22 破滅への道

「……おい、ひねり」

 スフィーの声にまぶたを開ける。

 ……どうやら夜は乗りきったようだ。

 あんな夜、今日で最後になればいいんだけど……。

 まあともあれ、なんとか少しは眠れたようだ。私は自分で思っているより図太いのかもしれない。

「――静かに着替えて部屋から出ろ」

 ベッドから下りて上を見ると、愛子はまだ眠っているようだ。

 私は音を立てないように制服に着替えた。そこでふと時計を見る。

 六時半を過ぎたところ……って、まだ早すぎる。

 私は部屋を出るとスフィーに抗議した。

「なんでこんなに早く起こすの?」

「ユイに電話するのだ。一刻も早く調査結果を教えろとな」

 昨日の夜も同じことを言われて愛子に電話してきてもらったが、ユイさんはすでに寝てしまっていた。

「こんな朝早く? いくらなんでも失礼だよ。起きてるかどうかもわからないし」

「あれだけ早く寝たのにまだ寝ておるなら眠りすぎだ。今は非常時なのだ、叩き起こせ」

 ……まったく、ユイさんも災難だ。

 私は忍び足で一階にある電話の前まで来た。あたりの様子を窺うが誰もいない。それを確認して急いで十円玉を投入する。

 ダイヤルを回して六、七回コールが鳴ると、ハキハキとした女性の声で返事がきた。

 ――よかった、もう起きてたみたいだ。

 私は周囲を気にしながら小さな声で名乗ると、まずこんな時間にかけたことを謝った。

 相手はどうやらお母さんらしい。が、さいわい気にした様子はなかった。

「あの、じつはユイさんに急用で――」

「あら、唯ならもう学園に行ったわよ。確か六時前には出たかしら」

 ――え、そんなに早く?

