うとうと


 『うとうと』


 1



「あぁー、クッソッ……、んで……、っんな死に方だよ」

 片腕を失った小晴は、壁に背を預けて座り込み、血と悪態を吐き出す。

 腕からとめどなく溢れる血液が、小晴のいる地面を赤く染めていく。

「あたしさあ……、さっすがに、こんなクソ世界になったもんだから、いつかはあのゾンビどもに食われて死ぬんだと思ってたぜ……、それがどうだよ、死因は人間かぁ? クソだ、マジでさ。あークソだ、マジクソ」

 口を悪くしながらも、小晴はその顔に笑みを浮かべている。

 苦悶に歪むギリギリを保つような、瀬戸際、今際の笑顔。

 小晴が片腕を失った理由は、私と小晴の隊が探索に出た街にいた、別の避難所のやつらのせいだった。部隊を逃がすために私と小晴が残り、二人で相手を全滅させたものの、代わりに小晴の腕が失われた。

「人殺しは嫌いじゃなかったのか、小晴」

 ゾンビを殺すことは割り切っていれど、人殺しを小晴は好まない。

 今回小晴が殺したのは、十人以上にのぼる。

「好きでやらねえって、そんだけだ。けど、やっぱ億劫だ。興が乗らねえと、やっぱ動きも悪くなるんだな。おかげで、致命傷うけちった……」

 失われた小晴の片腕。

 部隊を逃がすためとはいえ、辟易しながら、苦しみながらそうしていたものだから、せまる気配に気が付けなかったのだ。迷いは簡単に人を弱くする。

「死ぬのか、小晴」

 小晴の傍に片膝をつく。

「かっはは……悪ぃなあ、海月。さすがに、これじゃあ人間は生きてらんねえや」

「片腕を失っても、よく喋るじゃないか。それに、よく笑っている」

「そりゃあ、そうだろ……あたしが死んでさ、海月があたしのことを想い返すとき、あたしの顔が歪んでたら、そりゃあ、死ぬもんも死ねねえよ。へらへら笑っていつも通り。そういう顔を、さ、思い出してくれや」

 口から血を溢れさせて、小晴は笑う。

 いつも通りだなんて、とてもではないけれど言えたものじゃあない。しかしそれは失われた腕や吐き出される血液のせいで、小晴の笑みは小晴の狙い通りの効力を持っていた。

「博士も、人間に殺された。小晴も同じなのか?」

「博士……? ああ、海月を、作った人か。そう、なりそうだな……、それが、なんだ?」

「……いや、共通点だなと」

 あまり話すことが得意な方ではなかった。

 しかし、小晴がいつだって明朗に話すものだから、私は少しずつ口数が増えていって、誰かとの会話に困ることも少なくなった。博士だって小晴と同じようによく喋る人で、二人のおかげでその能力も育ったろうに、それを最も発揮したい今に、うまく言葉を紡げそうにない自分が、酷く憎らしかった。

「あー……、せめても天寿くらいは、海月と一緒にいたかったぜ……」

「不老不死なんだ、私は。置いて行かれる覚悟くらいしているよ。気にしなくていい」

 なんて、考えたこともないくせに、私の口はそんな言葉を選んでいた。

「か、はは……あたしが気にしてんだって。クッソ……死んだら、笑えねえよなあ。無表情に、なっちまうぜ……」

 わずかな時間で、小晴の瞳から生気が失われていく。

 それでも、小晴はまた笑う。

「なあ、海月」

 そして、大きく息を吐く。

 さながら、私に残す言葉のために、準備をしているかのようだった。

「お前にとっちゃあさ、あたしの死は、不幸、なのかもしんねえけど、あたしにっ、っぅぐ……、すれば、さ、あたしの最期に、海月の顔があるって、結構、幸福なんだぜ……?」

「小晴は、幸福の中で逝けるのか」

「お前の、おかげだよ……海月。あたしは、幸福だ。覚えとけよ。幸福、なんだぜ。こんな世界の死にざまで、それってすっげー、こと……んだ……ぜ」

「そうか……、だが、私は小晴にまだ生きて——、小晴……?」

 軽く下がっていた瞳を上げた頃、小晴の顔にはもう、笑みは浮かんでいなかった。


 そうか。

 小晴は私についてこなかったのではなく、ついてこられなかった——死んだのだったか。

 昨日ヴァニアと話している間も、小晴は生きているものだとばかりだと思っていた。

 小晴が死んでどうしたものかと思っていたら、それでも探索に出ろと上の連中がうるさかったから、私はあの街を離れたんだった——ろうか? 人の死に安いこの世界。不老不死でなくとも置いて行かれることが常だろうこの世界で、博士や小晴の他に、私にとって価値のある人間を持ちたくなかったのだったか。

