人材派遣

増田朋美

人材派遣

そろそろ、秋が近づいてきて、一雨ふるごとに秋だなと思われる季節になってきた。夏も終わって、だんだん芸術の秋と呼ばれる季節に近づいていくのである。

その日、杉ちゃんたちがいつも通りに製鉄所の中で着物を縫う作業をしたりしていると、

「失礼いたします。ちょっと相談させてください。」

と、なんだか下手な日本語で、一人の女性が入ってきた。一緒に、15歳くらいの、中学生か、高校生位と思われる女性を連れていた。

「あれ、ガミさん、こんなときにどうしたんだ?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ちょっと、彼女の楽譜のことで教えてほしいことがあってこさせてもらいました。お願いしてもいいかしら?」

と、野上あずささんは言った。深刻に悩んでいるのがよく分かる感じの顔だったので、杉ちゃんも、水穂さんもちゃんと、彼女に向き合った。

「彼女、浜崎茜ちゃん。今、音楽高校で勉強しているんです。」

あずささんがそう紹介すると、女性は、よろしくお願いしますと言って、頭を下げた。

「ああ、音楽高校って言うと、清水南か、常葉橘だな?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。そのとおり清水南高校です。ですが、いま、学校にいけなくなってしまって、これからの進路について悩んでいるんです。」

あずささんは説明した。

「なんで学校にいけなくなった?」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、清水南高校の先生が厳しすぎて、ピアノの練習ができなくなってしまったからだそうです。あたしは、御存知の通り、トゥチャ族の生まれなので、クラシック音楽のことはよく理解できませんが、なんで、モーツァルトがだめなんでしょうかね?」

あずささんは、泣いている浜崎茜さんの代わりにそう言ってあげた。さらに無き出してしまう茜さんに、

「泣かなくてもいいのよ。悪いのは、そのピアノ教師が悪いのでしょう?」

と、言ってあげたのであった。

「はあなるほど。モーツァルトのソナタでも演奏したいと言って、怒られたのか。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は黙って頷いた。

「どうしてなんだか、よくわからないんです。それに、彼女の話を聞いてみたところ、その教師の対応、ひどすぎます。理由を説明してくれと彼女が言ったら、私の顔に泥を塗るのかと、すごく怒られたらしくて。それでもう彼女、学校へいけなくなってしまったって言ってました。あたしとしては、なんとか彼女にここまできたんだし、音楽高校も今年で終わりだから、ちゃんと、やり遂げたほうが良いのではないかと思うんですよ。」

あずささんは、そう杉ちゃんたちに言った。

「そうなんだねえ。どこでモーツァルトのソナタを弾いて見ようと思ったんだろうか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「卒業演奏会です。私、今3年生なんですけど、音楽学校の卒業演奏会に、モーツァルトを弾くって行ったら、すごい怒られたんです。」

浜崎さんは答えた。

「はあ、卒業演奏会ねえ。」

杉ちゃんは、思わず持っていた針を落としそうになった。

「それは、どういう理由で、モーツァルトのソナタを弾いてみようと思ったんですか?卒業演奏会となれば、」

「超絶技巧で、すごいのをやらせるんじゃないか?」

杉ちゃんと水穂さんは、顔を見合わせた。

「そうなんだけど、あえて、モーツァルトで頑張ってみようと言うその気持を、評価してやるべきなんじゃありませんか?」

あずささんが、急いでそういったのであるが、

「でもね、卒業演奏会で、モーツァルトやるとなれば、これは、確かに、赤っ恥と言うか、そうなる可能性はあるな。いいか、生徒がこれだけの曲を引けるっていうのはな、講師が、すごいのをやらせてやれるっていうことで、講師のメンツも上がると言うものだ。それをモーツァルトでしめようって言うんだったら、確かに、赤っ恥だ。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「でも、彼女のやりたいと言う気持ちを、素直に汲み取ってやるのが、教育とか、そういうものだと思うんですけど。」

「まあ待て待て待て待て。それでは、お前さんがなんでモーツァルトのソナタを選んだのか、理由を聞かせてもらおう。」

あずささんが反論すると、杉ちゃんが言った。

「ええ。あまり、他の生徒さんが取り上げない、私だけの音楽ということで、今まで授業をしてもらってきましたが、それで最後の締めということで、基本に立ち返りたいって思って、モーツァルトを選びました。」

