カレイド・スコープ

ヒ魔人(ヒ魔っちゃんやで)

薄暗い地の底に?

 それは深海のように碧く暗く深い。何十年、何百年前からそこにいたのだろうか?そこは地獄のように今まで多くの人間を引きずり込み、痛みを与え、貪り食うことで生き延びてきた。それは非常に不安定な存在にも関わらず、この世で唯一不変のことわりであるかのようにも思える。

 例えるなら、弦楽器の弦の振え。

 誰の目にも、それが形として見える事はないが、楽器から奏でられる甘美な響きがその存在に確固たる証明を与える。

 …誰かの耳にその音が届くまで、それはそこに存在し続ける。

 いつまでも続けていれば、いずれ誰かがその響きに気づいてくれると信じている。その存在から発せられる、悲痛な叫びに、陽の光があたる日が来ると。


 気持ちの良い朝だ。どこからとなく、ビートルズ/Here Come The Sunが聞こえてくるようだ。今日は日曜なので、いつもより幾分長く寝れた…、実に清々すがすがしい。起きてまず歯を磨き、顔を洗い、パンを焼き、コップには牛乳を注ぎ、ベーコンエッグを作る…。それらを机に並べたら、仕上げに自らも席に着く。そして、同時にテレビのチャンネルを朝の情報番組に合わせる。誰しも、自分の住む市か、その隣市で起こってようやく「物騒ね」なんて感想を抱くような、どこで人が死んだだの、家が燃えただのという報道を、形式的にだけ聞き流す。そんなテレビの音声と、朝食の匂いが飽和する部屋を、全面窓から差す柔らかな朝陽あさひが包み込む素晴らしい空間…。全人類共通の理想的な空間だとは思わないか?こんなに良い生活が送れることを何に感謝をしたら良いのかよく分からないから、一応この国の社会制度に謝意を示しておこう。

 私の名前は冨長とみなが咲哉さくや、28歳、独身男性、一般社会人。知らないことがあるとすぐに調べてしまう性格。ありがたいことに毎月水道、ガス、電気代を払える収入と、週二日の休日をいただいている。恋人はいない。好きな本は『ロリータ』、劇作は『かもめ』。好きな作家はチェーホフ、与謝野晶子。苦手なカニ以外は大抵食べれる。カニカマ、カニクリームコロッケも苦手。大好物というのは別にないかな。趣味は旅行。特に海外。

 ああ、それともう一つ。”自己紹介に関係なさそうな”話を一つ。

 ―――テレポートとか、ワープって言ったらいいのかな。その手の話を聞いたことあるかい。アルゼンチン、ブエノスアイレスを走行中のB氏の車。突然青白い霧に突っ込んだかと思ったら、走っていたのは7000㎞離れたメキシコだった、とか。電話を借りに行こうとして玄関をくぐったら見たこともないお屋敷の廊下に出た、アメリカのD氏。窓にはエッフェル塔が見える。どこだここは、と怖がっていたら、その屋敷のメイドさんに見つかって、12000㎞以上離れたパリで泥棒として新聞に載ってしまった、とか。

 まあ、”トンネルを抜けたら、そこは別世界!”じゃないけど、なにか扉を抜けたら別空間に出てしまう、ってことは世の中あるらしい。私は特にそんなことが多い体質で…。今では、”行ったことのある場所なら近くのを開くことでその場所に出ることができる”。まあ、後々お見せするかもな。

 ――そして…、コレは私の行動原理として頻出するトピックだから一応言っておくだけだが…、普通に”児童性愛者ロリコン”。とまあ、知っておいてほしいのはそんなモンかな。

 朝食を終えたら、今日は行く場所があるのでその準備をする。…あれ?今日着たいと思っていた服どこにしまったっけか。近くにあった”トイレのドア”を開けた…。中は”クローゼット”につなげたがね。

「ああ、あったあった。」

 オシャレだが、派手すぎるということはない。大人っぽく清潔感がある、私のお気に入りの服の一つ。…とまあ、今日の私のファッションと、能力の実演はこんな感じだ。人に見つかったら私のこの自由で平穏で幸福な暮らしが制限されかねないので、あまり多用したりはしないが。

