第4話 寄生

「兄ちゃんが魔法でやっつけてくれるって言ったじゃん!」


 小さい頃の俺は、弟のカグラに嫌われていた。カグラは同級生の男の子を好きになって、同性愛者だからと言って虐めを受けているらしい。小学生のいじめだ、そもそも恋愛のことすらよくわかっていないだろう。カグラの同性愛も、小学生だからだ─程度に思っていたんだ。本気で同性愛者であり、弟自身を恋愛的な目で見ていた…兄の俺ならわかる。


「言った、けど…魔法って人間は使えないんだ…」


 俺は弟が怒る顔を伏し目がちに眺めながら、小さく呟いた。


 それから弟は、俺を避けるようにして成長した。下らないことかもしれないが、助けると約束して助けて貰えなかった。そんな経験は子供にとっては酷くトラウマになるものだろう。特に機能不全家族の俺の家系では…母親を頼れないのだからカグラは俺に頼るしかなかった。そんな俺は最低だ…そう思って、社会人になって少し経った頃、家出した。




「は…?兄さんが事故死した…?」


「うん、近所のおばさんがね…そう言ってた。肌が腐ったみたいに青くなっていたんですって。」


 あのボケていて噂好きのおばさんが、そう言っていたらしい。無言で家出をしてから、全ての連絡先を削除している。あらゆる噂が経っても仕方ないことだが、カグラにとって、また苦しい報告だっただろうに。俺は最初の…一つだけ叶えてくれる悪魔に、〝死なないからだ〟を願ったんだ。外で眠っていた時、きっと間違われたんだろう。


「酷いことをしたね…カグラ。」


 配信画面を眺めていた俺はパソコンをパタリと閉じて、顔を洗いに洗面台まで向かう。鏡に映るのは、青い肌に長いオレンジ髪。切れ長な双眸─そう、人参原カグラの兄だ。


「直ぐに助けてあげよう。もう少し眠ってなさい」


 独り言を鏡に映る自分に対して零せば、先程の配信で特定班が特定した、茄子川という配信者の住所をメモした紙を手に取って外に出る。バスや電車を使って、俺は其処へ向かった。




「うん。しっかりと色が混ざっているね。紫と白…俺には似合わないけど、オマエをヘアバンドみたいに使うことはしないよ。命があるんだ…人間の命が。」


 画面の前に居たヘアバンドの悪魔を両手で持ち上げた。復唱するだけの悪魔ではない。今までの人間を引き継いで、引き継いで─段々と完成系に近付いてきている。


「オマエの魂に…カグラの魂も混ざっているんだね。おいで、小さな魂たち。」


 悪魔を抱きかかえて、俺は外に出た。この悪魔に取り憑かれ死んだ人間がいる事を、世の中の誰も知らない。知る事になるのはそいつの家族だけ。残酷な話だ。


 この悪魔は、成長する。願いを聞いた人間の性格…容姿、悩み…全てを混ぜた〝魂〟に侵食して。弟のカグラは、何でも自分について願いを叶えて貰えた。だが本当なら、あんなに散らかった部屋や毒親のいる家…そういった環境を変えられるなら、そちらを願ったはずだった。


 だからカグラは、悪魔へと完全に侵食された後─自分に関する事だけでなく、環境関連の願いを叶えられる悪魔へと成長したのだ。そういったことが、連鎖していった。自分の事を変えられ、環境を変えられ、他人を動かす力を持つまで成長したのだ。視聴数もチャンネル登録者数も…人間が個人で判断し、動かないと増えることはないから。


 ならば次は、〝世界〟だ。世界を変えられる力を持った悪魔。俺は今それを手にしている。


「これで、カグラの願いを叶えられる」


 俺はそう呟いて、悪魔を握る手に力を込めた。この世はあまりにも弟のカグラにとって不利過ぎる。同性愛なんかに理解もない…かグラが嫌う異性愛者、子を産んだ夫婦で大量に埋め尽くされている。精神が弱い子なのに、働いていないからなんて理由で、外食することさえも出来ない。アイツは、ハンバーガーやら外のラーメンやらが好きなのに。金のないアイツには、食いに行けない。