茜さんはそう答える。

「それで、そんなの理由にならないとか、そう言って怒られたか?」

杉ちゃんがそう言うと、茜さんは、ハイと言った。

「そうだなあ。だけど、卒業演奏会というのは、すごいビックイベントだよ。それにモーツァルトでしめるというのはちょっと、周りの人に追いつかないだろうから、その時だけ、別の曲にしてもらうってことはできないか?」

「そうなんですけどね。私、いろんな曲をやってきましたが、どれも、自分の感性に合わなくて。どうも不協和音とか、そういうのが、私は苦手みたいんなんです。だから、モーツァルトが一番しっくり来るんです。」

「それなら、そうなんだって先生に言ったのか?」

茜さんは、杉ちゃんに言われて、また泣きそうな顔になったので、

「そうだね、いえたら、そんな怖い思いはしないね。」

と水穂さんが優しく言ってくれた。

「そうか、確かに、モーツァルトは、きちんとした和声内で書かれているから、不協和音というものはまずないな。」

と、杉ちゃんが言った。

「そうですね。問題はむしろ、その講師の方にあるのではないでしょうか。モーツァルトのソナタといいますと、どうしてもピアニストの間でも、簡単な曲とされてしまい、リサイタルでも取りあげられません。その講師が、モーツァルトのソナタをつまらないとでも思っているから、それで、怒ったのではないでしょうか?」

水穂さんが、そう彼女に言った。

「それで、お前さんは、学校にいけなくなってしまったと。」

杉ちゃんがそういう。

「ええ。だから私、代わりの学校へ行ったらどうかといったんですが、彼女は、音楽学校への進学を希望していまして、そのためには、今の学校をクリアしないと行けないんだそうです。そうなると、別の学校へ行くというのはまた難しくなるようで。それでにっちもさっちも行かなくなっているようで、それで相談に来ました。」

と、あずささんが言った。

「うん。僕もその案は賛成だな。まあちょっと遠回りになるけど、どっか別の学校へ行って、高卒の資格取って、それで音楽大学へ行ったらどうだ。それで、音楽大学へ行ったら、二度と、そんなへんちくりんな先生を選ばないように注意することが大事だよ。」

「外国の音大は、比較的柔軟で、専攻担任を本人が選ぶことは可能なんですけどね。日本の音大は、運営が勝手に決めてしまうことのほうが多いようで、良い先生に付きたかったら、音大に入る前に、捕まえておくことが原則なんですよ。」

と、水穂さんはそう説明した。

「ええーそうなの?」

杉ちゃんが言うと、

「そうなんですよ。日本の音大は、自由そうに見えて、なかなか自由がないんですよ。」

と、水穂さんは言った。

「じゃあどうしたらいいのかしらねえ。彼女、このままじゃ、高校卒業することもできなくなってしまうわよ。それでは、まずいでしょ。目的だった、音大にもいけなくなっちゃう。」

「それに、その先生に怒鳴られたのがトラウマになって、一生傷に残るということもあり得るな。」

あずささんと杉ちゃんが、相次いでいった。

「そういうわけですから、水穂さんレッスンをお願いできませんか?」

あずささんはすかさずそういった。

「あたしが、お手伝い役として、必ず彼女を、別の学校にいかせますから、水穂さんにはピアノの面で、彼女を支えてあげてほしいんです。」

水穂さんは、少し考えて、

「他につてがないのならそうしましょう。引き受けました。」

と言った。茜さんは、大きなため息を付いた。あずささんはその彼女の背中をそっと叩いた。

それから、茜さんは、あずささんに連れられて、週に一度は製鉄所を訪れるようになり、ピアノレッスンを受けるようになった。確かに彼女の演奏する曲は、モーツァルトのソナタばかりだった。初めに2番を弾き、次に8番を弾き、その次には変奏曲で有名な11番を弾くのである。

「本当にモーツァルトが好きなんですね。ちょっと、他の作曲家の作品弾いてみてもいいですか?」

水穂さんが、そうきくと茜さんは、ハイドンのソナタ40番を弾いた。他にはと水穂さんが言うと、今度はハスリンガーという人の曲を弾く。ということは、古典系の作品しか彼女は演奏できないんだなと水穂さんは、直感で思った。