 外は日曜日ということで人が出歩いてはいるが、遊びに行くには少し早い時間だ。まだピークではないだろう。

 行先は最寄りのバス停から7駅+徒歩3分、草羽田くさはた高校文化祭。家族や誰かが通ってるのかって?そういうわけじゃない。本当は中学生くらいの子が”ストライクゾーン”なんだが…、一般公開されている文化祭というのは高校からしかないからな。…別に法に触れるようなことはしない。よく考えてくれ、善良な人間が、綺麗な花畑があるからって、そこから花を摘んだりするか?むしろ、その景色が破壊されないことを望むだろう。そういうものだ。まあ、一部の”善良でない人間”に被害を受ける花があるのは、事実だし、なんとも心が痛むことだがな…。まあ、誰もが自らの異常性を隠して生きている世の中だ。きっと誰にも私のことを指摘できないような罪を隠しているだろうよ。

 私はそっとバス停に並んだ。

 そしてバスが来た。…と同時気づいた。いつも財布を入れている右後ろのポケットに何も入っていないことに。マズい、浮かれすぎて玄関に忘れたか…。そんな気がする…。いやいや、焦ってなどいない。私の”扉を開ける”能力…、要は内部が観測できない空間の出入り口ならはなんでも良いのだ。財布を探すフリをしてバッグをのぞき込む…。バッグ内部は我が家の玄関先とつなげているがね。

 乗車が遅れたことを申し訳なさそうに、少し身をかがめてバスに乗車する。全体として席はガラガラ。誰もいない後方二人席に腰を下ろした。やはり、かっこいい大人である秘訣というのは、余裕の面持ちのまま迫る危機を回避すること、だろうな。

 …ところで、人々はこういう移動時間ってどう過ごしているんだろうか?車窓に映る景色を眺める?私もたまにそうやって過ごそうとしてはみるんだが、それ途中で飽きちゃわないか?いつも気づいた時には、スマホか本を読んでいる。そういう風に一つのことに集中して時間を過ごせる人は普通に尊敬しちゃうな…。

 そんなことを考えながら車窓スクリーンに映る単調な映像に視線をやっていたら、7駅はあっという間だった。

 草羽田高校は生徒や参加者の活気であふれていた。正門に構えられた「welcome to くさはた祭!」のゲートをくぐると、まずはパンフレットをもらう。ちなみに、パンフレットをくれたのは挨拶の大きい、ボブカットで、手の綺麗な女の子だった。笑顔が良く似合う。

 パンフレットに目を通す。今日は各部活ではなく、各ホームルームごとの出店メインの日だ。1-Aはお化け屋敷「人形館」。2-B、喫茶兼休憩所「To Be Happy」、『To Be』と『2-B』がかかっているんだな。おいおい!よく見たらメイド喫茶もあるじゃないか!…まあ、いろいろあるが、ゆっくり回ればいい…。自分で言うのもなんだが、外見としてはいかにも”さわやかで清潔感あふれる一般男性”であって、一見して怪しい人間には思えないだろう。まずはどこから行こうか…。近くの教室の「型抜き」にでも参加してみるか。

 それからしばらくぶらぶらして、時刻は午前11時30分。そろそろお腹が空いてきたな…。そんな無意識の本能から、足は自然と香ばしい匂いのする方に進んでいた。このとき、”ああ、学生の女の子ってすれ違うたびにいい匂いがするな”とか、”他校の子だろうか、私服がとても可愛いな”とかそんなことで頭がいっぱいだったので、本当に無意識だ。

「お兄さん!たこ焼きどうですか!」

 輝く汗と笑顔がまぶしい、お揃いのクラスTを着用した少女らが私に声をかけてきた。…改めて今日ここにきて良かったと思えた。街中でこんな風に女の子に意識を、ましてや笑顔を向けられることなんてないのだから…。たこ焼き屋、か…。ドライブスルーのようなスタイルで、客の回転率はかなり良いらしい。一つ買っていこうかな。少しばかり長い列に見えたが、列に並んでから2分となく自分の番が巡ってきた。

「ありがとう。買っていくよ。」

 そうほほ笑みながら言葉を返した。ここで心配なのは、”キモくなかったよな?”ということだ…。

「うぉー!ありがとうございます!」

 とびきっりの笑顔で返してくれた。…特に、列に並んでから背後に聞こえた、

「今のお兄さん結構かっこよかったよね!?」

 という声は、もう…、本当に…、素晴らしかった。その言葉を噛みしめながらたこ焼きを購入し、人混みを少し離れたのち、それを頬張る。…ふと、購入する際に使った小銭入れを見る。手がふさがっていて元のかばんに上手くしまえない。小さい頃、縁日の屋台で手に入れた景品、…だから、かれこれ20年近く使っているのかも?ぼんやりとそんなことが頭に浮かんだ。まあ、いい。適当に胸ポケットにしまっとこう。