 死んだ事実を失念する私は薄情なんだろうか。生きていた時のことが思い出せるのなら、それには当てはまらないのだろうか。不老不死だから忘れてしまうのだと理由は作れても、私自身がそうである可能性から目を逸らしているだけのような気がしてしまう。不老不死は性質であって、私の性格ではない。

 先日猫又に荒らされた部屋の中は特に片付けていない。どうせ近いうちに離れる家なのだから、綺麗に保つ必要もないだろうという判断を下した。

 大荒れの家の中、被害の少なかったベランダで、私は、小晴が死んだときのことを、昇りかけた太陽の光で思い出していた。私は眠ることが無いから、眼を閉じて、私の思い出の中に意識を集中させて、会話を思い出すほかない。声や匂い、眼の色、口元、鼻の形、顔が少しずつでも薄れていくことが分かっているから、頻繁に思い出して、出来うる限りの鮮明さを保つ。

 幸福を思い出し続けるための大切な作業であり、手ごろに得られる幸福の手段だ。

 それなのに、思い出したのが死の瞬間だというのは、どうにもままならない。あるいはあの思い出が、私にとっての幸福の形だったとでもいうのだろうか。

 冗談じゃないな、まったく。

「くあげぇ……」

 朝。明朝。空が白み、輝いていた星が見えなくなってきたころ。

 つまりはヴァニアがお眠のころ。

 セーラー服を脱ぎすて、サイズの合っていない私の服を肩からずり落としそうにしながら、ヴァニアは目をこする。

 夜は活発なヴァニアも、こうして眠気が訪れると精神的に随分幼くなる。夜だって、活発というだけで精神的にも見た目的にも幼く見えるけれど、眠る前はこの通りだ。

「いっしょに、ねよ……?」

「私は眠らないよ。眠ることがない。何度も言っているだろう?」

「じゃあ、ねむるまでそばにいて?」

 ヴァニアは目をこすりながら、私の袖を小さく引いた。

 信じがたい話、これでも私よりずっと年上のはずである。

 子どものようだと思うが、実際子どものようだし、断る理由なんてないから、私は眠そうなヴァニアを抱き上げる。

 地上十二階のこの家。一番日の入りづらい北側の部屋。部屋にある唯一の窓に分厚いカーテンを何重にもかけたその部屋へとヴァニアを運び、ベッドに寝かせる。猫又に荒らされたのはリビングとその隣の部屋である食べ物置き場だけで、この部屋は全くの無傷だ。

 ベッドに下ろしてなお、ヴァニアは私の袖から手を離さなかった。

「眠るんだろう?」

「なにか、おはなし、して……?」

 袖を掴んだ手を動かして、私の手を握ったヴァニアは、上目遣いに私に言う。

 子どもがいるというのはこういう感覚なのだろうかと、前にも思ったような。

「縄に手を縛られそうになったら、両の掌を自分に向けるようにして縛らせるとい。手を合わせたときに隙間が出来て、縄抜けが出来る」

「はなしのちょいすが、へん……」

「人間の脳は百パーセント使われている」

「わたしたち、にんげんじゃない……」

「カタツムリは殻の巻きの向きが違うと子どもを作れない」

「へー……」

「私が研究施設を出て、初めて会った人間が、私が初めて手を下した人間だ」

「……?」

 寝ぼけ眼で、それでもヴァニアは軽く首を持ち上げた。

 どうやら興味を引く話だったらしい。

「研究所のやつらをゾンビに喰わせてから、私はしばらく研究所にいたんだ。何もする気が起きなくてね。どれくらい長くいたかは覚えていないが、ようやく腰を上げて研究所の外へ出ると、世界はこの有様だった。その中で、初めで出会った女性だ」

 目を閉じて、少し思い出す。

 私が研究所を出て初めて会ったのが、避難所の外で出会った名前も知らない彼女だったと思う。名前も知らないというか、私から名乗ろうとはしてみたのだけれど、彼女に名乗ることを止められてしまったのだ。——いなくなった時に、寂しいから——そういう理由だったと記憶している。ならば私はそれに該当しないのでは、とも思ったのだけれど、私が不老不死であることは隠していたし、彼女も名前を言わなかったから、私の方から聞くこともなかった。歳も聞かなかったが、私の見た目のそれとそう離れていないだろうと思う。

