役所勤め

@KOMIKOM

役所勤め

「ゴミを片付けさせるなり、施設に入れるなり、役所でなんとかしてくださいよ! 何回も言っていますけど、本当に臭いとか害虫とか酷くて困っているんですから!」

 電話口の相手の怒鳴り声に、俺はため息をつきたくなるのを我慢した。

「その方とはお話はされましたか?」

「物騒な世の中だから、何かされるかもしれなくて怖いんですよ。トラブルがあったら、役所が責任取ってくれるんですか?」

 相手は早口でそうまくしたて、乱暴に電話を切った。受話器からは通話終了を示す無機質な電子音が流れている。

 受話器を下すと、上司である課長が手招きしているのが見えた。俺は課長の席に行った。

「またあそこの長屋の話か? どうする?」

 課長は「お疲れ様」の一言もなく、俺に聞いてきた。話の内容はこうだ。長屋に住んでいる老人がガラクタを色んなところから集めてきて、ゴミ屋敷になっている。それを役所で何とかしてほしいという。

「ゴミ屋敷の対応って難しいですよね。集めている当人は『ゴミじゃない。自分の持ち物だ』って言い張ると簡単に処分できなくなっちゃいますからね」

「そんな教科書的なことは、言われなくても分かってるんだよ! そこをなんとかするのがお前の仕事だろ!」

 課長は俺の話を遮るように怒鳴った。俺だって長屋には何度も足を運んで話をしている。

 住んでいるのは八十歳くらいの高齢の男性だ。髪は頭頂部が禿げ上がっているのに襟足は伸び放題で落ち武者みたいだ。着ている服は染みで変色していて、目の焦点は定まっていないし、歯がところどころ欠けている。もし、電車でその老人の隣しか席が空いていなくても、絶対に隣に座りたくない。

 老人は「これは必要なものだから」と主張するばかりだし、俺が話している途中にいきなり独り言を言い始めたり、話が飛んだりして、会話が噛み合ったことはほとんどない。

 課長には何度もそのことを報告しているが、具体的に指示もなく、さっきみたいに「どうにかしろ」の一点張りだ。課長にとっては、それが部下を動かす万能の呪文らしい。

 課長の説教が終わり、自席に戻ると、隣の席の同僚が、電話に引き続き、理不尽な目にあった俺に同情の目を向けた。

「ご苦労さん、でもそんな顔するなよ。この件は課長も上から色々と言われてるらしい」

 同僚の話だと、この苦情を言っているのは市長だか市議会議長だかの後援会の関係者らしい。そこから市役所内で押し付けあった結果、巡り巡って課長からお鉢が回ってきた俺が担当させられているというわけだ。

「課長としてはこれで点数を稼いで、出世の足掛かりにしようと思っているのさ」

 仮にこの件が片付いたところで手柄は課長が持って行く。理不尽な話に俺はため息をつくしかなかった。

 俺は再び長屋を訪れた。長屋は市役所から自転車で十分ちょっと、周りを田んぼに囲まれた古い長屋で、例の老人一人以外は誰も住んでいない。

 どこから拾い集めてきたのか、タイヤがない自転車や脚の数が足りない机、カラーコーン、工事現場によく置いてあるオレンジ色の柵など大量の「戦利品」が家に収まりきらず、庭まではみ出していた。匂いがひどいのでマスクをして扉を叩こうとすると、

「市役所のやつか?」

 しわがれた声が聞こえ、引き戸が嫌な音を立てながら開いた。戸が開くだけで、何かが発酵したような匂いや卵の腐ったような臭い混ざり合い、マスクを貫通して鼻を突く。むせそうなのを我慢して、俺は精一杯の作り笑いを浮かべた。

「はい。今回こそは前向きに検討してもらえないかなと思って」

 俺は作り笑いを崩さないように気を付けながら、もしゴミの分別や処理に困っているのであれば、ごみ回収の手続きの支援ができること、他にも生活に困りごとがあるなら介護認定を受けて介護サービスを受けられることなどを、持ってきたリーフレットを用いて説明した。訪問するたびに何度も説明している話だ。

 老人は興味のなさそうな様子で、適当な相槌を打って俺の話を聞き流していた。俺は冷静な口調を心掛けて説明を続けた。こういった話は感情的になっても何の意味もない。

「こんな年寄り相手にアンタも大変だね」

 話を聞き終わると、老人は他人事のように言った。その態度に嫌気がさした俺は、作り笑いをするのも忘れて、思わず大きなため息をついてしまった。

「そもそも、どうしてこんなに集めるんですか?」

「それは役所としての事情聴取かい?」

「いえ、単に気になったからです。いつ来ても、『必要なものだから』とだけしか主張しませんけど、何に必要なのかって考えたことなかったので、『集めるには集めるだけの理由があるんじゃないか』と思ったんです」

