第九話
亘乎と矢途がじっと黙り込んでもクローゼットでは相変わらず物音がしている。
頼劾とて二人の会話は聞こえていたのだけれども、それについて口出しをする心積もりなどは毛頭なかった。
適材適所だ。
自分に人の心の細かな部分を読み解く才能がない事を、頼劾はよくよく理解していた。
飾り棚の中へはあまり手を付ける気がない。
気味が悪いだとかそんな事を考えている訳ではなく、単に情報源には然程なり得ないだろうと判断したからだ。
しかし、この大量に貼られた写真ならば室内でなく野外で撮った物も多い。
先程リビングをある程度見て回った限りでは女の一人暮らしである事は間違い無さそうであったし、つまり、少年の住まいはこことは別にあると思われる。
写真の中の風景が、その住所の特定に繋がるかも分からない。
乱雑に貼られている写真の中から屋外で撮られた物を選び出して行く。
室内であっても、背景に窓があって外が窺えそうな物も剥がして脇に置いた。
「おい、手伝え」
「っ、はい」
会話が無くなって暫く、もう良いだろうと――写真の数も、二人の感傷も――立ち上がった頼劾は、ライティングデスクに手に持った写真を放るようにして置いた。
矢途は肩を跳ねさせ、亘乎は何を言うでもなく片手で目頭を揉んでから写真を眺め始める。
写真を捲る音だけが部屋に嫌に響いている。
もしかするとこうして潔生も少年の姿を眺めていたのだろうかと思ってみても、誰もそれを口にはしなかった。
何をどうしていたかなどと言う想像は、今は余計な詮索でしかない。
重ね持った少し厚めの紙は、大抵が長方形だけれども時折、正四角形に近い比率のものもあった。
矢途がその角を親指でなぞる。
「これは……規格サイズではないようですが、切り取ったのでしょうか」
「恐らくな。少年以外に余計なものが写っていたんだろう」
視線をわずかだけ上げた亘乎は口を開く事はなく、代わりに答えたのは頼劾だった。
むっつりと口角を下げてから低く、鹿爪らしく呟く。
その手にもおかしな比率の写真があった。
「余計な……」
噛み締めた乾いた唇の皮膚が裂けて、赤が滲む。
矢途が何を思っているのかわざわざ口に出して詮索はせずとも、頭の中で色々と考察しながら亘乎は写真を捲った。
これがもし詛いを買いに来た場面だったなら話し始めるきっかけ程度は作ったかも分からないけれども、どちらにせよ亘乎から自主的に深く立ち入る心積もりなどはない。
それに今は少年の住まいや、そこから見えてくるだろう依頼人の女について調べる事が最優先なのだから。
写真の中、窓の外にはたくさんの木が生えている。
反射的に孝重宅の庭を思い出したけれども、あの場所には確か松が多かったようだと亘乎は思い返した。
写真には松らしき影はない。
さして植物には詳しくないけれどもともかくも、違う場所であろうと言う印象を受けた。
残念ながら、後は特に何も参考になりそうなものはないらしい。
亘乎は写真を薄い硝子か何かで出来た物であるかのようにそっと置くと、二人がじっくり写真を観察しているのを後目にまた日記帳を開いた。
何気なく開いたページから、
言葉は色となり、音となり、存在を伝えようとする。
けれどもそれは、しっかりとした形を成す前に空気中に霧散した。
腹が、腹の古傷が疼く。
「おい」
「何か分かったら連絡を」
立ち上がった亘乎へいち早く気付き声を掛けたのは頼劾だった。
けれどもひらりと手に持った分厚い日記帳を振れば、得心したとばかりに頷く。
ひとり状況から取り残された矢途は目を白黒させて二人を見たけれども、説明はない。
指示もないのだから、矢途の仕事は写真に手掛かりを探す事から変わりはしなかった。
潔生の部屋から離れて大通りに出ると、そこでタクシーを捕まえる。
運転手へ告げる行き先は、イタルヤにある横丁だ。
住宅兼仕事場であるあの家屋の住所を告げないのは秘密にしたいだとかそんな大層な理由がある訳ではなく、細かい番地を言ったところで通じない事と、そもあの家には車両では辿り着けないからと言う事実からだった。
手元の日記帳ではなく、亘乎は外を眺める。
とある過激派によって引き起こされた一連のテロ事件から始まったと言う第三次世界大戦は、凡そ百年の間続きその当時『新百年戦争』と呼ばれた――らしい。