 廊下の奥にゴミ箱が見えた。その廊下は部室棟のものであって、今日、人の気配はない。ちょうどいい。たこ焼きのゴミを捨てよう。

 …と、そのゴミ箱前まで行って、その近くにあった黒い直方体が、金庫のようであると気付いた。人一人なら屈めば入れそうな大きさをした古式ゆかしいそれは、取っ手やダイヤルはすっかり錆びきっていた。ときどきテレビ番組で見るような、いわゆる”開かずの金庫”といったたたずまいだ。”開かず”かどうかは知らないが。

 最後の一粒を咀嚼しながら、ボーッとそれを見ていた。すると見つめられて気まずさを感じたか、その金庫はキーッと小さな声を出して内部空間の闇を見せた。

 なんだ、”開かず”ではないのか。特別、興味が湧いたワケでもないが、右足のつま先でその内部の露出するのを手伝う。

「…!?これは…!」


 その内部にあったのは、地獄の底まで続いてるのではないかと疑ってしまうような、果てなく地下へと延びる階段。その先にあるのは、途方もない深淵。手すりはない。”降りる”には楽そうだが、”登る”には辛いだろう…、そう感じた。

 …まさか、こんなものがこの学校にあるとは。荷物を傍らに置き、しゃがんで、スマホのライトを付け、内部を観察する。まさかこの階段を下ろうなんて、そんなとてもじゃないが恐ろしいことをする気にはなれないが、その暗闇の先には何があるのか?それがつい気になってしまう。それが、誰にでも「怖いモノ見たさ」ッてヤツだろう?それはレンガ製で、まるで、外国の古城の地下にこっそりと…、誰にも見つかることなく潜み続けた地下通路を連想させる。

 …そして、そんな秘匿空間では、これまた誰にも知られることなく狂気じみた拷問が行われていたのだった…。サイコホラー、あるいは、スプラッターホラー好きの人間なら、またそんな想像も、してしまうかもしれない。そんなジャンルには微塵の造詣もない私ですら、そこからあふれる陰気にあてられて、そんなことをふと考えてしまうくらいなのだから。

『こちらが深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。』…そんな命題知が、体験知として刻まれるようだった。…どれだけ光を当てても、それが返ってくることはない。足はすくみ、心拍数は不愉快なほど高まり、喉は渇ききり、額に汗がにじむ…。

 おそらく、1分もたたないうちに、もうこの場から去ろう、何も見なかったことにしよう、そう思い立った。


 その時だった。


 背後から、何者かに押されたか、いや、蹴られたかのような、と言ったほうが正しいような感じがする。そんな衝撃を与えられた。


 当然、かがみこむ姿勢をとっていた私は、一気に前傾に、押し出される。


 私のからだは、その果てしない深淵へと吸い込まれていく…。


 …数十秒ほど、階段を転がり落ち続け、それが永遠に続く覚悟をしだしたころ、私の躰は固くザラついたゆかに投げ出された。

 全身が痛い。痛みと、いや、それ以上ので身体が動かない。見渡す限りの暗黒。私の精神を絶望の岬のへりへ追いやるには十分すぎるほどの。


 …その中に一所ひとところからあまりにも頼りなく、途方もなく安心を得られる光が発散はっさんしている。

 光を発するそれ、私がこの地の底に叩き落される直前までにしていたスマートフォンに手を伸ばす。

 それを手にして、変わらず表示されるHOME画面を目にして、安堵の津波がドッとあふれ出る。

 まだ自分は本物の地獄に来た、ッてワケじゃないらしい。”現実”だ。

 ゆっくりと立ち上がる。

 放たれてはすぐに消えてゆくスマホのライトが、弱々しく目の前の通路の床を照らし出す。最早、自分がどの方向から落ちてきたのか、なんて全くわからない。とにかく、その通路の先に階段が見えることを信じるほかなかった。

 また、自分の生まれ持った”能力”(というか、体質)のせいで、妙な目に遭わされてしまった…。

 極度の緊張を恐怖は変わらず絡みつき、私の精神を老いさらばえさせる。それでも、いつか見えるかもしれない一縷いちる光明こうみょうを必死に祈りながら、床同様ザラついた壁に手をあてながら、細い通路を一歩、また一歩進む。

