祇園山
暮
祇園山
世界は、なんだかおかしいと思う。
この展望台に最後に来たのはいつだろう。
高校生のときかもしれない。
二十年くらい昔ってことか。
街中が見わたせる、ささやかに気持ちよい高台だ。
富士山が見えることもある。
小学生の低学年からずっと好きだった、実家近くの祇園山ハイキングコース。
運動不足の私が歩くには、当時よりもある意味きつかっ……た。
はぁ。ぜえぜえ。
こんもりした丘みたいなものだが、住宅街のすぐ裏の八雲神社から、思いたったらすぐ登れる気楽さがある。
観光客の人気はわからないが、私にとっては味わいぶかくて思い出ぶかい場所だ。
広葉樹林がくっつきあうようにして茂っており、徒歩ルート上を木の根が所せましと横切る。
コースの勾配はかなり急なので、根っこに足をかけてやることで、やっと登れる所も多い。
五歳になる息子も連れてこようかと一瞬おもった。
でも、おばあちゃん、つまり私の母が、
「沙織、ひさしぶりに帰省したんだから、よかったら好きに過ごしなさいな。夕飯まで、悠真は私が面倒みるよ。まあ、ゲームしてるだけかもしれないけど」
率直にいって大・大・大感謝だった。
自分の時間には常に飢えている。
今回は、ダンナの拓也は、東京に残してきている。
実家は、大勢を泊める広さなんてないし。
拓也も嫁の両親とがっつり話したい男でもないし。
これがいちばんウィンウィンだと思う。
そんな貴重な休憩時間なのだから、あえてハイキングなどしなくても、という感覚がふつうだろう。
まさにそうなんだけれど、短いあき時間だからこそ、なにか強制的に自分の記憶をフラッシュバックさせてくれる場所を、とっさに求めたんだ。
街なかに出ても、最近はなんだか海外の観光客が多くて。
排外主義者とかではないはずだが、この街はほんとに私の育った街なんだろうかと、戸惑いというか、孤独というか、良い気分になんてなれないと思ったんだ。
私は高校生のころ、進路を決められないストレスがひどく、両親ともあまり口をきかなかった。
日に日に自分の生きる場所が閉ざされていき、圧迫されて、追い落とされそうな気分だった。
だから私は、頭を悩ませながらも落ち着きたくて、このハイキングコースを夜になって一人歩いたりしていた。
いま思えば、こんなひと気のない夜の場所を一人でなんて、危ない行為だったとは思う。
だけど、他にどうしようもなかったのだ。
無言で歩くだけだったけど、そうしていないとダメだったのだ。
そんな事を思い出して歩いた。
失われた三十年といわれるなか、幸運にも会社社会にもぐりこみ、気のいいダンナともめぐりあい、最高に手のかかる愛しい息子もさずかった。
むかしとは違い私なども、こんな子供たちに、こんな事をする大人、こんな事もしない大人なんて、許せん、などと親らしい感情も持つようにもなったのだ。
日々忙殺はされているけど、自分の変化に気付き感謝する瞬間は、ときどきそれなりに訪れる。
そろそろ実家に戻る時間。
たぶん私は生かされているのだ。
だけど、同時に、
世界は、なんだかおかしいと思うのだ。
山路を下りながら、そう考えた。
祇園山 暮 @acidfolk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます