17 ただれた関係

 学園の裏門近くに来ると、一台の車が私達の横に停まった。

「――あれ、日根野くん、学校に戻るのかい?」

 車の窓を開けて話しかけてきたのは滝先生。

「あ、はい。先生は今お帰りですか?」

「ああ、たまってた仕事がやっと片付いてね。ここのところ残業さえ思うようにできなかったから苦労したよ」

 確かに、事件が起こって以来ずいぶんゴタゴタしたし、先生方も大変だっただろう。

 私はいっきと愛子の自己紹介が終わるのを待って、先生に訊ねた。

「あの、佐和先生はもうお帰りになりましたか?」

 さすがに先生に対して二人の関係を露骨に聞くのはためらわれた。

「まだ残ってたよ。さっき例の校舎の方へ行くのを見かけたけど……」

「えっ、例のって……五月先輩が消えた校舎ですか?」

「そうだよ」

「何の用事でですか? 鍵当番は二日続けてやらなかったはずですよね」

「さあ……あんな事があった後だし、見回りじゃないかな」

「そうですか……ありがとうございました」

 釈然としないものを感じながら、先生の車を見送る。

「なんだかあやしいねー、これはぜひ行ってみないとね」

「うん、そうだね。行ってみよう」

 学園内はひっそりとして、もう人気がなかった。

 が、私達が奥へ進むと、遠くに帰り際らしき男子生徒が一人見えた。

 あれは……シゲ先輩?

