第21話

夜明け。体の内側が軋む。肩、背、腰、指まで鈍い。剣の稽古では出ない痛みだ。昨日は壁で支えた。繋がっていた分だけ、全身に重さが残った。


詰所の空気は変わらない。革と鉄と油の匂い。金具がかちと鳴る。ライアンは無意識に三人を見る。装備の手順、呼吸、歩幅を目で追う。ばらばらだった動きが一つの拍子に寄った。


ミラは留め具を素早く締め、視線を水平に流す。コリンは重い息で肩を落とし、足裏で地を確かめる。アーロンは言葉を使わず、指で把手の角度を示した。ライアンは胸で数を取る。


掌に布を巻く。皮が擦れて赤い。帯の結びを締め直し、鞘口を布で押さえる。水で口を湿らせる。革の縁が肩で小さく鳴った。息は短いが整う。


訓練場へ出る。砂は乾いて白い線が二本。風は弱いが冷たい。吐息が白い。ハルトが前に立ち、目で全員をなぞる。声は低い。


「動かぬ壁は回り込まれる。今日は歩け。四人で壁のまま前へ出ろ。白線を越え、指定まで運べ」


大盾を受け取る。縁が冷たい。前腕の革が皮膚に吸い付き、把手が骨に当たる。肩へ重さが乗る。息を一度吐いた。膝は柔らかく保つ。


横一列に立つ。縁を重ね、踵の線を揃える。右肘を少し締め、左足を半歩送る。合図は短い。砂がざりと鳴る。喉は水を欲しがる。


「前へ」


一歩目から合わない。ミラは速い。コリンは重い。アーロンは合わせに入る。ライアンは中央で迷う。縁がずれて連結がほどけた。壁は崩れる。砂が薄く舞った。


盾が傾き、肩に痛みが走る。足は線を越せない。腕は痺れる。四人は止まった。呼吸だけが乱れた。白線は前に残る。


ミラが舌を打ち、盾の縁を拳で一度だけ叩く。肩幅を半歩広げ、視線を水平に戻す。


「これじゃ烏合だ!」


コリンが低く言い、踵を線に揃え直す。肩を落として呼吸を一つ整えた。


「俺の足が一番重い。俺の歩みに合わせろ。拍子木は俺だ」


ハルトは近寄らない。視線だけが一度こちらを通る。合図は出さない。待つ姿勢だと分かる。責める声はない。


ライアンは頷く。視線をコリンの踵と肩へ落とす。把手を握り直し、親指の位置を固定。肩の力を抜いた。胸で拍を数える。


再配置。縁を密着させ、肩で触れる。呼吸を合わせる。膝の角度を揃える。ハルトは線を顎で示した。目だけで合図が出る。


「前へ」


一歩。コリンの踵が沈む。ミラの足が同時に刻む。ライアンは半拍遅れを肩で埋める。縁は離れない。砂がかすかに押し返した。


二歩。重みが胸に来る。歯がかちと当たる。足の指で砂を掴む。腰で受ける。線は保たれた。息は短いが切れない。


三歩目でまたわずかに揺れる。言葉では追いつかない。喉が乾く。腕が焼けるように熱い。連結はまだ保つ。


後列のアーロンが槍の柄を持ち替え、コリンの盾裏を叩く。トン…トン…。同じ間で二度。乾いた響きが腕へ伝わる。胸骨に小さく響いた。


音が導く。ライアンはその間に踏む。肩で押し、縁で支える。重心の移動が胸で分かる。ミラも音に合わせて足を刻む。コリンは拍を崩さない。


「前へ」


トン…トン…。四歩、五歩。息は詰まるが、壁は動く。砂が薄く舞い、白線が背に入る。連結はほどけない。腕の震えは細く続いた。


指定地点の杭まであと三歩。腕が痺れ、膝が熱い。コリンの踵が線を踏み換え、音が一度だけ乱れる。ライアンは肩で押し、縁を重ね直した。ミラは右で食う。


二歩。杭が近い。砂に浅い起伏があり、足が取られかける。アーロンの叩く間が一度深くなり、全員の膝が同時に沈んだ。壁は保たれた。


「止め」


押しが抜ける。四人は同時に膝を緩める。盾は落ちない。息が戻る。腕の痺れは残った。喉は水を求める。


ハルトは近寄らない。遠くから一度だけ頷き、踵を返す。言葉は要らないと伝わる。足音は砂で短く切れた。


休止。水を口に含む。舌に金属の味はない。汗が顎を伝い、革の縁に落ちる。掌の布は湿った。指の腹に塩が残る。


ミラが短く笑い、額の汗を親指で拭う。刃の留め具を軽く確かめ、顎を引いた。


「今のなら出られる」


コリンは肩を回し、白線を靴で踏み直す。砂が靴底に噛み、肩の筋を一度ほぐした。


「音があればいける」


アーロンがライアンの脇に寄る。声は小さい。目は正面だ。槍の石突を砂に軽く押し、距離を測る。


「聞け。感じるな」


ライアンは頷く。耳で拍を取り、肩で支え、足で運ぶ。壁は歩くものだと分かった。昨日の痛みの意味も、今の音の意味も、体に入る。明日は距離を伸ばす。

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