第10話 シュンくん(?)

 ラバポケの世界に転生して、俺は伊刈虎彦としての役割をバッサリ無いものにしてやろうと考えた。


 要するに、悪役としての行動をしないということだ。


 主人公である八神遊星の好きな女の子、瑠香や史奈、その他正ヒロインたちに一切手を出さず、自分の傍にい続けてくれている義妹、伊刈陽花を徹底的に攻略し、イチャイチャしてやろうと思っている。


 その考えは今後一切曲げるつもりは無いし、占い部の部長に葵のことを告げられても、陽花のことだけ考えていよう、と。そう思い続けていた。


 ……だが――


「幾波葵。その子について知ってること、話してあげようか?」


 フードコートの一席。


 俺の隣で瑠香は腰を下ろし、こそっと耳打ちしてきた。


 そこには、こいつがさっきまでイチャイチャしていたはずの遊星だっている。


 俺と一緒にいた陽花もいるし、二人を困惑の底に叩き落としながら、瑠香は俺に接近してきたのだ。


「……は?」


 俺は疑問符を止められなかった。


 そもそも、瑠香の発した言葉の意味がわからない。


 葵について教えてあげる。


 そう言っているのは理解できるのだが、なんでこいつが葵の存在について知っていて、俺がその葵と仲良しだったことを認識しているのか。


 思考回路が上手く繋がらない。


 根本のところから訊かなければならなかった。


 若野瑠香。


 こいつが何者なのか。


「……ちょっと待て。ダメだ」


「ん? 何がダメなの?」


 わかっていながら、知らないふりをして微笑を浮かべる瑠香。


 陽花と遊星はポカンとしている。


 特に遊星。こいつは瑠香の変貌ぶりにショックを受けていた。


 どうして嫌いなはずの俺に対して急にベタベタし始めたのか。


 状況が一つも飲み込めていない。


 先に帰ってていいとまで言われていた。


 なんで自分を先に帰し、悪役である伊刈虎彦の元にいようとするのか。


 それは言うまでもなく脳破壊案件だ。


 俺の意図しない寝取られ。


 遊星が気の毒で仕方ない。


 どんな思いでラバポケ主人公の顔を見ればいいのかわからなかった。ゲームバランスやルートシナリオもすべてが破壊されている感。俺もこんな展開はゲームで一ミリも体験していない。まさに伊刈虎彦として転生した俺が何もかもをめちゃくちゃにしている。


「……いったん、俺と来てくれ。二人で話せる場所に行こう」


「ってことみたい。遊星、なおさら先に帰ってて? 私、いつこっちに戻って来れるかわからないし」


 こいつは本当に八神のことを好いているのだろうか。


 悪女以外の何物でもない。


 さっきまでイチャついていたのは本当に何なんだ……?