「なんでも資料室で調べものがあるって。あの子も立派なジャーナリストになりつつあるのかしらね」

 うれしそうに笑う。そういえばユイさんのご両親もジャーナリストだった。

「そうですか――ありがとうございました。朝早くにすみません」

 電話を切る。

「――ユイさん、もう登校したって。たぶん部室か資料室だと思う」

「そうか、では行くぞ」

「あ、ちょっと待って」

 私は電話の横にあったメモ用紙に愛子へのメッセージを書いた。それを置きに行ってから、こっそりと寮を抜け出す。

「……まだ誰も来てないね」

 早朝の学園に生徒の姿はなかった。部活の朝練も禁止されたままなんだから当然か。

 校舎に入ると、まっすぐ部室を目指した。人がいないので、スフィーも一緒に連れて行く。

 部室の扉はあっさりと開いた。

「あ、鍵が開いてる。やっぱりここみたいだね」

 ……だが部室は無人。

 私はそのまま隣の資料室へ入った。ここも鍵は開いている。

「――ユイさん、いる?」

 ……返事はない。

 だが机の上にファイルが開いたままになっていた。やはりもう来ているようだ。

「ユイさん、トイレかな?」

 部屋を見回していると、スフィーが机に飛び乗った。その上にはファイルが置いてある。

 ……無門学園教師一覧。

「これがユイさんの調べもの?」

 なんで今さらこんなものを……。

 開かれていたページに載っていたのは――佐和先生。

 だが当然目新しい事など書かれていない。

 私はファイルを机に戻した。その隣にはユイさんの物らしきカバンが置きっぱなしになっていた。

「――おい、カバンを開けろ」

「ええっ? 勝手にそんなことできないよ。戻ってくるまで待とう」

「そんな悠長なことは言ってられん。調査結果がその中にあるかもしれんのだ」

「そこまであせらなくても、もうすぐ直接聞けるでしょ?」

「嫌な予感がするのだ。……このファイル、思い過ごしならよいが……」

 スフィーの真剣な様子に、仕方なくカバンを開ける。……後でなんて言い訳しようか。

「えっと――確かユイさんが調査中よく書きこんでたノートがあったよね。あれに書いてあるかな?」

 ……あった。中を確かめると、やはりこれが調査ノートのようだ。

 ――と、ノートをめくる手が最新のページで止まった。そこには私が昨日頼んだ調査項目が並んでいた。

 調査結果はもう書きこまれている。私はスフィーにも見えるよう机にノートを広げた。

「最初は――南先輩と五月先輩の財政状況だね」

 まず南先輩の項目を見る。そこには要点だけが簡潔にまとめられていた。

『実家には財産あり。だが本人に金はほとんどなし。仕送りはわずか(親が寮住まいの条件として提示)。浪費家で貯金なし。口座なし。服や学用品は親が買い与える』

 次に五月先輩は――。

『家は貧しい。本人も貯金の余裕はなし。金回りが悪いのは疑う余地なし』

 ……どちらも自由になるお金はほとんどなかったってことか。

「――ねえ、二人の財政状況なんて調べて何の意味があるの?」

「まあこれは参考程度だ。それより次を見てみろ」

 次の項目は、『放課後に最近よく残っていた男』。

 だがその答えは単純明快だった。

『なし』

「……なしだけど」

「その下も見ろ」

 言われてページの一番下に目をやると、落書きのような走り書き。

『南、五月の恋人は……』

「……これってどういうこと?」

「……まずいな。裏の男の正体に思い当たったのかもしれん」

「どうしてそれがまずいの?」

「あやつは、裏の男がすべての黒幕とまではわかっておらんはずだ。おそらく危険性をかなり甘く認識しておるだろう。その上まだ確証がなく半信半疑であるがゆえに、軽い気持ちで確かめに行くかもしれん。本人はただ鎌をかけるだけのつもりでも、犯人にしてみればもし直接問いただされたりしたら……」