 ――ああ、5,6歩、歩いた時点で気づけていれば良かったな。自分が階段から投げ出されてからそんなに転がっていたか?なんていう、まったく単純な違和感に。いや、逆に確固たる証明になるだろうか?その時の私の精神は本当に極限状態であったことの。あるいは、それ含めてその”空間”の能力、だったのかもしれない。…、とにかく、その男は不幸にも彼自身の帰り道…、転がってきた階段とは真逆の方向にあゆみを進めていた。


 そうして一分ほど歩いた。私の心を唯一支えている帰路への希望は、まさに風前の灯火、と化していた。粘性を持った暗黒が空気中くうきじゅうに飽和している。足があまりにも重い。息を吸って、吐くことさえ苦しい。もう…、歩けない…!


 …ふと、手に当たる物質の触感が変わる。余りにも突然、冷え切った手のひらのわずかな体温を奪われる。

「…ッ!?」

 ライトを当てると、それはカラリと鈍く、光を返す。

 私は鉄製のおりに手を触れていた。

 …どうやら、檻の奥には少しばかりの空間が広がっているようだった。そして、同時に、私の衰弱しきった脳が、やっとその場からあふれ出す腐臭に気づく。絶望の海面は、あまりにも”にこやか”に私に深海の様相をうかがわせてくれる。鉄格子の開いている部分があった。


 わずかな光でも、それは平等に、その空間に光を与えてやる。てらてらと赤黒いその部屋の床が、久しぶりの光浴に歓喜の表情をみせる。


 光は、その中に”居た”、彼にも。


「ヒィッ…!」

 肺に残るわずかな空気が、勢いよく声帯を通り抜け、大の男の大人からは滅多に聞けないような声が漏れだす。

 ”ソレ”は生きていた。”ソレ”はかろうじて「人間」の形を保っていた。身長は130前後しかない。頭から延びる糸…、おそらく、毛髪もうはつはまばらに生えている。爪は現代人では考えられない長さをしているが、手足合計20本の中には爪がない指もある。おそらくある程度長さになれば、自然に折れるか、”とれる”、かしてしまうのだろう。骨ばかりになったその身体に浮かび上がる青黒い斑紋は、それが”栄養失調”状態にあることを教えてくれる。

 部屋の角に居た”ソレ”はゆっくりと顔を上げる。

 白く濁ったまなこと目が合う。いや、もっと正確に言うならと目が合った、と言うべきだろう。

 怯え切って表情が恐怖に歪んだ私とは裏腹に、”ソレ”はまたゆっくりと、必死の体力を絞るように、口角を上げてみせる。


「ひさしぶりのしょくじだ」


 ッて、とこかな…。


 ”ソレ”は突然、四つん這いで、しかし、恐ろしい速さで、獲物わたしに向かってきた。


 ”ぬ”

 ”つかまれば死ぬ”


 ――あまりにも不運な邂逅を経て、ようやく、私は階段でぐちほうへと走り出していた。


 いつの間にこんなに奥まで進んでいたのだろう?『行きはよいよい帰りは怖い』。典型的な恐怖への往復路だ。


 足は変わらずあまりにも重い。どころか、息は鼻腔を優しくなでる腐臭に気づいてしまったせいで、より苦しい。食道を上る吐瀉物としゃぶつを、吐いている余裕などないので何度も、何度も、何度も何度も何度も必死に飲み込みながら走る。


 ”ソレ”が這い寄る音は変わらず背後に響いている。


 ライトをかざす余裕すらない。ひたすらな暗闇を、ひたすらに駆け抜ける。

 途中、また喉までせりあがってきたモノを、手で胸をグッと押さえつけるようにして、せき止めた。そのとき、自分の胸ポケットに入れていた物の存在を確認し、思い出す。

 そうして逃げて、逃げて、走り抜けた先で、あの階段へとたどり着いた。


 …が、どうやらやはり『こうも不幸も同時にやってくる』ものらしい。前方をろくに確認していた私はそれにつまずき、倒れ込むように転んだ。


 倒れこんだまま後ろを振り返り、あまりにも久しぶりに”ソレ”の姿を確認する。”ソレ”は私にあまりにもつたない笑顔をむけたまま、おもむろに立ち上がり、二足歩行に切り替える。

 その足音は軽く、てちてちと音を立てて近づいてくる。


 ”死ぬ”

 ”捕まれば、死ぬ”


 …なんだか、だんだん逆に腹が立ってきたぞ?


 私はなんで、カワイイ女の子を見に来ただけなのに、こんな目に遭わなくっちゃいけないんだ?


 私がなにかしたか?

 何か罪を犯したか?


 もし仮に神がいたとして、もしかしてそいつは私が児童性愛者ロリコンであるというそれだけでこんな罰を与えようとしているのか…!?


 とりとめもなく、了見を得ない考察が脳内を飛び交う。

 そして、”ソレ”が私に1mのところまで近づいてきた瞬間、怒りは最高潮に達した。


 とっさに胸ポケットの小さな小銭入れを取り出し、開け口を向かってくる”ソレ”に向ける。


「『扉を』、『開ける』…!!!」


 開いた小銭入れからは、小銭ではなく、銃弾が飛び出す。


 ――私の趣味は旅行、特に海外だ…

 ”小銭入れの開け口”と、”一昨年おととし友達と、親のスネかじってハワイ旅行にしたときに行った民間の射撃訓練場しゃげきくんれんじょう”とを”つなげた”…!


 銃弾は”ソレ”の腹を貫き、”ソレ”は貫かれた勢いで倒れこむ。

 やかましい悲鳴は上げなかった。

 この時まで”ソレ”の身体を駆け巡っていた赤黒い液体は、初めて見る外の世界に興味津々に、次々と流れ出していく。


「あれ…、”グアム”だったかな…?まあ、どっちでも良いな。何より、ここに閉じ込められたまま死んでいくお前の前でするには、少しデリカシーのない話だしな…。」


 階段を少し登り、上を見上げる。ぼんやりとした、か弱いスポットライトが勝者わたしを照らす。最後に一度だけ、死体を見下ろす。黒っぽい血があふれ出している。肝臓周辺の血色だ。人体内で致命的な内臓は肺、心臓、肝臓の三つ…か。


 金庫の扉を再びくぐったときには、すでに校舎を包む日の光はオレンジがかっていた。良かった、私のバッグは金庫の前に変わらぬ様子でたたずんでいた。

 バッグから文化祭のパンフレットを取り出し、開く。

 だいぶお腹が空いたが、これでやっと、メイドカフェに行ける…。


 ―――

 翌日。前日の文化祭を堪能し、心にも余裕がある月曜日は、いつも通り穏やかなな朝食の席を迎えられた。

 朝の情報番組を、形式的にだけ聞き流し、出かける準備をする。これも、いつも通り。

 しかし、その中で、驚くべきニュースが報道されていた。


 私の住む市内の学校にあった『開かずの金庫』から、地下に通じる階段が発見された、というのだ。


 柄にもなく、テレビを食い入るように見てしまった。紹介された階段の画像は、私が昨日見たモノと同じように、明かりのない深淵に続き、備え付けられた手すりも途中で消失したかのように見えなくなっていた。

 まさか、昨日見たアレが、私の能力に引き寄せられたモノではなく、本当にそこにあったのだとは…。

 まあ、当分あの学校に行くことはないだろうし。私にはもうまるで関係のない話だが。


 そのうち、いつもと同じように支度したくを終え。玄関にて靴を履く。革靴にはこだわっていて、これもそれなりのブランドのものだ。

 玄関のドアに手をかける。いつも通りの出勤。変わらぬ穏やかな日常があるというのは、なんと清々しく、気分の良いものなんだろうか。





 …そこでふと思い出す。


 ”ニュースで紹介されていた画像”

 その地下階段には”手すり”が付いていた。


 あれ?

 昨日の階段に対する私の第一印象。


『”降りる”には楽そうだが、”登る”には辛いだろう…』


 …そもそも、最も報道されるべきであろう、あの死体のことは…?


 気付いたときには、手はドアノブを触れていた。

 私は、玄関の、『扉を開けた』。


 …そこに見慣れたマンションの廊下はなかった。

 ただひたすら。深淵へと続く階段があった。地獄への一方通行路の手すりは、ない。


 ここはマンションの5階。

 私は自らの部屋に閉じ込められたのだ。

 深淵がこちらを覗き込んでいる。

 この部屋の中でしか動けない私をジッと見ている。


 ああ、もしかして…、万華鏡カレイドスコープの中でかがみに囲まれたビーズ、ッてのは、こんな気分なんだろうか?


 そんなくだらない妄想をしてしまった。


 ―――

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