 特別な女性ではなかった。いきなりゾンビの世界にされて、どうにか一人で必死に生きているだけの、どこにでもいる女性。ともに過ごした時間も、そう長くはなかった。

「お前は、どうして避難所に行かないんだ?」

「行きたいとは思ってるんだよ? 場所も分かってる。でも、ちょっとずつしか進めないだけ。いっぱいゾンビがいるから」

 元居た避難所がゾンビに襲われ、命からがら抜け出したものの、一緒に逃げた仲間は感染し、あるいはゾンビに食われ、一人ぼっちになったらしい。別の避難所を目指している最中に、私と出会ったんだそうだ。

「私ね、こんな世界になる前は、毎日死んじゃいたいって思ってたんだ。いろいろあってさ。でもこの世界になってからは毎日「死にたくない」ってそればっかりでね。昔の私は、生きることが当然になっていたんだと思うの」

「生きることが当然とは、どういう意味だ?」

「えっ? それは……うーん、うまく言えないけど……生きることに慣れちゃってたっていうのかな? 周りにある全部が、当然のようにそこにあると思うようになってたの」

「ならばお前は、この世界になってよかったと思うのか?」

「ううん、全然。友達も家族も、大切な人は皆死んじゃったから。寂しくて、悲しいなって、そう思う。毎日、毎日、その繰り返し」

「それならなぜ生きる? 自ら命を絶てないわけでもないんだろう?」

「ふふ、どうしてだろうね。私の身体が、心が、生きたいって言ってくれてる気がするんだ。まだまだ生きられるよって。自分の欲求に、ちょっとだけ素直になってみてるだけなの」

 そう言った彼女は、どこか照れ臭そうな笑みを、私に向けていた。

 いまいちその笑みの理由が私には理解できなかった。

 結局彼女は、不意に入った家にいたゾンビに噛まれて、死んでしまった。

 死ぬ直前まで彼女は「死にたくない!」と、ボロボロと涙を溢れさせながら、懇願するように、必死な様子で私に縋っていた。

 足首の辺りを噛まれた彼女。そこからとめどなく血を流し、いよいよ立っていられなくなって、壁伝いに座り込んだ彼女の傍で、私は彼女に告げた。

「お前が死んだ先には、きっと、お前が大切にしてきた人間が、みんな待っているよ。死ぬのが恐ろしいという感覚が私にはよく分からないが、お前が大切にしてきたものがあるのなら、死後に不安などないだろう。仮にあったとして、杞憂になるだろうさ」

 なんて、随分私らしくない言葉を吐いたものだった。

 私の言葉を受けた彼女は、ハッとしたような表情を浮かべた後、少し瞳を下げ、顔を上げるころには安堵したような表情で。

 そのまま、何を言い残すでもなく逝ってしまった。

 彼女がゾンビに変わってしまう姿を、どうしてか見たくないと思ったので、彼女の死後、その頭部は手斧で吹っ飛ばしておいた。

 人間として死んだあと、ゾンビにならないように処理をしただけなのだから、私が手を下したとは言えないかもしれないが、それでも、あの時の感覚は、そういう種のものとして今も記憶に残っている。

「手を下したという感覚。それがなぜなのかは、今も分からない。曖昧なことはすぐに忘れると思っていたんだが、こんなにも記憶している。きっと私にとって、なにか大きく感じるものがあったんだろう。ああ、そういえば、そいつの行こうとしていた避難所で、昨日言った小晴に会って——」

 ヴァニアは、小さな寝息を立てて眠っていた。

 名も知らぬ彼女は、誰と何を共有してもいなかったのに生きていた。死にたくないという言葉で、生きたがっていた。思えば私が彼女に与えた最後の言葉は、これまで生きてきた彼女を否定するような言葉ではなかったろうか。

