だらだら

 『だらだら』


 1


 翌日、私とヴァニアはダイニングテーブルに座って呑気にお絵かきをしていた。

 私は足を組んで、その上にスケッチブックを乗せる。ヴァニアは椅子に座って、足をぶらぶらと揺らしながら、机の上にスケッチブックを広げていた。

 向かい合った私たちは、お互いにお互いの絵を描いている。

「私、絵なんて見るだけだったなあ」

 勝手なイメージ、ヴァニアは絵が下手そうだと思っていたけれど、机の上に広げたスケッチブックに描かれた私の絵は、見るだけと言っている割に相当の出来栄えだった。

 私を知っている人がこの絵を見たら、誰でも私の絵だと言うだろう。

「ヴァニアも長く生きているんだろう? 暇つぶしの方法として、絵くらい思いつくのに苦労しなさそうだが」

「人がいっぱいいたからな。眺めてるだけで楽しかったんだ」

 実は私も絵を描いていたことがあって。始まりをたどれば、博士の傍にいたころだ。

 暇な時間ばかりだったから、博士が教えてくれたのだ。博士の絵は、誰が見てもわかるくらいに壊滅的だったと記憶している。

「海月、最近は描いてなかったのか?」

「性に合わない、というのかな。描いてはいたんだが、そう頻繁でもなかったよ」

「じゃあ今まで何してたんだ?」

「トランプタワーを作ったり、シャボン玉をしたり」

「トランプタワーはともかくとして、シャボン玉なんか一時間くらいしか潰せないだろ。ぷかぷか泡吐くだけだし」

「泡を吐くだけがシャボン玉じゃない。想像力も創造力もないな、ヴァニアは。私が何年不老不死をやっていると思っているんだ」

「覚えてないんじゃなかったのかよ」

「む、そうだった」

 私がヴァニアに勝っているのは、不死性と身長くらいのものだけだ。

 年齢で言えばヴァニアの方が相当上だと推測するものの、ヴァニアは子どもっぽい部分がある。眠そうにしている時なんかは、完全に幼女のそれだ。

 どんな生き方をしてきたんだと、心配になる。

「ヴァニアは、向こう——西洋の方で、どういう暮らしをしていたんだ?」

「時々人を食べて、あとは高くから人を眺めたり……、いろんなとこ旅して、世界遺産回ってみたり。あんまりひとところにはいなかったかも」

「世界遺産か、印象に残っているところは?」

「エッフェル塔かな。私は高いところを飛ぶから、高い建物には惹かれるんだ」

 少しだけ唸って、ヴァニアは言う。

「だったら、スカイツリーもなかなか高いんじゃないか? エッフェル塔の二倍近くあるだろう」

「行きはしたけど、登ったのはゾンビ世界になった後だしな。崩壊した世界で、見ててあんまり楽しくはなかった。それに、エッフェル塔からの景色の方が、街並みが整理されてる感じがして好きだったよ。海月はそういうところ行ったことないのか? 街を出た後、すぐここに腰を落ち着けたわけでもないんだろ?」

「ほんとに放浪してただけだよ。何かを見たいわけでもなかった」

 例えば、ゾンビが作られた研究所を出たばかりのころ、私にはすべてが新しく見えた。

 博士と暮らしていたのは、どこぞの森の中だ。博士と散歩したのは、その森の中くらいだったから、今私が過ごしているような都会をこの眼で見たことがあるわけじゃあなかった。

 博士が殺され、研究施設に幽閉されてからは、外すら見ることが叶わなかったし、博士の恨みであいつらを殺すことに頭の中を専念させていた当時にすれば、それを叶えた直後の世界放浪にもあまりピンと来ていなかったのだ。

 研究施設に連行されたせいで、博士と過ごした森がどこにあるのかも、私には知る由もない。

「なんだかよく分かんなくなってきたんだけどさ、海月が研究されてた研究所と、海月が産まれた場所は違う場所なんだよな?」

「そうだよ。でも、博士はもともとその研究所にいたんだ」

 時系列で言えば。

 博士はもともと、とある研究所にいて、そこから抜けた。その後、抜けた研究所に自分の娘を人質に取られたことをきっかけに、私という不老不死を作成。私が完成したものの、私のような存在を作ってしまった罪悪感から、私が出来たことを研究所にひた隠しにしていた博士。自分の娘の救出と、私の守護を両立させる方法を練っていたもののしかし、私の存在がバレてしまい、博士は殺害された。

 私は研究所に幽閉され、研究過程でゾンビが爆誕。

 怒った私はそいつらを逃がし、今の世界が爆誕。

 以上。たんたかたーん。

 そういうわけだ。

「なんで博士さんは研究所を抜けたんだ?」

「およそ人道的な研究所ではなかったんだ。私も信用されていたとはいえ、研究所を自由に動き回れたわけじゃないんだが、それでも簡単に分かるくらいには酷かったね」

 一応は人の形をとっている私の不老不死性を試すために、毒をジョッキで渡してきたり、ミキサーの中に投げ込んだり、私を閉じ込めた空間を真空状態にしたり、電極を直刺しして高圧電流を流したり、小型の爆弾を飲み込ませてきたり、エトセトラ。

