螺旋
ヤマ
螺旋
——ジジッ……ジジッ……ジー……——
不快な音が、鼓膜を震わせた。
男が目を開けると、石の床に立っていた。
どこにあるのかは分からないが、光源はあるようだ。
薄暗い空間の先には、どこまでも続く通路が、口を開けていた。
冷たい空気が肌を刺し、鼻腔を湿った匂いが満たしている。
苔。
そして――血の匂い。
「……ここは、どこだ……?」
呟きは、石壁に虚しく吸い込まれる。
記憶が曖昧だ。
何故、ここにいるのか、思い出せない。
ただ、確かなのは。
どうしても前に進むしかない、という直感だけだった。
しばらく道を進む。
そして、曲がり角が見えた瞬間だった。
通路の影から、何かが飛び出した。
爛々と光る目。
四肢は獣。
だが、皮膚は腐り落ち、骨が剥き出しになっている。
そして、咆哮と共に、爪が閃いた――
「……!」
一瞬の出来事。
灼けつくような痛みが身体を貫き、血が口から溢れる。
胸を裂かれたらしい。
息ができない。
膝を突き、地に伏せる。
自分から流れる血で視界が赤に染まり、やがて――暗転した。
——死んだ。
目を開けると、最初の場所に立っていた。
石の床、湿った空気、血の匂い。
すべてが、寸分違わぬまま、繰り返されていた。
「……夢?」
足下を見ると、血の跡が残っていることに気付く。
そのまま進むと、通路に横たわる死体を見つけた。
それは、間違いなく、自分だった。
胸を深く裂かれたままの姿。
目は見開かれ、虚空を映している。
訳が分からない。
けれど、どうせ、進むしかないのだ。
どうやら、先程の化け物は、いないらしい。
温かさが僅かに残る自分の死体の横を、震える足で通り過ぎた。
進めば進むほど、様々な怪物や罠が現れる。
迫ってきた壁が、身体を押し潰す――
無数の槍が、天井から降り注ぐ――
床の裂け目から、毒霧が噴き上がる――
夢のはずなのに、どの死も現実のようで、どの痛みも誤魔化しようがない。
骨が砕け、皮膚が爛れ、意識が闇に沈むたび、男はまた、同じ場所に戻される。
そして進めば、先程、死んだばかりの自分の
やがて通路は、己の死体で埋め尽くされていった。
腐臭と血の海。
死体を足蹴にし、それでもなお、進まなければならない。
男は狂気に呑まれそうになりながらも、やがて悟る。
——ここでは死が、終わりではない。
残るのは、死体。
蘇るのは、自分。
永遠に死を繰り返し、死を積み重ねながら、進むしかない。
腐った自分の腕から骨を引き抜き、武器代わりにして進む。
千切れ飛んだ自分の足を投げ入れ、罠を作動させる。
己の残骸を利用し、地獄のような道を切り開いていく。
数え切れぬ死を重ね、どれほどの時間が経ったのか。
ようやく、最奥と思しき空間に辿り着いた。
透明な水晶のような球体が、空中に浮かんでいる。
それに触れたとき、眩い白光が洞窟を満たした。
その光はあまりに強烈で、痛みも恐怖も、すべてを塗り潰していく——
男は、気が付くと、硬い台の上に横たわっていた。
全身を拘束具で固定され、動けない。
汗がまとわりついて、気持ち悪い。
頭上には照明が煌々と輝いており、周囲にいた白衣の影が数名、冷ややかに彼を見下ろしていた。
「記録完了。対象は、百二十七回の死亡を経て、終了地点に到達」
「依然として、耐性は形成されず。苦痛は保持されたままのようです」
「順調だな」
声が交わる。
研究者の声だ。
男は思い出した。
ここは監獄であり、自分は囚人なのだ、と
先人の功績を踏み躙り、歴史を侮辱するような罪を犯した。
法廷の場で、男はさらに、愚行を重ねた。
その罰として、この「実験刑」の被験者に選ばれたのだ。
その刑は、脳を操作し、幻覚を見せるもの。
だが、死の苦痛は、すべて現実のものとして体感させられる。
「第八十六回目の記録を開始する」
「脳波安定」
「刺激レベルを上げろ」
男は、涙と涎を垂らし、必死に懇願する。
「悪かった……。俺が、悪かった! 二度としない! 頼む……、頼むから!」
しかし、研究者は、一つ溜め息を吐いて、告げた。
「過去の犠牲を忘れた者に、相応しい罰を」
装置から伸びるケーブルの先が、男の
幾度目かの無慈悲な音が、響いた。
——ジジッ……ジジッ……ジー……——
螺旋 ヤマ @ymhr0926
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