 私は確認しようと走り寄る。――やっぱりシゲ先輩だ。

「……ああ、日根野さん。まだ残ってたんだ」

「そういう先輩こそ、今までずっと学校にいたんですか?」

「うん、まあ……」

 気まずそうに口ごもる。

 私はとりあえず後ろからやってきた愛子といっきを紹介した。

「――ごめん、みんなは先に行ってて」

 二人を例の校舎に向かわせ、私とスフィーはここに残る。

「――な、なに?」

 私が向き直ると、明らかに動揺するシゲ先輩。

「一体何をしてたんですか? もうやましい事はしちゃいけませんよ」

 先輩に詰め寄る。

「べ、別にやましい事なんて……」

「なら、どうしておどおどするんですか」

「……おぬしが恐いからに決まっておろう」

「――よけいなこと言わないで!」

「わっ――わかった、本当の事を言うよ」

 あ……しまった。スフィーの声は私にしか聞こえないんだった。

「実はついさっきまで、教室でノリと話してたんだ。何も悪い事はしてないよ」

「こんなに長く、二人だけで?」

「ノリの時間つぶしに付きあってたんだ」

「ノリ先輩はどうして時間をつぶしてたんですか?」

「――誰かと会う約束があるみたいだったけど……」

「学園内でですか?」

「まあ……」

「もしかして、佐和先生と?」

 先輩は言葉に詰まったが、表情で肯定した。

「――二人は付きあってるんですね」

 私が断言すると、観念したようにうなずく。

「でも、詳しい事は知らないんだ。そういうのはお互い立ち入らない約束だったし。僕はもう何も隠してないよ。――それじゃ」

「あ、先輩!」

 先輩はそそくさと行ってしまう。

「……逃げるように行っちゃったね」

「『ように』ではなく、実際に逃げたのだろう。――さあ、もう行くぞ」

 私達は急いでいっきと愛子のあとを追った。

 校舎前に到着すると、廊下側の窓にかぶりつくいっきと愛子の姿。

 ……言っちゃ悪いが、どう見ても怪しい。

 いっきは手ぶりで頭を下げるよう指示する。私はかがんだまま近付き、スフィーにも見えるよう抱き上げて窓をのぞいた。

 ……廊下を挟んで、扉の窓ガラスごしに教室内をうかがう。だがこの角度から二人は見えなかった。

 と、突然ガラスの向こうに佐和先生が現れる。私達はあわてて頭を引っこめた。

 扉の開く音。二人ぶんの足音。

「――じゃあね、ノリくん」

「うん、それじゃまた、サワさん」

 足音が少し離れてから、そっと中をのぞく。ノリ先輩は左の出口へ、佐和先生は廊下の右奥へ向かっていた。

「うーん、キスシーンくらいあると思ったんだけどなー。もう終わっちゃってたのかな?」

「私は密かにもっとすごい事を期待したのですが」

 ひそひそ会話するいっきと愛子に、私も小声で言う。

「二人とも、それどころじゃないでしょ! 私はノリ先輩に当たってくるから、もし先生が帰っちゃうようなら引き止めてて。先生にはできれば三人で話を聞こう」

 私はノリ先輩を追いかけ、校舎から出てすぐの場所でつかまえた。

「……どうしたの? 日根野さん」

「先輩、佐和先生と付きあってるそうですね」

 単刀直入に切り出す。

「あちゃー、見てたんだ。学園内ではあまり会わないようにしてたのに……ついてないな。それじゃもう隠してもしょうがないか」

「昨日先輩がこの校舎で佐和先生と話してた時、私の足音を聞いて逃げましたね?」

「あ……ごめん。あの時は帰り際にもう一度サワさんに会いたくなってここに来たんだけど、不審者の件を聞いてオレたちの事を疑われたら困ると思って……」

「先輩は昨日の人影――五月先輩とは無関係なんですか?」

「もちろんだよ。ただサワさんと付きあってるのがバレたらまずいから逃げただけさ。それに痛くもない腹を探られるのも嫌だったし」

「――ひねり、本人にそんなことを訊いても無意味だ。それより人影目撃前後のノリの行動をすべて説明させろ」

 私はスフィーに言われた通り先輩に訊ねる。

「ええっと……サワさんを捜して各校舎をのぞきながらここに来て……向こうの渡り廊下のドアを開けた時、ちょうどサワさんがいたんだ」

 スフィーが質問を挟むかと様子をうかがったが、何も言わずに聴いている。

「で、サワさんに不審者の事と日根野さんが上の階を捜してる事を聞いて――オレがこんな時間まで残ってたら怪しまれるって話してたら、階段から足音が聞こえてきて――」

「逃げたというわけですね」

「うん。ドアから外に飛び出して、この校舎の裏を回って校門へ走ったんだ。外へ出たらあとは家までまっしぐらさ」

「先輩は、人影や誰か不審な人を目撃しませんでしたか?」

「いや、サワさん以外会わなかった。そもそもあの時間は人もいなかったし」

 そこで思い出したように言う。

「――あ、だけどサワさんは人を見たって言ってたな。昨日ここに来る前に」

「え、誰をですか?」

「久栖だよ。ここの向かいの校舎周辺をうろついてたってさ」

「そんな所で何をしてたんですか?」

「さあ……詳しい話はサワさんに訊いてよ」

 ……そういえば佐和先生を追いかけたいっきと愛子はどうしただろう。

「わかりました、今から行ってみます」

「あ、ちょっと待って。オレたちの関係はおおっぴらにしないで欲しいんだ。オレよりもサワさんに迷惑がかかっちゃうから」

「私は二人の関係を言いふらすつもりはありません。ただ事件を調査してるだけですから」

 ノリ先輩に別れを告げ、私は佐和先生を捜しに行く。

「どこへ行ったかな……」

「――ひねり、こっちこっち!」

 遠くでいっきが手招きしている。

「佐和先生は職員室に向かったよ。今愛子が見張ってる」

 私達は職員室に走った。スフィーは外で待たせ、校舎内に駆けこむ。

「――あ、いっき、ひねりさん。佐和先生はこの中です」

 職員室をのぞくと、先生が三人ほど。そのうちの一人が佐和先生だった。

「それでノリ先輩の方はどうでしたか?」

 私は先輩の証言を二人にざっと伝えておいた。

 それから私達は職員室に入り、佐和先生を廊下に連れ出す。

「――どうかしたの?」

 先生の言葉に愛子が答える。

「大事なお話があります。ここでは何ですので、外に出ましょう」

 先生相手に有無を言わせぬ口調。

 私達はそろって校舎の外に出た。スフィーもさりげなく合流する。

 愛子は校舎の陰の人目につかない場所を選んで、話を切り出した。

「実は先程お二方の密会の現場を目撃してしまいまして……今若藤先輩から先生との関係をうかがってきたところです」

「それは……」

 先生は言葉に詰まりうなだれる。

「とは申しましても、私達は事件以外の事に興味はありません。正直にすべてを話していただければ、この件については忘れましょう」

 その言葉を聞いて、先生は観念したように言った。

「……わかった、言うとおりにするわ」

「ただし、後になって嘘や隠し事が発覚したら、先生と若藤先輩の関係を『思い出して』しまうかもしれませんよ」

 ちょっ……先生に対してまで脅迫するの?