その戦争終結後も疲弊した国家人民に付け入る形でテロや革命が起き、世界の人口の五分の一程が減ったと言われている。
何故こうも伝聞調であるかと言えば、それらが幾つもの核爆弾によって無理やり終息させられ、その結果第三次世界大戦により元々減っていた人口は更に半分以下になり、技術は崩壊し、資料の類なども多くが失われたからだ。
――そこまでが、前史。
生き残った者達は手に手を取って、とはさすがに行かなかったけれども、まずは生きる事を最優先とした。
そも、物資も何も尽きこの星の至る所が核に冒されたのだ、戦争を続ける事が出来なかったとも言えるだろう。
ともかくも再び国は起き、人は新しい歴史を作り始めた。
失われないよう、少ない物資を遣り繰りして残された文化は今でも受け継がれている。
――そして、私達はやり直す事にした。先人達が歩んできた歴史を、今度は失敗しないよう、手のひらの中で柔らかく温めて行こうと決めた。決めた、はずだ。
この国で詛いの力を持つ者達が多く生まれ始めたのはそれよりも後の事だと言われているけれども、それもあまりはっきりとはしていない。
ただ旧日本国――今は正式な国名が有らず国民は
外つ国にも極稀にではあれ力を持つ者がいる事を鑑みれば実際のところは分からないけれども、その後情勢が安定して来た頃に新たに起こった侵略戦争では、外つ国から内つ国とその民を守る最大の武器にして防具となったのだから、持つべくして持ったのだと考える者が多い。
――その後も戦争は続いている。人間とは学習しない生き物だと、つくづく思う。
今は数年前の小競り合いが一応の終結を見せた為に表面上の平静が保たれている状態だ。
せっかく静かな時期だと言うのに、人は相も変わらず人を殺す。
そして自分はその為の凶器を作っている。
日記帳の表面を指先でなぞれば、紙の感触が伝わってくる。
それ以上何か得る物がある訳でもなく、亘乎は手のひらを載せて目を閉じた。
横丁の端に止まったタクシーを降りて中程まで進み、店の裏口へ繋がっていそうな暗がりを進む。
あちらこちらへ折れ曲がる狭い道を進んで見付かる扉を進んで、漸く我が家へと辿り着いた。
兵児帯はない。
亘乎が門を潜るよりも早く玄関の引き戸が開くと、そこから白い少女が顔を覗かせた。
「おかえりなさい、センヤ」
「ああ、今帰った、
白い少女がきゅう、と目を細める。
これが彼女にとっての微笑みだと亘乎が気付いたのは、ほんの一年ほど前の事だ。
左椋や左椋の妹などには『センセイの無表情がすっかり移っちゃって可哀想に』とさんざ嘆かれもしたけれども、当の白い少女は不思議そうに首を傾げて――因みにそれも無表情だった――いたし、亘乎は亘乎で左椋達のようにのべつまくなし喋ったり笑ったりする姿は少女に似合わないと思ったから、気にする事はなかった。
もし、大きく笑いたいと本人が望んでそうするのなら、その時は止めはしないけれども。
「センヤ、ごはん」
「ああ、まだだったか。先に食べるよう言ったろう」
「いや」
白い少女が――詞葉が首を振る。
こうやって亘乎の言う事に意思表示をするようになったのも最近の事だ。
このまま健やかに、人間らしさを取り戻して行けば良い――そう思いながら、結局そうさせてやれない現状に亘乎は片方の口角を一瞬だけ持ち上げた。
この先詞葉がもっと人間らしくなって行って、亘乎の言う事だけが全て正しい訳ではないのだと気付いた時、こうするより仕方のない事だったと言って納得するだろうか。
そんな事を考えながら、亘乎は自分の胸元辺りまでしかない詞葉の頭に手を乗せた。
眠たげに開かれた目が不思議そうに瞬く。
「少し遅くなったが、昼食にしようか。それが終わったら仕事だ」
「シゴト、シューニャのシゴト」
「ああ」
頷いて家の中へ戻っていく詞葉を見送って、亘乎は短く息を吐く。
まだ高い位置にある太陽に目を眇めて、そして首を振った。
――仕方のない事なのだ。
狡い言葉だと思いながら我が家へと踏み出した。
詞葉が腹を空かせているのだから、早く行ってやらなければならない。
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