第16話 敗北のエロゲ主人公
四限が終わった五限との間の休憩時間。
日本史が終わるや否や、俺は一人で教室を飛び出し、廊下を駆けた。
目的はハッキリしている。
葵……ではない。若野瑠香と話をするためだ。
「はぁ……はぁ……はぁ……!」
荒くなった呼吸と乱れた髪を直しながら、俺はC組の教室の出入り口に立つ。
中をざっと見渡すと、すぐにお目当ての瑠香の姿と、そんな彼女と楽し気に会話しているラバポケ主人公――八神遊星の姿が見えた。相も変わらず仲が良いらしい。あの女はなぜか俺の尻を追いかけてきているのだが。
「……失礼します」
小さくドスを利かせるような声で呟き、俺は遠慮なくC組の教室に入って行く。
教室内にいたC組の奴らは俺のことを見てギョッとし、瑠香と遊星の二人もすぐに俺の存在に気付いていた。
何か言いたげな小悪魔顔と、警戒するような嫌そうな顔。
どっちがどんな顔をしているか、一々説明する必要も無いと思われる。
まるで俺を歓迎するように余裕そうな表情を浮かべている瑠香を見やりながら、真っ直ぐ彼女の元へと進み、
「――ちょっと話がある。悪いけど教室の外まで来てくれないか?」
誘いを仕掛ける。
ただ、そうなってくると面白くないのは遊星の方だ。
奴からしてみれば、どうしようもない間男が自分の想い人へナンパしているような図にしか見えない。
当然彼からの待ったがかかった。
遊星は座っていた椅子から立ち上がり、俺に睨みを利かせながら圧を掛けてくる。
「遂に俺の目の前で堂々と瑠香のこと誘い始めるんだな、お前。させるわけないだろ? 瑠香は連れて行かせない」
瑠香の前に立ちふさがり、彼女のことを守るような行動をとる遊星。
別に俺はこの世界線で悪役になるつもりなど毛頭ない。
ルート改変を望んでいるわけでもなければ、特定のメインヒロインを幸せにしてやりたいとか、そういう思いも無い。
あるのは、俺と同じようにこの世界に転生してきているらしい葵のことと、健気に尽くしてくれる義妹の幸せを願うことくらいだ。
陽花の幸せが俺と一緒にいることならば、俺はその想いに報いたいと思っている。
葵は葵で、陽花は陽花だ。
心の奥底で葵が陽花ならいいのに、と思っているものの、現実はそう簡単に上手くいかない。
いかないけど、先の九条部長との会話である疑念が俺の中で浮かんだ。
今、瑠香と話したいのもこのことについてだ。
敵対視してくる遊星を前に、俺は「だったら」と切り出した。
「そういうことなら、別にお前も一緒で構わない。二人とも、俺について来てくれ」
「……は? 二人一緒? なんだそれ? どういうことだよ?」
一転して遊星は警戒の色を少し解き、代わりに怪訝な目で俺を見つめてくる。
何のことは無い。
俺はハッキリ言ってやった。
「この際だから言っとく。俺は若野に対して何の感情も抱いてない。好きでも何でもないんだよ」
かなり大きく予想を覆すような発言だったらしい。
遊星はさらに疑問符を浮かべながら「は?」と頓狂な声を漏らす。
瑠香も瑠香で、やや悔し気に俺へ語り掛けてきた。
「よくそんなことが言えるね。あれだけ私に迫ってきてたのに」
「ああ。それもトチ狂った過去の話だ。人の考えは日々変わるからな。冷めたんだよ。俺はもうお前のことなんて何とも思っていない。義妹の陽花が好きだ」
言うと、わかりやすく瑠香の顔色が変わった。
微笑みの色が消え失せ、冷静な表情を浮かべたうえで椅子から立ち上がる。
「っあ……!? ちょ、お、おい、瑠香!?」
遊星が困惑するような声を上げるが、その気持ちも十分理解できる。
俺も動揺した。いきなり瑠香が俺と遊星の腕を引っ張って歩き出したから。
「ど、どこ行くんだよ、瑠香!?」
遊星の問いかけに対し、瑠香は静かに返す。
「あまり人のいない場所。この人が提案してきたから。どこか別の場所に行こうって」
この人ってのは言うまでもなく俺のことだ。
だけど、そこに遊星を同行させるっていうのには疑問が付き纏った。
確かに俺は一緒でも構わないと言ったが、瑠香が自分から俺を引き連れて他の場所へ行こうとしているのなら二人きりになっても良かったんじゃないのか。
「何? 不満? 遊星がいると」
「……!」
俺の思いをピンポイントで悟り、問いかけてくる瑠香。
すぐに俺は「いや」と返した。
「八神がいても構わないって言ったのは俺だからな。全然いいよ」
「とか言いながら不服そうだね、君。そんなに遊星に見せつけたいんだ? 私と密会するところ」
なんでこいつはこうも意味深な言い方をするんだろうか。
やり取りを聞いている遊星は当然苛立ちを募らせ、
「お前、マジでふざけるなよ!?」
と青筋を立てて俺の胸ぐらを掴んでくる。
歩きながらだったから、バランスを崩しそうになって首が締まった。一瞬吐きそうになる。
「……そのセリフ、俺じゃなくて若野に言えよ」
咳混じりに言うが、遊星の耳に俺の声は届かない。
ジッと睨んできながら、ただひたすら歩かされる俺たちだった。
●〇●〇●〇●
「――それで、話っていうのは何だったのかな?」
向かい合っている二人の内の一人。
瑠香が俺の顔を覗き込むようにして問うてくる。
チラリと彼女の横を見やると、そこには相変わらず睨みを利かせてきている男子が一人。
ため息をついた。
ため息をついてから俺は切り出す。
