秘密は夜に溶かして

@als0kt

第1話


「エレナ! その赤毛も勝ち誇った顔ももうウンザリだ、国境沿いの修道院に行くがいい!!」

 地べたに座ったまま癇癪を起こした男の声がを剣術の実技試験を終えた競技場に響く。男の着衣は一際豪華で、胸には王家との血縁である家の家紋が刻まれた飾りをつけている。

「まあ、あの赤薔薇の王子に向かって……」

「しっ! あっちが本物の王子よ、毎回試験で薔薇の君に負けていたけれど……」

「相当気にしていたんだな……」

 しかし、聴衆である学生たちの反応は芳しくなかった。何せ、彼が癇癪を起こした相手に一切の非はないからだ。

「そうか、私は君の銀髪を見るのは嫌いではなかったのだけどね。それならば、おとなしく修道女となろうか」

 燃えるような赤髪を靡かせて赤薔薇の王子ことエレナ学園を出ていった。


 その日、国境沿いの修道院にはありとあらゆる物資が山となって届いた。

「本にパン、お酒にお砂糖……」

 年長の少女が物資を確認しながら呟く。陽の光で束ねた金色の髪が輝いている。

「お砂糖ですって」

「お砂糖!? もうシェリー姉さまに無理をしてもらわなくて済むのね!」

「無理なんてしていないわ」

 少女たちは特に砂糖に歓声を上げた。砂糖が足りなくなりがちな修道院においてこの施設は恵まれていた。シェリー姉さまと呼ばれた金髪の少女によって密かに砂糖は賄われてきたのだ。

「それにしてもどうしたの、こんなにたくさんの荷物がうちに届くなんて」

「あなた聞いてなかったの? 今度、王立学園で薔薇の君とか赤薔薇の王子とか呼ばれてた人がうちに来るから実家からの贈り物だって話よ」

「最近よく聞く断罪とかじゃないのね」

 随分と派手な呼び名のお金持ちが来ることになったのねと会話に参加していなかったシェリーは内心で思っていた。


「父様、兄様、弟たち……先立つ不幸をお許しください。母様、エレナがそちらに参ります……」

 幼い頃から馴染みである御者の笑い声がエレナの耳に障る。王都を離れるにつれて道は悪くなり彼女はしたたかに馬車酔いをしているのだ。

「だーいじょうぶ! 馬車酔いで死んだ人はいやせん」

「その一人目になるかもしれないだろう?」

 男兄弟に囲まれ、紳士たれという家訓に従って育ったエレナは荒っぽい言葉遣いこそしなかったが上流階級の女性らしい言葉遣いとは無縁だった。

「ほら、もう着きやす」

 丘の上に大きくはあるが豪華ではない建物が見える。きっと近くに寄れば彫刻もされているのだろう。

 建物の扉が開いて修道服を着た女性が出てきた。よろよろと馬車を降りたエレナより手のひら一枚分ほど背が高い。

「あなたが……薔薇の君、かしら?」

「そう、エレナと呼んでほしい。私を薔薇というあなたの瞳はスミレのようですね」

 これは間違いなく物腰であだ名がついたタイプ、紫の瞳を驚きで丸くしたシェリーは確信した。

「院長にあなたがここに慣れるまでのお世話を任された、シェリーと言います。困ったことがあれば……もう困っているわね、ごめんなさい。馬車酔いかしら?」

「ああ、久しぶりの長距離移動で酔ってしまって……悪いけど」

 休めるところに連れて行ってくれませんかとエレナが続ける前にシェリーはエレナの腕を自分の肩に回して歩き始めると、扉をくぐり廊下を進み階段を上り、エレナの部屋だという清潔なベッドと机と椅子しかない小さな部屋にエレナを連れて行った。先ほどの御者がエレナの実家に持っている部屋のほうが広いだろう。

「エレナ様、少しだけ待っていて」

 シャツの首元を緩め、靴を脱いでベッドに横になると馬車酔いが幾分ましになった気がした。

 甘い匂いがエレナの鼻を掠めた。

「ごめんなさい、ノックをしても返事がなかったから」

 シェリーが湯気の立つカップを持っていた。

「いいや、気づかなかった私が悪いです」

 エレナは寝癖のついてしまった母譲りだという柔らかい髪を梳りながらカップを受け取る。

「無理をしないで」

 シェリーは心配そうに菫色の瞳を揺らしていたがそれだけ渡して部屋を出ていった。

 エレナはふぅふぅと息を吹きかけて温められたミルクを冷まして一口飲んだあとぽつりと口にした。

「……母様」

 

「ねえシェリー、私のスミレ。今夜はどうするんだい?」

 季節は巡り、エレナはもうシェリーに世話をされる必要もないほど修道院に馴染んでいた。それどころか少女たちに頼られるようになっていた。

「ですから、エレナ様……」

「今さらエレナ様なんて他人行儀な呼び方はよしておくれよ」

 エレナはシェリーが自分のことをたしなめたい時や距離感を出したい時に様付けして呼ぶことに気づいていた。毎夜のように繰り返されるやりとりにエレナは心地よさを感じていた。

 シェリーはミルクを小鍋に入れて火にかける。ふつふつと泡立ったそれを内側が鮮やかな紅色をしたカップに注ぐ。そして、両手を合わせて目を閉じる。エレナにはシェリーの金色のまつ毛が暗い室内でもよく見えた。シェリーが手を開くと小さな花の形をした砂糖の塊がいくつか生まれていた。これが普通の砂糖がエレナの実家から手に入るようになった今では一番の贅沢品にして、修道院が砂糖を工面できていた理由である。

「エレナさん、自分で入れるのよね?」

「ああ、そうするよ。不思議だね、君の砂糖が入ったミルクは懐かしい味がして飲むとよく眠れるんだ」

 シェリーの切り揃えられた短い爪に少し荒れた手がエレナのしっとりとした手のひらに砂糖を渡した。

 花の形をした秘密はエレナが温かいミルクの中に落とすとあっという間に溶けて消えた。

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