 そんなやつらの本性くらい、研究所をぶらつかずともわかる。

「不死者を作ろうとした理由は? なにかあったのか?」

「私のあずかり知るところじゃないよ。不死の兵士を作りたかったんだそうだ」

「あずかり知るところじゃんか」

 普通の研究所がどんな施設なのかは知らないが、あの研究所は、様々な分野の精鋭が集まって、各々好き勝手に研究する場所だったらしい。

 全員の目的は「不死者の作成」に統一されていたし、自分たちの研究データを共有していたとはいえ、ともに研究を行うことはほぼない程度に個人主義の施設だったんだとか。

 私のような、代謝をしない、その上で腐らない生物の作成。

 形状記憶合金との人間の融合。

 ウイルスやバクテリア、菌類などを用いた、細胞再生の研究。

 魔法が何やら、精霊が何やら、怪異がどうたら。

 まあいろいろあったらしいけれど、そのどれも成功することはなく、不老不死の成功例は私のみだ。博士は凄いだろうと、自慢げに思ったり、あいつらをほくそえんだりした思い出がふと蘇った。

 実験に失敗した人間は、心臓が二つあったり、脳が分裂していたり、それくらいならまだしも、腕と足が絡み合ってねじれていたり、頭部から頭部が生えていたり、身体が縒れていたりと、目も当てられないと博士が言っていた。

 その処理を任されていた研究員も気狂いを起こしているようなやつらで、失敗作だからと、好き勝手に遊んでいたんだとか。

「人体研究ばっかだったのか」

「詳しくは知らないが、怪異も研究されていたようだね」

 だからこそ博士は私に怪異の話をしたのだろう。

 それは例えば、終わることのできない私が、似たような性質を持つ存在にいつか出会えるように。

 博士の願いは、私の眼の前にいるヴァニアが、叶えてくれた。

「海月は、研究所を出て街に入る前までに、誰かに会ったりしなかったのか?」

「会ったよ。二桁ほどは会わなかったと思うが」

 行動を共にしたのは短い時間だけだったし、その多くが、死ぬかゾンビになってしまった。しかし、諸々を簡単に失念してしまう私ではあれど、彼ら彼女らは記憶に値する人物たちだった。

「その人たちと一緒にいようとは思わなかったのか?」

「そいつらは誰かと行動を共にしたいようなタイプではなかったんだよ。こんな世界では一人の方が楽だというのが、そのほとんどに共通した考えだった。というかそもそも、絶対に誰かと過ごすべきではない者も少なくなかった」

「誰かと過ごすべきではないって?」

「こんな世界で一人暮らしをしているんだ。変な奴らばかりだったんだ」

 例をあげるのならば、「神はすべてを許します。だからこれも許します」と言って私の脳天を撃ち抜いた、神社と共存しているわけでもないお寺にいながら、巫女さんの格好をし、神を信奉するやつとか。

 そいつの持っていたマグナム銃で脳天を撃ち抜かれ、それがすぐに再生してしまったたがために、そいつには私が不死であることが割れてしまったけれど、「神は言っています。どうでもいい、と」と言われ、特に気にもされなかった。