 そう思うと、残酷な言葉で、彼女の生涯を締めくくらせてしまったのかもしれない。

 あの笑みは、それを否定してくれるだけのものだったのだろうか。

 私には、どうにもわかりそうになかった。

「……さて、と」

 小さなヴァニアの手からゆっくりと私の腕を引き抜き、布団をかけなおし、軽く頭を撫でてから、私は部屋を出る。

 部屋の扉には、室内のカーテンと同じように、何重かのカーテンをかけておいた。

 吸血鬼の弱点は日光。死にはしないらしいけれど、忌避するもの。ただでさえ光の入らない部屋とはいえ、念を入れておくに越したことはないだろう。

 ヴァニアを寝かせ、ぐちゃぐちゃのリビングに戻った私は、この街を離れるという話を思い出す。

 しかして、不老不死の私に吸血鬼のヴァニア。持っていくべきはなんだろうか。

 私は食事を必要としないし、ヴァニアの分も私がいる以上必要ない。

 武器を持っていくなら、私の手斧で十分だろう。

 夜はヴァニアがいるし、昼間はヴァニアが眠ってしまうから、移動する気もない。

 あとはせいぜい、服だろうか。

 私は代謝をしないから服が汚れることはそう多くないし、そもそも服なんて出先で調達すればいい。

 他には、何かいるだろうか。

 不死の私が旅に必要とするものなんて、意欲くらいのものだろうか。

「ヴァニアが起きてから考えるか」

 ヴァニアなら、何か必要なものを思いつくかもしれない。

 大荒れのリビングに戻って、ヴァニアが描いてくれた私の絵を発見する。

 ——このスケッチブックを持っていくことにしよう。ヴァニアが私のために描いてくれたものだ。

 ふっと笑んで、そう思った。

 双眼鏡をもってベランダに出ると、椅子にはクマのぬいぐるみが座っている。

「おはよう、フェネック」

 私が「クマ」としか名付けていなかったこいつは、ヴァニアによって「フェネック」という名前が与えられた。「私たちと一緒にいるんだから、不死の名前を冠さないとダメだろ」という理由から「フェニックス」をもじったらしいけれど、これでは熊でも鳥でもなく、ただの狐だ。

 フェネックを抱き上げて、膝の上に乗せ、椅子に座る。

 双眼鏡で街を見下ろしても特に変わった様子はなく、昇ったばかりの太陽がまぶしかった。

 夜はヴァニアが起きているから退屈することはないのだけど、日が昇るとヴァニアは眠ってしまうから、私にとっては退屈な時間の始まりになる。さんざん言ったとおり、私は眠れないから、睡眠によって時間を潰せるヴァニアが、純粋に羨ましかったりする。

「フェネックも眠らないな」

 当たり前に、フェネックは目をつぶらない。

 目を開けたまま眠る人もいるとは聞くけれど、フェネックは人ではない。

 つまりは人外なのでは? そんなことを考えてみる。

「ヴァニアはもう眠ったよ。部屋が静かになったが、寂しくもなったな」

 そうして私は、いつもの一人問答を始める。

「感傷的な気分というやつだ。思えば、ヴァニアがここに来た日だったか、一緒に風呂に入ったときのヴァニアも似たような感じだったな」

「そんなことを言われても見てないから知らない」

「そうだった。フェネックはあの場にはいなかったんだな。ほら、あそこの銭湯で風呂に入ったんだ。今でも時折一緒に入る」

 時折一緒に、というか、風呂に入るときは必ず二人で入る。

 ヴァニアが一緒に入ろうと言うのだ。「風呂に入るときに襲われると面倒だろ? 私が全部やっつける!」とかなんとか。

 だったら一緒に入らずに、一人ずつ入って見張りをすればいいじゃないかと思ったりするけれど、ヴァニアがゾンビを倒すのには、湯船の中から空をひっかけばいいだけなのだ。そんな心配も杞憂である。

「湯はちゃんと変えているよ。ほら、あそこに見える川からくみ上げてくるんだ。なかなかの重労働だよ。ヴァニアがいると楽に済むんだけどね」

 半端な都会のこの町には川が一本通っている。

 時々ゾンビや死体が浮いているし、一応のろ過装置のようなものは作ってあるとはいえ、風呂として使うだけだからそこまで気にしていない。

「ヴァニアを見ていると、つくづく私がただの不老不死だと理解させられるよ。どうせならヴァニアのように、力が強いとか、空を飛べればよかったのだけどね」

「お前は空が飛べないのか?」

「そりゃあ不老不死なだけだからね」

「博士の知識はないのか?」

「教えてもらったことはそれなりに思い出せるよ、怪異のこととかね。だけど、思い出せないことが増えているだけだともとれる。小晴の死すら覚えていなかったんだよ、私は」

「まあ旅に出れば、いよいよ時間のことなんて必要なくなるさ」

「そうだね。でも、なにぶん不老不死に吸血鬼だからね。旅に必要なものがこれといってなくてさ。どうしたものかなあと、悩む必要ようもないんだろうが、いまいち締まりがない」

