第11話 抱き締めたい
「やっと会えたね、シュンくん」
目の前にいるラバポケの正ヒロイン――瑠香にそう言われ、俺の頭の中は完全に真っ白になった。
何も考えられなくなるどころの話じゃない。
キスをされた時点で眩暈がしたのに、俺はその場で膝を突きそうになっていた。
足元がふらつき、壁に思わず手を突いてしまう。
「大丈夫、シュンくん? ごめんね。いきなりだし、びっくりしたよね?」
動悸を激しくさせ、正常じゃなくなっていた俺を心配してくる瑠香。
でも、その優しさを俺は素直に受け取ることができなかった。
「……離して……くれ」
何がどうすれば正しいのか、まともな判断が下せない。
そこにいる瑠香は葵なのか。
疑惑が現実に変わり始めている。
内心ショックだった。
陽花と瑠香。
二人の内のどちらかが葵であると言われた状況。
二分の一で、可愛らしく、健全な優しさを向けてくれる義妹が葵であれば、と心の中で願っていたのだ。
それが外れた。
「シュンくん」
かつて葵は俺のことをそう呼び、どんな時も傍にいてくれた。
幼い考えの中、世界で二人きりになってもいいとさえ思っていた、そんな関係の女の子だったのだ。
それが――……既に八神遊星と恋仲一歩手前であるはずの若野瑠香。
しかも、今の瑠香は俺を嫌っているはずで。実際、遊星ともイチャイチャしていたのだ。
伊刈虎彦が俺であると、どのタイミングで気付いたのかはわからない。
わからないが、俺のいない場所で遊星とイチャイチャしていた葵を見るのは、心底複雑な気分だった。
遊星も脳を破壊されていたような反応をさっきしていたが、俺も俺だ。
葵をあいつに寝取られていたような、そんな心地になってしまう。
陽花の悲しそうな表情もずっと脳裏にこびりついていた。
俺は……どうしたらいいんだ。
「うっ……! ゲホッゲホッ……! っぐ……! はぁ……はぁ……!」
嘔吐の気が高まり、激しく咳き込む俺。
「シュンくん、本当に大丈夫? 苦しかったらそこの便器に吐いてもいいよ? 水も私の飲んでいいから」
言いながら、瑠香は飲みかけのミネラルウォーターをカバンから取り出す。
間接キスなんて微塵も気にしない。
陽花はこれでもかというほどに気にしていて、俺と一緒に赤面してたっていうのに。
「はぁ……はぁ……! っぐ……うぅ……!」
「大丈夫……大丈夫……ゆっくり呼吸して……? 吐きそうだったら吐いていいから」
背中を優しくさすってくれながら、瑠香が穏やかな声音でそう言う。
その優しさは、気を抜けば一気にそっち側へ連れて行かれそうな沼のようで、どうにも俺に警戒心を抱かせた。
悲しくなる。
本当に……こいつは……。
「……葵……なのか?」
「ん?」
瑠香が小首を傾げて疑問符を浮かべる。
下がり眉ながら、どこか微笑を浮かべた嫌な表情だ。
「本当に……葵なのかって訊いてる。若野……お前は……葵なのか?」
彼女は一呼吸を置き、一瞬目を閉じてからゆっくりと頷いた。
「うん。葵。幾波葵だよ」
「……なんで……? どうして……そんな……」
言いかけて、また俺は咳き込む。
瑠香は……いや、これはもう葵と呼んだ方がいいのだろうか。
咳き込むたび、葵が俺の背中をさすってくれた。
さすりながら、彼女は続ける。
「大丈夫。一つ一つ答えてあげるからね。ゆっくりでいいよ」
「……はぁ……はぁ……」
「まずは、どうして私がシュンくんのことを知ってるのか、だよね? これは簡単なの」
何が簡単なのか。俺は腹部の気持ち悪さをこらえつつ、耳を傾ける。
「史奈のいる占い部。そこの部長さんに教えてもらったんだよ。伊刈虎彦。彼の中にシュンくんがいるよ、って」
「……あいつか」
「こらこら。口が悪いよ? 部長さんなんだし、あいつ呼ばわりはダメでしょ? あの人って言わなきゃ。それか九条先輩」
九条っていうのか、あの部長。
「九条先輩。あの人の占いすごく当たるって学校で評判でね。史奈との繋がりで占ってもらって、それで私のことを見抜かれて、シュンくんのことを教えてもらったんだ」
「それはどのタイミング……?」
「最近だよ。一週間前くらい」
一週間前。
それは俺がここに転生してくる前のような気がするのだが。
いや、よくわからない。
転生云々、意識云々の時間軸が謎過ぎる。
俺の意識が芽生えていないうちに占い部の部長――九条は色々と悟っていたのかもしれない。そのご自慢の謎の力を使って。
「……くそ。転生漫画の女神か何かか……あいつ……」
ぼやくと、瑠香……じゃない。葵が首を傾げた。
「何か言った?」と疑問符を浮かべている。
何も無い、と俺は返した。
葵はクスッと笑う。
「何も無いってことはないでしょ。シュンくん、私に訊きたいこと山ほどあるんじゃないの?」
「……ある。あるけど、今は無しだ」
「無し? どういうこと?」
問われ、俺はうつむきながら返した。
「今はなんか……色々訊ける気分じゃなくなった」
「何それ? なんか梯子外された感じだなぁ」
梯子を外された気分なのは俺の方だ。
ならば、と。一つ質問をぶつける。
「なら、これだけ聞かせてくれ」
「うんうん。何かな?」
