第六話

 三つの足音が、ヨゴト画房より幾らも明るい廊下を進んでいる。

 軍のトバリ支部北棟地階、時刻は午前十時過ぎ。

 常ならばシューニャが玄関先へと兵児帯を下ろしている頃合いだ。


 頼劾を先頭に亘乎とシューニャ、三人の向かう先は言わずもがなというべきか、左椋さりょう右楠ゆなん、双子の城である遺体安置所だった。

 白骨遺体の身元は、検死が済んでおらず未だ分かっていない。

 ただ、それが見付かったのはの『ゼロイチ管区中央二二四六第イチロク分家』の邸であったし、頼劾の言う着物が亘乎には覚えがある――蛹圭が羽織っていたものだろう。

 それでも一応、白骨遺体の首の代わりとなったおもてが、間違いなく亘乎の手により打たれたものなのだと確認する為に、ここへいた。


 頼劾による疑いが晴れたのかについて、亘乎は正直なことをいえば大した興味がない。

 そうではあるけれども、あの後に蛹圭がどうなったのかについての興味は持っていた。

 見付かった白骨遺体は十中八九、彼女だ。

 元より今にも枯れ落ちんばかりの姿であった彼女が、皮を脱ぎ捨てたその様は果たしてどんなものであろうか――否。

 本懐を遂げられたであろう彼女のは、どんなものであろうかと。


 蛍光灯が微かな低い音を立てている。

 頼劾の手によって開かれたのは、双子の城の扉だ。

 扉の奥は何時なんどきであろうと変わらず、低い室温に保たれている。

 そうでなければ、仕事に支障をきたしてしまうからだ。


 その冷気を感じるよりも幾らか早くは、前に立つ頼劾を避け亘乎の懐へと飛び込んできた。

 見下ろせば、傷み気味の明るい緑が胸板へぐいぐいと押し付けられている。

 頭だ。

 勿論、同じような色をしていようとも、左椋ではない。

 彼曰くの我が愛しの愚妹――右楠であり、右楠に出会すときはいつもこうだった。


「センセセンセセンセセンセセンセぇ。お久し振りですねぇ、本当にお久し振りですねぇ。お久し振りなのにセンセぇは相変わらず美味しいニオイをぷんぷんさせていやがりますですよぉ。知っていますかセンセぇは、前史の頃にはこれを飯テロと言ったそうですよぉ。飯テロ、つまりは飯によるテロリズム、いやぁ本当にこのセンセぇの詛いにどっぷりなニオイはテロ並みにテロってますですよぉ。どうですどうですセンセぇ、この右楠ちゃん略してゆなちゃんにセンセぇの指を一本お八つに恵んでくれる気なんかはぁ」

「だめ」

「おおっとぉ、ここで恒例行事なシューニャもとい詞葉ことはちゃん略してことちゃんの乱入ですかぁ。でもでもでもでもぉ、もえもえ無表情片言娘なことちゃんの言葉だとしてもここは譲れませんですよぉっ。なにせ金の矢で射貫かれながら強靭な精神力のもと、センセぇを丸ごといただきまぁすせずに頑張っているこのゆなちゃんっ、そのご機嫌向こう一週間が掛かっていますですからぁ」

「あたま、だいじょーぶ」

「あっはは、ひどいですねぇ、ひどいひどいひどいっ。少なくともゆなちゃんはことちゃんよりかーなーり、頭良いですしぃ、まともなつもりでいますですよぉっ。残念でしたぁっ」