「旅をしていたやつに訊けばいい。そいつが死んでいるのなら、荷物を調べたりな」

「ああ、確かに」

 旅といえば、私たちは最近、ずっと一人で放浪を続けていた人物に会っていたのだった。

 苗字は失念してしまったが、たしか名前は影。野槌の変異種に喰われてしまった時に、影の荷物は野槌のゾンビが吐き出していたし、あそこに旅の参考になるようなものが入っているんじゃないだろうか。

「ヴァニアは寝たばかりだが……、まあ、私一人でも平気か」

 私は、久しく一人で街へ繰り出した。


 2


 ヴァニアが来てから、一人で外に出るのは初めてかもしれない。

 ヴァニアの力を見続けてきた身としては、ヴァニアが来るまで斧一本で過ごしていたし、新たに手に入れたリボルバーも携帯しているとはいえ、この装備だけではなんだか不安だ。ヴァニアが一緒にいると、ヴァニア自身が兵器みたいなものだし、ただでさえ欠けている警戒心が、さらに消失するのだ。

 そんな緊張感を掘り起こして、私はなんとなくの警戒心を抱きつつ、町を進んだ。

 道中ゾンビに会っても問題なく殺せたとはいえ、少しだけ危ない瞬間もあった。

 噛まれたところで感染しない私に、危ない瞬間なんてものはないはずなのに。これもまた、ヴァニアが一緒にいるからこその弊害なのかもしれない。

 ともあれ、影の死体の場所、ヴァニアと出会った例の道に到着する。

 そこにはゾンビが数体戻ってきていた。危なげなくゾンビ全てを処理する。荷物の傍にかがみ、バックパックを開く。食料、弾薬、手製の火炎瓶のようなものや爆弾のようなもの。包帯などの治療道具。

 あの時も思ったことだけれど、かなり逞しい生き方をしてきたらしいと、バックパックの中身だけで簡単に分かる内容物だった。衣服がほぼないのはやはり現地調達のためなのだろう。治療道具という考えはさっきうかばなかったが、私とヴァニアには必要ない。

 私のように食料も水分も、ややもすれば武器すらいらないようなものには、縁遠いバックパックの中身だ。

 と、サイドポケットに、地図を見つけた。

 確かに、地図という発想はなかった。ヴァニアと旅をして私の死ぬ方法を探す際に、すでに探した場所にチェックを入れて行けば、同じ場所を二度探すようなことはしなくて済むだろう。ヴァニアがどうだかは知らないが、私の記憶力はたかが知れている。

 影が持っていたのはどうやらこの辺りの地図のようで、そこには赤色のペンでバツ印だったり、大きな丸だったり、何かのサインが書かれていた。

「……おや?」

 その中には、私のいる地域と思われるような部分もあり、そこには「吸血鬼?」と書かれていた。

「なぜ影がヴァニアのことを?」

 影は、銀髪に真っ赤な瞳のヴァニアを見ても驚いた様子は見せていなかった。

 ヴァニアが吸血鬼だとは思わなかったなんて、無理のある理由で置いておくにしても、しかし、影が吸血鬼の存在を知っていた理由は一体なんだ? 荷物を見るに、影が一人旅をしていたというのは事実だろう。爆発音に寄ってくるような危険な好奇心こそあれど、それだけの逞しさも持ち合わせていた。そういえば、影は少し前に町に顔を出したとも言っていた気がする。その際に吸血鬼の存在を聞いたのだろうか? そして、ヴァニアを乗せていた護送車が目的の街に辿り着いていないことも聞いた。

 襲われたのなら、二点の避難所の間のどこかだと、この辺りに目星をつけた。

 だとするなら——。

「少し、いやな予感が——」

 と、そう呟いたとき。

 私の首が飛んだ。


 3


 景色がひっくり返って、私の身体が見える。

 人は自分のことを鏡でしか確認できないというけれど、私は自分の身体をこうしてこの眼でみることが出来る。

 ひょっとしたらヴァニアもできるかもしれない。

 ともあれ。

 しばらくして、私の意識は自分の身体の方に移る。身体を起こすと、さっきまで私を見ていた私の顔が、虚ろに私を見ていた。

「……?」

 私の首を飛ばしたその少年は、口を開いたままに目を見開き、露骨に驚きの表情を浮かべていた。

 私よりは低身長。ヴァニアよりは頭一つ分ほど高い。黒髪の短髪で、皮膚を除けば、上から下まで、夜の闇を表すかのように真っ黒い服を着ている。右手に持った鉈が、おそらく私の首を飛ばしたものだろうと思う。