「でももう大丈夫だよ。俺が今…願いを叶えてあげるから!カグラが生きていて苦しくない、理想の世界へ!!」




 …




「息子さんが死んで、あなたも後追いしたい。それでも、苦しいのが嫌なんて理由で後追いできない。そんな自分が嫌いなんですよね。」


「だからってこんな姿になってしまった息子を大人しく毎日陳列させろっていうんですか?!」


「そう。もし俺の計画が上手く行けば…貴方ももうこんな退屈な仕事なんてしないで済むし、苦しまず死ねるんですよ。」


「そんなこと言ったって…」


 一般的な、100均のレジ。俺はそこに立って店員とこんな話をしている。黒く、顔の描かれたヘアバンド。悪魔。それを店に売って欲しいと。


「息子さんの所、行きたいんですよね?」


「……。」


 店員はうつむいて、小さく1度だけ頷いた。


「じゃあそういうことで…」


 一言添えて手を振り、店員に背を向けようとした時、店員は掠れた声で俺に問いかける。


「あの…もしこの悪魔が、売れなくて捨てられたり…というか、誰にも買われなかったりしたら、成長しないってことですが…世界を変えるなんて無理なんでしょ?今のこの悪魔には。」


「ええ。」


「じゃあ、そうなったらどうするんですか?」


 少しの沈黙の後、微笑んで俺は再び店員に手を振った。


「大丈夫…その悪魔、ある程度引き剥がし、〝引き寄せる〟んで。」


「…?」


 理解する必要なんてない。そう、この店員には〝関係がない〟からだ。



 今俺は最強の悪魔を手にして道路の真ん中に立っている。俺が願い事をすれば、直ぐにでも思いどおりになるだろう。さぁ、今こそその時だ。随分と待たせてしまった─弟の怒る顔が鮮明に思い出せる。


「なぁカグラ…お兄ちゃんはやっと、お前を救える」


 心底幸せそうに俺は笑う。手に持った完成体の悪魔へ一言こう告げた。


「さぁ、悪魔よ!全てはカグラの思い通りになれ!異性愛が存在せず、家の近くへ好物のレストランを!全てタダだ、カグラだけが!カグラだけが自由な世界へ!!」


 そう叫ぶとヘアバンド型の悪魔を空へと投げ上げる。晴れていた空とは思えない程の曇り空へと変化し、空も建物も人間も動物も全てが真っ青になった。これが悪魔による〝侵食〟だ。

 投げられた悪魔はヘアバンドという形を消し去り、空と一体化する。ギザギザとした大きな口が真っ青な空に大きく浮かび上がり、弟にとって不快な建物や人間は全て吸い込んでく。そしてゴクリ、と雷程大きな飲み込む音を鳴らすと俺は大声で笑った。


「ハハハハハハハハ…!!!お兄ちゃんは、お兄ちゃんはついに!魔法を使ったぞ!カグラ、生き返ったかい…?」


 世界を支配できる悪魔はもちろん、死んだ人間さえもを生き返らせた。弟の大好きだった祖母も親戚も、真っ青な姿ではあるが生き返った。今頃実家で目を覚ますだろう。そう、それは弟のカグラも例外ではない。


 全てを見ていた。自分の部屋で何もかもを諦め、悪魔に死を願った弟は─全ての記憶を継いで目覚める。そう、弟を悪く言う者、縛るもの、不愉快や虐めなど何もかもを捨て去った世の中で。真っ青な世界は完全なる輪廻転生そのものだった。俺は直ぐに、実家の方へと帰路を辿った。





