り声を上げる。

 勢いのまま廊下の壁を殴り付けようとする拳を、亘乎せんやの手のひらが受け止めた。

 腕へ走る痺れは、むしろ頭を冷やしてくれるようだと亘乎せんやは思う。


「思春期の男子ではないのだから、壁に穴を開けようとするのはやめて貰えますか」

「コンクリじゃあさすがに開かねぇよ」


 凹むがな、と鼻で笑う頼劾らいがいは、手を下ろして振り返った。

 けれどもいかめしいその表情に、笑みなどは少しも浮かんでいない。


「あの女の言い分は分かった。分かったが、結局今回の事件は何なんだ。生首になったあの女当主だって、本当は死にたかなかったんだろう。だってのに結局……ああ糞ッ」


 一気に吐き出し、ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしる。

 気持ちは分かると亘乎せんやは内心で考えた。

 ただ、その姿形には寸分の乱れもなく静謐さがあって、端からでは普段通りにしか見えないだろう。


 ゆったりと目を瞬く。

 そうして、頼劾らいがいをじっと見据える。


蛹圭ようか嬢へ、訊ねるとしましょう」

「そりゃあ……そうなるか」

「勿論」


 そうして二人はまた、廊下を歩き始めた。

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