わくわく

 『わくわく』



 それは純粋な喜びだったのだろうと思う。

 時間の感覚に疎い私。実際に何年経ったのかは分からないし、ひょっとしたら数か月しか経っていなかったかもしれないけれど、それでも、何年と感じてしまうくらいには私はずっと一人だった。ずっと一人ぼっちだった。

 そんな中で来てくれた人。

 人。人。

 人!

 これで胸が高鳴るくらいには、私もまだ物事に鈍感にはなっていなかったのだ!

 これでようやく話し相手が出来るのだ!

 過去は人の気配に辟易していたものの、時間が経てば、私も人に飢えるらしい。邪知暴虐は、もう働かない。いや本当に。

 きっと私の悪行も時効となって「もう通ってもいい」なんていう触書でも出たのだろう。時の薬を台無しにするつもりは無いし、もしここで襲おうものなら、今度こそ時間が解決してくれなくなる。

 久しぶりの人の気配。

 出来るだけ近くに行ってそれを感じようなんて思い、あわよくば多少なり会話でも出来やしないかと、車が通るだろう道でひっそりと待ち伏せをしていた私は、その車を見たとき、襲おうと決めた。

 襲う気は無いなどと言っておいてなんて緩い決心なんだ、と糾弾されても仕方がないし、人の気配に喜んでおきながらこいつは何を言っているんだと思われるかもしれないが、これは仕方のないことだと、そう言わせてもらいたい。

 向かってきていた車は二台。この時点で異様な光景だった。

 少なくとも数年前までは危険視されていたはずの道だ。通ろうとした車が明らかに人為的な力で破壊され、徒歩で通ろうものなら不自然に集まってきたゾンビに襲われる。だからこそ、この辺りは通るべきでないと決められたのだと私は予想していたけれど、この予想が間違っていないとして、もし私だったら、まず通ってもいいかどうかを確認するために人を派遣する。ひょっとしたら私が気づかなかっただけで、すでに人が派遣されていたのかもしれないけれど、そうだとして、車を二台も。

 この世界に変わってから車は、正確にはそこに使う燃料は、かなり貴重なはずだ。

 そんな貴重なものを、安全かどうかも分からない道に、どうして使う?

 そしてさらに異様なのは、その車の様相。

 一つは装甲車、もう一つは護送車だったのだ。

 装甲車の屋根には武骨な機銃。そこに座った人が周りを警戒するように睨みつけている。助手席の人間はライフル銃を握っている。

 護送車は、ハリボテではあるものの、鉄の板で固められ内部は完全に見えなくなっていた。ゆっくりと走る護送車の屋根には、装甲車の人間と同じようにライフル銃を持った人物が二人。目視できるだけでも十人近くの人間があの二台に集まっている。そんな人数に加え、装甲車の護衛。

 いったい何を運び、何を守っているのか。

 私が襲おうと思うのも納得できるだろうと思う。

 いやしかし、そんな異様さを持つ車を襲おうというのは納得できても、明らかに危険であるから、その点に関しては納得できない、と思うだろうか。なるほど確かに、危険を顧みない姿勢、ややもすれば死んでしまうかもしれない可能性に、自ら飛び込むのは納得が出来ないかもしれない。それに相手はゾンビではなく、生きている人間だ。ゾンビを殺すならまだしも、人間を興味本位で殺しにかかるなんて人倫に悖ると思うだろうか。

 でも殺す。

 退屈していたから。

 人殺しも所詮娯楽の一部にすぎない。もうずいぶん数を減らしているのだから、これ以上減ろうが特段問題はないだろう。生物の絶滅にたいした興味を向けていなかった人間風情が、自分たちという種の絶滅に——、面倒だ。いずれにせよ、相手が人間だという事実は私の暇つぶしに歯止めをかける理由にはならない。

 ただの車一台ならばこれほど心躍らなかったろうが、明らかに危険なそれ、その異様さ、私の心はあまりに踊ってしまっている。人命を奪うことも、私自身の命の危険も、この好奇心を止めるにはまるで足りない。力不足もいいところだ。好奇心は猫を殺すだかなんだか知らないが、殺せるものなら殺してみろ。そんなもので死ぬのは猫だけだ。私は死なない。