 あんな奴、誰かといるべきではないだろう。

 私だって、さっさとそいつの傍を離れてしまったし。

 思えばあいつも、私が不老不死であることを知っている数少ない人物だ。

「じゃあ海月もそいつらに倣って、この街で一人だったのか?」

「思い返してみれば、そうかもしれない」

 この辺りに車が通らないよう、人が来ないよう、来るものすべてを襲っていた期間。思えば、あれは私が会ってきた人々の真似をしていただけなのかもしれない。

 あいつらと同じ道をたどっていたとは……、自覚したくない気付きだった。

「海月がここにどんだけいたか知らないけど、誰とも話さないって、結構苦痛だろ」

「そうは言っても、街に戻る気はしなくてね。退屈だったのは事実だが、私にとって不老不死であることが割れるというのは、研究所の扱いをされることとイコールだ」

「だったら、どうして私の捕まってた護送車を襲ったんだ?」

「退屈していたし、あれだけの護衛があったんだから、襲いたくもなる」

「海月は意外と好戦的だよな」

「気分の問題だよ」

「あはは! ぞっとしないな!」

 ヴァニアはへらへらと笑う。

 人を殺したい気分なんてものは私にはないし、逆に言えば、人を殺したくない気分もない。仮に人を殺したところで痛める心もない。だから殺すわけだ。

 でなければ、何を運んでいるかも分からない護送車を襲って、顔にゾンビをぶつけたり、機銃で銃弾をばらまいたりしない。

「私からも聞かせてほしいんだが、ヴァニアはどうして眷属を作らなかったんだ?」

「手下なんか作ったところで持て余すだけだし、いるか?」

「作らないやつは多かったのか?」

「無駄に作ってるやつもいたけど、眷属のことを吸血鬼の紛い物だって嫌うやつもいたし。それぞれだよ」

「ヴァニアは純正なのか」

「そ。純正の吸血鬼。純正の不老不死の海月と同じ」

 不老不死としては純正だろうけど、私はそもそもの産まれが紛い物だ。オリジナルがいる時点で私は結局、紛い物以上になれない。

 しかしながら、それを悲観したことなんて、これまで一度もない。

 むしろ、博士と同じであると、誇らしく思ったことすらある。

「海月、描けたか?」

 私の絵を描き終わったのか、ヴァニアは私の方を覗き込むようにして言う。

 ヴァニアのスケッチブックには、鉛筆で描かれたにもかかわらず、白と黒以上の色がついていると錯覚してしまうくらいに上手な私の絵が置いてあった。

「私も描けたよ」

 組んだ足の上で描いていた絵を、机の上に乗せた。

「なんだ、海月はゾンビを描いていたのか」

「ゾンビ? 互いの絵を描こうと言ったじゃないか」

「じゃあ、これは私か?」

「ヴァニアは美しい容姿をしているからね、絵ではそれを表しきれないよ」

「……そういう問題じゃない気がするけどな」

 ヴァニアは小さく、何かつぶやいた。

「海月は可愛いな」

「可愛い?」

 表情にこそ出ないものの、久しく露骨に驚いてしまった。

 例えば、私が街にいたこと頃の副隊長の例を挙げるなら「あー! 海月ー! うっつくしいぃー!」とかなんとか、そういう風に美人だと言われることは多かったけれど、可愛いという評価は初めてのものだ。

 きゃー、だ。

「しかし、ヴァニアこそ急にどうした。私が可愛いとは照れるんだが」

「照れてる感じしないぞ」

「ヴァニアほど表情が前面に出ないんだよ。私は不老不死だからね」

「それ言えば全部解決する節があると思ってないか、海月」

「不死だけに、節」

「表情でないわりに、言葉だけは無駄に出るよな、海月は」

「何も出ないよりいいさ」

「はいはい、そうだな」

 呆れたようにヴァニアは言う。

 冗談を考えるくらいの暇は持て余していたし、これは博士から引き継いだもののような気もする。呆れられようが、それを言える相手がいるということは、この上ない喜びなのだ。

「じゃあ、海月的に、私の絵はどーーーーーーーーーー」

「? どうした、ヴァニア」

 突然言葉の端を伸ばし始めたヴァニアに、私は軽く首を傾げる。

「ちょっとキーボードが壊れたんだ」

「……ふむ、よくわからんな」

「海月のよりユーモアはある——、ていうか、そんなことはどうでもよくて、いや、ちょっと申し訳ないと思ったんだよ」

 さっきと同じように呆れのような表情を見せた後、ヴァニアは申し訳なさそうに、軽く視線を下げる。

「なにが申し訳ないんだ?」

「怪異ってさ、一回会っちゃうと他のやつも引き寄せたりするんだよ。本来見づらかった存在を一回見えるようにしちゃったから、普通に見えちゃうようになる、みたいな」

「……よく分からないが、つまり?」

「特に、私みたいに力が強くて有名な怪異なんかは、他の怪異の引き寄せ方が普通よりも強いんだ。だからつまり——」

 言って、ヴァニアはリビング、窓の外へと視線を送った。

 瞬間、窓ガラスが叩き割れ、は部屋へと飛び込んできた。


 2


 見た目は人間のそれと全く同じ。

 頭があって、胴があって、両の手と足は問題なくそこに存在している。しかし、その顔も腕も足も腐敗を始めていて、それがゾンビ化している何かであることは分かる。加えて、地上十二階に位置しているこの部屋に、窓ガラスを叩き割って侵入してきたのだ。およそ人間のそれに出来たものではない。

 つまり、相手は変異種。怪異のなれの果て。

 そして、それが怪異であることを決定づけているのは、もう一つ。

 頭についたと、腰元でうねる

「猫又だな、こいつは」

 窓ガラスを叩き割り、そいつが地面に着地する前に、ヴァニアはそう教えてくれた。

 猫又のゾンビは顔半分を腐敗させながら、残った片目、瞳孔の無いその目で私たちの方をうつろに見ていた。

 猫又の着地。つま先が床につく瞬間に、猫又はたったそれだけで動きを切り返し、私へとその爪を伸ばしていた。鋭い爪が私の首を捕らえる瞬間、私はヴァニアに抱えられ猫又の背後に居場所を変えていた。

「……早いな。ヴァニアも猫又も」

「海月を食べたてだしな。私も五割、ハーフマックスだ。とはいえ——」

 猫又は自分の爪が椅子しか破壊していないことに気が付いたのか、素早くあたりを見回して、すぐに私たちに気付く。

 そして——。

「おっと」

 そこまで広くない部屋の中、猫又はまた過激なスタートダッシュを決める。

 爆発的な発進と、それをヴァニアが避けることによる壁への着地が、また部屋を荒らす。

 私を抱えているからだろう、ヴァニアは反撃をしづらそうだった。もしくは、ヴァニアが攻撃すると、野槌の一件のように破壊しすぎてしまうことを憂いているのかもしれない。

 しかしとはいえ、爆発的な発進と破壊的な着地を繰り返す猫又。ダイニングテーブルは木っ端みじんに破壊され、リビングが隣の部屋とつながろうとしている。

 ヴァニアが何をしたところでたいして変わらなさそうだった。

「反撃しづらいかい? ヴァニア」

「んー、まあ……」

 私には追えない猫又の動きを軽く避けながら、ヴァニアはもどかしそうに言う。

 暴れ回る猫又のせいではじけ飛んだ電球は、もう部屋を照らしていない。よく見えなくなった視界の私と違って、どうやらヴァニアは明瞭な視界なようで、ヴァニアが逸らした身体の傍を通る風圧が、猫又の位置と、その速度を伝えてくれている。

