うぞうぞ
『うぞうぞ』
1
ゾンビと聞いて、何も知らず、分からず、「突然飛んできて、人の食べ物を取っていくあの鳥ですか?」なんて訊く人は、おそらくこの世界にいないことだろうと思う。人の食べ物ではなく、人そのものを食べ物と認知して食いつく、という説明すら必要はないだろう。ゾンビものの作品はこの世に阿呆ほど出回っているし、トンビがごとく、高い場所へ行って世界を見下ろせば、一体と言わず十体、十体と言わず百体くらいは、簡単に見つけられる。
そんなゾンビたちが世界に幅を利かせ始めたのは——よく憶えていないが、過去だ。
宇宙人の襲来だとか、大国の陰謀だとか、生物兵器の漏洩だとか、当時はいろいろ騒がれていた覚えもあるが、その議論が発展し、犯人探しが始まるよりも早く、ゾンビの方が世界に蔓延ってしまって、気づいたら今の有様だった。地球の人口は一割を切っているという話を聞いたことがないでもないけれど、世界のどこかでは、ゾンビのいない平和な暮らしが今日も今日とて繰り広げられている、なんて噂も流れているから、実のところはよく知らない。
というか、正直どうでもよさの方が勝っている。いずれにせよ、たくさん人が死んだというのだけは事実だ。
私がここしばらく腰を落ち着けているこの場所。十二階建てのマンション。最上階。
過去は人の栄える都会だったらしいから、周りはオフィスビルや住宅街に囲まれている。しかし、このマンションよりも高層のビルにはヘリコプターが突き刺さり、違法駐車を堂々と行う車が多々放置され、住宅のほとんどが半壊している。どれほどの期間をここで過ごしたのかも記憶していないが、私以外の生存者はこの辺りにはいない。
もう長いこと、私はこの場所に一人でいる。
おかげで最近の私は、ベランダに置いてある椅子に座らせた、クマのぬいぐるみを話し相手にする始末だ。
「おはよう」
「………」
「今日はいい天気だね」
「………」
「そんなことはないさ。たとえ曇り空だったとしても、私が良い天気だと思えば、それは良い天気なんだよ」
「………」
「キミとは話が合わないね」
「……じゃあ、訊くなよ」
「ぬっ、ぬいぐるみが、喋った——⁉」
喋っていない。私が裏声を当てただけだ。
クマを抱き上げて膝の上にのせ、長く蓄えられた跳ね回る黒い長髪を垂れ下げ、クマの座っていた場所に座る。傍らにおいてある双眼鏡に手を伸ばし、階下に広がる変わりない光景を今日も眺める。
暇を持て余した私が最近やっていることと言えば、近くの家やらホームセンターやらでかき集めてきたトランプを使ってトランプタワーを作ること(二十段ほど作ったところで飽きた)や、シャボン玉液を道にまいて、そこにゾンビを誘導し、転げまわるゾンビを眺めることくらいで、退屈は何よりの敵とはよく言ったものだと、そう思わされ続けている。遊びの幅もどんどんと狭まってきて、画期的な退屈の凌ぎ方が産まれやしまいかと日々思考を巡らせているものの、これまでのところ特にこれといった成果はあがっておらず、その場しのぎ、その日しのぎの自転車操業みたいな状況が続いている。
この場所は、ある二つの避難地域の、その中間に位置する場所らしい。
それゆえに、昔はこの場所を徒歩の人なり車なり馬なりがしばしば通っていたけれど、最近はそれもめっぽう無くなってしまっている。
原因はなにか。
私だ。
申し開きの余地もなく、完膚なきまでに私だ。
面目ない話、襲っていたのだ。連中を。
今でこそ退屈に喘いでしまっている私だけれど、昔はそれなりに暴虐の限りを尽くしていた自信がある。私が過ごすこの場所を堂々と通っていくのがなんとなく気に障ったからというとても単純な理由だ。
車の通り道に、自衛隊のゾンビが持っていた手榴弾を仕掛けてみたり、馬や徒歩で通ろうとしている連中の元までゾンビの群れをこっそりと誘導してみたり。多分それが祟って、この道は通ってはいけない、という決まりでも出来たのだろうと思う。
その結果、一切、いーっさい、誰も通らなくなってしまった。
当時の私の心情としては、うるさい連中が私の庭を通らなくなってせいせいしたというものだったと記憶しているけれど、今にしてみればそれは確実に悪手だったろう。