葵が瑠香の容姿で身を乗り出してくる。
距離が近くなり、俺は拒絶するように少しだけ後退した。後退しながら、ぎこちなく続ける。
「……なんで俺がいるのに、遊星と一緒にいる?」
「……?」
「俺がいたんだ。お前は……遊星の傍になんていなくてもいいだろ?」
独占欲丸出しのセリフ。
でも、そこに恥ずかしさなどいらなかった。
案の定、葵は笑うけど、俺はそんな彼女をジッと見つめ続けた。
やがて葵は俺を見つめ返し、瞳の端の涙を拭いながら言葉をくれた。
「それはね……お姫様になりたかったから……かな?」
「……は?」
つい頓狂な声を出してしまう。
葵はクスッと笑って、
「シュンくんに気付いて欲しかった。それに尽きる。気付いて、私を遊星君から奪い取って欲しかったの。王子様みたいに」
「……なんだ……それ……」
「なんだって、そっちの方がロマンチックじゃん? 私もドキドキするし」
小悪魔のような顔。
微笑交じりのその表情は、かつて葵が見せていた純粋な笑顔とは打って変わって違っていた。
言うなれば、病んでいるような……そんな感じだ。
「でも、結果としてこうやって再会できたんだもん。もうなんだっていい。感動の再会ってやつだよ、シュンくん」
「……っ。お前……」
距離が徐々にまた近くなる。
逃げようとしても、後ろは壁だった。
俺は壁に追いやられてしまう。
「感動の再会ですることと言えば……わかるよね?」
「……わからねえよ。お前、何考えてるんだ……?」
葵の顔が近くなる。
俺は逃げるように自身の顔を背けた。
背けながら、脳裏に浮かぶのは陽花のこと。
どうしてそこまでしてあの子のことが浮かぶのか、疑問ではあるものの、実際に何度も浮かぶのだから仕方ない。
悲しそうな陽花をこれ以上傷付けたくない。
そんな思いを強く抱きながらも、葵の顔はどんどん近くなり、やがて吐息のかかる距離まで迫られる。
「シュンくん……さっきの続き……シよ?」
甘く、囁くようにボソッと告げられ、俺の心拍数は良くない方向へ上がる。
――襲われる。
そう思っていた矢先のことだ。
「お兄ちゃん!」
ドンドン、と鍵のかかった扉が叩かれ、くぐもった声がハッキリと聴こえてくる。
「陽花……!」
救われたような気持ちになった。
俺は弾けるように顔を上げ、反射的に扉の方へ駆ける。
「陽花! ここにいる! 俺はここにいるぞ!」
叫ぶと、扉越しに「お兄ちゃん」と何度も俺のことを呼ぶ陽花の声がした。
ジッとなんてしていられない。
俺は鍵を開け、そこから出ようとする。
――が。
「シュンくん!」
背後から葵に呼び掛けられる。
そっちの方も無視はできなかった。
ぎこちなく振り返ると、
「行っちゃうの?」
短くそう問われ、俺はぶっきらぼうに頷いて返した。
葵は冷やりとした声音で言う。
「後悔するよ。きっと」
そんなのは俺が決めることだ。
ズク、と胸の奥が痛んだような感覚に陥りながら、俺は扉を開けて陽花と対面するのだった。
●〇●〇●〇●
「っ……ぐすっ……ぇぐっ……お兄ちゃん……! お兄ちゃぁん……!」
すっかり暗くなった家までの帰り道。
俺は、義妹のことを横から抱き締めるようにして並び歩いている。
ごめん。
たった三文字の謝罪文句を何度も並べながら。
「もう……お兄ちゃんが戻って来ないかもって思った……。陽花のとこに戻って来ないかもって……」
「そんなわけないよ。俺、言っただろ? すぐに戻って来るからって」
言うも、陽花は首を横に振った。
ツインテールの片方が揺れ、それが俺の頬を軽く撫でる。
「なかなか戻って来なかったもん……。お兄ちゃん……あの人に取られるかと思った……」
それは本当に無い。
あの状況、何度もフラッシュバックしたのは陽花だった。
瑠香に葵だと告げられても、不思議なくらい陽花が俺の中で出てきた。だから、義妹の元から離れるということは恐らくなかったはず。いや、絶対に。
「……陽花」
名前を呼び、俺は立ち止まる。
「お兄ちゃん……? っ……!」
もはやとらくん呼びじゃなくなっている。
よっぽど心配をかけていたんだろう。
どうにかその不安を取り除いてあげたくて、自分自身陽花のことを抱き締めたい欲求を満たすため、強く華奢な体に自身を重ねた。
「……ごめん。ごめんな……陽花が一番大切なのに……俺は……」
確認したかった。
確認せずにはいられなかった。
瑠香が本当に葵なのかどうか。
「……願いたくなる……」
つい、思いが言葉になった。
震えながら、俺は続ける。
「陽花が葵だったらよかったのに……って」
その言葉は、陽花に届いたところでちゃんと返ってこない。
事実、義妹は俺の震える思いに対して何も言わず、こう返すばかりだった。
「お兄ちゃんの傍にずっといたい」と。
会話のやり取りにはなっていない。
なっていないが、それが何よりもの願いだとわかり、俺はより一層陽花の体を抱き締めるのだった。
こぼれそうになる涙を我慢することなく、嗚咽さえ漏らして。
【作者コメント】
注.この話はハッピーエンドです。
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