9 容疑者の容疑者
家に帰ると、私はスフィーにこれまでの事を話した。
「――わかった、ご苦労」
あっさり言う。こっちは実際苦労したのに。
「『わかった』っていうけど、何がわかったの?」
つい食ってかかる。
「おぬしには何もわからぬのか?」
「何もわからないよ。調べれば調べるほど、ますますわからなくなってくるし」
「それは調べるだけで考えておらぬからだ。ちゃんと考えておるなら、調べれば調べるほどますますわかってくるものだぞ」
「今の時点でわかることなんてある? 疑問ばっかりで、わかったことなんか――」
「あるぞ。例えば体育倉庫の件は、あらかじめ決められていた殺害計画だったとかな」
「えっ……どうしてそんなことわかるの?」
「呼び出しの手紙だ。ノリが五月と無関係なら、どんな用事であれ朝早く体育倉庫に呼びつけるなどおかしいからな」
「それがどうして計画的殺人につながるの?」
「つまりわざわざ無関係の者を呼び出した理由だ。それもちょうど五月と南の『会見』が終わった頃にな」
……そういえば人目を忍ぶため早朝の体育倉庫を選んだのに、人を呼ぶのはおかしい。しかも犯行時刻の後に。
「考えられるのは、都合のいい事実を目撃させる等のトリックに利用することだが、今回の状況やずらした時間を考えるとおそらく違うだろう。人が来ること自体に利益がないのであれば、手紙まで出し、全てが終わった時間に第三者を呼びつける合理的な理由など、なすりつけぐらいしかない」
「それって、ノリ先輩を殺人犯に仕立てあげるってこと?」
「他に奴を呼び出すメリットが見つからねば、その可能性が高い。だが色々と誤算があって、うまくいかなかったのだろう」
誤算って、もしかして私が来たから?
「確実なのは、手紙を書いた者はその朝二人が会う約束なのを知っており、かつそこで犯行があるのを知っておったということだ」
ここまでピンポイントに時間と場所を設定している以上、間違いないだろう。
「となれば、当然犯行は計画されていたことになる。だからこそデコイを用意したのだ」
デコイって、おとりの事だっけ。
「――ただしこの推理は、ノリの証言が正しく、かつノリが本当に無関係の人間であるなら、というのが前提だ。だがもしこれが正しいなら、呼び出しの手紙はまず偽物だろうな」
「偽物って……どういう意味?」
「手紙が南の側による偽造ということだ」
「えっ――どうして南先輩が偽造なんてするの?」
「それは体育倉庫で殺害を計画していたのが、おそらく南の側だからだ」
「ええっ!? なんでそうなるの? 死んでたのは南先輩なんだよ?」
「五月の自宅にあった書き置きと矛盾するからだ」
そういえば、南先輩を殺してしまったから罪をつぐなうという内容だった。
「書き置きまでしてあっさり殺したと認め、後悔した旨まで書いておる。相手を計画的に殺害して、なすりつけまで企てた者の文面、行動とは思えん。おぬしに見られて観念したとも考えられるが、だいたいノリを呼び出すのに馬鹿正直に自分の名前を書くはずがない」
「そっか、後ろ暗い目的の手紙なら、他の人の名前を使うもんね」
「五月が本当に手紙を出したと仮定した場合、他意はなく純粋に用事があったとしか考えられん。だがノリと五月が無関係なら、やはり時間も場所もおかしい。動機も無理があるものしかない」
「……もし、愛の告白だったら?」
「それなら他にいくらでも機会はあろう。早朝の体育倉庫などに呼び出せば常識を疑われるだけだ。――それとも女の方から押し倒す気満々か?」
――確かに無理があるか。
「ゆえに、手紙を送ったのは五月以外の者と見てまず間違いない。そうなると待ち合わせの場所と時間を知っており、かつ工作する動機があるのは南の側に属する人間しかない」
そういうことか……。
「もちろん逆に、五月の自宅にあった書き置きの方が偽造、あるいは脅されて書いた可能性もあるがな。そちらはわざわざ説明するほど有力な推理でもなかろう」
「――でも、南先輩が殺そうとしたのに、どうして南先輩が死んでたの?」
「考えられるのは、返り討ちか、五月の方も南を殺そうとした、ということだが――状況から考えれば、まず五月の反撃にあったと見ていいだろう」
そういえば、レンガは体育倉庫に転がっていた物だ。
「まあ主な推理はざっとこんなところだな。他の推理も成り立たんことはないが、無理のあるものや可能性が低いものばかりだ」
スフィー、私と同じ情報からそこまで推理してたんだ……。しかも話を聞いてすぐに。
「しかしこの推理とて確実とは言えんし、まして新事実が判明すれば推理自体まるっきり変わってしまう可能性もある。だがそれでも、現時点で考えられる事はすべて推理しておかねばならん。真実をつかむためにはな」
……私は、安易に『何もわからない』と言ってしまった自分を恥じる。
「ひねり、そう落ちこむな。もちろん考えるのは大事だが、それも集めてきた情報があればこそだ。おぬしはよく調べてきたぞ」
「スフィー……」
思わずスフィーを抱きしめる。いいなでごこちだ。
「――こら、苦しい! 調子にのるな!」
私はしぶしぶスフィーを解放した。
「とにかく今はまだまだ情報が足りぬ。あきらめず粘り強く捜査を続けることだ」
私はうなずく。不安はあるけど、いっきや愛子も協力してくれる。あ、あとユイさんも。
「案ずるな、捜査は着実に進展しておる。容疑者も新たに浮上してきたしな」
「容疑者って……何の容疑者?」
犯人は五月先輩とわかってるのに。
「『何かの容疑者』にきまっておろう」
「『何か』って?」
「正確に言えば、『五月と南の両者、あるいは一方に何かをする動機のあった者』、すなわち『将来容疑者になりうる容疑者』だ」
……なんだかややこしい。
「つまりノリ、シゲ、久栖――そして存在するかは不明だが、南の新しい恋人。これらが新たに浮上した『容疑者の容疑者』だな」
「うん、この人達はもっと調べないとね」
「それから南と五月の男関係を洗え。『
「しぇるしぇろむ?」
「『事件の陰に男あり』ということだ」
男――そういえば、いま名前があがったのは男の人ばかりだ。
「とくに南の新恋人はしっかり捜せ。あと、久栖にも話を聞くのだぞ」
久栖先輩かぁ……どうも行きにくいんだけどな。……まあいつまでも避けて通るわけにもいかないか。
「……ところでスフィー、その人達の容疑って、死体を移動させた容疑だよね?」
「それだけではないが、もちろんそれも含まれておる」
「死体を隠した理由って、まだ特定できない?」
「現段階では憶測しかできんな」
「隠す時間だってそんなになかったよ。そもそも、早朝とはいえ誰にも見つからずに体育倉庫に行って帰ってくるだけでも難しいし、リスクが大きいと思うけど」
「始めから体育倉庫に隠れていたらどうだ? あるいは外にひそんでいたら?」
……それなら死体を運ぶ事も可能かもしれない。
「でもなんでそんなことするの? いくら隠れて行動しても、見つかる可能性はあるのに」
「――むしろ見つからぬようにするために、見つかる危険をおかしてでも隠したのかもしれんぞ」
「どういうこと?」
「死亡推定時刻の隠蔽だ」
「でも死んだ時刻なんて、死体がなくてもだいたいわかるでしょ?」
何しろ私が目撃したんだから。
「おぬしは『南が殺された瞬間』を見たわけではあるまい」
「――それってつまり……南先輩はもっと前に誰かに殺されてたって事?」
「そう仮定すれば、早朝のアリバイに意味がなくなるし、深夜なら犯行もやりやすかろう。容疑者全員にとってな」
「それじゃ、血のついたレンガを持った五月先輩は?」
私の疑問にスフィーは嬉しそうに答える。
「……ほほう、見事な洞察力だな。確かにそこに無理がある」
「ちょっ……からかったの?」
「そうでもないぞ。ただこういう憶測もあるという例にすぎん。逆にそこに説明がつけば、これは有力な推理の一つとなる」
……からかわれたようにしか思えないんだけど。
「憶測でよいなら、まだ他にもあるぞ。たとえば死体が別人だった可能性とかな」
「って、そんなわけないでしょ! からかわないでよ!」
「そうか? 早朝の暗い体育倉庫で、しかも初対面の南を本当に本人と断言できるのか?」
「……いちおう顔は確認したし……」
口ごもる私を、楽しそうに見つめるスフィー。
……やっぱりからかわれてる。
――しかしそう言われてみると、体育倉庫で何があったのか、そもそもどういう事件だったのか、まったくわからない。唯一の目撃者である私でさえ。
……事件は本当にあったのか? そんな馬鹿な考えまで頭をよぎる。
「……スフィー、本当に体育倉庫で事件、あったよね……?」
私はだんだん自分が見た事にさえ自信がなくなってきた。
――だって、私が見たものは全て消えてしまったのだから――。
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