「嘘なんてつかないわ。私達は事件には関わってないもの。知ってる事は何でも話すから、この件は秘密にしてちょうだい」

 愛子はうなずき、まず昨日ノリ先輩が逃げた時の事を訊ねた。

 先生の話は、ノリ先輩の証言と一致した。

「――では、事件前から今までの間に、何か気付いた事やおかしな事はありましたか?」

「そうね……私は仕事で放課後よく残ってるんだけど、前は校内で五月さんを、最近は南さんをよく見かけたわね」

 ……それは、やっぱり裏の男とのあいびきのためだろうか。

「ついこの間も、ノリくんが教室に残ってないか覗いてたら、いつの間にか南さんが後ろに立ってたの。私の姿を見て、『先客みたいね』って呟いて行っちゃったけど」

「……ひねり、事件前までで他によく見かけた者はおらんか訊け」

 スフィーの突然の言葉に、私はあわてて先生に訊ねる。

「他には特によく見た人はいないわね。でも事件後なら、あなたたちを除けば久栖くんをよく見るようになったわ。あの事件以来、遅くまでよく見かけるって先生達の間でも噂になってるの」

「そういえばさっきノリ先輩に聞いたんですが、先生は昨日も久栖先輩を見たそうですね」

「ええ。施錠に回ってた時に久栖くんが外を歩いてるのをね」

「それは私が人影を見かけた頃ですか?」

「多分そのくらいだと思うわ。あの校舎であなたと会う直前だったから」

「……あ、ねえねえ、あれノリさんじゃないかな?」

 その言葉に振り向くと、遠くにノリ先輩らしき人影。

「おーい、ノリさーん!」

 いっきが先輩からも見やすい位置まで出て、ぶんぶんと手を振る。

「――こんなとこにいたんだ。職員室にいなかったからどこに行ったのかと思ったよ」

「どうかしたんですか?」

「うん、たった今久栖が駐車場の方に行くのを見たんだ。一応報告した方がいいかと思って」

 久栖先輩があの時近くにいたなら、何か見たかもしれない。

「私、ちょっと行ってくるね」

「わかりました、それでは後で部室で落ち合うことにしましょう」

 私はスフィーと共に駐車場へ走った。

 校舎の角を曲がって駐車場が見える所まで出ると、前方に久栖先輩の後ろ姿が見えた。

 先輩はほとんど車のない駐車場を眺め、ひとりたたずんでいる。

 私は息をととのえながら、ゆっくりと歩み寄った。

「……あの野郎、こっちの方に来たはずなんだが……」

 ぽつりとつぶやく久栖先輩。直後、私の気配を感じたのか、いきなり振り返った。

「なんだ、おまえか……」

「久栖先輩、こんな時間まで何を?」

「前に言っただろ、俺だって真相を知りたいんだ」

 やっぱり、ひとりで調査を続けてたんだ。

「――先輩も捜査に協力してくれるんですか?」

「違う。俺は俺で、梓のために調べてるだけだ。おまえらとは関係ねえ」

 冷たいことを言う。

「それで、何かわかりましたか?」

「だから関係ねえって言ってるだろ。お互い勝手にやるさ」

「先輩、今『あの野郎』って言いましたよね。誰か見かけたんですか?」

 冷たい言葉は無視する私に、先輩は根負けしたように言った。

「……ああ、見たさ。今ってわけじゃねえがな」

 今じゃない? となると……。

「――昨日誰を見たんですか?」

 先輩は答えない。

「五月先輩ですか?」

「ちがう」

「じゃあ、裏の男――南先輩の恋人?」

「……かもしれねえ」

「どこで見かけましたか?」

「五月が消えたっていう校舎の向かいにある校舎の裏だ」

 私が最初に人影を見た校舎か……。

「私が五月先輩を追う前か後か途中かわかりますか?」

 肩をすくめる。

「そもそもどういう状況で目撃したんですか?」

「まず別の場所で何かがちらっと動いたのを見たのがきっかけだ。気のせいかとも思ったんだが、一瞬あいつらしく見えたんで念のため捜してたんだ。で、しばらくしてあの校舎の裏で、走って逃げる男の後ろ姿を見かけて――」

「顔ははっきり見なかったんですか?」

「ああ、だが間違いなくあの野郎だった。あんな全力で走ってくなんざ怪しいから、俺もすぐに追いかけた」

「その人は久栖先輩が追ってくる事は――」

「知らねえ。一度も振り返らなかったし、遠かったんですぐに見失っちまったからな。だがこっちの方へ逃げたのは確かだ。俺はもう一方の道へ行っちまったんだが、そっちにはいなかったし、来たのはこっちだろう」

