番外編 春風と二人の午後

 春休みのある日の午後。

 私は駅前のカフェで待ち合わせをしていた。

 桜が少しずつ散り始め、舞い散る花びらが風に揺れる。

 そんな景色を見ながら、彼の到着を待つ時間は、少しだけ胸がざわつく。


 店のドアが開き、無表情の瀬戸悠真が現れた。

 でも今日は、いつもより少しだけ柔らかい雰囲気がある。

 私に気づくと、彼は小さくうなずいた。


「……藤咲、来てたのか」


「うん、もちろん!」

 思わず笑顔で答える。

 その笑顔に、彼はほんの少しだけ目を細めたように見えた。



 店内は午後の光で柔らかく照らされ、窓際の席に座ると、外の桜がちょうど目の高さに見える。

 私はメニューを眺めながら、少し緊張して手を動かす。

 彼は静かに横に座り、スマートフォンをいじりながらも時々私の方をちらりと見る。


「……何飲む?」

 短く聞かれ、私は思わず視線を合わせる。


「えっと、カフェラテにしようかな」


 彼は無表情のまま注文を済ませ、私に軽く微笑んだような仕草を見せる。

 それだけで、胸の奥がじんわり温かくなる。



 注文した飲み物が届き、窓際で二人並んで座る。

 風に舞う桜の花びらを見ながら、私は小さくため息をついた。

 卒業式のあの日から、少しずつ距離を縮めた私たち。

 でも、まだ手をつなぐ勇気は出せない。


 それでも、こうして隣にいるだけで幸せだ。

 彼も同じ気持ちでいてくれることを、私は確かに感じている。



「……藤咲、明日、どこ行く?」

 唐突に彼が聞く。

 私は少し驚きながらも答える。


「えっと、公園かな。散歩しようと思って」


 彼は黙って頷き、少しだけ微笑んだように見える。

 その表情に、胸がきゅっとなる。


「……一緒に行くか」


 淡々とした言葉だけど、確かに誘ってくれている。

 私は嬉しくて、思わず頷いた。


「うん、行こう!」



 翌日、公園での散歩。

 桜の木の下を歩きながら、私たちは無言でも居心地の良さを感じる。

 時折肩が触れる距離に、心臓が跳ねる。


 ベンチに座ると、彼は少し距離を詰めて座った。

 私は思わず息をのむ。

 でもその自然な距離感が、どこか心地よい。


「……藤咲、こっち来い」

 小さく手を差し出す彼。

 私が手を取ると、ぎこちなくも確かに握り返してくれる。


 心臓が爆発しそうなほど高鳴る。

 でも、これが日常の幸せなんだと、私は静かに実感した。



 夕暮れ。桜の花びらが黄金色の光に染まる中、二人で帰る道。

 手をつなぐのはまだ照れくさい。

 でも、指先が触れるたび、胸が熱くなる。


「……藤咲、今日も楽しかったな」


 その声に、思わず微笑む。

 自然な日常、ささやかな時間。

 それだけで、心は満たされる。


 私は小さく答える。


「うん、私も」


 そして心の中で、何度もつぶやく。


 好き。

 好き。

 好き。


 言葉に出せなくても、確かに伝わっている。

 卒業式の日から続く、この日常こそ、私たちの未来の一歩。



 春の光に包まれた街。

 桜の花びらが舞い散る中、私たちは手をつなぐことなく、でも確かにお互いを意識しながら歩く。


 それが、私たちの新しい日常だった。

 そして、この日常の先に、いつか声に出して「好き」と言える日が来る。


 私は、心の奥でそっと笑う。


 ──その日まで、二人で歩き続けよう。

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好き──。この2文字が言えない。 とびお @tobio_mob100

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