 見た目的な年齢は私よりも下で、ヴァニアよりも上。私もヴァニアも年齢不詳なので、若くは見えるが、実は相当年老いている可能性もある。

 しかし、少年と私が称する程度には、若々しい少年だった。

「いきなり首を飛ばすとは、失礼じゃないか。死んだらどうしてくれる?」

 首を回しながら立ち上がり、私は不敵に笑んでみる。

「な、なんだ。お前は……」

 狼狽しながらも、少年は口を開く。

 低いながらも、やはりそれなりの若々しさを感じさせる声だった。

「吸血鬼……じゃ、ないな。吸血鬼なら、こんな太陽の元に平気で出られているわけがない。だが、怪異の類でも、ないな……」

 ぶつぶつと何かを呟いているのがうっすらと聞こえる。

 吸血鬼、怪異。どうやら、いろいろと知っているらしい。

「ゾンビでも、ないよな。人でもない……、お前は、なんだ?」

 私の正体を掴みかねているだろうに、臆した様子はわずかに、瞳を鋭く、少年は鉈を私に向ける。

 私の嫌な予感は、まさにこれだ。

 ヴァニアを輸送中の移送車が、目的の街につかなかった。ゾンビになることもなく、驚異的な再生能力を持つその存在を、野放しにしておくわけはない。つまるところ、私の予想通り、ヴァニアを再度捕獲しに来たということだろう。捕獲隊が何人いるのか知らないが、こいつは斥候だろうか。

「私が何者か分かったとして、どうする?」

 斧を片手に持って、私は臨戦態勢に入る。

 集中していたとはいえ、私に気づかれないままに近づいて、鉈で私の首を飛ばした。

 首にある骨の太さは私も分かっているつもりだ。

 それをこんなにもあっさりと。

「お前を、連れて行く」

「町にか?」

「研究する。ワクチンが出来るかもしれない」

「私の血を飲んだところで私のような再生能力は得られないよ。この性質は人に渡せるものじゃない。いろいろ研究されたから、それくらいは知って——」

 ふっと、少年は霞むように消え、次の瞬間に、また私の首は飛んでいた。

 しかし私も学ぶ。宙に浮かんだ首をつかみ、もとあった位置に叩きつけた。

 首はくっつき、切り離された髪もすぐに元の長さに伸びきる。

「なんっ、なんだよ、お前は——!」

「狼狽えているところ悪いんだが、私からすればキミが誰かが分からない。名乗ってくれないかな。そうすれば自己紹介くらい返すさ」

 言うことを聞いてはくれず、少年はまた私の首を飛ばし、私はそれを空中でつかみ、またくっつける。

 しかしこの少年。三度も首を飛ばしていながら、動きが全く見えない。

 ——副隊長を、小晴の動きを、思い出す。

 あいつもこれくらい人間離れをした動きをする奴だった。

 今の私がなまっているからこの少年の攻撃が避けられないのだろうが、小晴の動きはもっと早かったはずだ。小晴の戦いを隣で見ていたころなら、この攻撃も避けられただろう。惜しい奴を亡くしたものだ。

 とはいえ、昔の感覚が、少しだけ戻ってきている。

「何度やっても同じことだよ。私は細切れになろうが液体になろうが死なない。殺したければ、なんていう忠告が意味をなさないほどに死なないんだ」

 少年は、鉈を両手で握り直す。

 私は息を吐いて、軽い前傾姿勢を取った。

 次の瞬間。

「——⁉」

「——っっ!!」

 私の斧が、少年の鉈を止めていた。

 とんでもない力だ。踏ん張って止めたものの、そう長くは持ちそうにない。

「名乗ってもらっても、いいかな——!」

 力んで、震えた声で私は問う。

 少年は、鉈を奮って、私から距離を取った。

久水ひさみずびょう

 私を睨み、しかし、秒は名を名乗った。

「そうか、初めまして、秒。私は昼神海月という。しがない不老不死だよ」

 斧を構え直して、私も自己紹介を返す。

「私のことを人外だと言ったが、私はどうやら人間らしいよ。不老不死でもあるというだけだ。むしろ、キミのその人間離れした動きの方が、人外だと思わせるには十分なんだがね」