「私のことは下ろしてくれて構わないよ。身体が弾けようが治る」

「治るからって海月が傷つくのは見たくないんだよ。海月だって、博士さんに言われて傷つかないようにしてるんだろ?」

「足手まといになるならば話は別だ。それに、私の取り柄だぞ。不老不死は」

「取り柄なのか」

「そう思ってみるのはどうだろうかと最近思っている」

「なんだかんだ楽しそうだよな、海月は」

「こういうことを言わせてくれるヴァニアがいるからだよ」

 そんな軽口をたたいている中、猫又の爆発はついに、リビングと隣の部屋、食べ物置き場を繋いだ。とんでもないリフォームで部屋が広くなったものの、しかし、その爆発のせいでもう部屋の中はぐちゃぐちゃだった。

 片付けが面倒そうだ。

「蹴り殺すとかは出来ないのか?」

「出来なくはないけど、変に力んでこの部屋を壊すのもなんだかなあって」

「過ごした時間もそう長くはないだろう」

「そうかもしれないけど、思い出も思い入れもあるよ。だから、あんまり壊したくないかな」

「そうか」

 ふと思い立ち、私はヴァニアに問う。

「変異種というのは、怪異とゾンビの混ざりものだったね。だったら、怪異の性質を多少なりとまだ持っているということだよな?」

「そうだけど、それがなんだ?」

「猫又の特徴を教えてくれ。妙案が浮かぶかもしれない」

「猫又の特徴は……まあ、見ての通りの瞬発力と——、あとは猫っぽさ?」

「猫っぽさ?」

 軽く首を傾げたヴァニアに合わせるように、私も首を傾ける。

「またたび好き、日光浴が好き、とかそういうの。猫っぽいなーって思うことがあったら、だいたい猫又も同じ性質を持ってる。猫が人の形をしてるって思えばそのまんまだよ」

「ふむ……よし、私に考えがある」

「妙案かにゃ?」

「妙案だにゃ」

「おお、ノリがいい」

「ヴァニアが可愛いからね」

 ヴァニアに頼んで、リフォームの済んだ隣の部屋へと、猫又の攻撃を避けながら移動する。

 猫又の爆発は、腐敗している身体だからというのもあるのだろう、壁を崩壊させるだけでなく、壁に腐った肉体を付着させていた。さっきヴァニアとお絵描きをしていた机も破壊され、ヴァニアが描いてくれた私の絵と私が描いたヴァニアの絵はひらひらと宙を舞い、しかしなんとか汚れからはその身を逃がしていた。

 私を下ろしたヴァニアに背を向けて、私は言う。

「よし、ヴァニア、ちょっと猫又の動きを止めていてくれ」

「わっしょい!」

「わっしょーい」

 雑に返事をして、私は爆発に巻き込まれながらもバラバラになった缶詰めたちへと視線を落とし、を探す。

 背後で猫又の爪とヴァニアの爪がぶつかる音がする。まるで鉄同士が触れ合っているような金属に近しい音と、軽く火花が散っているのもわかる。月明かりだけの部屋とはいえ、絶えず散る火花のおかげで目的のものが探しやすい。

「腐っても爪は鋭利なんだな、猫又とやらは」

「猫又の主な武器は爪だからな。ゾンビと混じっても、引っ張られなかったんだろ」

 なかなかに激しい音がしている中、ヴァニアは余裕そうにこたえる。

 ヴァニアの強さを野槌の件で見ているのだ。ここが私の家でなければ、猫又ごときは瞬殺しているのだろう。

「よし、待たせたねヴァニア」

「ん。待ったぞ。で、なにするんだ?」

「単純だよ」

 ヴァニアの隣に立ち私は緩く笑む。

 手に取ったのは、とある缶詰。ふたを開け、それを宙へと放り投げる。

「おお! すごいな!」

 ヴァニアは感嘆の声を上げる。

 予想通り、猫又はそれに飛びついた。そして、中身をむさぼるように、腐敗した顔をそこへ押し付ける。二つに分かれた尾は、嬉しそうに振り回していた。

「中身はなんなんだ?」

「これだよ」

 放った缶と同じものを、ヴァニアへ差し出す。

「ツナ缶?」

「猫と言えばツナ缶かなと」

 猫っぽいものがすべて猫又にも該当する性質ならば、猫の好物だろうツナ缶にも飛びつくと予想をつけたのだ。その予想の結果がいかなものなのかは、目の前でツナ缶にくらいつく猫又が教えてくれた。

 作戦が上手くいったことと同じように、ため込んだ食料をこんなにも美味しそうに食べてくれる相手にひっそりと喜んでいるのは、ここだけの話だ。缶詰とはいえ消費期限があるから、ひょっとしたら悪くなっているかもしれないが、そこは腐敗している者同士、ということにしておこう。