 死を恐れたって意味がない。

 私が恐れるのは孤独と退屈だ。

「さて、とはいえどうしたものか……、どうすればいいと思う?」

 私は、頭部だけのゾンビに問いかける。

 結局殺されずに済んだこいつは、歯をカチカチと鳴らして答えた。

「そうだね、準備がいる。さすがにあれを相手に斧一本は心もとない」

 私は一度家に帰ることにした。

 護送車はともかくとして、装甲車だ。相応の準備がいる。

 幸いにも車の速度は相当に遅かったし、私がまだ邪知暴虐の限りを尽くしていたころの名残、そのバリケードが足止めをしてくれていた。

 というわけで、長い黒髪を後ろで一つに結び、大急ぎで準備をした私。

 家にある手りゅう弾も火薬も、本屋で取ってきた書籍から独学で作った爆薬も、すべて鞄に詰め込み、私の家の家具になっていたライフル銃も持ち出してきた。

「待たせたね。セリヌンティウス」

 バリケードを撤去する作業を監視していた頭部だけのゾンビに、私は言う。

 邪知暴虐の限りを尽くしていた私が待たせる相手ではないのだろうが、そのゾンビには そう名付けておいた。これはネーミングセンスがあるかもしれない。ベランダのクマの名前もそろそろ決めてやった方がいいだろうか。

 車に乗っていたそいつらは、丁寧に手作業でバリケードを撤去していた。

 武骨な機銃がついているのだから、バリケードの破壊にはそれを使えばいいものを、ゾンビが集まってくるのを警戒したのか、それは使っていなかった。何体集まってこようが、その機銃をゾンビに向ければいいだろうに、弾を渋っているのかもしれない。

 なんのための装甲車なんだか。

 私は双眼鏡を取り出す。

「目視できるだけで九……いや、十人か。何かを護送しているのなら、それも数に入れるべきか? 助け出せば味方になるか? そもそも何があの中にいるんだ?」

 一人、口を開く。

 慣れきった独り言は、こういう状況整理に役立ったりする。

「車を降りているのは六人。あそこに爆薬をいくつか投げ込めば、一掃するのは難しくないだろう。装甲車もそれでやれるか? いや、そんなことをしたら護送車の方に影響が出るかもしれない。バリケードの六人をやった後は、一人ずつ純粋にやるしかないな。使えるかどうかわからないこのライフルを頼ってみようか。あいつらも一人一人が武装している、不用意に接近すれば、それはそれで楽しめそうだ」

 しかし、全員が武装しているというのは余計に面白いし、余計に謎だ。

 あの護送車、一体中にどんな者がいるのか。どんな奴が入っているのか。

「ふ、ふふ……」

 ワクワクしてきた。

 こんなに気分が高揚したのは、心が躍ったのはいつぶりだろう。

 奴らを倒す方法も、そのあとで、何を見られるのかも。

 私は楽しみでたまらない。



 過去の私が残したバリケードは二つ。バリケードとはいっても、道を塞ぐために、車なり瓦礫なりを持ってきただけ。この辺りでまともに車が通れる道はこの一本くらいだから、車を使いたいのならそれらを撤去するほかない。私が手作業で移動させた程度とはいえ、長い時間をかけてやったものだ。撤去にそれなりの時間は要する。

 私は、二つ目のバリケードのすぐそばにある三階建ての建物、その屋上で、セリヌンティウスとともに、そいつらを待った。どうしてここを通ろうと思っているのか知らないが、もとは危険な道だったはずのこの場所を、危険だと知っていながら通るというのなら、並ではない兵装だろう。ならばこちらも戦力を総動員しよう。

といっても、雑な準備である。

 しかし、雑でも、強力。

 どんな準備をしたのかは、ちょうど一つ目のバリケードを車が抜けてきたから、披露しながらの紹介ということにしよう。

 しかしまったく、馬鹿な奴らだとは思う。

 今までの私は一つ目のバリケードの時点で、あいつらを襲っていた。そんな一つ目のバリケードが、なんの問題もなくあっさりと抜けられてしまったからだろう、機銃に座っているやつは、呑気に雑誌に目を落としていた。あんな風にされてしまうと私も興が削がれるが……、まあ、一番の興味は護送車の中だ。

