第15話「手術室、終了後」
十一月の最終週、玲奈は三日間、春日と別のシフトだった。
気にしていなかった。
気にしていないことに、している。
自分でも、どちらかわからなかった。
四日目の朝、手術室の準備室に入ると、春日がいた。
それだけで、肩の力が抜けた。
——おかしい。
玲奈は白衣を整えて、いつも通りの顔を作った。
その日のオペは二件。
一件目は順調だった。
春日はいつも通りだった。 言葉より先に器具がある。 視野が曇る前にガーゼがある。
二件目が終わった頃、時計は夜の七時を回っていた。
スタッフが片付けを終えて、一人また一人と出ていった。
最後に残ったのは、また二人だった。
春日が最後の器具をトレーに並べていた。
玲奈はガウンを脱ぎながら、 その背中を見ていた。
三日間、いなかった。
それだけで、何かが足りなかった。
手術室が。
廊下が。
病院全体が。
——春日くんがいないと、狭い。
そんなことを思った自分に、玲奈は静かに驚いた。
春日が振り返った。
「先生、お疲れ様でした」
「……春日くん」
呼んでから、次の言葉が出なかった。
春日は動かなかった。
待っていた。
玲奈は俯いた。
十二年間、距離を置いてきた。
傷つくのが嫌だった。 期待するのが怖かった。
でもこの三日間、何度も思った。
オペ中に春日の手を探した。
廊下で春日の背中を探した。
夜、眠れなくて、春日の「怖くなくなってきました」という言葉を思い出した。
——もう、遅い。
とっくに、遅かった。
「春日くん」
もう一度、呼んだ。
今度は次の言葉が、来た。
「怒って、ごめん」
手術室に、静かに落ちた。
春日は一秒、間を置いた。
それから、笑った。
怒られるたびにうなじを赤くしていた男が、今日は笑った。
困ったような、でも嬉しそうな、不思議な笑い方だった。
「先生が怒るの、嫌いじゃなかったですよ」
玲奈は春日を見た。
春日は玲奈を見た。
言葉は、もう出なかった。
出す必要も、なかった。
手術室の蛍光灯が、二人の間を静かに照らしていた。
六時間でも息が合う二人が、今は一メートルの距離で止まっていた。
春日が、一歩動いた。
玲奈は、動かなかった。
動かないことが、答えだった。
もう一歩。
春日の手が、玲奈の手に触れた。
メスを握る手に。
十二年間、誰にも触れさせなかった手に。
玲奈は俯いたまま、言った。
「……不器用なんです、私」
「知ってます」と春日は言った。「僕もです」
手術室の外では、一ノ瀬、村上、桜田、田中、中村の五名が廊下に並んでいた。
全員が壁を向いて、正面を見ていた。
誰も何も言わなかった。
一分後、桜田が限界になった。
「——ねえ」
「言わなくていいです」と一ノ瀬が静かに制した。
また沈黙。
中村が小さく息を吐いた。
「よかったねえ」
全員が、静かにうなずいた。
——完——
『オペ室では、別物です』 松本 城二 @macyumee13
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