「しかし、猫又か……、愛らしいじゃないか」

 ツナ缶にくらいつく猫又の元へ、私はかがんでみる。

 揺れる尻尾と、立った猫耳(片方は腐り落ちている)に愛嬌を感じた。

「危ないぞ、海月」

「ツナ缶に夢中だから平気だろう」

 さっきのツナ缶をもう一つ開け、猫又の近くに置いてみる。

 猫又は私の方を見ることもなく、それにくらいついた。

「こいつってさ、猫缶で腹いっぱいにし続ければペットみたいになんのかな?」

 ヴァニアも私と同じように、猫又の傍にしゃがみ込む。

「なんだい、飼いたくなったかい?」

「いや、単純な疑問。こいつらのこと、実はよく知らないんだよ。ゾンビは人喰って腹満たすんだろうけど、こいつみたいに人じゃなくても腹が満たされるようになったら、兵隊みたいに使えんのかなって」

「ただのゾンビだって、人を喰っても腹は満たされないよ。だから、兵隊として使うことも、ペットとしても飼うことも出来ないね。そもそもそうできるだけの知性もないし」

 ヴァニアの意見は興味深いけれど、私はバッサリと否定する。

「じゃあなんで食べるんだ?」

「そうだな……、ゾンビは腐っているが動き続けているだろう? 筋繊維まで腐敗しているというのに、なぜ動けるのだと思う?」

「あー、再生し続けるからとか? 失敗作とはいえ、海月をベースにしてるんだから、腐っては再生してー、みたいな?」

「二割くらいは正解だ。実際、ゾンビの再生は私の二割くらいのものだからね。前にゾンビを失敗作だと言ったことを、ヴァニアは覚えているかい?」

「覚えてるぞ? 海月みたいになれなかったから、みたいな理由だったよな」

「ああ、その通り。けれど、より希釈して言うならば、一番は、さっき言ったからだ」

 研究所を脱出する前に多少覗いた資料からの情報。軽い勉強の時間。

 私とゾンビの違い。

 私。死なない。食べない。治る。腐らない。

 ゾンビ。死ぬ。食べる。治らない。腐る。

 簡単に言えば、ゾンビは中途半端な私なのだ。

「ゾンビには、食べたがる本能が中途半端に残ってる——って、わけ、だ?」

 ある程度飲み込めたらしいヴァニアは、しかし確認するように、首を傾げた。

「そうだよ。でも、私が食事に意味を持たないように、ゾンビも食事に意味を持たないんだ。だが、それを理解する知性が無い。本能に従うだけの失敗作だ」

 私は猫又の傍を離れて、崩壊した壁の中からリボルバーと手斧を引っ張り出す。

 リボルバーは胸ポケットに。手斧はそのまま自分の手の中に。

「人間を襲うのは?」

「私の予想だが、自分たちが失った人間性を、人間を摂取することで取り戻したいだけなのかもね。目が悪ければ目のいい動物を食べればいいみたいな、あの理論かな」

 さながら、死を持つ生命体になることを、私が望んでいるかのように。

 己が持つ強い欲求に他者を顧みないのは人間らしいのだと、昔博士が言っていたような、そんな話を思い出した。

「んじゃ、変異種はそれと混ざってるから腹を満たしても仕方ない——っていうか、そもそも腹が満たされないのか」

「ヴァニアがゾンビに詳しくないように、私も変異種に詳しくはない。ひょっとすると、例外の怪異くらいはいるかもしれないね」

 言って、ツナ缶を喰らう猫又の隣で、私は手斧を振りかぶる。

 振り下ろす前に、ヴァニアの方へと視線を送る。

「どうした、海月?」

「殺しても?」

「なんでそんなこと訊くんだ?」

「怪異として親近感でも湧くのかと思ってね。野槌はあっさり殺したが、猫又は、まだ自分たちと形が似ているだろう」

「べつに。特になんも」

「そうか」

 お互い淡泊にそう言ってから、私は手斧を振り下ろしたのだった。


 3


「そんじゃ、始めるか」

 私の住んでいる十二階建てのマンション。

 地下には駐車場があり、そこには一目で動かないと分かる車が何台か停まっている。私の家に電気を通す発電機、その燃料としてガソリンも抜いてしまっているから、ただの鉄塊に等しい。

 ヴァニアは軽々と片手でそれを持ち上げ、駐車場の隅に投げ捨てた。詰み上がった車の状態は、廃車置き場でもここまでの惨状は見られないだろうというくらいに、ぐちゃぐちゃだった。

 そんな地下駐車場で私は、ヴァニアと向かい合っている。

 私の不死性をヴァニアはよく知りたいらしい。

「試すと言っても、どう試すんだ?」

「とりあえず、自由にやってもいいか?」

「お好きに」

 五分ほど経って。

 胡坐をかいた私の膝の上には私の頭部、私の左側にも私の頭部、私の右側にも私の頭部。そして、正常に機能している頭部も合わせれば、計四つ、私の頭部がそこにはあった。

 自分の頭を持つ。なんとも不思議な気分だ。

「自分の頭をここまでの数見るのは初めてかもしれない」

「身体の一番大きい部分から再生するのは分かったけどさ、例えば、今ここで私が海月のことを細切れにしたらどこから再生するんだ?」

 言いながらヴァニアは、膝の上の私の頭部を取り上げて、かぶりついた。

 耳。

「どこか大きいところから再生するよ。一度完全な状態に戻ると、もう他の部分から再生することはなくなるんだけどね。現に、今ヴァニアが食べている頭部からは、再生していないだろう」