 位置的にも心情的にも見下ろしつつ、二つ目のバリケードの撤去作業に当たり始めた、そいつらに向けて、私はライフルを構える。一発目でライフルが使えるかどうかを確認すれば、後に困ることはない。射撃の技術には多少なりと自信がある。

 バリケードの一点、そこに狙いを定めて、引き金を引く。

 重たい音を響かせ、ライフルからは問題なく弾丸が発射された。そしてそれは狙い通りに、バリケードの一点を貫いた。

 仕掛けてあったのは爆薬。独学で作ったものながら、それは大爆発を引き起こし、バリケードとともに、その撤去作業に当たっていたやつらを吹き飛ばした。

「まずは第一段階」

 自分の頬が緩んでいることを自覚してから、私は再びライフルを構える。そして、爆発音に戸惑い、愚かにも顔を大きくのぞかせた機銃のそいつ、その頭を打ちぬいた。

 機銃の弱点は、自分がある程度姿を見せなければいけないということ。その部分も守っている装甲車は少なくないが、幸か不幸か、そうではなかった。隠れていれば、簡単には運ばない襲撃の計画に、もっとわくわく出来たろうに。

「ふむ」

 発砲したことによって、どうやら私の位置が割れてしまったらしい。

 機銃の死体を引きずり下ろし、新たにそこに乗ったやつが、こちらに向けて容赦のない銃撃を仕掛けてきている。建物の壁を抉るほどの威力だとは言え、中に籠ってしまえば、相手には見えなくなるのだ。よほどのことが無ければ当たらない。

「はは。いいスリルだ。たまらんな」

 ライフルを肩にかけ、セリヌンティウスを片手にのんびりと階段を降りつつ、私は思考する。

 バリケードごと爆発させ、道を開いてしまったことに関しては、特段の問題はない。あの二台は守りには強くても移動速度が遅い。

 それに、あの混乱の中ではすぐに逃げに転じることは出来ないだろう。機銃に乗ってすぐに打ち返してきたことがその証明だし、そもそも、バリケードを一つ問題なく突破出来たくらいで気を緩める連中だ。こういう事態に慣れていないことは明白。

 人数を集めただけで護衛としてはまるで役に立っていない。この分だと護送車の中も期待できないかもしれないが、それにしては人数が多すぎる。中は期待したままでも問題ないだろう。

 爆破でそこそこの数を減らせたとはいえ、位置がバレてしまった以上、ここからは真正面からの戦い——と、言いたいところだが。

 今度は階下で爆発音がした。

 位置が割れることくらい想定内だ。むしろそのつもりだった。

 私の位置が割れれば、奴らは私のもとへ向かってくるだろうと、そう予想をつけていた。装甲車では一目散に逃げることも出来ず、こういうことにも慣れていないであろう連中が、私の位置を特定した瞬間に、頭に血を上らせて向かってくることくらい、予想するのは難しくない。

 その道中に罠を仕掛けておいた。簡単なワイヤートラップだ。

 足元にある紐に引っかかると、軽い火花が散り、爆薬に引火するという仕組みだ。仕掛けるのが簡単で、その簡単さと同じくらいに簡単に引っかかったようだ。最初の爆発、機銃に乗っていたやつ、そして今聞こえた音を聞くに、半分は削ったと予想していいだろう。

 そしてもうすぐ次の作戦が始まる。

 窓から少し顔を覗かせると、第二の作戦が始まっていた。

 バリケードの爆破。その衝撃を受けて、装甲車と護送車の上、空から大量のトランプのカードが舞い始めていた。これは、攻撃としてはなんの意味もない。

 ただカードがひらひらと降り注いでいるだけだ。

 しかしこれは、降り注ぐだけでいいのだ。目くらましという意味ではなく、これを見せられて奴らは困惑するだろう。

 それでいい。それだけでいいのだ。

 怒涛の爆発の中、慌てふためくやつらに降り注ぐトランプのカード。混乱に困惑を重ねれば、私の動きも少しは楽になる。いや決して、暇つぶしにかき集めたカードが邪魔で仕方なかったから、という理由じゃない。ちゃんと混乱を誘うためだ。

 予想通り奴らは戸惑っていた。機銃を空に向け、トランプに向かって撃ちまくる始末だ。正直ここまで上手くいくとは思っていなかった。

「……さて」

 奴らがトランプに気を取られているうちにこの場所を離れないことには、いつまでも狙われ続けるだけだ。トランプが気を引いてくれるのもそこまで長い時間ではないだろう。

 私は走る。

 どこに?

