第十九話

「俺に訊くなよ。発案は紫苫だ」


 向かいに座る頼劾が鼻を鳴らす。

 一先ずと紹介状の中を確認した亘乎の、無表情ながら咎めるような目付きに応えてのことだ。


 目の前の男と、その右腕といっていい紫苫が何を考えてこの話を持ってきたのか、亘乎には判断をつけられずにいた。

 否、何を考えてというよりも、識安という人間を身近に置かせることによって何を齎そうとしているのか、と言った方が正しいだろうか。


「これからシューニャさんが成長するにつれ、男性では教えてあげられないことも出て来るでしょ」

「……それは、そうですが」


 識安へいささか苦い言葉を返しては、恐らくこの言葉は紫苫の入れ知恵だろうと思う。

 思うけれども、事実であるだけに何とも言い難い。

 つまりは詛い云々の話は別にして、店で使うのではなく家で、例えば家政婦だとか、家庭教師だとか、そういう者として雇えという話らしい。

 もしかすると識安自身が未だ、保護者だとか養育者でありたい――あらねばならないと思っているのかも分からなかった。


 溜め息を隠すことなく紹介状をしまい、立ち上がる。


「この場は保留ということに。良いですか」

「分かりました。色好いろよい返事を貰えるよう祈ってます」


 にこやかに応える識安と、何やらじっと黙り込んでいる頼劾を残して部屋を出る。

 結果、過去についての追及からは逃れられたらしい。

 そう思いつつ、白い少女を迎えに亘乎は廊下を進んだ。そうして、取調室に残った頼劾は何を思っているだろうかとも、少しだけ考えていた。




 翌日、亘乎はシューニャを伴って軍施設を訪れていた。

 替えのモノクルと、相変わらず鳳凰の舞う黒留袖、常から変わらない静謐さを纏い、前日の荒れようは最早欠片も見られない。


 シューニャはともかくも、亘乎の目的はと言えばやはり、限恵に対する取り調べであって、向かわなくてはならないのは取調室だ。

 けれども、予定の時刻にはまだ暫しの時間がある。

 それならばと二人が歩を進めたのは、緑の双子の城だった。


 今日も今日とて、彼らは嬉々として遺骸と語らっているのだろう。

 一夜明けたばかりでは、普通ならば対して多くのことは分かっていないはずだけれども、あの双子にかかったらば何か見つけ出されているはずだとも思う。


 この道のりですでに気掛かりに思うのは、夜通し行われたに違いない遺骸達とのの熱気に浮かされる双子と、果たしてまともな話が出来るかどうかというところだ。

 近寄りたくないから勝手に行って頂戴と、紫苫にうんざりした様子で告げられたことで、心の準備が出来ていることだけは幸いだと思わなくてはならない。



「やぁやぁ、ようやくお出ましだねぇご両人。まだ朝も早い時間だけれど、僕らとしては、ああやっと来てくれたかと思わずにはいられないくらいだよ。何せに気付いたのは日付も変わったばかりの時間帯で、間違いなかろうという話になったのはそれからさほど経っていない時だったものだから、秒針が回るのを数えながらまったくセンセイ方はいつ来てくれるだろういつ来てくれるだろうと首を長くして待っていたのだよ」

「もしもにぃにぃ様とゆなちゃんが、ソールとマーニだったならっ、さぁさぁ駆けろよアールヴァクにアルスヴィズ、フイゴに冷まされるひまもなくぅって感じだったのですよぉ」


 緑の双子はそうはしゃいだ声を上げ、黒と白へと楽しげな眼を向けた。

 駆け寄ってくる右楠は、シューニャへと抱き着いてその頭へと頬を擦りつける。

 しばらくは大人しくされるがままにしていたシューニャも、いい加減うっとおしくなったらしい。

 うるさいと呟いては右楠に余計絡まれ、そうして亘乎へと、無表情ながらじっと目を向けて救いを求める。


 さてこれはどうしたことかと溜め息を漏らしても、双子はどうにも浮足立って落ち着くことはなかった。

 彼らにとっては夢にまで見たの成れの果てなのだ、むしろ話が出来るだけましと言えるだろう。


「それで。左椋、右楠。何が分かった」


 低く問い掛ければようやく、双子は動いた。

 とはいえそれは、話題の転換ではなく焚き付けただけに過ぎない。

 左椋は鈍く光を反射する検死台の横へ、素早くシューニャから離れた右楠も、その向かって右側へと並ぶ。

 台には器に入れられたひと欠けの白いもの。

 準備万端だ。

 そう言わんばかりに二人が――というよりも、亘乎が――向かい側へ立つのを待ち構えている。


 これは話が長くなりそうだと思いながら、自分達がここにいることを紫苫が早く、頼劾へ伝えてくれることを亘乎は祈った。

 さすがに頼劾からの一喝を受けたらば、双子も落ち着きを取り戻すだろう。

 恐らく自分の言葉でも聞きはするけれども、その労力を割くのは酷く面倒だった。


「いやぁよく聞いてくれたよセンセイ、センセイは『ゼロイチ二二四六イチロク』のシェルターで既に彼女らとの拝眉の栄を賜ったわけだった、ああいや、すっかりつるりと真っ白くなってしまった彼女らに眉なんてないけれどもねぇ、アハハ。彼女ら、そう全員が全員女性でね」

