だんこきょひっ!

羽間慧

絶対やだやだ!

 帰宅したら、彼女の機嫌がよさそうだった。おかえりと言ったときの声が、どことなく柔らかい。


 髪を切りに行ったのかな。仕事のプレゼンがうまくできたのかな。


 リビングへ繋がるドアを開けると、机の上に服を広げる彼女がいた。


「そのシャツ、初めて見るような。今日買ってきたの?」

「うん! 文房具が買いたくて百貨店に寄ったら、可愛いの見つけちゃったんだよね。どうかな? 似合う?」


 実際に着てみたら、身長の関係でロングシャツになりそうだ。でも、うまく調節する方法を彼女は知っているのかもしれない。


「秋らしくていい柄だね。去年買ってたニットベストと合わせてもよさそう」

「確かに! センス抜群だね!」


 喜ぶ顔が見れて、鼻が高い。


 有頂天になっていると、お風呂が沸いたことを知らせるチャイムが鳴り響いた。


 入る順番は、いつもじゃんけんで決めていた。だけど、今日は彼女に譲ろうと思う。

 手入れをさぼっている髪も、目元に刻まれたくまも、疲れきって見える。早く湯船に浸かった方がいい。


 俺はそっと彼女の頬を撫でる。心なしか、顔全体がくすんでいる気がする。


「そろそろお風呂に入った方がいいんじゃないか? 先に行っておいで」

「だんこきょひっ!」


 両手で作られた、大きなバツ。

 そこはマルにしてほしかった。


「やだ。絶対やだやだ! 入らなくても死なないもん。むしろ、お風呂に入った方が死ぬ。顔も髪も、しおしおになっちゃうよ」


 これがいわゆる風呂キャンセル界隈なのか。

 まさか俺の彼女も嫌がる日が来るとは思わなかった。温かい湯で体を洗い流して、さっぱりしてもらいたいだけなのに。


「死なない、死なない。いい子だから、ネックレス外そうな。そのままお風呂入っちゃったら、ネックレスが錆びやすくなるぞ。お気に入りのデザインって言ってなかったか?」

「むりむり! 髪を乾かすの面倒だもん! 絶対すぐ乾かないし……って、こらー! 服も脱がしにかかっちゃだめ!」


 小さなボタンを外そうとした俺の手を、彼女は必死に抑える。


「髪も体も、俺が優しく洗ってあげようか? 痛くしないよ」

「半乾き臭しちゃわない?」

「ちゃんとすすぐ。型崩れが心配なら、タオルで包みながら脱水するよ」


 縦ロールツインの推しぬいが、俺の前に差し出された。


「お願い。一緒に行ってきて」


 たいへんよくできました。


 誕生日前に作ってあげたから、今回が初めての入浴になるはず。彼女がお風呂嫌いにならないよう、今日最後の大仕事をやりきってくるよ。

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だんこきょひっ! 羽間慧 @hazamakei

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