 双子の兄同様話し始めると止まらない右楠に、頼劾が眉間に寄った皺を深くしながら溜め息をつく。

 これ以上頼劾の機嫌が低下すれば割を食うのは明らかに自分だ――そう、亘乎はついと彼女の兄へと視線を向けた。

 けれども、当の左椋はといえば、解剖台の上に横たわる骨をじっと観察したまま動く気配がない。

 集中するあまり、訪問者があることすら気付いていないのだろう。


 亘乎は胸元の緑を、手袋に包んでいる左手で乱すようにしてぐしゃりと撫でた。

 傷んではいるけれども、指に絡んだそれは性差のせいなのか、自分の黒と比べて格段に柔らかい。

 もっと撫でて下さいぃ、とシューニャから自分へ右楠の意識が移ったことを確認すると、亘乎はその願いを叶えるのではなく、その緑の頭を鷲掴みにして離させた。

 左耳の下辺りで纏めた緑は更に乱れたけれども、それを気にしてやっては話が進まない。


 ぎゃーっと、右楠が女らしさの欠片もない声で喚く。

 こう騒がしくしていても、左椋は未だ骨に気を取られて顔を上げる様子がなかった。

 この双子は揃うと仕事の効率が上がって良いのだけれども、厄介さには拍車が掛かる。

 残念ながら、揃った双子の手綱を締められる人間は――正確にいえば、面倒がらずに手綱を締める人間は――ここにはいなかった。


「あれあれあれぇ、そういえばお三人様はお仕事ですよねぇ、もうどう見てもお仕事なのですよねぇ。このゆなちゃん、センセぇという名の超強力というかもうむしろ史上最強な飯テロを前に、すっかりうっかり正気を失ってしまいましたぁ。にぃにぃ様ぁ、愛しのにぃにぃ様ぁ、お仕事ですよぉ」


 何せこうして気の済むまで喋らせて自主的に動かせるのが、一番手っ取り早いのだ。




「やぁやぁ申し訳ないねぇ、お三人。あんまり奇麗な白骨だったものでつい魅入られてしまったよアハハ。ああいやだライコウ殿、そんな怖い顔をしたって過ぎ去った時間は取り戻せないんだ、仕方のないことだと諦めることも必要だよ。そら、そこのセンセイとシューニャの澄ました顔をちっとご覧よ。ライコウ殿に詛呪殺犯でないかと疑われているっていうのにこれっぽっちも響いていないじゃあないか」


 マスクの下でまたアハハと笑う左椋に、やはり頼劾は渋い顔をしていたし、亘乎とシューニャはいつもと変わらない無表情で佇んでいた。

 先程までやいのやいのと騒いでいた右楠は気が済んだのか、左椋の隣で楽しげに笑顔を浮かべているだけで、口を開く様子はない。


 男女でありながら珍しく一卵性のこの兄妹は、見た目だけでなく色色と似通っている。

 例えば、悪癖とも呼べるものがあることも共通していた。

 尤も、人は多かれ少なかれそういうものを持っているだろう。

 左椋と右楠で言えば、少しばかり個性が強過ぎるものだから、悪目立ちしてしまうのだ。

 恐らくは。


「どうなんだ」


 今朝から、その低く唸る声ばかりを聞いている。

 常から仁王像が如く厳しい顔付きをしている頼劾は、それを悪化させる今の心情を隠す心積もりはさらさらないようで、大層不機嫌そうな眼差しを左椋へと向けた。


 どうやら戯れは許されないらしいと、そう悟った左椋が肩を竦める。

 右楠は変わらず機嫌良さげに笑っているし、シューニャは無表情にじっと佇んでいる。

 亘乎はといえば、モノクルの奥でゆったりと目を瞬いた。


「ふむん。なんと言ったら良いのかな。この白骨遺体は、確かに室内で発見されたのだったね、ライコウ殿」

「ああ」

「そうかいそうかい、そうなるとだよ。この骨はあんまり奇麗だ。室内も奇麗だった。肉も臓腑もその他諸諸、すっかりその場から奇麗に消え去ってしまったということになる。恐らくはまぁ、の事件として考えるのならだけれどね、どこかの誰かが他の場所で殺害したあと、骨格標本でも作るように処理を、ああ処理といっても様様あってね、煮沸する水に沈める土に埋める蛆やらとある甲虫に食わせたりバクテリアに食わせるっていうのもあるけれど、まぁ酵素だとかを使用して処理した方が手順を守ればだけれど劣化は少なくなるし手早く出来るから」