 完全体の状態。一部とも欠けていない状態。

 その状態まで再生すると、切り離された私のそれは、地上を転がる肉片と等しくなる。

 ガソリンを失った車。ただ腐るのを待つばかりだ。

「ヴァニアは私ばかり食べていて飽きないのか?」

「飽きないぞ? 凄くうまい」

「じゃあどこが一番美味しいとかはないのか?」

「どこがか……、あ、耳かも。程よく歯ごたえがあるんだ。軟骨っていうのかな」

 肉片と化した私の頭部から耳をもぎ取り、ヴァニアは口に放り込んだ。

 初めて私を食べたときは味の感想を言いたくなさそうだったヴァニアは、今度は答えてくれた。

「ただの骨は違うのか?」

「骨は骨で歯ごたえがあるけど、軟骨はもうちょっとやわっこくて好き。食べやすい。やみー」

 口の中の耳を味わうように、ヴァニアは目を閉じる。

 味わうというよりは、食感を楽しんでいるだけだろうか。

「私は細切れにされようが痛みはないんだが、ヴァニアは痛みがあるのか?」

「多少な。でも、銀とか日光、吸血鬼の弱点になるものには、強烈な痛みを感じる。銀は触れただけで嫌な感じがするし、日光に当たったら身体中が焼けただれてるんじゃないかっていうくらいの痛みだ。死ぬほどつらい。死ねないけど」

「痛みを感じないだけ、私はマシか」

「そうでもないんじゃないか? 明確に痛みを感じるものがあれば、それが自分を殺すのにつながるものかもしれないだろ」

「ふむ、それもそうか」

 残念なことに、私はまだ痛みを感じるものに出会っていない。

 せいぜい、心が痛い、なんて言ってみるくらいだ。それだって本当に痛んでいるのかは謎なところで、そもそも心があるのかが謎だ。

「ていうか、自分の目の前で自分の頭が喰われてる感覚ってどうなんだ?」

「食べられているなあと思っている」

「それは何も思っていないのと同じだぞ、海月」

 ヴァニアは私の頭部、その鼻辺りをかじりながら、軽くため息を混じらせて言う。

「そんなことが気になるのなら、私の頭部くらいその辺に放っておけばいいだろう。ゾンビたちが好きに食い荒らしてくれ——」

「いや、それはありえない」

 ヴァニアは、若干語気を強めて、私の言葉を遮った。

「私の海月だ。他のやつの口に入るなんてありえない。そんなやつ、全員殺してやる」

「………」

 どうやら、ヴァニアの気に障れてしまったらしい。

 私の頭部を食することに夢中ではあるものの、そこに並々ならない思いがあることが、あまりに簡単に伝わってきた。

「だから海月も食べられちゃダメだぞ? 海月を食べていいのは私だけ。別のやつに触られるのもヤダ」

「ヤンデレというやつだな」

 実のところ意味をはっきり理解していないのだけれど、昔博士がこういう人物のことをそう称していた覚えがある。ヴァニアは人ではないのだが、似たようなものだろう。

「それよりちょっと気になるんだけどさ」

 さっきの重圧感は気のせいだったんじゃないかというくらいにあっさりと失われ、幼げな顔を上げて、ヴァニアは言う。

「さっき私が海月の首を切り落とした時、海月の意識はどこにあったんだ?」

「今の頭部が再生するまではそっちにあったよ。再生に応じてこっちに戻ってくる」

「じゃあ吹っ飛ばしたら?」

「再生するまで意識はないな。脳の再生とともに意識も戻ってくる」

「じゃあさ、じゃあさ、海月の身体を十等分するとしてさ——」

 嬉々として次の質問をしてくるヴァニア。当たり前のように私の身体が等分されることを前提としている。なんとも名前を付けづらい感情だ。

 私の殺し方を考えるのは、研究所を思い出す。

 相手がヴァニアだから嫌ではないのだけれど、そこはかとない懐かしさを感じる。

「海月の身体を十等分するとして、そのうち二つをくっつけたら?」

「一を十個ではなく、一を八個と二を一つにするということか? それはもちろん、二の方から再生すると思うが」

「その再生途中に、八個ある一を無理やりくっつけたらどうなるんだ? 一番大きな体の部分は途中で八の方になるわけだろ?」

「……ふむ、どうだろうね」

 私は立ち上がり、両の手を広げる。

 ヴァニアは、私を十個に切り分けた。それが果たして等分だったのかは分からないけれど、さっき言っていたことを検証する。

 八の方から再生することはなかった。

「へー、こうなるんだ」

「本格的な再生が始まれば、もうリセットはきかないのか」

 研究所でもやっていなかった新たな発見かもしれない。

 あの場所でやっていたのは、私の耐久実験というか、私がどこまで死なないかを試すのが主だったから、私の再生方法にそこまで頓着していなかったのだ。というか、そこに注意が向けられる前にゾンビを逃がしてしまった。