 あの校舎の裏側は高い塀に面しているので、道は限られている。

「――それで、逃げた男は誰だったんですか?」

「それは言えねえな。俺がひとりで確かめる」

「警察とか先生にも話してないんですか?」

「ああ、誰にもな。まだ話しゃしねえさ。俺があの野郎を直接問いつめるまではな」

「じゃあヒントだけ。私も知ってる人ですか?」

「ああ」

 即答。

 ……私と面識があることを久栖先輩が知ってる人など数えるほどしかいない。

「――ノリ先輩?」

 だったら走っているのは当然だ。逃げ帰る途中なのだから。

「だめだ、これ以上は教えねえ」

「ノリ先輩ならたぶん違う件で逃げてたと思いますよ」

「あとは俺の問題だ。口出しするな」

「――どうしてもひとりで捜査するんですか?」

 うなずく。きっぱりと。

「俺が必ずカタをつけてみせる。今も、あの野郎にとぼけられねえように証拠を捜してた所だ。だがどこにもねえようだし、今から直接会って話をつけてくる」

「だめです!」

 思わず叫ぶ。驚いて一歩下がる久栖先輩。

「――な、なんでだよ」

 もちろん今夜、あの林で何かあるからだ。巻き込まれるのが久栖先輩かもしれない。

「なんででもです。第一ひとりで行くなんて危険じゃないですか」

「――わらわもさっき同じ事を言ったぞ」

 無視。

「そんなことは承知の上だ。むしろ梓に間接的にでも何かしたやつなら、俺の方から殺してやる」

「とにかく今日だけは絶対にだめです! 行くなら私を殺してから行ってください!」

 私の剣幕にひるむ久栖先輩。

「――おい、なにもそこまで……」

「お願いです。どうしても行くなら、せめて明日にしてください……」

 泣きそうになりながら言う。

「……わかったわかった。そこまで言うなら明日にするさ」

 ――よかった。これで殺されるのが久栖先輩なら、呪いを回避できるかもしれない。

「絶対ですよ。嘘ついたら一生呪いますよ」

「……おまえ、こええ奴だな」

「うむ、やはりそれがひねりの正体だな」

「……うるさいわね」

 先輩に聞こえないようつぶやいたつもりだったが、しっかり聞こえてしまったらしい。

「おいおい、おとなしそうな顔してなかなか言うねえ」

「ち、違います! 今のは――」

 だが先輩は聞く耳を持ってくれず、適当なあいづちをうって退散してしまう。

 ……なんだかスフィーといると、私のイメージがどんどん崩れていくような……。

「……だけど、久栖先輩大丈夫かな」

「あやつが犯人側の人間でないなら、真実に近付きすぎるのは危険かもしれんな」

「まさか今夜、林に行ったりしないよね」

「普通ならわざわざ深夜に行くとも思えんが……あまり深入りすれば呪いの餌食になりかねんな」

「やっぱり被害者になる危険があるかな?」

「あるいは加害者かもしれんぞ」

 そうか……その可能性だってあるのか。

「でも今日は会わないって言ってくれたし、危険は減ったよね」

「だといいがな。しかしこの程度で避けられる歪みなら、始めからスフィンクスの涙も反応すまい」

「そうか……そうだよね」

 私はどうも平和ボケが抜けないようだ。こんなことではいけない。

「甘い考えは捨てなきゃね。自分が被害者にならないためにも」

「あるいは加害者かもしれんぞ」

 ……さすがにその可能性はない。

「私は人を殺したりなんてしないよ」

「わからんぞ。最近おぬしは本性をあらわしつつあるからな」

 そうなった元凶がぬけぬけと言う。

「その場合、被害者はスフィーかもね」

 私は右手でスフィーの背中をつまみあげ、左手を優しく喉に回す。

「――じ、冗談だ。心優しいひねりがそんなことをするはずがなかろう」

 ……しらじらしい。

 私はスフィーを地面に下ろした。

「だけど久栖先輩が見た男の人って誰だったのかな? もしノリ先輩でないなら、かなり怪しいよね。あのタイミングと場所で全力疾走してるなんて」

「うむ、不審極まりないな。今後の動きにも気を付けねばいかんな」

「でも誰かわからないんじゃ、気を付けようがないよ」

「誰かなど大体わかるではないか」

「えっ……誰?」

「消去法で考えろ。おのずと答えは出る」

「うーん……」

 考えたけどおのずと答えは出ない。

「その答えが出れば、さらにそこから重大な事実がわかる」

 だからその答えが出ないんだって。

「ただし、久栖の話が正しい事が前提だが」

 私をおいてきぼりで話を進めるスフィー。

 ……でも、どうせ聞いたって教えてくれないだろう。

「……今夜死ぬのはもしかして……」

「え、誰だかわかるの?」

 反射的に尋ねてしまう。

「いや、これは単なる憶測だ。まだ話す段階ではない」

 ……結局私に推理できたのは、スフィーが何も教えてくれないということだけだった。

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