「本当のことを話してくれ。お前、俺に嘘をついてるだろ?」
ふんわりとした表現。
それは隣に遊星がいるからなのだが、瑠香にはその言葉の意味がしっかりと伝わっていた。一つも表情を動かさずにジッとこちらを見つめてきている。
「やっぱりあなたは最低な人だね。遊星がいるのに何でそんな話するの?」
「そんなの知らん。ついて来たのはこいつだし、俺はもう隠す気もない」
嘘だ。
隠す気がないなんてことはない。
本当は遊星の顔色を微かに窺っている。叶うならこいつのいない場所で色々と瑠香に聞き込みたかった。
「それに、どうせ八神だって知ることになる。俺が一回死んでる人間だってこと」
言うと、遊星がわかりやすく疑問符を浮かべた。
「は?」と。
こいつは何を言っているのか、みたいな。そんな声だった。
「……仕方ないね。ごめん、遊星。やっぱりここはちょっとだけ席を外してくれない?」
「え……!?」
遊星の声が大きくなる。
観念したように瑠香は彼へ残酷なお願いをした。
「る、瑠香……それだと俺は……」
「ちょっとだけ。今回だけだから、ね?」
手を擦り合わせて軽い感じで言う瑠香。
俺は、その様子を見ながら問わずにはいられなかった。
「若野」
「ん? 何かな?」
「お前、今何のために八神と一緒にいるんだ?」
心の底からの疑問。
葵を演じている理由の他に俺が聞きたかったこと。
瑠香は一瞬の真顔の後、すぐに笑って、
「そんなの決まってる。遊星のことが大切だからだよ?」
「大切なら、俺なんかのこと二の次でいいだろ。八神を一番に考えてやれよ」
「一番に考えてるけど?」
「バカ言うな。一番に考えてたら、席外してくれって言われたこいつの気持ちも察せるはずだろ? お前、嘘つき過ぎなんだよ」
まさか遊星に寄り添う形になるとは。
確かにこの世界に来て、なるべく穏やかに生きて行こうとは思っていたけど。
こんな展開になるとは想像していなかった。
それだけ瑠香の行動、発言がぶっ飛んでいる。考えが読めない。
「嘘つき、ね。じゃあ、何かな? 私、伊刈君のことが一番好きって言えばよかった?」
「冗談でもそんなこと言うなって言ってるんだよ。それがマジなら、お前は想像以上のクソ女だ。今すぐ八神に謝罪して、さっさとそいつから離れろ」
遊星はもう状況が飲み込めていないようだった。
ポカンとして、しかし瑠香の一言一言に確実に傷付いている。
傍から見ていて不憫でならない。
「八神、お前もあまりこいつに固執するな。お前の周りには若野より全然優しくて可愛い子がいる。そっちに行ってもいい。これ以上こいつにこだわってたらお前は――」
「うるせえんだよ! 黙れよ!」
一喝された。
それは遊星からで、俺は紡いでいた言葉をそこで霧散させてしまう。
「何お前が俺に指図してんだ! クソみたいな間男の分際でよ! お前なんかが瑠香にちょっかいかけなかったらこんなことにはならなかったんだぞ!? わかってんのか!?」
わかってはいないかもしれない。
お前こそここで瑠香から手を引かないと大変な目に遭う。
そう思いはするものの、それを言葉にできなかった。
遊星は呼吸を荒くさせ、瞳をやや潤ませながら俺に訴えかけていた。
胸が痛くなる。
こんなクソハーレム野郎に同情するつもりなんて一ミリもなかったのに、状況の不憫さは可哀想になってくるレベルだ。いくらなんでも翻弄され過ぎている。
「瑠香、俺が絶対お前を元に戻してやる! こんな奴、俺がお前から遠ざけてみせるから!」
「違う。近付いてくるのはむしろ若野で――」
「俺がずっと一緒にいてやる! 傍にいてやるから! 頼む、もう俺だけを見てくれ! 頼む!」
頼む、と。
頭を下げながら望む遊星。
これは、言うまでもなくバッドエンドの流れだ。
遊星から見て瑠香ルートだと思っていたのに、そうじゃないのか。
でも、俺はこんな展開など見たことが無い。
そもそも、伊刈虎彦がこんなムーブを起こすキャラだと思っていなかったから。
意図せずともストーリーに変化が生じていた。
これはもう、何ルートなのかすらわからない。
状況はひたすら混沌と化していく。
「……ごめんね、遊星」
静かに、絶望的に、瑠香は遊星へ謝った。
そして、彼女は俺の傍に寄り添ってきて、やがて腕を抱いてくる。
やめろ。
そう言うのに、彼女は強い力で俺の腕を抱いてきて離れようとしない。
恐怖すら感じた。
執念で腕を抱いている。そんな雰囲気だった。
「今回ばかりは遊星のお願いでも聞けない。私、いったん伊刈君とお話してくるね」
「……瑠香……」
すべてに絶望したような、泣きそうな表情を浮かべる遊星。
こんなのざまぁ展開でも何でもない。最上位の胸糞展開だ。
それを俺は悪役サイドから見つめていた。ひたすらに胸が痛む。
「彼と話せないと私、遊星とも一緒にいられない。だから、ね?」
――どこかへ行って?
先の言葉にはそんな意味合いが含まれている。
口にはしづらいからこういう表現になったんだろう。その事実が余計に遊星を傷付けていた。
「……わかった。ごめん」
彼は寂し気に、絶望的に小さな震え声を出し、踵を返す。
そして、トボトボと廊下を歩いて行くのだった。
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