隣にいるのに

湊沢梢

隣にいるのに

「涼介、留学先でも頑張ってね。これ、よかったらあっちで使って」 


 結衣はそう言うと、誰もが知ってる有名ブランドの箱を涼介に渡す。 


「えっ! これ、すごい高いやつじゃん! ありがとう!」 


 そう言うと涼介は綺麗な瞳を輝かせて箱を開ける。

 中から艷やかな漆黒のボールペンが顔を出す。

 涼介の名前が入っていて、品格と高級感が漂う。


「すごい……こんなの貰うの人生で初めてだよ。一生大事にする。ありがとうな、結衣」 


 そう言うと涼介は結衣の肩を優しく抱き寄せる。 


 ――喜んでくれて、よかった。バイトのシフトいっぱい入れて頑張った甲斐があった……


 結衣は涼介の胸に頬を擦り寄せる。

 涼介の体温と柔らかな香りが胸の鼓動を早くする。


「……そういえばさ、美玲もボールペンくれたんだよね。留学祝いだって」 


 涼介は楽しそうに笑いながらそう言うと、胸ポケットに刺さっていたボールペンをおもむろに取り出す。

 一般的な文房具ブランドの、安くも高くもない、普通の3色ボールペン。


「……そうなんだ」  


 美玲先輩は涼介の同級生だ。同じ学部で、同じサークルに入っている。

 色白で、緩やかな栗色のロングヘアをたなびかせて、大きな目がくりっとして可愛らしい人。

 色黒で目が細い私とは正反対。

 

「このボールペン、書きやすくてさ、俺すごい気に入ってるやつなんだよね。美玲、ホント俺のことよくわかってるよね」 

   

 彼は涼しい顔でそう言って笑う。 

 悪気なんて少しもないのに、その言葉は結衣の胸を容赦なく切り裂いた。

 

「……そっか……よかったね」  


 ――そうだよね。私が一生懸命お金を貯めて、迷って迷って選んだこのペンじゃ、あなたの心には届かないよね。

   

 結衣の胸の奥で音を立てて何かが崩れていく。

 涼介はそんなことに全く気がつかず、笑顔で続けた。


「出発の日さ、サークルのみんなが見送り来てくれるらしいんだけど、結衣もこれる?」 


 先ほど感じていた胸の熱さはどこへ行ってしまったのだろう。

 結衣は涙がでそうになりながらも、精一杯の笑顔を作り出す。 


「ごめんね、私、その日バイトなんだ。他の人と変われなくて」

 ――涼介、私、知ってるよ。 


 涼介は少し寂しそうな顔をしながら、結衣の髪を撫でる。  


「じゃあ、出発の前の日に会おう? もうしばらく会えないんだし」  


 「......うん」


 涼介の手のぬくもりを感じながら、結衣の胸の中では色とりどりのガラスが砕け散って、鋭い破片が心をえぐっていた。


 ――あなたがずっと、美玲先輩のこと、好きだったこと。 


 気がつくと西の空に太陽が沈み、淡い紫色の夕焼けが空を染めていた。 

 あんなに五月蝿かった蝉たちは声を静め、秋の虫達が美しい恋の合奏を始める。 

 結衣には、その繊細な旋律がひどく遠いものに聞こえた。

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隣にいるのに 湊沢梢 @IamKozue

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