 俺の答えに老人は笑いだした。前歯がないせいなのか、空気の抜けたような不思議な笑い声が長屋に響いた。

「そう言ってくれる人に初めて出会いましたよ。立ち話もなんですから、家に入りませんか?」

 老人はそう言って俺を家の中に招き入れた。これまでの訪問の中では初めての出来事だ。

 玄関に入ると、空になったペットボトルと漫画雑誌が腰のあたりまで積まれていた。老人は土足でそれらを踏んだので、俺も続いた。リビングにはなぜか壁一面にブルーシートが貼られているし、窓にはビニール袋とアルミホイルで作ったと思われる目張りがされている。

 老人は折り畳み式のパイプ椅子を二つ用意した。どっちの椅子もクッションの部分のスポンジがはみ出していた。俺は一礼してパイプ椅子に座った。

「電磁波の影響がね、大きいんです。ちゃんと遮断しておかないと、上手くモニターが動かなくなってしまうので」

 老人は真顔でそう言うと、床に直置きしている三台のブラウン管テレビを指さした。

 突然、老人は右耳に右手をあて、目を閉じて何か考え込むような表情を浮かべた。何度か頷いたのち、何かをぶつぶつと呟いている。まるでスパイ映画の暗号で連絡を取り合っているワンシーンにも見えるが、老人がイヤホンをしている様子はない。

 認知症なのか、それとも何かの病気なのか……。俺はどういう反応をしたらいいのか分からなくなって、瞬きを繰り返すしかなかった。

「時がもうすぐ来ます。その時のために、集めておく必要がございまして。その役割を担うのが私なんです。ま、その時にはちゃんと明らかにしますよ」

 俺の様子を気にすることなく、老人は何度も頷きながら、丁寧な口調で言った。

「役割ってなんですか?」俺が震える声で聞いた。

「まあどこの世界でも、宮仕えはつらいというやつですな」

 老人は、そう言って笑った。

 妄想の世界の中では自分も役人のつもりなのかもしれないが、それであるなら、余計に他人に迷惑のかかることはやめて欲しい。

 俺は徒労感でいっぱいになりながら、役所に戻り、一部始終を課長に報告したが、「だからどうした!」と一喝されただけだった。

 あれから一週間たったが、事態はなにも動きはなかった。

 夜、俺は一人事務所に残って残業していると、事務所の電話が鳴った。電話は定時を過ぎると鳴らないように自動で切り替わるはずなのに。いつまでたっても鳴りやまない。

 舌打ちをして、電話を取った。

「時が来た」

 それだけ言って電話は切れた。

 俺は確信した。

 あの老人だ。

 いつもと明らかに様子が違う。課長も含めて上司はみんな帰ったので報告も相談もできない。独断で動くのは気が引けた。でも気になって残業どころではない。

居ても立っても居られなくなって、俺は自転車に飛び乗って長屋に向かった。

 暗くてよく見えなかったが、長屋の前に立っていた男は、見慣れた老人ではなかった。銀色の服に、妙に派手な眼鏡。髪も歯も、きれいにそろっている。

「やっと帰還命令が出ましてね。もう“地球の老人”を演じる必要はないのです」

 声は確かに、あの老人のものだった。

「私はケンタウルス座アルファ星系の観測員です。まあ、この星で言うところの“役所勤め”のようなものですね」

 男は疲れた笑みを浮かべた。

「上司に言われたんですよ。『市民からの要望だ。地球の調査をやれ』と。おかげで何十年も、ゴミを拾うふりをして孤独に記録を取り続けました。全く、どこの星でも役所は同じです。上は好き勝手に命令するだけ、現場は報われない」

 俺は口を開けたまま、言葉が出なかった。

「それでもね、あなたは私を否定せずに相手をしてくれた。ま、役所勤め同士、苦労はわかり合えるものです」

 男は深々とお辞儀をすると、懐からリモコンのようなものを取り出し、光を放った。

 ゴミ屋敷は音もなく消え、不思議な乗り物が姿を現した。男は不思議な乗り物に乗って夜空へ飛んで行った。

 一人残された俺は、「どう課長に報告しようかな……」と力なく呟いた。


                                (終わり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

役所勤め @KOMIKOM

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画