 脳破壊されている遊星を見ながら、俺も瑠香のことを恐ろしいと思い始めた。こいつの意識が葵だなんて認めない。……絶対に。


「……いいよ。陽花はもちろんだけど、八神もここにいていい。そんな若野をどこかへ連れやったりはしないから」


「ううん。そんなの口だけ。君は絶対に私のことをどこかへ連れて行く」


 わかったかのように言い切る瑠香。


 俺はそんな彼女を見て、思わず語調を荒らげながら返す。


「だから、そんなことしないって今――」


 ――と、言葉を続けようとしていた矢先だ。


 俺のセリフを遮るように瑠香は笑み、


「だって君、悪役でしょ?」


「っ……!」


「私と遊星の恋路を邪魔しようとしてる人だもん。色々言いがかりをつけて、私たちのことを引き離そうとしてるだけ。絶対にそう」


「んなわけないだろ!? 俺は――」


 悪役なんかじゃない。


 そう言いかけてやめた。


 今の俺は伊刈虎彦で。


 この世界では紛れもない悪役で。


 だから、それを否定するのには無理があった。


 結局否定しきれず、続くセリフを口にできないままうつむく。


 横で陽花が言ってきた。「もう帰ろう」と。


 けど、俺はその言葉を飲むことができない。


 一人、立ったまま戦慄いている遊星が声を震わせながら、叫ぶように言ってきた。


「そ、そうだよ! お前は俺と瑠香の関係を邪魔しようとしてる奴だ! 色々ツッコミたいところはあるけど……そのことだけは確かだ!」


「……」


 首を横に振りたい気分になる。


 だが、それができず、俺はただ物悲しく遊星の方を無言で見やった。


 奴はそんな俺を見てざまあみろ、とでも言いたげに笑い、やがて座っていた瑠香の手を引っ張る。


「そうとわかれば行くぞ瑠香! こんな奴と話すだけ無駄だ! 行こう!」


「……ううん。それはできない」


「は……!?」


 会話の流れがおかしい。


 頓狂な声を出して疑問符を浮かべる遊星の気持ちがわかる。


「先、帰ってて? この悪者君、私と二人きりでお話ししたいみたいだから」


「い、いや、だからそんなことする必要は無いって俺今――」


「あるよ。あるの。そんな話、する必要ある。だから、先に帰ってて?」


「瑠香! お前、本当にどうしちゃったんだよ!? なんでそんないきなりこいつの言いなりになる!? 何度も言ってるけど、あれだけ伊刈のこと嫌いって言ってたよな!? なんで!? なんでだよ!?」


 嘆きのような遊星の訴え。


 同情する。


 けど、その同情に寄り添ってやることは今できない。


 俺も立ち上がった。


 遊星みたいな顔をして、陽花が俺の名前を呼んでくる。


「……大丈夫だ、陽花。すぐに戻って来るから」


「とらくん……」


「大丈夫。俺を信じてくれ」


 確認しないといけないことを確認するだけ。


 確かな思いを瞳に込めて言うと、陽花はそれをちゃんと受け止めてくれながら、俺の手を離した。


「……すぐに帰って来て」


 そう言ってくれる。


 俺は返した。


「帰ったら母さんが夕飯を作ってくれてる。どっちにしても早く帰らないといけないからな」と。


 笑み交じりに義妹の頭を撫でながら、そっと立ち上がって。


「そういうこと。遊星もわかって? 私、伊刈君と少しお話してくる」


「っ……!」


 心底悔し気にしながら、しかし俺の義妹をチラッと見つつ、遊星は瑠香のことを見送る。


「……わかったよ。けど、俺は帰らない。この子と一緒にいる」


「好きにしたらいいけど」


 言って、瑠香は俺の後をついてくるのだった。






●〇●〇●〇●






 別にそんなに遠くまで歩いたわけじゃない。


 フードコートを出て、ショッピングモールの中を少し行った先にある微妙な空きスペースで俺たちは立ち止まった。


「余計な問答はいらない。さっそく訊く」


 俺が早々に言うと、瑠香は「ううん」と首を横に振り、


「ここじゃまだダメ。こっち」


「――!? ちょっ、おい……!」


 話そうとしていたところで俺は瑠香に手を引かれ、そして多目的トイレの中へ連れ込まれる。


 連れ込まれて、個室に入ったところで瑠香は扉の鍵を素早く閉めた。


「お、おい……! なんでこんな……! しかもお前、鍵なんて閉める必要――」


 ――ない。


 そう言い切ろうとしていた矢先、俺の唇は不意に奪われる。


「――!?」


 何が起こったのか、瞬間的にはわからなかった。


 でも、事の起こった一秒後、すぐに状況は理解できる。


 キスだ。


 俺は瑠香にキスされていた。


 背徳的に甘く、それでいて激しいキス。


「……めろっ……! や……めろって!」


 気を抜けばとろけてしまいそうな悪魔的なキスから強引に逃れる。


 瑠香の体を突き飛ばすことには成功したものの、俺は冷や汗を止めることができなかった。


 なぜなら、彼女が笑って、


「やっと会えたね、シュンくん」


 懐かしい呼び方で俺のことを呼んできたから。







【作者コメント】

陽花ターンまで待って。

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