 …



「……ン、ンン…」


 オレは重たい身体を起こす。眠たそうに目を擦って窓の方へと歩き、お気に入りのオレンジ色のカーテンを開けた。



「……ッ?!」


 思わず目を見開く。世界は真っ青な絵の具を零したみたいな景色になっていた。覗き込む様に窓に手を置くと、自身の肌が青白いことに気付く。オレは─全て覚えていた。


「オ、オ、オレ…悪魔を使って、確か…自殺、して…あれ?次の男の命も確か…う、うば────」


 ガクガクと震える手先で窓ガラスが強風に吹かれているかのように唸る。


「なんで、生きてんだよ……オレは!!!!」


 オレは絶望して鏡を見に行くと、瞳も舌も青いままだ。願いを叶えた後だ、然しあのヘアバンドの悪魔は辺りには見当たらなかった。急いで部屋中を探すも見つかることはない。両手で顔を覆って後退り、部屋の壁に勢いよく背中を打ち付ける。


「はっ、はぁ…はぁ……ッ」


 過呼吸気味で上手く息が吸えない。吐くこともままならない。酸素不足とストレスによる不安で両手の指は窄まり固まっていった。すると、聞きなれたインターホンの音が1階から鳴り響く。

 オレは怖くなってゆっくりと自分の部屋から1階に降りると、画質の悪いモニター越しに人影を見つけた。

 オレンジ髪の長髪、背の高い男の姿─


「……にい、さん…」


 間違いなく、兄だった。死んだはずじゃ?震える手でドアを開けると真っ青の肌になった数年ぶりの兄の姿を目にする。


「な、なんだよその肌…ッ」


「あぁ!カグラ…いままでごめんな、オマエを守ってやれなくて」


 目を見開いた状態で、オレは兄に抱き着かれる。抱き返すことなく、そろりと部屋中を振り返ると、母親の姿はどこにもないようだった。


「母さん?何処にいるんだよ!兄さんが!」


 抱きしめる兄の手を振り払って部屋を探すが、母親の姿は何処にも見当たらない。部屋の奥の方にある台所まで見に行ってみると、母の姿はないものの、髪も肌も目も口も何もかも青くなり爛れた姿の死んだ祖母と親戚が生きて立っていた。


「なんで…」


「あー…母さんは殺したよ」


「…は?」


 背後から聞こえる兄の声に震えながら振り返る。すると目つきの鋭い兄は何処か怒ったような声音で言葉を続けた。


「だってカグラに何もかも無理強いしてただろ?免許も、仕事も、家事も、買い出しも、寝る時間も、心の自由も、身体の成長も…恋も。なにもかも。俺はそれを赦せなかった」


 確かに、それはそうだ。だが、決して死んで欲しいなんて思っていなかった。


「だからって、何でだ?!そもそも、何でこんなに辺り1面青くなってる?!兄さんの肌だって…!なにがあったんだ、悪魔はどうなった?!なんでオレは生きてるんだ!!?」


 叫ぶと直ぐにしんとなる部屋。過呼吸を無理やり押さえつけて叫んだせいで、気持ち悪さや息苦しさが増し、肩で呼吸を整える音だけが響き渡った。すると兄は、微笑みながら1歩1歩オレに歩み寄る。


「そうか、記憶はあってもこの状況はわからないよなぁ?悪魔だよ。お前の次も、その次も悪魔による侵食で死亡した。そいつらはもう居ない。お前にとって必要ないからだ。」


 きらきらと光り潤うオレンジ色の兄の瞳が昔に比べ今は酷く怖かった。オレは逃げるように階段を上り自分の部屋の扉を閉める。


「鍵、鍵鍵鍵…!」


 部屋の鍵をかけようと必死に探すが見当たらない。


「クソ…何処においたっけ…─っ!!」


「悪魔は侵食し、殺す度に〝成長〟した。自分を変える力…環境を変える力…そして人を動かす力…そして最後は、世界を変える力だ。簡単だろ?たった3段階で俺は、カグラを守れる兄になったんだ」


 ベッドの方まで押し寄せてくる兄の姿。何故そこまで微笑んでいられる?