「あなたは、古典派の作品が非常に好きなようですね。それでは他の科目では、好きなものはなかったんですか?」

と、水穂さんは、茜さんに聞いてみた。

「ええ。勉強は、嫌いではありませんでしたが、どうしても理解できないことがありました。計算したりするのはちょっとのろいし、国語とか、そっちの方は理解できるんですけど。でも、試験になると答えを出せない。体育なんて、本当に苦手で。他の生徒さんにやる気がないなら死んでといじめられたこともありました。」

と、茜さんは答える。

「そうなんですね。もしかしたらなんですけど。」

水穂さんは、そう彼女に言った。

「それはもしかしたら、発達協調運動障害に当たるのかもしれません。一度、病院で検査を受けることをおすすめします。古典派の曲は、ある程度パターン化しているから弾きこなすことができますが、それ以外の曲が弾けないとなると、やはりなにか、可能性があるのではないでしょうか?」

「ちょっと待ってください!」

すぐに、あずささんが言った。

「そんなこと調べてどうなるんですか?彼女はただ、障害者として、レッテルを貼られ、これから役に立たないやつとして生きていくんですよ。それでは、ただ彼女ができないことを増やしていくばかりで、何も意味がないじゃありませんか?どうして日本の教育者は、できないことばかり、生徒さんに植え付けさせようとするのかな!」

「野上さん。それは、日本の教育上仕方ないことでもありますよ。」

水穂さんは、そうあずささんにいった。

「そうじゃなくてね。あたしは、トゥチャ族として、生きてきたからわかるけど、病名や民族名を告知されると、幸せには絶対になれませんよ。障害があるとか、少数民族であるとか、そういうことを言うのは、全然美しい言葉ではないんです。ただ、バカにされるだけ。あいつはトゥチャ族だって、逃げていかれるだけです。それを、彼女にもさせろというのですか?」

あずささんは、そういうのであった。

「まあ、そういう気持ちもわからないわけでもないが、障害があるとか、少数民族であると匂いを嗅がせるだけではなくて、はっきりと示してしまったほうがいい場合もあるぞ。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「僕みたいに車椅子に乗っている人間も居るんだからさ。そういうやつは、気にしないで平気でさらけ出して居るんだよ。」

「だけど、彼女はこれまで、そのことで傷ついてると思うし、それをさらけ出すなんて、ちょっとかわいそうだわ。」

あずささんは、つらそうに言った。

「野上さんは、確かに、少数民族として生きてきていますから、本当に、そういう辛さとか、悲しさとかよく分かる人ですよね。それを、浜崎茜さんにも経験させたくないという思いがあることもわかります。だけど、茜さんも、彼女の人生があるんですよ。茜さんだって、自分が他の人とは違うんだってことに気付いていながら、気が付かないふりをして生きていくというのは、本当に、本人にとっても辛いし、周りのご家族などもお辛いと思います。だから、こんな障害があるんだってことは、はっきりさせてしまったほうが良い。そうすれば、進路を決めるときも、きっと楽になるでしょう。」

水穂さんは、そうあずささんに言った。

「そうそう。人間にはどうしても変えられない辛いことがある。それに向かってどう考えていくか。それをしていかなくちゃならないことがなんぼでもあるんだよ。だから、茜さんもさ、ちゃんと障害があるってことをはっきりしてもらって、それからこれからの人生を考えようね。」

杉ちゃんに言われても、あずささんは、なお、茜さんが可哀想だなと思ってしまった。私は確かに、トゥチャ族として生きてきた。漢民族から、散々馬鹿にされて、本来の、言語である、トゥチャ語を使用禁止にされてしまった。今までやってきたことが、全部使用禁止になるってどんなに辛いか。あずささんはよく知っている。日本に来れば、それが少し許されるからこっちに居るけど、二度と帰るもんかと思う。そんなことを、他の人にも伝えなければならないのだろうか?

