第十三話
幾らあの双子であろうとも、さすがにこれはしないだろう。
天才でありながら尚且つ天災であると
透明な箱と称したそれを改めて観察してみると正確には、上面に板硝子が填められていて、あとの面は木で作られていることが分かる。
これが一体何であるのかなどと今更考える必要はなかった。
何せ、あの小屋では机の脇にあった棚に、本邸でも彼の部屋に積み上げられた両腕に抱えられるほどの大きさの箱に、たくさんしまい込まれていたのだから。
――間違いなく、これは標本箱だ。人の骨を標本にして飾ってあるのだ。
かつん、と亘乎が靴底が床を叩く。
シェルターという単語を聞いた亘乎は初め、第二次世界大戦下で作られたような、主に空襲をやり過ごすために皆で身を寄せ合う極極小規模な防空壕を想像していた。
けれども実際に見てみたらばそれよりずっと規模が大きく、分厚い金属製の扉の先は床も壁も天井もコンクリートで塗り固められ、中を満たす青白い光は電気が通わなくなったとしても自家発電装置がついているし、それと合わせて働く給排気設備のお陰で新しい空気が供給され続けている。
地区ごと、もしくは家ごとに作られるそれではなく、言うなれば公的な施設――例えば、戦時下における軍の司令部だとか、そういうものに似た印象を受けた。
とはいえ感心する亘乎とは違い、頼劾が標本箱以外を気にする素振りはない。
どうやらこれは、家持ちであれば標準的であるらしかった。
並べられた標本箱の内、一先ず右から見ていこうと横に立って覗き込む。
相変わらず亘乎の手は限恵を掴まえたままで、手のひらからは小刻みな震えが伝わってきていた。
何に怯えているのだろうかと、標本を観察しながら亘乎は脳味噌の隅で考える。
これが第三者へ露見してしまうことに対してであれば、今もなお怯え続けているのはいささかおかしいように思う――蝶のように広がる腰骨の形を見るに、どうも女性であるようだ。
ではこの骨自体に怯えているとしたらば、確かに
そう、例えばもし、この骨達の生前の姿を知っていたとしたらばどうだろうか――使用人か、それともまさか、この家の者か。
否、それよりも、可能性が一番高いとすれば、
「随分と良い趣味をしていやがる」
忌々しげに吐き出された頼劾の低い唸り声に、限恵が余計に身を震わせる。
これはやはり事情をよく知っているらしいと考えながら近付けば、頼劾は亘乎へ向けて顎をしゃくってみせた。
示された標本箱は、大きさこそほかの物と変わりない。
けれども中身は、あまりにも小さかった。
「赤子、ですか」
手袋越しの震えを感じながら、右手でモノクルのチェーンをなぞる。
静かに瞑目して、息を吐き出してからもう一度その標本をじっと見下ろした。
――本当に、良い趣味をしている。ああ、本当に。
元の形になるように奇麗に並べておきながら、肋骨の隙間へ穿たれた金属の杭。
昆虫標本のように、もしくは、化物として蘇ることを阻止しようとしているかのように。
閉ざされた標本箱の中へ閉じ込められた生まれたばかりの赤子の骨に、一体何が出来ようか。
ゆったりと目を瞬く。
端から順に数えて、六つの箱がある。
その中のひとつだけ空で、骨は五人分だ。
これから入れられる予定でもあったのだろうか、それとも――元々あった骨を、どこかへやったのか。
わざと限恵を掴まえている方でもって、亘乎は手を伸ばした。
斜め後ろから息を呑むような音がして、限恵が逃げようともがく。
決して、離してはやらないけれども。
「いやっ、お願いです、いや、ああっ、お離し下さい、どうか」
突如上がった女の声に驚いたのか、亘乎の視界の端に、他の箱を見ていた頼劾が近付いて来る姿が映る。
けれども亘乎は、そのどちらをも無視して女の手を箱へと押し当てた。
なにせそうしてやれば、限恵はどうやってもその箱を意識せざるを得ない。
「先程、蛹圭嬢の首が見付かりました」
「……え」
気の抜けた声と同時に、限恵の動きが止まった。
脱力し、亘乎の指は手首というものに回っているだけでそこには何の抵抗も感じない。
「あのセイという……否、本当はヒラアキというのでしたか。彼の小屋で」
「なに、を」
「彼が切り落としたのでしょう。可哀想に……気が
あ、あ、と限恵の口からもれる。