 それ以来、もちろんのこと実験なんてものはやられていないから、やっぱりこれは懐かしいのだろう。

 それと、おかげさまで私は全裸だ。

 きゃー、だ。

「ヴァニアの再生は、私と同じなのか?」

「身体の一番大きな部分から再生するっていうのは同じだけど、私の場合、肉片は残らないよ」

 そう言ってヴァニアは自分の腕を引きちぎり、胡坐をかいた私の前に投げた。

 失われたヴァニアの腕はヴァニアの身体から再生する。私の前に投げられた腕は、その再生に合わせるように蒸発して消えた。

「悪用のできない仕組みってわけだ」

「悪用しようとするやつがいるのか?」

「私がここに連れてこられた時のこと忘れたのか? 悪用する気満々だっただろ」

「む、そうだったな」

 実はそんな話をヴァニアから聞いている。

 ヴァニアが吸血鬼だとバレていたかは知らないが、その不死性を人間に転用することで、ゾンビに対するワクチンのようなものが作れないかという研究があったんだそうだ。

 研究施設として充実している街への移送中に私が襲ったのだった。

「その研究とやらは成功しそうだったのか?」

「知らないよ。海月と違って、研究の成果なんてものは私には開示しても意味ないだろ。私には優しい博士さんはいなかったもんでね。なんなら、博士さんを見習って、海月が私の身体を、調べて——、し、調べて、み、みるか……?」

「自分で照れるな」

 ヴァニアは言いながら、自分の身体を抱きしめるようにして赤面していた。

「しかしいつになったらヴァニアは慣れるんだ? 私と一緒に風呂も入っているだろう」

「ふっ、風呂とこの話は別だろ!」

「どっちも変わらない気がするんだが」

「変わるんだよ!」

 ヴァニアは頬を膨らせて、両の手を振り上げる。子どもが怒ってピーピー言っている感じだ。

 さっき言った通り、今の私はほとんど全裸に近い状態。おかげで、怒っていながらも、ヴァニアは私とまともに視線を合わせようとはしていなかった。しかし、あの服屋で言っていたように服を作ることが出来るのなら、なぜ私に作ってくれないのか。

 ひょっとしたら、実のところは私の裸体を見たいのかもしれない。実際、目を逸らしつつも、私の身体をちらちら見ているような気もするし。

 ヴァニアはけっこうムッツリらしい。

「は、話を戻すぞ、海月」

「お好きに」

 じっとりとした目で私の顔だけを睨み見て、わざとらしい咳ばらいを起点にヴァニアは話を戻す。

「海月はさっきさ、頭部が破壊されると意識が無くなるって言ってただろ? それは眠るとは違うのか?」

「眠るということと、意識がないということは別物だろう。まるっきりその時の記憶が無くなっているようなもので、夢も見ないんだ。見てみたいね、夢とやら。——そうだ、ふと気になったんだが、ヴァニア一つ訊いてもいいか?」

「なんだ?」

「初めて人を殺したとき、どう感じたんだ?」

 なんの気なしの発言だった。

 おそらくは私より長くを生きているヴァニアはそれだけ人を殺しているのだろうし、私も町にいたことに何人か人を殺している。こんな性質上、殺人に何も感じやしないけれど、ヴァニアはどんな感情で人を殺すのかと、不意に気になったのだ。

 ほんとうに、不意だった。

 ヴァニアはもともと人間だったのだと、そんなことも失念していた。

「覚えてない」

 ヴァニアは私から視線を逸らす。

「自分が吸血鬼になったことを、すぐに理解できたわけじゃないんだ。だけど、普通のものが食べられなくて、人が食料にしか見えなくなって、吸血鬼になったんだなって、なんとなく分かった」

「それで、殺して、食べたのか?」

「覚えてないんだって。人を食べるなんて怖かったからさ。飢餓の感覚に抗ってたら、気を失って、気づいたら、私の目の前には何人も人が倒れてて、私の手も身体も口も血まみれで、腹が膨れてた」

 平気そうに、ヴァニアは言う。

 実際、平気なことなんだろう。何度も繰り返してきたことで、何年も昔の話だ。

 その時抱いた感情を覚えていたとして、懊悩とすることすらも出来ない。

 けれどそれがいい思い出でないことは、明確に憶えている。

 私たちのような存在は、そういう運命を抱えている。

「いつからだっけなあ。人殺しにも、人喰いにもなんにも思わなくなったなあ」

「悲しいと思うかい?」

「思うべきかな」

「慣れた方が楽なことは、当然あるだろう」

「じゃあいいや。そん時はすっごい嫌な気分だった気がするけど、気がするだけかもしんないし」

 それでも、いまだに私と目を合わせようとはしないのは、私の裸体を見るのが憚られるからだろうか。

 生きるために必要なことで、必死にそれに抗えば、無意識に大量の人間を殺すことになるのが吸血鬼。その時の感覚を実は鮮明に憶えているのならば、なるほどヴァニアにとって、私は本当に都合がいいらしい。

「そうだ、海月。もう一個聞きたいことがあるんだ」

 三つあった私の頭部は、うち二つがヴァニアの胃の中へ。

 最後の一つにかぶりつきながら、ヴァニアは言う。

「海月が街にいたときにさ、海月が不老不死であることがバレたやつがいるって言ってたよな。そいつのこと、ちょっと聞かせてくれよ」

「気になるか?」

「なんとなく」

 さっきの私と同じように、なんの気なしといった様子で、食事の片手間にヴァニアは言う。

「彼女は、日守ひもり小晴こはると言ってね。博士と同じで、よく喋るやつだったな」

 どんなやつかといえば、私が不老不死であると小晴に割れてしまい、なし崩し的に、「死に方を探している」みたいな話をしたとき、小晴は「よし! 腹上死を試すぞ!」と言って襲ってきたことがある。そんなやつだ。