「っう…!」


 追い込まれてベッドへ座った オレに追い付いて兄は勢い良くオレを押し倒した。青い肌が、紅潮している。


「ずっと俺に守って欲しかったんだろ?カグラ…誰よりもお前を愛してる。ずっと……………これからは2人きりだよ」


「……んッ…」


 オレの唇は兄の其れで塞がる。容赦なく舌を絡められ、オレは恐怖と快楽が混ざった双眸を細めた。静かな部屋に響くのは互いの吐息と微かな声。すると喉奥に青い唾液をたんまりと流し込まれ、その気持ち悪さにオレは目を見開いた。


「ンンンンンンンン!!!!!」


 兄は唇を離し、オレの口許を押さえる。


「ほら、飲み込めカグラ。ごっくん─」


 ただの唾液ではない。味も酷く、まるで絵の具を丸呑みしているかのようだった。それに、液体の中で蠢く何かを感じる。抵抗するように首を左右に振り涙を流すも、あまりの苦しさに思わず飲み込んでしまった。


「いい子…もう離れないからね。もう、何も怖くないからね」


 そういって兄の姿はオレの目の前で液体と化した。悪魔に願い事をすると、必ずペナルティがある。それは〝侵食〟だ。

 世界を侵食した兄は、自分の全てを侵食され空へ浮かぶ悪魔の1部となってしまったのだ。そして最後に残された兄の唾液が、オレの身体の中に残り続ける。


「はぁ……に、いさん?兄さん!」


必死にどろどろになった兄を掬い上げるも意味はなく、窓ガラスを割って其の液体は空に浮かぶ悪魔の大きな口の中へと吸い込まれていった。


兄は、オレのために世界を支配した。つまりはオレのせいで、世界が被害を受けたことになる。


「オレは……」


ただただ恐怖と絶望に飲み込まれたオレはその場にへたり込むしかなかった。もう、取り返しがつかない。


その、はずなのに───



笑顔が止まらない。熱くなる頬が一向に冷めない。脳内は何時でも兄のことでいっぱいだった。


好きだ。


兄のことを考えると、下腹さえも疼く。

ビクッと時折跳ねる指先で取り残されていた携帯を持ち上げ、もう存在しない兄に電話を、狂ったようにかける。


何度も、何度も、何度も、笑顔で。


「ナァーニイサンッタラー…」


もう正気ではない。そのことにすら気付かない。オレは当たり前のように瞬きもせず吊り上がる口元で、携帯に向け言葉を放つ。



「アイシテル、イマ…ドコ?」



そしてその夜が明けた。オレは目を覚ますと、また兄のことを考えている。浮かぶ口角は戻らず、目も見開いたまま。

化け物のような顔をしているオレは、昨日よりかは正気を保っている。ただそれは身体ではない。身体は何時でも兄を欲しているように無意識に、昔の写真やメールの履歴などを遡ってしまう。心だけは、今の状況に気付いていた。


オレは部屋に置いてあるペン1本とメモ用紙を大量に取る。そのメモ用紙に、書いた文字を確認するように1枚1枚、読み返してから外へ出た。この100枚のメモに同じ内容を書くのに時間がかかってしまった。


ニヤケ面のオレを、外に出ても誰一人として拒絶しない。それもそのはずだ。オレ用に作り替えられた世界なのだから。


「ァァァ゛…」


言葉にならない掠れた唸り声を上げながら、オレは町中の電柱や店に書いたメモ用紙を見やすいよう貼り付ける。



そして決して我を忘れきってしまうことのないように、オレは家の部屋へ帰って、メモと同じ内容をハサミで右腕に青い血が溢れるほど深く切り刻んだ。その内容はこうだ。









【助けてください】



















【人参原は悪魔に寄生されています】



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