目を見開く姿が板硝子へと映り込み、次の瞬間には、考えられないほどの力で手を振り払らわれた。
「嘘をつくなッ」
金切り声だったのか、それとも手負いの獣が上げるような咆哮だったのか、もしかすると、それらを混ぜたような声だったかも分からない。
けれどもとにかく、初めて顔を合わせたときのような厳粛さのようなものはなかったし、先程までの痛々しいほどの震えもなくなっていた。
そこにあるのは、混乱と怒りだ。
生きながらにして、鬼と成る。
その形相はまさに
これほどまでに激しい情念を、たったひとことで爆発させる。
限恵という女の、隠された
振り払われた手のひらの古傷が酷く痛んで、反対の手で握り込んでやり過ごす。
そうしてからやっと上体を起こした亘乎は振り返り、限恵の眼をじっと見据えた。
「どうして嘘だと思うのです」
ぐう、と声を詰まらせて、それでも限恵の情念は勢いを衰えさせることはない。
軋むほどに強く噛み締めた歯のほんのわずかな隙間から、ちろちろと燃える炎が見えたような気がした。
「あの着物は間違いなく蛹圭嬢のものであると、そう答えたのは貴女ではないのですか。それともこう言いますか。着物は確かにお嬢様のもので御座います、と」
どうですと首を傾げてみせる。
言葉を重ねてみても限恵は、
荒く吐き出される息が四方をコンクリートに囲まれた箱の中で、嫌に響く。
完全に逆上している。
限恵を取り押さえようと死角へと移動した頼劾を、亘乎は視線で制した。
「よもや、ええ、よもやではありますが」
知らず知らず、口角が持ち上がる。
いけないと分かっているのに、どうしてもそうなってしまう。
頼劾が呆れにも似た批難の目を向けてくるのを視界に収めながら、親指で唇をなぞって口角を押し下げた。
「この箱に収められていた骨を、限恵。貴女が――蛹圭嬢に見立てたのではありませんか」
「あぁあああッ」
標本箱に填められた板硝子が、びりびりと鳴いた。
咆哮と同時に突き出された手がチェーンを薙ぎ払う。
蛍光灯に反射しながら、標本箱の間へモノクルが叩きつけられる。
届いたのは硝子の砕ける音。
けれども亘乎は微動だにせず、左目をわずかに眇めただけだった。
頼劾が、背後から限恵を羽交い締めにしたからだ。
意味を成さないわめき声を上げる限恵が、頼劾の腕の中でなお滅茶苦茶に暴れ続ける。
目頭を軽く揉んで溜め息をもらした亘乎はしかし、次に顔を上げたときには全くの無表情へ戻っていた。
「どうやら、正解だったようで」
「おい、待て亘乎、どういうことだッ」
ああ糞、と悪態をついた頼劾が、腕をずらして限恵の頸動脈を絞める。
これではまともに話をすることもままならないと思ったのだろう。
数秒で落ちた限恵を何かの台に――何のための台なのかはあえて気付かないふりをしておく――適当に寝かせて、そうしてからやっと、頼劾は深々と溜め息をもらす。
「御世話様」
「喧嘩売ってんのか」
「まさか」
平然と首を振る亘乎にまた溜め息をついて、短髪に覆われた頭をがりがりと掻いた。
適当な椅子に腰を下ろし、そうしてから頬の古傷をさする。
亘乎はといえば、何も入っていない箱をじっと観察していた。
モノクルがないと見えにくいのは確かだけれども、どうしても困るというわけでもない。
じ、と蛍光灯が密やかに鳴く。
ほんのわずかだけ届く低い機械の駆動音は、恐らく給排気設備だろう。
何度かかつんと、亘乎の靴底が床を叩く音がして、漸く頼劾が口を開いた。
「おい」
「何です」
「さっきの話は、ありゃあ、どういうことだ」
「どうも、なにも」
黒い着物へ包まれた亘乎の肩が、軽く竦められる。
妙に癇に障る仕草だと頼劾は思ったけれども、それを気にしている場合ではないと何かを言うことはなかった。
「ゼロイチ管区中央二二四六第イチロク分家――その邸から見付かった、当主蛹圭のものであろうと思われた骨は。違う人間のものだった、ということですよ」
「亘乎お前、それは」
眉間に寄せた皺を深めた頼劾は、そこまで呟いたところで口を噤んだ。
腹の底から目一杯吐き出された息が、ただただ重苦しく、床へと落ちていった。
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