 死ねたかどうかは言うまでもなく、なんだか鬱陶しかったので、小晴が喋れなくなるまで、翌日の探索に行けなくしてやった。あれは結構楽しかった。

「小晴はゾンビ映画を見るのが好きだったな」

 そんな話をヴァニアには出来ないので、ハートフルな思い出を語る。

「ゾンビ映画? 映画なんか見なくてもこの世界にはいくらでもゾンビがいるだろ」

「映画と現実は違うさ。それと、小晴が言うには、ゾンビではなく、そこに生きる人間を見ているんだそうだ。生きる知恵が学べるのだと。もちろん、ゾンビを相手どる知恵だけじゃなく、この世界で人間が人間を相手どるときの知恵もね」

「なんか、ちょっとは知的な奴なのか?」

「少なくとも私は小晴をそういう風に評価しない。いや、多少はそう評価してやってもいいが、私の前だと基本的に阿呆みたいなことばかりしていたからな」

 例えば、ゾンビの頭を切り落として、ゾンビの頭タワーを作ったり。

 例えば、ゾンビを椅子に座らせて、声にならない声しか上げないゾンビに対して尋問ごっこをやったり。

 例えば、ゾンビとゾンビの手をつながせて「おいおい! 見ろよ海月! 青春だ!」とか言ってきたり。

 阿呆みたいなことばかりやったり、言ったりしているやつだった。

「そいつは阿呆なんじゃなくて、サイコパスなんじゃないか……?」

「まともな奴ではあっ——」

「いや、まともじゃないから」

 ヴァニアは呆れたような口調で、ぴしゃりと私の言葉を遮った。

 確かに、小晴は周りから恐れられているようなやつではあったが……、私が不老不死ゆえに気にしていなかっただけだろうか。面白い奴だと思っていたんだが。

「で、海月はそいつを残して、街を出たんだっけ? 結局、なんで街を離れたんだ?」

「私はゾンビ討伐部隊に属していたという話は前にしたね。隊長が私、副隊長が小晴だったんだが、上からの命令を小晴が嫌ったものでね」

 ゾンビの掃討をするというのは、その地域にある物資を求めているから、という理由が主だ。しかし例えば、その地域にすでに別の街の手が入っていた場合、あるいは、偶然にも別の街のやつらとその場で出くわしてしまった場合、争いになってしまうのは想像に難くないだろう。

 小晴は基本的に、誰かの街であるのなら手を出さないと決めて、掃討部隊にもそういう風に指示していたのだけれど、街を運営するやつ、街の政治を担っている、みたいなやつから、もし別の街の手が入っている地域に行ったら、そこにいるやつらは全員殺して土地を奪え、と言われたのだ。

 私は特段の行動指針を持たないから、殺そうが見逃そうがどちらでも構いやしなかったのだけど、小晴は殺人を蛇蝎のように嫌った。「べつにあたしは、自分の大事なやつじゃなきゃ誰がどこでどう死のうが関与しないし、ゾンビ相手なら割り切ってるけどさ、自発的に誰かを殺したいわけじゃないんだよ。あたしの殺す誰かも、誰かにとっての大事な人だろ。殺人なんかクソ食らえだ。ひいては上の連中クソ。海月がトップに立てよ」とかなんとか言っていたのをなんとなく記憶している。

「だから逃げたわけか。そいつと一緒に行こうとはならなかったのか?」

「んー……、なぜだったかな。よく覚えていないが、小晴はついては来なかったんだ」

「ふうん、そっか」

 ヴァニアは少しだけ眉をひそめていた。

 嫉妬しているとも取れるその様子は、小晴のことが心配になるものではあったけれど、ヴァニア自身がそのことに気づいたのか、気を取り直すように小さく息を吐いていた。

 そしてなんだか、理由はそれだけではないような気もした。

「会ってみたいな、そいつ」

 目つきの理由を口にすることはなく、ヴァニアは呟いた。

「小晴の実力は相当だったから、ゾンビにもなっていないだろうね。死んだとするなら寿命だろう。街を離れてどれくらい経ったか覚えていないし」

 話をすると、久しく会いたくなってくる。

 小晴は小晴で、その戦闘力は人間離れしていた。怪異でも『神』でもないとは思うが、ゾンビに噛まれて死んだ、なんてことはないだろう。過ぎた年月は分からないが、街の場所さえ分かれば会いに行けないこともない。おぼろげな街の位置は、私の記憶から掘り起こせるだろうか。

「ま、私らの長い一生のうちに探してみよう。出るんだろ? この街」

 私の頭部。そこから眼球を抉りだして飲み込み、ヴァニアは言った。

「そうだね。目的地は、そこにしてみようか」

 長く過ごした街。

 思い入れも多少あるけれど、それに執着するほどではない。

 私とヴァニアの二人暮らしは、一時、二人放浪へと切り替わろうとしているのだった。

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