 装甲車のふもとに、だ。

 バリケードが壊れたことによる粉塵の中を突っ切り、装甲車の中へ、そして、運転席のそいつの顔に、セリヌンティウスをぶつけた。

「ぐっがぎゃああああああ!」

 セリヌンティウスは口を開き、運転席のそいつの顔にそのままかぶりついた。

 しかしその声も、空を舞うトランプに向けられた機銃の音で周りに聞かれることはない。

 熱烈なキスをそのままに、私は機銃に座っているやつの足元へ移動し、ライフル銃でそいつの頭部を吹っ飛ばした。

 あとはもう好き放題やった。

 機銃を撃つのなんて初めてのことだ。それはもうとんでもない威力だった。放たれる弾丸一発だけで、それが当たった建物を、コンクリートごと、露出した鉄筋ですら抉り、それが人にあたろうものなら、描写することが憚られるような惨状を簡単に生み出した。

 それから数分。

 うち尽くした弾丸と、破壊し尽くした周囲の惨状。

 私以外の誰も、そこには立っていなかった。

「……やりすぎたかな」

 ふっと一人笑って、機銃を降りる。

「助かったよ、セリヌンティウス」

 いまだに熱烈なキスを見せるセリヌンティウスの頭部を、ここでやっと破壊した。

 遠慮なしの伸びをして、生き残りがいないことを念のために確認する。

 そうして確認を終えたところで、ようやく本命、護送車の荷台の前に私は立つ。

 その扉は鎖で厳重に、そして、いくつもの堅牢な錠で固められていた。それを一つずつ丁寧に、それでもライフル銃を使って無理やりに破壊した。

 錠は弾丸一発では壊れないほどに硬く、持っていた弾丸を、人よりもその錠に使ったんじゃないかというくらいに、時間がかかった。

「さて、蛇が出るか蛇が出るか」

 じゃじゃーん、ってね。

 抑えきれぬ興奮をそのままに、扉を開け放つ。

 荷台の中は、荷台を閉ざしていた鎖よりも、ずっと多くの鎖が張り巡らされていた。荷台の中を進むのに、わざわざその鎖をどけなければならないほどだ。

 その鎖はすべて、一点に、ひとところに集結していた。

 銀髪の少女が、そこにはいた。

 身体中に巻き付いた鎖よりもずっと細い少女の身体は、腕も足も首も腹も、体を固定するにはあまりに過剰な量の枷で縛り付けられ、纏っている衣服は、およそ衣服とは呼べないほどにボロボロで、身じろぎの一つも出来ないと見ただけでも分かった。

 凄惨とも言えるほどの拘束ながら、どれほどの用心深さなのか、ダメ押しのように、少女の足には大きな金属の杭が打ち込まれていた。そこからゆるやかに血液を溢れさせながら、少女は弱弱しくも鋭く、真っ赤な瞳で私を睨んでいた。

 地面を真っ赤に染め上げていながらも、なぜ生きているのかを少しだけ考えようとしたものの、先にこの少女を開放すべきだろうと、私にしては優しい考えが浮かんだ。互いに何も言わないまま、私はライフルに弾丸をこめ、少女を固定する枷を一つ一つ破壊する。

 いくつか破壊すると少女の腕が解放され、またいくつか破壊すると、少女の足が解放される。

 全ての枷を破壊し、足に刺さった金属の杭を引き抜き、ついに少女が自由になる。

その時だった。

「がっ——ぐふっっ……!!」

 少女の細い右腕が、私の腹を貫いていた。

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