10 ブラックボックスの中

「……ならば、確かめてみるか」

「え? どうやって?」

「おぬしの目でだ」

「……できるならとっくにやってるよ」

 まだ私をからかうつもりなのか。

「できるぞ。わらわの力、『過去視』を使えばな」

「過去視?」

 もしかして、それが前に言ってた能力というやつだろうか。

「かなり力を消耗するゆえ、一度使ってしまうとしばらく使えんがな。おぬしがそれほど悩むなら、ここで使ってもよかろう」

「それって、過去ならどんな場所や時間でも見られるってこと?」

「そういうわけではない。呪いや依代の影響範囲内にかぎる」

「じゃあ、体育倉庫であった事なら見られるんだ」

「おそらくな。ただ、呪いによる妨害で多少場所や時間がずれる可能性がある。核心に近いほど、呪いの影響が強いからな」

「……本当にちゃんと見られるの?」

「わらわとて偉大な力を持つスフィンクスだぞ。そうそう呪いの力に負けはせん」

 ……正直不安だ。

「まあ百聞は一見に如かずだ。そこに寝ろ」

 半信半疑ながらもベッドに横になる。するとスフィーも上がってきて、私の顔の隣に座った。

「――では、目をつぶれ」

 言われるままに目をつぶる。すると、おでこに肉球らしき感触。――ふにふにして気持ちいい。

 ……どれくらいそうしていただろうか。だんだん意識が沈み、眠いような、眠っているような感覚に襲われる。徐々に意識が闇に落ちる――。

 ……やがて、まぶたの向こうで何かが光ったような気がした。だがそれが夢か現実かはっきりしない。

「――言い忘れたが、視点は動かせぬからな。持続時間は呪いの強さしだいだが、そう長くない。しっかり観察してくるのだぞ――」

 私はそれを、夢の中の言葉のように聞いていた……。

「……?」

 ……ゆっくりと意識が覚醒する。一瞬、寝起きと錯覚した。

 だが眼前に広がるのは私の部屋ではない。そこは体育倉庫の片隅――私は壁ととび箱の間に立っているようだ。

 私は首を回そうとしたが、ぴくりとも動かない。

 一瞬あせったが、すぐに過去視であることを思い出す。

 そっか……体があるわけじゃないんだ。

 つぶやいたつもりだったが、声は出ない。

 ちょうど全体が見渡せる位置だったので、冷静に中を観察する。

 そこでまっさきに気付いたのは、窓の近くで外を眺める眼鏡の少女――五月先輩がいる事だった。私は視界の中に南先輩の死体がないかあわてて探す。

 ――どうやらまだないようだ。物陰に隠れている者もいない。

 その時、開いていた扉から探していた人物が姿をあらわした。もちろん生きている。

「……待たせたわね」

 中に入り、扉を閉める南先輩――うん、南先輩に間違いない。写真で見た限りだが。

「呼びつけてごめんなさい。大事な話があって――」

 そう言ったのは五月先輩。

 ――って、もしかして五月先輩の方から呼び出したの?

 驚きが収まる間もなく、南先輩が答える。

「わかってるわ、彼の事ね」

 五月先輩はうなずく。

「――梓、お願いだから返してちょうだい」

「返す? どうして返す必要があるの?」

「だって、もともと私が先に――」

「後先なんて関係ないわ。彼は私を選んだんだから。つまり、より愛してる方とつきあった――それだけの事よ」

 五月先輩の目に憎悪の炎がともる。

「……選んだ? 愛してる? なに言ってるの!? ただ寝取っただけじゃない!」

「なんですって!? あなたに魅力がないから捨てられただけでしょ! 他人のせいにしないで!」

「あなたのせいよ! それまでは全部うまくいってたのに!」

「うまくいってたって、そんなの過去の話じゃない! 今のあなたは無関係な他人なんだから、もう私達の事に口出ししないで!」

 その言葉に、五月先輩は鼻白む。次の瞬間、その顔から表情が消えた。

「……無関係じゃないわ」

 妙に冷めた調子で言う。

「――私、妊娠してるの」

 ええっ!? ににに、妊娠?

「……知ってるわ。あなたそう言って、よりを戻そうとしたそうね。子供をおろすかわりに、って」

「……聞いてたんだ」

「それで私にも別れろって?」

「……お願い」

「ふざけないで! あなた、私達を脅迫する気?」

「違うわ! 私はただ――」

「じゃあ、別れないって言ったらどうするつもり? 学園中に言いふらすんでしょ? それともまさか産むつもり?」

 うつむいて黙りこむ五月先輩。

「――やっぱり! そんなことさせないわ!」

 南先輩はいきなり五月先輩に飛びかかった。

「あなたなんかに、私達の関係をめちゃくちゃにされてたまるもんですか!」

「っ! 梓、やめ……っ!」

 そのまま押し倒して馬乗りになり、首をしめる。

 私は止めようとしたが、声を出すことさえできない。

 体重をかけ、全力で首をしめる南先輩。

 その時、必死に抵抗する五月先輩の手が、床に転がったレンガにあたった。泳ぐ手でそれをつかむ。

 あ、だめ――!

 私は、目を閉じられない事を呪った。

「……!」

 死に物狂いで振るったレンガが、南先輩の頭に命中する。

 体の上から崩れ落ちる南先輩。

 ――嵐のようだった室内が、一瞬にして静まり返る。空気が凍りつく。

 五月先輩の荒い息だけが、時間が止まっていない事を証明していた。

 やがて、五月先輩がのろのろと上体を起こした。

「梓……?」

 左手で肩をゆする。右手のレンガを放すのも忘れて。

「――梓っ! 嘘でしょ!? ねえ!?」

 見ているほうがつらいほど取り乱す。

「あ……あ……」

 死んでいるのを悟り、おびえた様子で立ち上がる。

 先輩は扉に駆け寄り左手で突き飛ばすように開け、外に飛び出した。

 それを呆然と見送る私。……混乱して、うまく頭が回らない。

 ……えっと……たしか、このあとに私と会って……。

「……あれ――?」

 視界がぼやけた。

 意識が遠くなる。まるで猛烈な眠気に襲われたような――。

 ――そこで思考は途切れた。そして視界が暗転――。

 ……?

「……ひ……」

 ……誰かの声。

 いつのまにか、ぼんやりと意識が戻っているのに気付く。

「……ひねり……」

 ……誰かが呼んでいる。

 お母さん?

 私は応えようとするが声が出ない。目も開かない。

 ――待って!

 私は力をこめる。そこでようやく目が開き――見えたものは部屋の天井。

「……どうだ、見てきたか?」

 隣にいたスフィーが、観光帰りにでも尋ねるような調子で言った。

「……あ、過去視、終わっちゃったんだ……」

 私は起き上がって、見てきた事を説明した。

「肝心の、死体を運ぶ場面は見られなかったけど……」

「そうか……わずかに時間がズレてしまったようだな」

「何かわかったことはある?」

「ないこともないな。だが多少推理のしぼりこみができたにすぎん。現段階ではな」

「何がどうしぼりこめたの?」

「……一から十まで説明させるな。おぬしも推理してみろ」

 わかってるなら教えてくれてもいいのに……。

「心配せずとも、まだ解くのに必要な情報や手がかりはそろっておらん。今はピースを集めることに専念しろ」

 結局その後何度聞いても、スフィーは何も教えてくれなかった。

 ……ケチ。

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