「にぃにぃ様ったらこんなにこんなにこぉんなに全部さらけ出しちゃうの女たちに囲まれちゃって、昨夜からハーレムの真ん中でテンションアゲアゲなのですよぉ。ゆなちゃんヤキモチで真っ黒焦げになってますですよぉもうもうもうもうっ」

「こんな調子で我が愛しの愚妹は拗ねっぱなしで、いやぁ困った困った。まぁ僕の妹足り得る人間なんて我が愛しの愚妹ただひとりだけれどもねぇ」

「きゃあっにぃにぃ様ぁ、素敵ぃっ」


 とてつもなく面倒な方向へ振り切れている双子に、亘乎は思わず額を押さえる。

 シューニャは完全に興味をなくし、勝手に、壁際に置かれた椅子に座って事務机に上半身を伏せた。

 どうやら寝る心積もりであるらしい。


「先を」

「せっかちな男性はモテないのですよぉセンセぇ」

「先を」

「むぅ」

「アハハ、そんなに邪険にしてやらないでおくれよセンセイ、我が愛しの愚妹はどうにも今回は冴えているのだよ。いやいやいつ何時もこの僕にはない野生の勘と嗅覚ってものは冴え渡っているのだけれどね、今回は特に、滄海そうかい一粟いちぞくとも思えていたものを濡れ手であわとばかりにねぇ」

「先を」


 常からの無表情にどこかげんなりとしたものを滲ませながら亘乎が言えば、緑の双子は愉快そうにケタケタと笑う。

 もういっそのこと一度強制的に寝かせた方が良いのではないかとそんなことを考えて、脳味噌の隅では方法を検索していた。

 それを感じ取ったのかは分からないけれども、左椋は軽く咳払いをしてまた話し始める。


「まず始めにだよセンセイ。今回のお嬢さんらについて何より言及しておくとしたらばね、彼女らはその身にまとう血肉を、いっぺんに焼かれた火葬されたわけではなく、まして土の中でじわりじわりと食われた土葬されたわけでもなく、かと言って科学的処置によってひん剥かれた標本にされたわけでもなく、極めて紳士的でありながら且つ情熱的に奪い去られたということなのだよ」

「新しいドレス血肉はどこなのでしょぉっ。ゆなちゃん全裸じゃちょっと困りますですよぉ」


 頬を両手で押さえて、右楠がくねくねと身悶えている。

 左椋はそんな妹にお構いなしで、壁際の遺体貯蔵庫の扉を幾つか開けて、白骨を引き出した。

 シューニャは机に突っ伏して眠っているし、頼劾の助けはまだない。


「我が愛しの愚妹曰く。彼女らはと同じにおいがしている」

「つまり、なのですよぉ。濃くて濃くて濃い濃い濃ぉい美味しい詛いのにおいと、不快極まりないいやぁなにおいがしますですよぉ」

「センセイは言ったね、自分の詛いと、玄鳥翁のものであると」


 肺胞に染み込む死のにおいを吐き出して、ゆったりと目を瞬く。

 左椋は頭蓋骨とじっと見つめあい、そうしてから亘乎へと顔を向けた。


 双子が口を閉ざせば、その冷たい部屋は生の息吹を感じられない墓穴の底と変わりない。

 亘乎はゆったりと目を瞬くと、ああ、とだけ答えた。


「ふむん。まぁそれは僕らがどうこうする問題じゃあないから構わないさ、知りたいことは色々とあるけれどもね、僕らはちゃあんと弁えているんだ、センセイの逆鱗がどこにどう生えているのかをねぇ。ともかくだよ、そうして同じにおいの彼女らはどうも、如何にも標本らしい」

「あっあーセンセぇだめだめだめだめぇ、話は最後まで聞きましょうですよぉ。標本は標本でもお綺麗な翅を広げて磔にしちゃうものじゃないのです」

「そらセンセイ、見て御覧よこれを。ちょっとばかり彼女らの身体を切らせてもらってねぇ。見えるかい、こっち側から順に密度が低くなっていてね、それがまるで骨粗鬆症はこう悪化してゆくのですと言わんばかりだとは思わないかい。ともかくそれでだ、この骨密度の中身と、においが比例していると我が愛しの愚妹は言うのだよ。中身が低密度であればあるほど、美味しいにおいが強くなるとねぇ」


 比例、と、亘乎の薄く血色の悪い唇が動く。

 頷いた左椋は白骨達を貯蔵庫の暗い穴へと押し戻して、再び右楠の隣へと並んだ。


「さて、それでだよ。これは、の中から出て来た骨なのだけれども、そら見て御覧よセンセイ、これは、すっかりじゃあないか」

「ゆなちゃんはぴぴぴぴぴっと来ましたっ。これってこれって、殻みたいに見えますですよぉ」


 愉快なことだと言わんばかりにうっそりとした声。

 そして、名探偵になりきりながら閃いたことを喜ぶ明るい声。


 ゆったりと目を瞬く。

 そうしてから無意識に上げた右手でモノクルのチェーンをなぞり、嘆息した。


「羽化しなければ、蝶にはなれない――私はそれを知っていた……二十数年前のから、既に」


 すっかりだけになった白骨を見つめて物思いに耽る亘乎に、双子はじっと黙り込んだ。

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