九つ目の奇跡
栗パン
One Miracle After Eight Failures
私は猫。
特別な猫ではない。
ただ、一つの執念だけを抱えている。
十四歳の冬、彼女と出会った。
屋上の縁に立つその小さな背中。冷たい風に髪が乱れ、瞳の奥には何も映っていなかった。
私は走り寄り、必死に裾を噛んだ。
彼女は驚いたように私を見下ろし、一瞬だけ目が揺れた――だが、手を離した。
一度目、私は救えなかった。
二度目も同じ。彼女は再び屋上に立ち、私を見て首をかしげた。
「昨日もいたような……」そう呟き、また闇へと消えていった。
三度目、私は声を張り上げて泣き叫んだ。
けれど彼女はただ苦笑して、「変な猫だね」と言ったまま、風に呑まれた。
四度目、花びらを咥えて彼女の足元に置いた。
その目に一瞬だけ涙が光った――結末は同じだった。
五度、六度、七度。
何度も、何度も試した。爪で引きとめ、体を張って邪魔をしても、彼女は運命に引かれるように消えていった。
八度目。私はもう座り込んで、ただ隣に寄り添った。
彼女はかすかに笑い、「寒いよね」と呟いた。
私の温もりは、最後まで届かなかった。
私は泣いた。猫だって泣く。誰にもわからなくても。
九度目。
また十四歳の彼女が、風の強い屋上に立っていた。
私は急がなかった。
彼女は震えた声で言った。
「……引き止めないの?」
私は短く「ニャア」と鳴いた。
八つの命を費やした想いを、瞳の奥に込めて。
全身の力で彼女の胸へ飛び込む――もし彼女が飛び降りるのなら、最後の命で一緒に逝こう。
長い沈黙のあと、彼女は膝を折り、泣き崩れた。
「……わかった。試してみる。君がそばにいてくれるなら。」
その日から、私は彼女のそばで祈り続けた。
どうか彼女が、この世界の美しさを知り、生き続けてくれますように。
そして私は見守った。
彼女が迷いを抜け、笑い、涙し、何度でも立ち上がる姿を。
十四歳だった彼女は二十四歳になり、三十四歳になった。
やがて、私の命の灯が小さくなった夜。
彼女の膝に横たわりながら、苦しい呼吸の合間に耳に届いた。
「行かないで……まだそばにいて……」
私は最後の力を振り絞って彼女を見上げた。
そのとき、彼女が泣き叫ぶように言った。
「……八回も私を救ってくれたのに、どうしてただの猫なの?
どうして、あなたが死ななきゃいけないの!」
熱い涙が私の毛を濡らした。
私は小さく喉を鳴らした。
ああ、私のことを……覚えてくれたんだ。
八つの失敗も、九つ目の奇跡も、そのすべてを抱きしめるように。
――この一生は、ようやく報われたのだ。
九つ目の奇跡 栗パン @kuripumpkin
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