お隣さんと、冴えない俺と。

@gtgtyyy

第1話

大学生になって、いつのまにか4年以上の月日が経った。修士生になってから一層忙しくなり、1日のほとんどの時間は研究室に籠る毎日。唯一の楽しみといえば、家に大量にストックされたビールと、胸ポケットにいつも入れているタバコだけ。きっと俺の人生は、特段に何か面白いことがあるわけでもなく、こうやって過ぎていくのだろう。そんなことを考えながら、大学から1番近いコンビニの灰皿の前で、タバコに火をつける。吸い始めの時はむせていたのに、今ではこれがないと生きていけないまでに俺の脳は侵食されてしまったようだ。いつのまにか、右腕の時計は22時過ぎを指している。煙を肺に送り込み、ひとときの快楽を寿命と交換する。

喫煙という名の心の深呼吸を繰り返しているうちに、バスの時間が近づいてくる。十数年前に、大学が街から田舎へと移転してしまったせいで、バスは20分に1本ほどしか来ない。このバスを逃すまいと、まだ吸えたはずのタバコの火を消し、走り出す。耳につけているイヤホンからは、そんな俺を励ますかのように『今宵の月のように』が流れている。これが俺の、くだらない毎日だ。


家の近くのコンビニ前で、バスが停車する。「ありがとうございます。」

バスの運転手さんに感謝を告げて、バスを降り、帰路に着く。大学にいる時は、なんとなく社会の一員になっているようなつもりになれる。だからなんとなく寂しさはなかったりする。けれど、誰も「おかえり」を言ってくれることのない真っ暗な部屋に帰る瞬間、俺は1人なんだと強く感じる。だから、俺は家に帰るのが苦手だ。


帰って早々、お風呂に入る。浴槽は元カノが最後に家に来た日以来、使ったことがない。きっとこの家を出るまで使うことはないだろう。髪の毛と身体を清めてすぐに風呂を出て、ドライヤーで髪を乾かすこともせず冷蔵庫を開ける。ビールと日本酒以外は何も入っていない冷蔵庫には、生活感のかけらもない。

大好きな「元気を出して」がCMに起用されて以来、俺はこのビールだけを買い続けている。もちろん24缶箱買いだ。いつの間にこんなおじさんになったんだろうか。自分が23歳だとは思えない。


1年以上前に別れた元カノは、未だに俺の頭の中で浮かんでは消えてを繰り返している。あの子が次の幸せを探しに遠くへと旅立ってしまってから、俺は自分の脳を依存物質で騙す以外の幸せを忘れてしまった。こんなだから、愛想を尽かされたんだろう。そんな生産性のないことを考えながらビールを喉に流し込む。そんな途中で、突然にインターホンが鳴る。23時を過ぎているのに、いったい誰だろうか。この家は物理キーによるオートロックなので、鍵を持ち出し忘れた住人が時折、ロック解除を求めてインターホンを押すことがある。きっとそれだろう。

「はい、なんでしょうか?」

「あ、夜分遅くにすみません。となりの104の者なのですが、鍵を持ち出さないままで外に出てしまいまして、よかったら開けていただけないでしょうか?」

女性のか細い声だ。音質の悪いインターホンからも困っているのが伝わる。

「わかりました。今開けますね。」

そう言って俺はオートロックを解除する。

「すみません本当に。ありがとうございます。」

オートロックのマンションについては、本当はこのような声かけに簡単に答えてはいけないなんて聞いたことがあるが、小さな学生マンションだ。盗みに入るような事もないだろう。それにしても、お隣さんは女性だったんだな。全くといって交流がないので、知らなかった。別に男性だろうが女性だろうがどっちでもいいのだが。

そんなどうでも良いことを考えていると、またインターホンがなる。今度はエントランスからではなく、部屋の前のチャイムだ。なんだろうと思い躊躇いもなくドアを開けると、そこには女性の姿があった。

「あの、さっきオートロック開けてもらった者ですけど、あの、ちゃんと本当に104の者ですってことを一応伝えておくべきかなと思いまして…」

「いやいや、まさか別にそんな疑ったりしてないですよ。ちゃんとお部屋に帰れて何よりです。」

「ありがとうございました。私ここに引っ越してきて、まだ半年くらいで、オートロックの鍵忘れたことないから焦っちゃいまして…」

なるほど、初めてだったらなおのこと困っていただろう。時間も遅いし、インターホンを押すのも躊躇いがあったのだろう。

「そうですよね。僕も初めてやらかした時はだいぶ焦りました。今後こういうことあったら、いつでも105のインターホン押しちゃってくださいね。日中は家いないけど、夜なら起こしてくれても大丈夫ですから」

冗談まじりにそんなことを言うと、彼女はそ、そんな、申し訳ないです…と呟く。きっと真面目な子なのだろう。

「もう遅いですし、早くお部屋戻って休まれてください。別になにも疑ったりしてないですから」

「は、はい、すみません。本当にありがとうございました。」

彼女はそういうと、やや駆け足で自室へと戻っていった。

気を利かせたつもりの発言だったが、突っぱねたようにも捉えられただろうか。傷つけていないことを祈りながら、部屋に戻りまたビールの缶を口につけて傾ける。

こんなことを初対面の女性に思う事も失礼かもしれないが、とても綺麗な方だったな、などとふと邪険なこと考える。これから先、特に話すことがあるわけではないだろうが、俺にとっては色のない人生の中で、久々に見た花のように感じた。

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