第1章(8)陽光の王国

バルヒ子爵領の農村から3日の距離、使節団の一行は帝国領の最西端、国境の町ヴェストスにいた。


巨大な石造りの門が、隣国との境界を示している。帝都への往路にも通過した街だが、その時は滞在することなく先を急いだため、アルダンが好む街の散策は叶わなかった。




門の北側、帝国側の建物はどれも重厚で、灰色がかった石造りが主流だ。人々の顔には疲労が見え隠れするものの、商人の呼び声は様々にこだまし、立ち並ぶ宿屋は例外なく一階が食堂になっており、旅人と地元の労働者が入り交じって腹の虫を鎮めている。


しかし、秩序だった息苦しい統制下にあるのは確かで、皇帝の直轄地である国境の街のあちこちに、街の規模には不釣り合いな人数の帝国兵が配置されている。


アルダンは、これまで見てきた帝国の「栄華」と「虚構」の両端がこの街にも影を落としていることを改めて感じた。




アルダンは、父から2日後にセルシア王国の国王への謁見が控えていることを告げられた。


帝都への往路では、王都すらかすめ通るだけであったが、復路である今回は王都に2泊滞在するという。




理由を尋ねると、ユリアヌスは静かに語る。


「今回の通商条約締結には、準備段階からセルシア王の協力が不可欠だった。往路では帝室への配慮もあり立ち寄らなかったが、帰路では正式に感謝の礼を尽くすために、な」




アルダンは、セルシア王国が小国なれども無視できない存在であることを理解した。






いよいよ門をくぐり抜けると、アルダンは息を呑んだ。


風に乗って、明るい弦楽器の調べが聞こえてくる。町並みは帝国側とは対照的に、白壁と木骨造りの家々が並び、色彩豊かで活気に満ちている。街の人々は開放的な笑顔で挨拶を交わし、子供たちが路地で笑い声をあげながら走り回っていた。


帝国側から入国すると、より一層と色彩豊かな文化が若者の五感に刺さる。




「若様、セルシア王国は通称『陽光の王国』と呼ばれております」


オスカルは心底嬉しそうに言った。彼もまた、再びこの明るい空気に触れることを心待ちにしていたようだ。


「なるほど、陽光の王国か。帝国の作り込まれた『威容』とは対照的だな」




アルダンは、その活気の源泉がどこにあるのかを不思議に思った。帝国と対等ではない国が、なぜこれほどまでに自由に、そして豊かに見えるのか。


既に夕刻であり、一行は幾つかの宿に分かれて心身を休ませる。


ユリアヌス卿は華美を好まず、質素な生活を旨とすることはライネ共和国では有名で、彼自身も随員や騎兵たちと同じ宿に泊まる。これはこの道中、帝都滞在時以外は一貫していた。




アルダンは1階で賑やかな食堂を仕切っている自宿の主人に話しかけていた。


そして話の途中、国境通過の前後に感じた疑問をぶつけた。




「ご主人、率直に答えてほしい。この国の皆の、腹の底からの満ち足りた活気の源はなんだ?」


「そりゃあライネの若様、食い物が美味いからさ」


その冗談にも似た答えに、アルダンは吹き出しそうになる。




宿の主人は続けた。


「セルシアは国力では周辺国の何処にも敵いっこない。詳しくは知らないが、セルシアの国土も人口も、帝国の一伯爵領にすら劣るっていう話さ」


「たしかに、2日もあれば通過できる国土しかないようだが」


アルダンは興味を引かれる。




「ただねぇ、代々王家の血筋が皇帝と繋がっているおかげで、他国のように帝国から不当な圧力を受けることがないからかな」


「俺の先生が言っていた通りなんだね」


帝国が古くから様々な手段で周辺国を隷属させている話は、アルダンもよく承知していた。




「特に、現王妃様はヨーゼフ皇帝陛下の年の離れた妹君でね」


そこで宿の主人は客に呼ばれ、アルダンに軽く断りを入れてから仕事に戻った。




王妃が皇帝の妹、つまりダリアの叔母にあたる。それは、セルシアが形式上は独立国でありながら、実質的には帝国の属国であることを意味していた。しかし歴代国王の、その屈辱的ながらも賢い選択が、大陸中央部随一の国内の安定と民の生活水準の高さを享受させていた。




翌朝、アルダンはオスカルを伴い散策に出かけた。帝都では職人や商人の活気に心を躍らせたが、この街のそれは違う。民衆の体の内側から溢れ出るような幸福感は、帝国では感じられなかったものだ



露店では、見たこともない色鮮やかな果物が山積みになり、その甘い香りが風に乗って漂ってくる。


路地裏からは、子供たちの楽しそうな歌声が聞こえ、弦楽器の音色に、自然と足が弾む。


街のそこかしこから様々な歌が聞こえる。




アルダンはふと、ある露店で足を止めた。


木彫りの人形が並べられており、そのどれもが素朴で温かみがある。




オスカルが冷やかし気味に言う。


「若様、今度こそお母上へのお土産ですか?」


「バカ言え」


アルダンは口を尖らせた。




「どれも微笑んでいますな」


オスカルが呟く。


その人形たちの表情は、帝都で見たものとも違う、屈託のない笑顔だった。




「この町の人々のように、心の底から満たされているように見える」


オスカルが娘のために一つ、お土産を増やしている間、アルダンは考えた。




『この国の王は、皇帝の妹ではなく、本当は他に妻としたかった女性がいたのではないか?』




アルダンはセルシア国王の人となりに興味を抱き始めた。


翌日には、その王や后に目通りが叶う。


そこで何を得られるのか、アルダンは沸き立つ期待を抑えつつ、更に雑踏の奥へと紛れていった。

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白妙の菊、星辰の鷲 北斗巴 @hokutotomoe

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