「え、まさか……」

「危険だ、急いで探すぞ」

 私はスフィーに指示されて、まず呼び出しの放送をかけてもらうため職員室に向かった。

「スフィーはここで待ってて」

 壁際のバケツにカバンを立てかけ、その隙間にスフィーを隠れさせる。

 職員室に入ると、人は少ないのに何だかあわただしい。私はなんだか嫌な予感がした。

 誰かを呼び止めて事情を聞こうとするが、見知らぬ先生には声をかけにくい雰囲気だ。

「――あ、滝先生!」

 そこへ滝先生が通りかかる。険しい表情だ。

「先生、何かあったんですか?」

「ああ。たった今、死体を見つけたって事務員の人が……」

 私は軽いめまいを覚えた。

「――だ、誰の……ですか?」

「まだわからないけど、どうも女生徒らしい。今から確認に――」

「あら……どうかしたんですか?」

 扉を開けて入ってきた佐和先生が、異常な空気を察したのか私達に向けて尋ねた。

 それに答える滝先生。一方私は、それがユイさんではないかとただ震えていた。

「えっ――死体!? 場所はどこですか? 行ってみましょう!」

 滝先生が教えてくれた現場は、前に久栖先輩が裏の男を見失ったあたりだった。

 先生達が職員室を出ようとしたのであわてて呼び止める。

「あ、あの、先生……今朝、来る途中でユイさんを見かけませんでしたか?」

 ささやかな期待をこめた質問。

「いえ、今日は会ってないけど――少なくとも駐車場からここまでの間では見なかったわ」

 滝先生も知らないと言う。

 私は肩を落とした。

 ……行って確かめるのが恐い。

 だが先生達は走って行ってしまった。私も行かないといけない。

 ――あ、そうだ、スフィーにも知らせないと……。

 私はひとまずスフィーと合流した。手短に説明を済ませ、現場へと走る。その間ずっと、死体がユイさんでないことを祈りながら。

「――あそこのようだな」

 そこには先生らしき人が何人も集まっていた。

 現場はやはり久栖先輩が裏の男を目撃した、校舎裏の塀に面した所だった。

 だが私は途中で立ち止まってしまう。

 ……足が震えて進めない。

「無理するな、わらわが確かめてくる」

「――ううん、行くよ」

 私はひざを叩いて励まし、先生達の後ろからゆっくりと近付いた。

 スフィーは先にその足元をすり抜けて行く。

 ――そこで死体を見たらしい。振り返らずに言う。

「……ひねり、見るな」

 ――その言葉が答えだった。

 しかし私は足を止めない。わかっている答えを見るため、進み続ける。

 そして人の間を通り抜けた先。

 そこに横たわっていたのは……見慣れた少女。

 それは……やはりユイさんだった。

「……ユイさん……」

 声をかける。

 だがそこにいるのは、あの元気なユイさんではない。

 ……認めたくなかった。たとえはっきりと見てしまっても。

「ユイさん……!」

 私は動かないユイさんにすがりつく。しかしそれでかえって死体であることを思いしらされてしまった。

「嘘……嘘だ……どうして……」

 どうやら首をしめられたらしい。もう体にぬくもりは残っていなかった。

 それでも私はなお、起き上がって冗談だと言って欲しいと願ってしまう。

 ……しかしいくら泣きながら待ってみても、ユイさんはもう動いてはくれなかった。

「私が巻きこんだせいで……ごめんね……ごめんね……」

 とうとう自分の身近な人を死なせてしまった。大切な仲間を。

 結局私には誰も助けられない。ただ見殺しにするしか――。

 ……一体どれだけ涙を流しただろうか。

 警察が到着しても、私はユイさんの死体にすがりついて泣いていた。ユイさんから引きはがされても涙は止まらない。

 私は何も考えられないまま、スフィーに導かれて部室に戻っていた。そして中に入ると同時に、崩れ落ちるように床に座りこんでしまう。

 ――犯人はついに私達にまで手を伸ばしてきた。次は――。

「……まさか、このままみんな殺されていくんじゃ……愛子、いっき、私やスフィーも……」

 泣きながらスフィーにしがみつく。

「――私達、もしかして破滅への道を進んでるのかな? そうと気付きもせずに――」

「そんなことはない。仮にそうだとしても、引き返せばよい」

 スフィーは私のぬれた頬に優しく額を当て、力強く言った。

「わらわが決して破滅へ行き着かせたりなどさせん。案ずるな」

「スフィー……」

 そうだ、私にはスフィーがついている。第一ここで道を変えなければ、また犠牲者が出てしまうのだ。

「大丈夫だ、真相さえ暴けばこの未来は消える。この結果は呪いに汚された、本来存在しないもの……おぬしが打ち勝てば、全て元に戻るのだ」

「……本当に? 正しい未来ではユイさんも死なずに済むの?」

「うむ。そこでは事件など起こらぬし、誰も殺されたりせぬ。おぬしがいつも送っていた平穏な――あるべき日常だ」

 平穏な日常……それはもう忘れてしまうくらい遠い事のように思われた。

「――でも、万が一解決できなかったら……どうなるの?」

「今の忌むべき現状……そしておそらくもっと恐ろしい行く末が『正しい未来』として確定してしまうだろう」

 脳裏に、変わり果てたユイさんの姿が浮かぶ。あれが事実として確定してしまう……。

「そんなことさせない……」

 阻止する以外に道はない。他の道など存在させはしない。

「そうだ。絶対に勝つぞ、ひねり」

 私は迷いを捨ててうなずいた。何としてもその道を進みきってみせる。

「……スフィー、犯人は誰なの?」

 今度こそはっきり聞かせてもらう。ユイさんを殺した犯人を絶対に許さない。早く決着をつけなければ。

「――実は先程まで、もう教えようと思っておったのだが……」

「じゃあ――」

「……今は言うことができなくなった」

「どうして!?」

「おぬし、今犯人を聞いたらどうする?」

「そりゃあ――」

 ……。

「そう、今わらわが教えたら、ただちにそいつの所に行ってしまうだろう。そうなれば全てぶち壊しだ」

「だって、ユイさんを殺した犯人なんて許せないよ! 何もしないでいるなんてできない!」

「だからこそ言えんのだ。このままではおぬしは、証拠が出ぬうちに暴走してしまう」

 ……確かに聞いてしまったら自分を止めることなどできないだろう。

「でも、警戒しておくために名前ぐらいは――」

「だめだ。それはわらわが気をつける。もし犯人が危険な接近の仕方をしてくるようなら教えよう。だがそうでない限り、万が一にもまだ事を構えてはならんのだ」

「だけど――」

「ひねり、目的を忘れるな。証拠も含めて、全てがはっきりした上で犯人に突きつけねば意味がない。そう焦らずとも、その時はすぐに来る」

「証拠っていつ出るの? これからまだ何か起こるってこと?」

「いや、証拠自体はもう出ておる。後は知るだけでよい」

「え、これから新しい動きがあるんじゃないの?」

「新たなピースなど不要だ。もう必要なピースはすべてそろっておるのだからな。後は最後の一つをはめこむのみ」

 ……スフィーは本当に全部わかっているのだろうか?

「そのピースって――何?」

「ユイに調べさせた情報だ」

 えっ、あれだけですべての謎が解けるってこと?

「じゃあ最後の証拠って……」

「そう、死亡推定時刻だ」

「どうしてそれが決め手になるの?」

「すぐにわかる。そんなことより、ユイなき今、どうやってそれを知るかが問題だ」

「それは――私にまかせて」

「ユイの親に確かめてもらうか?」

「ううん、こっちでなんとかするよ。この上ユイさんのご両親まで巻きこんで、もしもの事があったらユイさんに申し訳が立たないから」

「どうするのだ?」

「……お父さんに頼んでみる」

 私はもう止まっていた涙をぬぐうと、決意をこめて立ち上がった。

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