「ガミさん。」

不意に女性の声がして、あずささんは顔を上げた。

「私、発達障害の検査を受けようと思います。」

そういったのは、浜崎茜さんだった。

「こちらの方々の言うとおりです。私も、子供の頃から、他の人と何かが自分は違うんだって、ずっと悲しい思いをしてきましたもの。それで、みんなといっしょにスポーツもできないし、やれば、敗因になるとしていじめられるし、授業もろくに受けられない。だから、私が、周りの人と違うのは、そういうことなんでしょう。だから、私はちゃんと、発達障害とか、そういうものがあるんだなって、自分で自覚して生きていこうと思います。」

「これからの進路はどうするの?ふつうの人と違うというのは、本当に辛いのよ。そして二度と修正できないところへも触れなければならないのよ。」

あずささんはそういったのであるが、茜さんの決心は変わらないようであった。

「いいえ、多少なりとも制限は出てくると思いますが、でも、大事なことは変わらないと思います。それに、私は、怖いとも、寂しいとも思いません、だって、こんなに優しい人達が居るじゃありませんか!」

茜さんは、そう言って杉ちゃんや水穂さん、一人ひとりに目配せをした。

「もちろん、ガミさんだって、大事な人なんですよ。そうやって、私を救ってくれた人に会わせてくれたんだもの。ただの人貸しなんて思わないでくださいね。ガミさんは、人材リースとしてよくやってるじゃないですか。」

あずささんの職業は、いわゆる人材リース、レンタルサービスであった。変な商売かもしれないけど、人を貸すサービスである。主に彼女の業務としては、部屋の掃除や備品の掃除などであるが、時にはこうして、悩み相談に乗ることもあるし、依頼主の送り迎えをすることもある。本人にしてみればそう言う商売しか才能がないと言うが、実はこの人材サービス、なかなか利用価値があるとして、人気のあるサービスなのだ。

「そうなのね。あたしが、そんなふうに役に立ってるのかな?こんな人間、余計な心配ばかりして、果たして、あなたの役に立つのかしら?」

あずささんがそう言うと、

「決まってるじゃないですか。こうやって、人生考え直そうって教えてくれる人に出会えたんですから、嬉しいですよ。ガミさんが、一緒に悩んでくれて、一緒にここまできてくれなかったら、私、ただの引きこもりになってしまったかもしれない。それでは、嫌ですよね。」

と、浜崎茜さんは答えた。

「将来のことについては、また考え直してみます。音大に行くかどうかも。いかなくなるかもしれないけど、それは、私がした選択だから、後悔はしません。本当に、皆さんありがとうございました。私のことを真剣に考えてくれる大人がこんなにたくさん居るなんて、思わなかった。」

「いえいえいいんですよ。あなたの人生ですから、人が決めるものではありません。あなたらしく、日々を楽しく生きてください。」

水穂さんは、そう優しく、花咲茜さんに言った。

「そうそう。人生、何でも気楽に行こうねえ。元気があれば何でもできるは、名言だねえ!」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

それから、数日経って、あずささんのスマートフォンに長文の電子メールが入った。開いてみると、浜崎茜さんだった。

「先日はどうもありがとうございました。あのあと、父や母とも話し合い、精密検査を受けさせてもらうことにしました。父や母も、私のことを、発達障害とか、そういうものがつくのではないかと予測していたそうです。ですが、私が、悲しむだろうと思って、言い出せなかったんだと涙ながらに話してくれました。そういうわけで、やはり私は、検査が必要なんだなと思いました。今日は、運動能力を調べる検査があります。この検査結果次第では、私も、ガミさんのように少数民族として生きることになるのかもしれません。そうなったら、またお話を聞いて、色々生きる知恵を教えてください。楽しみに待っています。では、今日も暑いけど、お互い元気で頑張りましょうね。浜崎茜。」

あずささんとしては、まだ茜さんに、検査を受けてほしくないという気持ちが無いわけでもなかった。茜さんに、トゥチャ族として生きる苦労を味合わせるのはやっぱり酷だと思っていたからだ。それに、ピアノを断念してしまうのももったいない気がしてしまう。でも、茜さんが、そうしているんだと、あずささんは考え直した。

あずささんの勤めている企業は、そうやって、人をかすというか、人を派遣して、足りない業務を行わせるという会社である。掃除をするとか、だけではなく、人間の相手になったり、話をしたりすることもある。そうやって、生きている。次の、お客様は、何を望んでおられるのだろうと、あずささんは思いながら、今日も、お客様の居る場所へ行くために、電車に乗ったのであった。

外を見れば、静岡県の象徴である富士山が電車の窓から見えるのであった。こんな美しい景色が見られる国家は、おそらく日本だけではないかと思った。そして、こういう事情がある人でも、住まわせてくれる日本の優しさと言うか、懐深さに、改めて感謝したいなと、野上あずささんは思うのであった。たとえそれが、人種差別から逃げてきたという重たい事情であってもだ。




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