なぜかと問われれば、そんなことは再三言っている通り。
暇なのだ、私は。
ぬいぐるみが話し相手になろうというものだ。
このクマのぬいぐるみをここに連れてきた当時、クマに声を当てて話すなんて出来たものではなかったから、このクマを使って一人で会話をしてみようと思い立った時は、図書館なり本屋に行くなりで、そういう本を探したものだった。しかし、そんな本があるわけもなく、自己啓発本なり、コミュニケーション能力向上の本なり、腹話術の本なりと、たいして興味もない本で無駄に時間を消費させられた。どれだけの退屈の中にあろうと、興味の湧かない物事をやるのは苦痛なのだと、その発見くらいは価値のあるものだったかもしれない。
なんにせよ、日々繰り返したクマとの一人問答は昔に比べればうまくなっている。
「今日は何をしようか、クマ」
「昨日も聞いたよ、それ」
「毎日聞くさ、やることがないんだから」
「外をぶらついたらどうなんだ。家にいてもやることがない状況は変わらない」
「外に行ってもやることはないよ」
「そんなことはない。ちゃんと見てみろ」
クマに言われ(自分に言い聞かせ)、双眼鏡で階下の光景を注意深く観察してみる。
変わらない光景ながら、そこには数体のゾンビの姿が確認できた。
「そいつらを処理してこればいいよ」
「暇つぶしになるだろうか。もう少しため込んだ方が時間を潰せるんじゃないか?」
「やることがないんなら、仕方ないだろ」
「……それもそうか」
クマの言葉に(自分の言葉に)納得した私は、クマを椅子の上において、立ち上がる。
手斧を片手に、家の外へと繰り出したのだった。
2
十二階建てのマンション。その最上階に暮らしていると、ゾンビの侵入なんてものはほとんどない。階段を上がるまでに簡単なトラップも仕掛けてあるから、偶然上がってくるゾンビがいようものなら、三階に至るころには死んでいるだろう。
しかしそれでもゾンビ討伐をするのは、この街の安全くらいは確保しておきたいからだ。
さまざまな物資が潤沢にある街とはいえ、そこをゾンビが闊歩していてはその物資を回収することもままならない。だから、数の少ないうちに処理をして、安全を確保しておくのは極めて重要なことなのである。
というのは建前で。
再三述べるが、私は暇なのだ。
ゾンビ討伐なんてものは暇つぶしにしかならない。
潤沢な物資とかもうどうでもいいのだ。
いいから暇つぶしをさせろ。
腐り落ち、己の人間性も何もかもを失ったゾンビたちに、人間らしくプライドくらいは残っているかもしれないが、お前らの仕事は私の退屈しのぎだ。誰かと会話することもなく、自問自答に身を浸し、あるいは身を窶し、懊悩とすることでしか日々を過ごしていくことのできなくなった私にとっては、お前らが唯一と言っていいほどの娯楽だ。
ありがとう。
でも殺す。
最大の敬意と、感謝を込めて。
それと、ほんの少しの同情を込めて。
実はゾンビ討伐にも慣れきってしまって、心が躍ることはなくなったというのはここだけの話だ。それでも、それを楽しんでいると自らに誤解させるのは、結構重要だったりする。一応は人の形をとっているそいつらと遊んでいると、自分が一人ではないような不思議な感覚に襲われるのだ。だったら殺さずに、この町を賑やかにしておけばいいのでは? という発想がここ最近新しく生まれたので、殺さないでおこうとも考えている。
でも殺す。
他にやることがないのだ。
知らない人のために解説しておくと、ゾンビに噛まれたりひっかかれたりするとその人もゾンビになる。頭部を破壊すればゾンビは活動を辞める。逆に言えば、頭部を破壊しない限りは活動を辞めない。数体のゾンビを使って実験してみたところ、首を飛ばした場合、頭だけが動いて身体は活動を停止していた。頭部だけを持ち帰って家の賑やかしにでもしてやろうかと考えたこともあるのだけれど、シンプルに気持ちが悪いのでやめた。
ゾンビの動きなんてものは緩慢そのもので、油断していようが噛みつかれることはない。両の手を前に突き出して、よく分からない唸り声をあげながら、のそのそ近づいてくるそいつらに噛まれるのは、馬鹿か、緊張や怪我で普段の動きが出来ないやつか、相当な群れに襲われたやつくらいだ。蹴っ飛ばせばすぐに倒れ込むくらいに力のないやつばかりだし、そう危険な奴らでもない。
でも殺す。
そこにいるからだ。
そんなゾンビの頭部、脳を横から真っ二つにするように、私は斧で吹っ飛ばした。
飛んでいった頭部は瓦礫の覆う道に汚い音を出しながら、同様、汚い脳髄をまき散らしながら落ちた。脳を失った身体も、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
マンションの最上階から街を見下ろしたとき、ゾンビを七体発見した。
今倒したのは六体目で、つまりは、目視の上ではあと一体。もう少しいてくれれば暇つぶしの時間が増えるだろうに、ゾンビのうめき声もしないから、どこかに隠れているだろうあと一体以外には期待できないだろう。
余談だが、実は、私の家には自衛官のゾンビから奪ったライフル銃がある。
それを使わないのは、そんなものを使ってはさっさとゾンビ討伐が終わってしまうからだ。退屈しのぎは出来るだけ長い方がいい。いまやあのライフル銃は、私の家の家具だ。
閑話休題。
頭部を失ったことにより動かなくなったゾンビの傍にかがむ。
服装チェックである。
この街がある二つの避難所の間に位置するというのは先に言った通りで、その避難所にいるやつらは仲間を識別するために、足首の辺りに特徴的な模様、入れ墨を彫っている。
最近この場所を誰も通らなくなっているその理由が、私が邪知暴虐を働いたからではなく、例えば避難所がゾンビの群れに襲われたとかそういう理由だったとしたら、変な罪悪感から解放されると思ったのだ。このゾンビの足首に入れ墨があれば、つまりそれは、避難所が襲われたという可能性につながるのではないかと、そう思ったものの、このゾンビの足首に入れ墨はなかった。
肩を落とした私は、身体だけになったゾンビに目を落としながら、背後に向かって手斧を投げる。
七体目のゾンビの首が飛んだ。
声をあげないゾンビはそれなりにいる。しかし、物音を出さないゾンビはなかなかいない。足音さえ聞こえれば、わざわざ目視なんかしなくとも、そいつの首を飛ばすことくらいは可能だ。
七体目のゾンビの身体は崩れ落ち、頭部だけになった。
今度は上手いこと首から切り離したために、頭部だけのそいつはまだ生きて——死にきっていなかった。
眼球が入っているのは片方だけで、もう片方には何も入っておらず、どろどろとよく分からない緑色の液体を垂れ流す暗い穴が開いていた。元が男だったのか女だったのかもわからないほどに腐ったその顔は、見ていて面白いものでもなかったけれど、私という肉を求めるようにカチカチと歯を鳴らすその様は、鼻で笑うくらいには愉快だった。
転がった手斧を拾い上げ、頭部の傍にかがむ。
「退屈なんだ、最近の私は」
カチカチ。
「なあ、キミは案外会話が出来たりするんじゃないのか?」
カチカチ。
「うー、とも、あー、とも、言っていないじゃないか。実は話すことが出来て、それを隠しているだけなんじゃないのか?」
カチカチ。
「……まったく」
大きくため息をつく。
なぜこんな場所に一人でいるのかと、自分事ながら、時折考える。
過去に、この場所を通るやつらを邪魔だと思い、追い返すようなことを繰り返したのは、気に障るからという単純な理由だった。しかし今や、人との会話に飢えている。
過去の私がなんらかの理由で人と話すことに億劫がったように、誰かと過ごせばまたそこに不快感を溜めるだろうに、私は学びが無い——というか、記憶力、あるいは堪え性が無い。
人好きだと思ったことなどないはずだが。
「来世では、腐らず生きていけるといいね」
足を上げ、ゾンビの頭部を踏み潰そうとしたその時。
「……?」
音がした。
ゾンビのうめき声ではない。
足音でもない。
車の、音。
人工的な、音。
「っは」
口元を、抑える。
「っははは」
笑ったのはいつぶりだろう。
人だ。人がいる。この街に人が来てくれた。
「まったく、良いタイミングだよ、ほんとうに」
斧を片手に、私は音のする方へと駆け出した。
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