「その人間離れした動きに、お前はついてきてるだろ……」

「人間離れした人間を知っていてね。そいつよりも動きが遅かったものだから。そろそろ慣れてきたところだよ」

 実力だけで見れば、小晴は私なんかよりもずっと上だった。

 あいつが提案したから隊長をやっていただけなのだ、私は。「あたしは美人の下につきたいし、こきつかわれたいし、手玉にとられてえんだ」とかなんとか、小晴が言っていた覚えがある。懐かしい思い出だ。

「首を飛ばしても死なない……、弱点はないのか……?」

 秒は、またぶつぶつと言い始める。

「さっき言ったが、私は不老不死だ。液体になっても死なないんだよ。殺す方法を模索して、私の血液で私の服をダメにするのはよしてくれないか? 友人が選んでくれたんだ」

「何をしても死なないなら、手加減の必要はないよな」

「初めに首を飛ばしたのだから、今さら手加減も何もないだろう」

 秒の鉈と、私の斧がまたぶつかる。

 鉈と斧では、重さが違いすぎるし、使い勝手も違いすぎる。ゾンビ相手しか想定していない私は、そこまで速く斧を振ることが出来ない。

 秒は、私の斧をはじき、その切り返しで私の腕を切り落とす。握っていた斧が、腕とともに地面に落ちる。私の視線もその斧へと落ちたところで、身体を切り刻まれた。

 しかし。

「なんど、言えば、わかるのかな……、死なないんだよ」

 切り刻まれ、バラバラになって地面に転がろうが、私は再生する。しかし服だけは再生をしないから、ヴァニアにいろいろ試された時のような格好になってしまった。

 きゃー、だ。

 秒は私から距離を取り、私を睨みながらも呆然と立ち尽くしていた。

 私は軽く息を吐いて、地面に転がった私の斧を拾い上げる。

 バラバラになった私の肉片。その最も大きな部分から私は復活するわけだけれど、他の部分は私の足元に転がったままだ。あとでゾンビが食べつくすのだろうが、そうなったらヴァニアに怒られてしまうだろうか。

「少し訊きたいんだが、秒。これくらいの背丈で、髪を後ろで一つに結んだ女性を知らないかな? 一人旅の放浪人らしい」

 完全な再生を終え、私は問う。

「秒がどこから来たのかは知らないが、吸血鬼を探しに来たのだろう? 予想するに彼女も似たようなもので、その存在を街から聞いたんじゃないかとも予想している」

「………」

「彼女は死んでしまったが、さっき彼女のバックパックを漁った際に、ここいらに吸血鬼の捜索隊でも来るんじゃないかと予感してね。ひょっとしたら、秒はそれかな?」

「………」

 まったく、ちゃんと会話をできるだけの口と声を持っているのだから、私と会話をしてほしいものだ。フェネックと話しているような気分になってくる。

 沈黙は最大の肯定。しかし、秒のそれはただの無視だ。自分ごとに集中しないでもらいたい。

「さて、私を殺そうと躍起になってもらって構わないが、体力を消耗するだけだよ。秒の目的でも訊きたいね」

 秒は何も言わないまま、また鉈を構える。

「まったく、仕方ないな」

 私は、秒が踏み込んだところで、胸ポケットに手を入れた。

「がぁっ! うぅぐ——!!」

 素早く取り出したリボルバーで、秒の足に向けて、発砲した。

 このリボルバーはヴァニアが囚われていた護送車と、その護衛の装甲車。その護衛に当たっていた者が持っていたものだ。前に影が教えてくれた通り、弾には限りがあるし、そう頻繁に撃っていいものじゃあない。だからこそ、私の獲物が斧だけだと油断したとき、つまりは、最大の効力を発揮する瞬間のみに、使用する。