 息継ぎのわずかな合間を見計らい、ここへは存在しない羽虫を厭うかのように頼劾が手を払う。

 骨の扱いについて色色と話したかったらしい左椋もそれには、む、と口を噤んだ。

 この場に存在する人間の中で普段一等なのは頼劾であろうけれども、機嫌を損ねたときに一等恐ろしいのも頼劾だ。

 それこそまともであるのだから、頼劾とてなるたけ抑えはするけれども。


「とにかくだよ、何らかの処理をしてから、もしくは処理をしていなくとも別の場所でもって白骨となったそれを、ご丁寧に現場へになるように並べたのだろう。頭蓋骨とうがいこつは未だそこにあるか移したか、ああ、はたまた犯人が大事に抱えているっていうのも有り得るかも分からないねぇ。目的となると特別思い入れがあって手放したくないだとか、蒐集だとか……まぁ多くは身元を隠すか、そこまでいかないにしても、捜査を遅らせるなんてことになるのだろうけれど」


 頭蓋骨の所在については置いておくとして、それはそうなるだろうと、頼劾が頷いた。

 一瞬だけ自らの双子の兄へ尊敬の眼差しを向けた右楠はしかし、すぐに視線を外し解剖台を挟んだ亘乎へと向き直った。

 彼女は未だ、亘乎の指をお八つにすることを諦めていないらしい。


 大人しくしているようでその実、皆が好き勝手な反応を見せる中、左椋の目が、にんまりと細められた。

 彼の中にあるのは、この場にある生きた人間への興味ではない。

 あからさまに伝わってくるさもさも愉快であるという感情は、今回に限っては殊更頼劾の眉間の皺を深めた。


「しかしだ、ライコウ殿。これは普通の事件じゃあない。やんごとなきお歴歴のお面遊びが、また始まったのかも分からないワケだね」


 じいと、蛍光灯が鳴く。


 皆の眼は自然と、横たわる白骨遺体に注がれていた。

 あるはずの頭蓋骨がなく、そこにあったのは若い女の面。

 解剖台の脇に置いてある箱の中、その面は封じられている。


「全く本当に口惜しいことだよこれは。そうは思わないかい、なぁ、我が愛しの愚妹よ」

「分かる分かる、分かるよぉにぃにぃ様ぁ。ゆなちゃんもとっても残念だなぁって思っていたところ」


 急に頷きだす双子を、三対の眼が眺めた。

 何を口惜しく思っているのかは、二人にしか分からない。

 ただじっと答えを待っていれば、緑の双子は揃って首を傾けた。


「どうして僕らが当時の検死官じゃなかったのだろう」

「だってだってぇ、仕方がないよぉにぃにぃ様ぁ。ゆなちゃん達は、その頃はまだまだまだまだちみっこだったんだよぉ」

「確かに幼児ではあったけれどだよ、我が愛しの愚妹」

「そもそもだよぉにぃにぃ様ぁ、ゆなちゃん達は、十歳くらいより前の記憶とはすっかりさっぱりさようならしちゃってますですよぉ」

「ああそうだ、そうだとも我が愛しの愚妹。記憶も定かでないような幼児であった僕らが検死官であることなど、幾らこの僕といえどもいささか難しい。何せ実力はあれど、この解剖台へ背が届かないのだからね。ああなんて口惜しい」


 また始まったと、うんざりと呟いたのは頼劾であったけれども、亘乎もさして変わりないことを思っていた。

 まったくこの二人揃ったときの癖は、いつまで経っても治らない。


 話は進まないけれども、やはり対処法はひとつしかない。

 先程実践したそれ――気の済むまで喋らせることだけだった。


「お面遊びの被害者達は様様なものに変じたと聞いているよ」

「詛いでしょぉ。お面の詛いだってゆなちゃん報告書で見ましたですよぉ」

「外見が変じて、ではは。変質はどの程度起きていたのだろうね。被害者の知識で変じたのだろうか、それとも面打ち師、いやいや、やんごとなきお歴歴の期待も加わっているかも分からないねぇ」

「つまりつまり、色んな思いの交錯ぅ、みたいなことでぇ。もっと美味しい詛い、いっぱいいっぱいいぃっぱぁいあっただろうなぁ」

「全く興味が尽きないねぇ、本当に、これだから辞められないよこの仕事は、アハハ」


 楽しげな双子の声は死のにおいが漂う冷ややかな部屋の中、騒がしく反射した。

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