 なるべく出血の少なそうな場所、足の甲を狙ったその弾丸は狙い通りにそこを捉え、秒は地面に倒れ込んだ。

 リボルバーをしまって、私は秒に近づく。

「さて、話を訊かせて貰いたいな」

「………」

「ほら、足を出してごらん。治療くらいはしてあげよう。ちょうどさっき包帯を手に入れたんだ。治療の経験はないが、包帯を巻けばいいんだろう?」

「……そのっ、必要は、ないっ———!」

 言って、秒は私の顔を掴んだ。

「? 何をし——っ!!」

 秒の手を振り払って少し距離を取る。

 何をされたのかは分からない。

 視界が霞んでいる。

「これは……、なん、だ……?」

 意識が朦朧としている。

 これはおそらく、不老不死の私には初めから存在していなかった、眠気というものだ。経験したことのないものだとはいえ、そう悪くない感覚だ。

「あ、はは……とはいえ、楽観視も、して、いられ、な……」

 ぐらりと、身体が傾く。

 私は、意識を失った。


 4


「ん、う……、夜」

 起きたら部屋が真っ暗なのは夜だから。そして、海月が私の部屋を真っ暗にしてくれるから。吸血鬼の私が日の光を嫌うからと、海月が丁寧に暗闇を作ってくれた。

 愛しい海月。私の食料。

 ゆるりと身体を起こす。

 軽く体をほぐしてから、暗闇の中で迷わず扉を目指す。吸血鬼だから夜目が効く。

 扉を開けると、月明かりがぼんやりと私の足元を照らした。

「くらげー」

 廊下に私の声が響く。

 返事がない。というか、海月の気配がそもそもない。

 日が落ちるころには私が起きるし、その時にはいつも必ずいてくれるのに。

 どうしてだろうと思いつつ、私はぐちゃぐちゃのリビングに向かう。

 猫又に大荒れにされて、片づけようかみたいな話を海月ともしたけど、近いうちに離れるからと、結局そのまんまだ。だけど、よく使う机だけは新しく用意してある。その机の上に、海月が描いてくれた私の絵が置いてあった。がれきに埋もれたものを海月が見つけて、戻してくれたんだと思う。

「んふふ。海月は、絵が下手だなあ」

 本人を相手に真正面からそんなことは言えなかったけど、これはゾンビと見まがうほどの絵だ。いっそゾンビの絵だと言ってくれた方が上手だったのに。

 ふふっと、また少し、私は笑んだ。

 ベランダにはクマのぬいぐるみ、フェネックがいた。

「フェネック、海月は?」

 肩からずり落ちた海月の服を持ち上げつつ、フェネックに訊いてみても、当たり前に返事はない。

 部屋を見渡して、斧とリボルバーがないことに気がつく。

「一人で出て行った?」

 この時間に? 一人で?

 私が起きてくる時間だっていうのに。

「ぶー」

 服と部屋に残った海月の匂いを堪能しつつも、首を傾げて、私はセーラー服に着替える。

 ずっと着てみたいと思っていた服だからか、着心地は結構好き。海月の服の次に好き。この服に海月の香りがついていたら満点だと思う。

 寝起きの伸びと軽いストレッチをして、私はベランダから外へ飛び出す。

 こんな風に羽根を伸ばして空を飛んでいたら誰かに見つかるかもしれない。でも、空から探した方が早く海月が見つかる。ひょっとしたら海月が見つけてくれるかもしれない。他のやつに見つかったら……、まあ、その時は殺せばいい。

 しかし、部屋に残っていた海月の香りが薄かった。あれは多分、朝の内、私が眠って間もないころに出て行ったんだと思う。

「私がいたらダメだったのかな」

 一緒に連れて行くのがいやな場所でもあったのかな?

 別にどんな場所でも気にしやしないのに。むしろ、海月がいないことの方が問題なのに。

「いいや」

 薄く残った海月の匂いを頼りに、夜の空を私は進む。

 と、思っている間に到着。私が捕まっていた護送車のある道。

 海月が一緒にいないから、雑に、それでも早く飛べる。大したことのない距離だ。

「……あれ?」

 海月がいつも使っている斧が、あの時のリボルバーが、道に落ちている。

 足元にある肉片から、周りをうろつくゾンビから、海月の匂いがする。

 海月がここでバラバラになった。

 海月がここで食われた。

 海月をバラバラにしたやつがいる。

「誰だ。誰だ誰だ誰だ誰だ」

 私の海月をバラバラにして、ゾンビに食わせた。

 私の大切な海月に、勝手に手を付けたのは、そうさせたのは、誰だ。

 海月の香りは薄い。でもまだ辿れる。

「殺す」

 海月に手を付けるやつ。私から奪ったやつ。

 誰だろうと、全員。

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